わ た し の 登 山 紀 行

   90年 二度目の穂高連峰 同行者:愉快な大学生T君


8月25日(土)

この日の行程:名古屋19:38・・・・新大阪・・・・大阪21:30・・・・松本4:23・・・・新島々4:50・・・・上高地着6:50    

 古屋発19時38分のひかり号で大阪に向け出発。これから乗ろうとする急行ちくま号は名古屋駅に停車するのだから,名古屋で乗ればいいのだが,わざわざ始発の大阪駅まで行くのは睡眠時間を確保するためである。新大阪で乗り換え,大阪駅に着いたのは21時04分。
 阪駅はいつ来ても何となくごみごみしており,特に長距離列車の発着する10番,11番ホームは饐えたにおいがする。夜行列車には似合いの雰囲気を醸し出している。そんな中,11番ホームへ急ぐ。
 くま号は発車数分前に入線してきた。5両の12系の座席車に付随して3両の14系寝台車両が連結されている。今夜はその後に,さらに12系が増2両連結されている。多客期だからの措置だろう。今夜の宿は14系寝台車両だ。
 つては特急寝台列車に使われていたとはいうものの,幅72センチの3段寝台はやや旧式である。しかし,去年のような4人向かい合わせの座席に満員,というのよりははるかに快適。そう,去年は名古屋駅からこのちくま号の座席車両に乗って,一睡もできなかったのだ。列車は定刻に発車した。
 日からのことを思って興奮したり,寝台車では眠れないという先入観があるせいか,まったく眠気が来ない。本でも読もうと,持参の佐藤愛子の文庫本を取り出す。しかし,真上の子どもがうるさく,まったく眠くならない。やっと米原を過ぎたあたりから眠ったようだが,それもつかの間,先ほどの子どもに眠りを妨げられた。そのうちくだんの子どももおとなしくなり,木曽福島,塩尻と停車したのも知らず,松本直前で目が覚めた。大あわてで降りる支度をする。4時5分着。
 時23分,松本電鉄の2両編成の電車が出発。立ち客も出るほどの混みよう。快速であるため,約20分で新島々に到着。早速連絡バスに乗り込む。補助椅子も出すほどの混みよう。何とか同行のTくんと隣同士に座る。動き出すとすぐにTくんは眠りをむさぼりはじめた。バスは夜明け前の安曇野を,恐ろしいほどの速力で疾走している。

8月26日(日) 

この日の行程:上高地7:15・・・・明神7:55/8:10・・・・徳沢8:55/9:15・・・・横尾10:00/10:50・・・・涸沢ヒュッテ13:30          




 
時頃上高地到着。少し肌寒い。早速顔を洗う。蛇口から出る水は身を切るほど冷たい。朝食を取り,歯磨きを済ませ,コーヒーをわかして一服。周りの山々にはあいにくガスがかかっている。写真のコンテストでもあるのだろう,周囲には多くのアマチュアカメラマンが三脚を立てている。トイレに行って出すものを出し,身軽になったところでさあ出発。時刻は7時15分。雨の心配はなし。
 
早いせいか,観光客の姿はまだまばらである。小梨平を過ぎると登山者だけの世界となった。ふだんならこのあたりまで一般観光客の姿が見られる。
 
時55分,明神着。予定より15分早着。ここで1本立てる。ザックや靴の調子を整える。眼前には明神岳が迫っている。あの奥には前穂高岳が,そしてそのまた奥には奥穂高岳があるのだ。明後日にはその頂きに立つ。
 
5分の休憩で出発。平坦で歩きやすい道をハイペースで進む。45分で徳沢に着く。井上靖の小説「氷壁」で有名な徳沢園の前で写真を撮る。ここも15分の早着。快調なペースできている。疲労は感じない。ジュースを飲んでさあ出発。
 
尾までは歩きやすい道で,ピッチもあがる。横尾には10分早着の10時到着。ここから先には山小屋がないため,少し早いがとりあえず腹に何か詰め込むことにする。小屋に入ると昼食は11時からという。そういえば去年もそうだったと気づく。去年同様カップラーメンを食べることにする。運良く2つだけ残っていた。300円也のカップラーメンを美味しく食べ,缶コーヒーを飲んで昼食はおしまい。売店に気になるパノラマ写真があったが,ここで買わなくてもどこにでもあるだろうと思い,見送る。しかしこれはあとで後悔することになるのだ。
 
のベンチでラーメンを作っている2人パーティーと知り合う。なんと,まだ11時前だというのに今日の行程はこれでおしまいとか。テントを張っている。ちなみに明日は涸沢泊まりだそうだ。1日の歩行時間3時間の超のんびりプランだ。我々は10府50分出発。ここからは本格的な登山道となる。
 
谷橋までは石がごろごろの沢を行く。たいしてきつくはない。予定より10分早く11時40分,本谷橋に着く。ここで20分の休憩。横尾で買ったそれほど冷えてないジュースがたいへんうまい。4,5組のパーティーが休憩している。女性の単独行者もいる。手帳に丹念にタイムを記録している。12時出発。
 
きなりの急登となる。初めて来た昨年はここで死んだ。今回は装備を必要最小限とし,軽くしたので背中のザックはそれほど気にならない。しかし歩みはしだいに遅くなってくる。前を行くT君がしだいに遠くなっていく。立ち止まりたい誘惑に駆られるが,立ち止まったらよけい苦しさが増す。おそいながらも歩を止めず,ただただひたすら歩く。ゆっくり,ゆっくり,とまらずに・・・・・・。
 
中,遭難対策協議会のメンバーが登山道の浮き石を除去していた。暑い中たいへんなことだ。外国人の姿も見られる。その中に見覚えのある涸沢ヒュッテの山口支配人の顔も見られた。「ごくろうさま。」と声をかけて追い越していく。あとで知ったのだが,2人の外国人はロシア人で,日本の登山界の視察に来ているそうだ。
 
谷橋から40分歩いたところでT君が待っていてくれた。ここで15分の大休止とした。行く手を見る。大きく右手に食い込んでいる沢を登り詰めたところが涸沢,と地形図から判断する。あと1時間ぐらいか。
 
2時55分出発。昨年の経験から,あと少しで雪渓に出る,そうすれば涸沢ヒュッテも間近,とがんばる。雪渓にでたら1本立てることにする。
 
ころが行けども行けども雪渓は現れない。休みたいが,雪渓にでるまではとひたすら歩く。あえぎながら急斜面を登り切ったところ,目の前に涸沢ヒュッテが見えている。一瞬,あれ,おかしいぞ,と思ったが,今年は積雪が少ないのだ。去年は涸沢ヒュッテが雪で埋もれていたが,今年は雪が少ないから雪を踏まずに涸沢に入れたのだ。ここまで快調なピッチできたため,14時30分到着の予定が13時30分到着。
 
ュッテの受付で我々を迎えてくれたのは,雑誌などでおなじみのオーナー小林銀一氏だ。「もしかして小林さんじゃないですか。」と尋ねると,人なつっこくおだやかに「わたしが小林です。」とあいさつが返ってきた。雪渓のことを尋ねると,これがいつもの涸沢だということだ。去年が異常だったらしい。早速部屋に入り,汗まみれの服を着替えた。
 
いたという安心感からか,急に空腹感を覚えた。持参のフランスパンにコンデンスミルクをぶっかけてかぶりつく。歯ごたえのあるパンと口に広がる甘いミルクが,疲れた体に何とも言えずうまい。そしてT君が売店で買ってきた缶ビールで,無事入山を祝って乾杯。個室であるため,だれにも遠慮はいらない。大の字になって寝っ転がる。食事の時刻5時まですることはない。4時を過ぎると肌寒さを感じる。あわててストーブをつける
 
へ出てみる。手が届きそうなところに北穂,涸沢岳,奥穂,前穂が見える。このすばらしい景色は,去年は台風のため見られなかった。去年は台風で缶詰だったのだ。
 
屋へ帰る。T君は居眠りをしている。まったく,どこでもすぐ寝られるやつだ。食事の時刻まで寝させておくことにする。隣の部屋は中年のおじさんおばさんグループが入り,にわかににぎやかさを増す。
 
間を持て余したので,玄関の一角にある図書コーナーへ行った。人の気配がしたので顔を上げる。そこには自分の顔が映っていた。「なんだ,鏡か。」と思ったとたん,映っている主とはちがう動きをした。鏡に映った自分の顔ではなく,自分そっくりのヒトだったのだ。実にあせった。これほど自分に似た人間なんて,初めてのことだ。きっと向こうもそう思ったことだろう。
 
屋にもどると,T君は起きていた。先ほどのことを話すと,真剣な顔で「さがしてくる。」しばらくたってもどってきたが,どうも見つからなかったようだ。
 
っと5時。食堂は満員だ。どうも2交代で食べるようで,我々は第1陣。献立は次の通り。

ミンチカツ チキンナゲット ワカメとイカの酢の物 タマネギとベーコンのコンソメスープ みそ汁 トマト 千切りキャベツ 漬け物  豪華! 満足,満足・・・・・・

 数は多いし,ご飯はおかわり自由。すべてを平らげ,腹一杯。部屋にもどり,コーヒーをわかす。コーヒーを飲みながら,二人で今日一日のこと,そして明日の予定を話し合う。とてもゆったりした心持ちである。
 
うこうしているうちに7時を回った。明朝手間取らないよう,パッキングを済ませる。さあそろそろふとんを敷こう。歯磨きを済ませ,顔を洗ってふとんにはいる。佐藤愛子の文庫を子守歌にして。8時ちょい過ぎ消灯。お・や・す・み。


8月27日(月) 

この日の行程:涸沢ヒュッテ7:00・・・・北穂東稜への分岐8:20・・・・北穂東稜9:05/9:25・・・・東稜のコル10:30/10:45・・・・北
      穂高岳11:15/12:00・・・・涸沢岳13:45/14:00・・・・穂高岳山荘13:30

 時起床。洗面,朝食,トイレと,あわただしく済ませる。特にトイレはタイミングがずれると行列になる。無事すべてを済ませ,テラスでコーヒーを飲む。今朝は快晴で,穂高連峰が青空をバックにそそり立っている。これから挑む北穂高東稜を望む。さすがゴジラの背と言われるだけあって,ギザギザのやせ尾根が頂上に向かって連なっている。「よーし。」と,登攀意欲が湧いてくる。コーヒーを飲み終え,ザックを背負い,いざ出発。時刻は7時。
 
沢を横断し,涸沢小屋の横を通って,通常のルートをたどる。いきなりの急登で苦しい。とにかく30分は休まず登ろうとがんばる。1歩1歩よいしょ,よいしょと歩を進める。だんだんと涸沢ヒュッテが遠く下になってくる。確実に高度を稼いでいることを実感する。
 
時30分。5分間の休憩をとる。正面に急峻な北尾根を従えた前穂高岳,右に奥穂高岳と,これから登っていく峰々が見渡せる。汗を拭いてさあ出発。
 
び急登が始まる。休憩をとったためか,なおさらきつい。たまらず立ち止まることもしばしば。時刻は8時。10分間の休憩をとる。休憩から10分後,東稜への分岐点に到着。ここで一般路から別れる。まずは北穂沢を横切ることになる。まったく水のない枯れ沢だ。人頭大の岩がごろごろしている。落石を起こさないように,細心の注意を払いながらの歩行が続く。下には誰もいないが,T君は落とさないことよりも自分が落ちないことに注意を払っているせいか,時々石を落とす。
 
うやく北穂沢を横切る。ここから東稜尾根目指して小さな沢を直登。距離は短いが,傾斜はきつい。足場がしっかりしているため危険は感じない。T君の歩みは遅い。
 
時5分。尾根上に出る。手足を使って息を切らせながら登ってきた尾根上には,すばらしい景色が待っていてくれた。早速二人で山座同定が始まる。槍が見える,鹿島槍から白馬へと続く後立山連峰が見える,燕から大天井への表銀座コースが見える,そして常念から蝶への山並みが見える。これぞ穂高,と二人で歓声を上げる。20分間,大パノラマを楽しむ。
 
あ,これからが今日のハイライトだ。通称ゴジラの背と呼ばれるギザギザのやせ尾根である。のっけからT君は恐怖感を抱いている。尾根の中腹を巻くコースもあるので,そちらを行くよう勧める。
 
が幾重にも重なり合ったやせ尾根上を行く。右の左もすっぱり切れ落ちているが,幅があるので行けそうだ。強風の場合は相当恐ろしいだろう。快調に歩を進める。右にも左にも,あるのは空だけ。
 
枚岩にぶつかった。ホールドはある。登れそうだ。しかし,万一コースミスでもどらなくてはならなかった場合,どうだろう。この一枚岩を降りられるか。登るより降りる方が数倍難しい。危険が伴う。考えた末,ここから巻き道に降りることにする。後で知ったことだが,やはりこれはコースミスだった。
 
君と合流し,少し歩いて東稜のコルへ。10時30分着。ここで15分の休憩。あと50分の登りで北穂高岳の頂きに立てる。しかしこれからのルートを目で追うと,首が痛くなるような急登である。ジュースを飲んで,さあ出発。休まないように1歩1歩手足を使いながら岩場を登る。ガイドブックに書いてあったとおり,相当きつい。後20分ぐらいかと思った頃,北穂小屋の石垣が見えてきた。
 
1時15分。予定より20分も早く北穂小屋に着く。期待した展望はガスってまったくきかない。尾根上では見えたはずの後立山も槍もガスの中。天気さえ良ければ四囲の山々が一望の下に見渡せるはすなのに。台風の去年よりましだが,今年も残念賞だ。気を取り直して北穂小屋のテラスで昼食をとる。ゆっくりと食後のコーヒーを飲み,12時出発。
 
こから奥穂への稜線歩きも第1級のコースである。3000mの雲上漫歩だ。T君は少々緊張気味。穂高のメインルートであるだけに,さすがに歩く人が多い。大人数のパーティーの中にはこわごわ岩に手をかける人,鎖にしがみついて登る人など,一見して初心者と分かる登山者もいる。T君も快調なペースで進む。抜くことはあっても,抜かれることは決してない。途中,鳥も通わぬと言われるロッククライミングの殿堂である滝谷を見下ろすところを通過する。さすがに緊張する。落ちたら数百m真っ逆様。確実に命はないだろう。これから先も甘く見ないで気をつけなくては,とふんどしを締め直す。
 
低コルで休憩。坊主頭の若い単独行者と出会う。いろいろ話をしたが,ルートについても所要時間についても,ほとんど予備知識がない。こんなので大丈夫かなと,少々心配な感じがするが人はよさそう。
 
イドブックに「難所」と記述されている涸沢岳への登りも難なくこなし,14時10分,予定より50分も早く穂高岳山荘に到着。とりあえずチェックインし,部屋にザックをおいて一服する。部屋は6畳でたいへんきれい。今夜も個室を奮発する。
 
荘前のテラスに出てコーヒーを沸かす。あいにくのガスで視界はきかない。それでもかろうじて常念から蝶へ連なる稜線が目を楽しませる。目の前には去年登った屏風の頭が見えている。飛騨側はどうかと,白出沢側へ回ってみる。こちらは一面ガスっており,何も見えない。コーヒーを飲んでいると,先刻のお兄ちゃんが到着する。涸沢岳への登りで追い越したのだ。
 
沢側の天空に環状の虹が出た。それだけでも驚きなのに,さらにその虹の中に人間の影が映っている。おまけにそれは自分の影なのだ。自分が手を挙げると影も手を挙げる。これがうわさに聞くブロッケン現象なのだ。いたく感動する。
 
寒さを感じてきたので山荘内に入る。あわてて長袖を着込む。そのうちに夕食の時間となった。今晩の献立は  

骨付きチキン 昆布巻き 金時豆 ゼンマイのお浸し キャベツの千切り トマト 漬け物 みそ汁

 う見ても昨夜の涸沢ヒュッテの方に軍配が上がる。それでも空腹だったので3杯お代わりをする。
 
食後,山荘内のパブリックスペースを探検して回る。吹き抜けの食堂,ロビー,図書コーナー,太陽のロビー,どれもたいへん気に入った。特に図書コーナーには,穂高をはじめとして北アルプス関係の書籍がたいへん充実している。また,太陽のロビーには大型ビデオモニターがあり,穂高に関するビデオを放映している。それをゆったりソファに座ってコーヒーを飲みながら鑑賞できるのだ。私もコーヒー片手にしゃれ込もうとしたが,あいにく満員で立ち見もできなかった。連泊だから明晩を楽しみにしてあきらめる。T君はあきらめきれないらしく,堂々と割り込んでいった。
 
が騒がしくなってきた。なんだろうと思ったら,見事な落陽だという。飛騨側に真っ赤な太陽が沈みかけている。急ぎカメラを持っていってみる。白山が見えるではないか。さっきまで一面ガスっていたのに,運良く笠ヶ岳も白山も見えている。雲上に頂を見せている白山と笠ヶ岳の間に真っ赤な夕日が沈んでいく。実に見事だ。思わず何度もシャッターを切る。
 
屋にもどりT君と雑談をしているうちに7時を過ぎる。寒いし,そろそろ寝るか,とふとんを敷く。歯を磨き,顔を洗って寝ることにする。ふとんの中で今日の山行記録をまとめて就寝。長袖の山シャツにジャージを着て就寝。昨日に続き,標準タイムより早く歩けたことに満足しながら眠りについた。
     

8月28 日(火)    

この日の行程:穂高岳山荘7:00・・・・奥穂高岳7:30/7:50・・・・天狗のコル9:20/9:30・・・・天狗岳9:40/10:30・・・・天狗のコル
      10:40・・・・ジャンダルム12:00/12:20・・・・穂高岳山荘13:30

 来光を見るため5時少し前に起床。自分から言い出したくせに,T君はなかなか起きない。あいにくの天気で雲海からのご来光となった。山並みの間から登ってくるご来光を見たかったのだが。昨夜の落陽が見事だったせいか,今日のご来光はさほど感激はなかった。あまりの寒さに早々と部屋にもどる。
 
面を済ませて朝食。その後ゆったりとした気分で太陽のロビーでモーニングコーヒーを飲む。残念ながらビデオは放映していなかった。荷物をまとめて,7時出発。
 
日の行程は今回の山行のハイライト中のハイライト,西穂高への稜線歩きである。ここへ連泊なので荷物は置いて行く。デイバッグだけの軽装だ。連泊の手続きをするために受付へ行く。うれしいことに連泊者には穂高岳山荘のことを書いた山と渓谷社刊の「双星の輝き」がいただけるという。受付のアルバイト嬢が「ご家族ですか」と聞く。どうやら親子に見られたようだ。他人であることを告げ,2人とも1冊ずつ頂く。
 
高岳山荘,7時出発。歩き始めていきなりの鉄ばしごだが,危険もなく通過する。岩ザクの歩きにくい道を登り詰めること30分。奥穂高岳山頂に着く。ガイドブックに記述されているほどきつくはない。予定より10分の早着だ。頂上のケルンに立つ。ここに立てば日本第2位の北岳よりも高くなる。奥穂高岳は3190
m,北岳は3192m。その差わずか2m。ケルンに立てば勝てる。またしても周囲はガスっており,展望はきかない。それでも槍ヶ岳は雲上に顔をのぞかせている。これから進むコースである西穂高方面はまったくのガスの中。かろうじてジャンダルムがガスの切れ間から時折見ることができる。
 15分休憩した後,いよいよ西穂高への稜線に足を踏み入れる。のっけから「馬の背」と呼ばれる超やせ尾根の登場。岩が累々と積み重なった幅1mほどの尾根が30mほど続いている。その両側はすっぱりと切れ落ちている。落ちるとまず助からないだろう。第1歩を踏み出す。どの岩を踏めばよいか,次はどの岩か,しっかり見極めなければならない。じっくりコースを読む。気を引き締めて歩き始めたが,T君は歩き出す気配がない。二の足を踏んでいる。足場を教え,がんばらせようとしたが,恐怖心が強すぎ手足が進まない。これ以上は危険と判断し,中止させることにした。ジャンダルムへ登ることをあれほど楽しみにしていたのに,少しばかりかわいそうな気がする。前穂高に行くというT君と別れ,ここから単独行となる。
 
時出発。改めて「馬の背」へ足を踏み入れる。恐怖心はまったくない。スムーズに足が出る。高所恐怖症ならば,ちょっと無理だろう。下りにかかる。この下りがまたすごい。T君を連れてこなくてよかった。一歩足を間違えれば真っ逆様。一歩一歩足場を確かめながら,壁に向かい合って下っていく。
 
バの耳を巻いて急斜面を下るとジャンダルムに出る。こちら側からの登りはロッククライミングの腕がないと無理,とガイドブックに書いてあった。素直にしたがって帰りに逆方向から登ることにする。
 
くつかの岩峰を登降し,鞍部に降りたところで休憩。時刻は9時。5分の休憩をとる。すれ違った単独行者に写真を撮ってもらう。
 
狗のコルを目指して出発。ここから一つピークを越し,飛騨側寄りの急崖を下りきったところが天狗のコル。まだ先は長いと思っていたのに,あっけなく到着してしまった。驚異的な所要時間だ。ガイドブックタイムで2時間30分のところ,1時間15分で着いてしまった。北アルプス第1級の難コースをこれほど早く歩けるとは。きっと高所を何とも思わないくそ度胸のせいだろう。
 
こは格好の休憩場所であり,先行者が数人休んでいた。行く手には天狗岳の岩壁が圧倒的に迫っている。昼食をとろうかと思ったが,時刻はまだ9時過ぎ。欲を出してこの岩壁を登って,天狗岳の頂上まで行くことにする。
 
ぼ垂直な岩壁を登っていく。ホールド,スタンスは豊富とは言えないものの,ちゃんと鎖がかけてある。鎖に頼ってはいけない。あくまでも補助。
 
5分で天狗岳の頂きに着く。頂上には3組のパーティーがいた。展望は360度なのだが,ガスって視界不良。ガスの切れ間から,時折上高地方面が望める。明日宿泊予定の岳沢ヒュッテも見える。10時頃,早めの昼食をとる。西穂高からの縦走者が多い。聞くとどの人も4時前に出てきたという。ここから西穂高まで約4時間だという。このペースで行けば3時には西穂山荘に着けそうだ。ここまでで引き返すと話すと,もったいないと言われた。荷物を置いてのピストンだからやむを得ない。来年はきっと,と思う。
 
0時30分,天狗岳出発。来た道をそのままもどる。コルまで10分。コルからは多くのアップダウンを越えてもどっていく。ほとんどが壁になっており,手足を使っての登降が続く。要所要所にはザイルや鎖がかけてあるが,これはあくまでも補助。休憩をとる必要も感じないほど快適に歩く。調子がよい。
 
ャンダルム基部に到着。時刻は12時ちょうど。こちら側からは初心者でも登れるはずなのだが,登り口が見つからない。3人組のパーティーも迷っている。彼らはあきらめて奥穂へと向かって行った。人がいなくなればこっちのもの。適当に見当をつけてジャンダルムの頂上を目指す。靴によって踏まれた岩や,登山者が捨てたたばこの吸い殻,ゴミなどを頼りにルートを探す。勘が見事に当たり,数分で頂上に到達した。たった数分で着けたのには驚いた。もしかしたらむちゃくちゃなルートを通ったのかもしれない。
 
上に立つと,真っ先にさっきの3人組が目に入った。こっちを向いて手を振っている。展望は相変わらずきかない。
 
ばらくすると天狗岳で会った平塚山岳会の2人組パーティーが登ってきた。この2人はロッククライミングをやる人たちで,ハーネス,カラビナ,ハンマー,ザイルなどを身につけた本格派である。この2人は休む間もなく降りる様子だ。南北に細長い頂上部の北端まで行って,絶壁の下をのぞいている。どうもこの絶壁を降りるようだ。「あんなところを降りるのか。」とあきれる。そばへ行って見学させてもらう。じっと見ていると,けっこうスタンスもホールドもありそうだ。やや傾斜がきつそうだが。「よし,やってみよう。」悪い虫が騒ぎ出した。
 
人が降下していくのを見送り,見えなくなってからそこを降り始めた。角度がきつそうに見えたが,実際に岩壁にとりついてみると,そうでもない。思った通り,ホールドもスタンスも豊富にある。10分足らずで無事降下。あっけなく終わった。
 
た道を忠実にたどって,12時50分休憩。目の前には馬の背のやせ尾根が見える。10分の休憩の後出発。危険が伴う登りなので,慎重に進む。それでもノントラブルで歩を進め,無事登攀。13時10分,奥穂高岳到着。素通りしてそのまま山荘にもどる。Tくんは既に到着していた。天狗岳までの様子を話すと,「行かないでよかった。」と胸をなで下ろしていた。
 
事の5時までには,まだだいぶ時間がある。テラスへ出たり,太陽のロビーでコーヒーを飲んだりして時間をつぶす。多くの登山者と雑談する。みんな山の話となると饒舌になる。いろんな情報が得られるが,人それぞれ技量によって言うことがちがっているので,聞く方は困惑する。全体的に若い人は控えめに話すし,年輩者は大げさに話す傾向があるようだ。
 
ろそろ食事。食堂へ行くと連泊者は第2陣だという。「これはおかずがちがうな。」と直感。6時頃再び食堂へ。やはりおかずがちがっていた。うれしい配慮だ。

骨付きチキン 白身魚の照り焼き はんぺんのゴボウ巻き はんぺんボール しぐれ蛤 昆布の佃煮 フラ ンクフルト トマト 漬け物 みそ汁

 夜より数段いい。食事といい本といい,ここは連泊者に対してサービスがよい。
 
陽のロビーで食後のコーヒーを飲みながら穂高のビデオを,と思っていたが,またしても満員。食事が第2陣だったので,出遅れたようだ。結局立ち見となる。穂高の自然や動植物を紹介した内容で,たいへん興味深い。山荘自作のビデオも何本かあるそうだ。見ている人は一向に減らず,結局最後まで立ち見。
 
屋へもどって雑談をしているうちに,明日下山してしまおうということになる。当初の計画では,明日は前穂高を経て岳沢ヒュッテに泊まる予定だった。おそらく3日間の縦走でたいへんな疲労になるだろうから,最後の日は風呂のある岳沢ヒュッテでのんびり使用という計画だったのだ。しかし,今日まで快調なペースで進んでおり,疲労度もさほどではない。そこで明日は一気に上高地まで下って,その日のうちに名古屋へ帰ろうということになった。個室を予約してあったため,早速キャンセルの電話を入れる。
 
日は里に下りると決まったら,急にひげが剃りたくなり,洗面所でひげを剃る。石鹸が使えないため,水で肌をしめらせただけで剃っていく。少々痛いが,まあ我慢できないことはない。周囲の人が異様な光景を見るような目で見ていく。ついでに歯磨き,洗面も済ませる。
 
ッキングを済ませ,ふとんを敷いて寝る準備をする。今夜は寒いので掛け布団に毛布を2枚とする。本日の行程をまとめ,佐藤愛子の文庫を読んで就寝。  

8月29 日(水)  
 2晩お世話になった穂高岳山荘を7時5分出発。
 今日は前穂に登って、岳沢ヒュッテを経て上高地へ下山する。奥穂までは昨日と同じ道だ。
 昨日は30分かかったが、今日は25分で登ることができた。昨日よりは展望に恵まれ、槍も雲の上に顔を出している。前穂の頂きも見えている。しかし西穂方面は昨日同様、ガスの中に隠れている。10分の休憩で出発する。
ここから吊尾根に入る。コ−スのほとんどが尾根直下の岳沢側を巻いている。気をつけないと岳沢に転落する恐れがある。
 岩だらけの道を進む。今日中に名古屋へ帰りたいので、休みなしで先を急ぐ。多くのパ−ティ−を追い越す。
 8時50分、紀美子平へ着く。紀美子平の名は、この道を開拓した今田重太郎の愛娘紀美子に由来する。ここで10分の休憩。ザックはここにデポしておく。
 前穂の頂きまでは急坂の連続である。登山道らしい道はほとんどなく、手足を使っての岩登りが続く。丹念にペンキマ−クを拾いながら進む。30分のところ、20分で頂上へ着くことができた。田村は先着している。
 頂上からは昨日までに歩いてきた北穂高岳・涸沢岳・奥穂高岳が指呼の間に見える。そして雲上に顔をのぞかせた槍ガ岳、ず−っと右の方には常念山脈が姿を見せている。
 しかし残念なことに西穂方面はガスの中。結局最後の最後まで西穂高岳は見ることができなかった。20分間展望を楽しんで、さあ出発。
紀美子平まで戻って、デポしてあったザックを背負って重太郎新道を下る。この登山道は穂高屈指の急坂で、下りに使うには危険度が高い。ハシゴ場や鎖場もあるし、滑りやす                                        い岩場も多い。3000mから一気に1500mの上高地まで下るのだ。北アルプス3大バカ登りの一つを下って行くのだ。
今日中に帰るとなると、上高地からのバスや松本からの電車が気になり、思わず急いでしまう。名古屋に21時までには着きたい。
 ここでも抜くことはあっても抜かれることはなかった。ビュンビュン快調に飛ばす。
 10時50分、 一本立てる。かなり下ってきたことが汗の量で分かる。下るにつれてしだいに暑さが増す。なんと蒸し暑いことか。10分休んで出発する。
眼下に岳沢ヒュッテの赤い屋根が見えてくる。すぐそこに見えているのだが、あと30分というところか。田村がしだいに遅れてくる。きつい下りの連続が相当ひざにこたえているようだ。いつもながら田村は下りに弱い。
 休憩してから25分後の11時25分、岳沢ヒュッテ到着。暑い、実に暑い。汗がダラダラ。 穂高岳山荘では冷たいジュ−スなど、飲む気もしなかったというのに。毛布2枚と布団をかけて寝たのなど、信じられない。やはり3000mの稜線上は別世界だ。
ここで弁当とする。シャツやズボンが汗で濡れているので、乾かすため、わざわざ日向で食べる。暑い中、日向で弁当を食べている姿は奇異に映ることだろう。
 食後の冷たい缶コ−ヒ−を飲みながら、ここまでの所要時間をまとめる。奥穂からここまでガイドブックタイム5時間20分のところ3時間5分であった。ちょっと飛ばしすぎたようだ。
 ここから上高地までガイドブックでは1時間45分の所要時間だ。50分の休憩の後、12時15分岳沢ヒュッテを出発する。
 樹林の中の快適な登山道を雑談をしながらノンビリ下る。軽装のハイカ−の姿もちらほら見られるようになる。道も太くなり、しだいに遊歩道らしくなってくる。一般の観光客と行きかうようになると上高地も近い。
 13時30分、上高地着。ノンビリ歩いてきたつもりだったが、それでも予定より30分も早く着いた。                                    *本日の歩行時間  穂高岳山荘〜前穂高岳〜岳沢ヒュッテ〜上高地 4時間45分  13時40分のバスがあったがとても乗れないので、14時40分のバスにする。早速整理券をもらいにいく。上高地からのバスは乗車前に整理券をもらっておかないと乗れない。山岳路線であるため、全員着席乗車を原則としているのだ。そのため定員制になっている。
汗を拭き、ついでにシャツを着替える。3000mから一気に降りてきたせいか、たいへん暑い。それでもここは標高1500mあるのだ。知立はもっと暑いだろう。
横尾で会った超ノンビリコ−スの2人組に再会する。これからタクシ−で松本まで戻るということだ。
 14時ちょうど、バスの乗車整理が始まる。整理券の番号順に並んでバスを待つ。あれほどアナウンスで注意を促していたのに、整理券なしで並んでいる人もいる。係員に列から出るように言われて「早くから並んでいた」と主張し憤慨しているが、自分の不注意である。幸い続行便が出たからよかったものの、運が悪ければ乗れないところだ。
 バスは大正池、釜トンネルと進み、やがて沢渡の集落に入る。ここでかなりの乗客が降りる。マイカ−で来ている人たちである。マイカ−は沢渡までしか入れない。
 田村は発車直後から眠りについている。まったくどこでもすぐに寝られる男だ。バスが                                        カ−ブするたびに右に左に揺れている。そのうち我輩の肩に頭を載せたまま動かなくなった。若い女性ならいいのになあ、と思いながらも肩を貸してやる。
 15時55分、定刻通り新島々駅に着く。電車の発車まで10分。すでに改札口前には列ができている。座ることはあきらめて最後尾につく。
 運よく座ることができ、田村はまた眠りの世界をさ迷っている。松本まで約30分を窓外の景色をみて過ごす。退屈することはなかった。
 16時35分、松本着。持っているのは明日の切符なので、指定席変更をしてもらう。18時3分発のしなの号がとれた。
 1時間30分ほど時間がある。少し早いが駅ビル内の中華料理店で夕食を食べる。ラ−メンとチャ−ハンを注文する。
 やはり山から降りてきたらラ−メンが食べたくなる。しかしチャ−ハンもあるためラ−メンが残ってしまった。例によって田村が残りを食べてくれる。感謝感謝。そのあと冷たいコ−ヒ−をゆっくり飲む。
 18時少し前、ホ−ムに出る。しなの号は定刻通り入線してきた。彼女に電話していた田村があわてて駆けてくる。振り子電車に酔うという田村に窓際の席を譲る。車内販売でジュ−スを1本買う。
 しばらく雑談していたが、気持ちが悪いという田村は眠りにつく。
 電車は木曽路の山の中を疾走している。それにしても、何度乗っても振り子電車の揺れ方は妙なものだ。体調が悪いと、きっと自分も酔っただろう。
 中津川を過ぎると平坦地となり、電車の揺れも治まる。田村も起きだし、雑談を再開する。あっという間に千種を過ぎ名古屋に着く。定刻通りの20時16分。

  以下,次の更新をお楽しみに・・・・・・・・・

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