わ た し の 登 山 紀 行
91年 三度目の穂高連峰 今回は単独山行
8月20日(火) バスは定刻の22時40分に名鉄バスセンタ−を出発。ほぼ満員の盛況。名鉄パル特急上高地号。名前はかっこいいが、乗っているのは一昔前の旧式バスである。10年ほど前はこういう車両が観光バスの主流だった。予想はしていたものの、これほど古いバスだとは思わなかった。予想していたというのは、釜トンネルが旧態依然のままで、車高の高い車両は通行不可能であるということを知っていたからだ。22時20分に発車したディズニ−ランド行きのバスは最新のハイデッカ−バスであった。かたやこちらは一応リクライニングシ−トにはなっているものの、シ−トの前後幅が狭くたいへん窮屈である。幸い隣の席が空いているので、なんとかリラックスできそうだ。 バスは名古屋市内を抜け、19号線をひたすら走る。中央自動車道を走ると早く到着してしまう。夜行の意味がなくなるので、ずっと下を走る。深夜0時40分、中津川のドライブイン元起で休憩。思った以上に多くの夜行バスが集まっている。降りてくるのは若者ばかり。喉が乾いたので冷たいジュ−スを飲む。1時ちょうど出発。隣の席が空いているのをよいことに、行儀の悪い姿勢でなんとか眠ろうとするのだが、ちっとも眠れない。これは困ったぞ。一昨年と同じパタ−ンになりそうだ。一昨年はJRの急行ちくま号に乗ったが、全く眠れなかった。そのため、翌日たいへん辛い目にあった。何とか眠ろうと思うのだが変な姿勢のせいか、すぐに首や肩が痛くなってしまう。周囲を見ると、みんなそれぞれ工夫した姿勢で眠っている。概して若い女性はたいへん行儀よい。隣の座席の若い女性が終始背筋をシャンと伸ばして眠っていたのが印象的だった。 眠れない、眠れないといっているうちに、バスは次の休憩地塩尻のドライブインに着いてしまった。時刻は3時。トイレに行って早々とバスに戻る。20分の休憩後、バスは発車。あと2時間少々で上高地に到着する。さあ、少しでも眠っておかなければ・・・・。そう思ったらよけい眠れない。 松本市内に入るとすぐに左折し、国道 158号線に入る。ここまでは覚えているが、あとは「おはようございます。まもなく終点上高地バスセンタ−に到着します」というアナウンスに起こされるまで何も覚えていない。よく眠っていたようだ。しかし睡眠時間は1時間と少し。 予定より少し早く5時15分、上高地バスセンタ−に到着。冷房の効いていたバスから降りたのに、それでも少し肌寒いくらいだ。あわてて長袖シャツを出す。 まだ明けやらぬバスセンタ−には時間も早いせいか、我がサマ−パル号から降りた人たちぐらいしかいない。洗面も待たずにすぐできた。 本来ならこれから湯を沸かしてパンかラ−メンの朝食を作るのだが、幸い村営食堂が開いている。ありがたい。 800円也の朝定食を注文する。あまり食欲はないが、残すのも悪いと思い全部食べる。 トイレもたいへんすいており、出すものも出し身軽になったところで、さあ出発。時刻は6時15分。 朝もやにけむる河童橋を左手に見ながら、第1目標地点の明神を目指す。人影もまばらな早朝の遊歩道をのんびり歩く。上高地から横尾あたりまでは一般観光客も入る遊歩道である。所要時間は約3時間。アップダウンもほとんどなく、足慣らしとしてはちょうどよい。 久し振りの山行なので肩にザックがこたえる。極力荷を減らしたつもりなのだが、それでも約10キロになった。 前日は雨だったのだろう、木々の枝から時折しずくが落ちてくる。道も幾分湿り気を帯びている。あちこちに可憐な花が咲いていて目を楽しませてくれるが、不勉強な自分は名も知らない。 7時ちょうど、明神到着。ガイドブックタイム50分のところ、45分で歩く。まあまあのペ−スである。持参の熱いお茶を飲み、ザックのベルトや靴のひもの調整を済ませる。7時10分出発。 木立ちの中を黙々と歩く。周囲はまだ朝もやにけむっている。こんな時は同行者がいたらもっと楽しく歩けるのに、と思ってしまう。誰もいない道を黙々と歩く。 この頃から下山してくる人と出会うようになってきた。恐らく横尾か徳沢に泊っていた人たちだろう。「おはようございま−っす」元気よくあいさつをかわす。考えてみたら昨晩から初めて口をきいたことになる。 山でのあいさつもいろいろだ。返答をしてくれない人もいれば、大きな声で「おはよ−っす」「おはようござんす」と返ってくることもある。総じて年配の人は元気がいい。若い人や軽装のハイカ−になるほどあいさつが返ってこない。 7時45分、徳沢到着。ガイドブックタイム60分のところ、35分で歩く。話し相手もなくただただ歩いているせいか、あっという間についてしまった。 太陽も高くなり日ざしも強くなってきたので、少々喉が乾いてきた。体も次第に汗ばんでくる。冷たいものが欲しいが1本は多すぎる。小さい瓶のファイブミニを飲む。 次第に明るくなり、日ざしも強くなってきた。しかし山は依然ガスに包まれている。天候に恵まれれば、ここから明神岳や前穂高岳がその横顔を見せるのだが、今日はなにも見えない。 15分休憩した後、8時ちょうど出発。徳沢にはキャンプ場があるので、ここから涸沢を目指す登山者も多い。仲間が増えてなかなか賑やかになった。 梓川の清流を左手に見ながら、緑濃い樹林に沿って快調に歩く。すれ違う人の数も増えた。すでにあいさつは「おはようございます」から「こんちわ」に変わっている。 どこまで行ったのか知らないがファミリ−登山のパ−ティ−も多い。ファミリ−登山のパ−ティ−は、あいさつも元気で気持ちがいい。 快調に歩を進める。思わず鼻歌も出てくる。しかしそれも横尾まで。そこから先はいよいよ本格的な登山道になる。山男だけの世界となる。 8時50分、横尾到着。ガイドブックタイム70分のところ50分で歩く。予定時刻よりかなり早いので、ここで大休止とする。1時間以上早い。 200円也の缶紅茶をゆっくり飲み、お菓子を食べる。日ざしはたいへん強くなり、腕が日焼けしてヒリヒリする。 梓川畔に出てゴロリと横になる。あ−ぁ、いい気持ちだ。このまま深い眠りに落ちていってしまいそうだ。しかしそうもしていられない。「よ−しっ」と元気よくかけ声一つ、起きて身支度を整える。9時30分、出発。 梓川を渡ると道が一変する。ここからは本格的な登山道となる。しかし本谷橋までの傾斜はそれほどたいしたことはない。きついのは本谷橋からだ。本谷橋まで休まないぞ、と決めて歩き出す。 本谷に沿って快調に登っていく。前日は雨が降ったらしいが、思ったほど水は出ていない。薄暗く岩ゴロゴロの樹林の下をしばらく歩くと明るい川原に出る。ペンキマ−クを拾いながら淡々と歩く。そしてまた山腹を巻く道に入る。ややきつい。 登り切り少し下ったところで展望が開ける。眼前には屏風岩が圧倒的に迫っている。思わず歓声が上がるところだ。これが幾多のドラマを生んだロッククライミングのメッカ屏風岩。千メ−トル近い岩壁が人を寄せつけないぞと言わんばかりに迫っている。一昨年は迂回ル−トを通って、この屏風岩のてっぺんに立った。穂高連峰を展望するならここが1番。このてっぺんは屏風の頭と呼ばれ、涸沢からパノラマコ−スを経て到達できる。穂高連峰を一望するにはもってこいの好展望台となっている。 クライマ−の姿を捜すが今日は姿が見えない。しばし見とれてさあ出発。 巻き道をしばし歩くと沢を横切る橋に出る。ここが本谷橋。以前は丸木橋で、水が出るたびに流されていたが、去年来た時には鉄製の立派な橋に変わっていた。10時20分着。ガイドブックタイム1時間のところ、50分で来たことになる。 橋の周囲は小広くなっており、絶好の休憩地である。今日も多くの登山者がしばしの憩いをとっている。それにしても暑い。既にシャツやズボンは汗にまみれている。リュックの背までびっしょりだ。 リュックを降ろして休憩をとることにする。シャツを脱いで汗を拭きながら、吹く風と太陽の光りを体中に浴びる。それにしても眠い。じっとしているとたちまち睡魔が襲ってくる。上高地でくんできた水を飲む。実にうまい。ここで昼食にしようかと思ったが、まだ10時30分だ。もう少し我慢しよう。20分休んで出発。 さあここからがきつい。新人殺しの急坂である。山岳部の新人は40キロを背にしてここに連れてこられ、この急坂を登らされるのだ。 いきなりジグザグの坂道が始まる。これを登り切っても延々と涸沢まで急坂が連続している。休憩をとるとそのあとがよけいきつくなる。ゆっくりゆっくり休まないで歩く。 ♪休まないで歩けぇ−、ワンツ−ワンツ−♪と、三百六十五のマ−チをブツブツつぶやきながら懸命に歩く。それでも思わず立ち止まってしまうことがある。おいおい、止まるなよ、と叱咤しながらまた歩き始める。 前を歩いている人を追い越す。「おさきに」という声をかけるのも辛い。こうなるとザックの重みから次第に前屈みになり、道しか見えなくなってくる。周囲の草花や景色はまったく目に入らなくなってしまう。そんな余裕がなくなってしまうのだ。 呼吸はそれほど乱れないが、足が棒のようになって力が入らなくなってしまう。それにしてもザックが重い。たかだか10キロ前後の荷がたいへんきつく感じられる。休むな、休むな、歩け、歩け、と根性を奮い立たせて歩く。 歩いているうちに妙な気分になってきた。時々スッ−とめまいが襲い、目が眩んでくるのだ。高山病かな?と思っていたが、それも違いそうだ。睡魔が襲ってきているのだ。ほんの瞬間眠っているらしい。こんなことは初めての経験である。 何人も追い越し、ひたすら頑張って歩く。時間は11時を過ぎている。空腹感を覚えてきたので、ここらで弁当を食べることにする。もう少し歩いて邪魔にならないところを見つけて弁当を開く。 上高地の村営食堂で買った 800円也の弁当。中に入っているのは何かの魚の甘露煮に沢庵、それに塩昆布や何かの佃煮。これで 800円は高い。食欲はないが無理して八分どおり食べたところでやめた。20分で弁当を済ませ、11時35分出発。 じきに山腹を巻く道からガラ場に出る。雪の多い年はこの辺りから雪渓になってくるのだが、今年は雪が少ないのでガレ場のまま。歩きにくい。 やっとのことで涸沢ヒュッテの赤い屋根が見えてくる。いつも感じることだが、ここからが長い。実に長いのだ。もう着く、もう着くと思うばかりで、なかなか着かない。疲れた体にひときわきつく感じられる。正面に北穂高岳・涸沢岳の稜線を見ながら、あえぎあえぎ頑張る。周りの人たちも一様にあえいでいる。 いいかげん嫌になったところで、やっと涸沢ヒュッテに到着。時刻は12時20分。 予定時刻は14時だからかなり早く着いたことになる。本谷橋からここまでガイドブックタイム90分のところ、80分で歩いた。 早速、宿泊の受付をする。今日はすいているので一人で寝られますよ、とのこと。一人で寝られるというのは、一つの布団で一人で寝られるということ。混雑時は一つの布団で二人寝るなどということも珍しくない。割り当てられた部屋は6人部屋。 部屋に行くと年配の方が一人いた。「こんにちわ。よろしくお願いします」とあいさつする。72才の方で船橋から息子さんと二人で来たとのこと。今日は息子さんが一人で奥穂 高岳に登っているという。40過ぎての子だからかわいい、とはオヤジさんの弁。話し好きのオヤジさんで、あれこれ話をしているうちに息子さんが帰ってくる。英会話の専門学校に通う19才の好青年。 荷を整理してから、ベランダで景色を眺めながらコ−ヒ−を飲む。気分は最高。こたえられない。ちなみにコ−ヒ−はドリップした本格派。 部屋に帰ると、さらに3人の同宿者が到着していた。名古屋のシャッツバウムというスポ−ツ用品店の店主さんとその同行者、そしてもう一人は岩手県の花巻からの、これまた72才の方。合計6人で定員いっぱいとなる。 この6人結構気が合い、雑談しているうちに、あっという間に夕食の時間となる。今夜は台風が接近しているせいか宿泊者が少なく、夕食も入れ替えなしで全員一堂に会して食べることになった。40数名といったところか。 夕食のメニュ−は、メインはハンバ−グステ−キ。付け合わせはスパゲティと線ぎりキャベツ。それに口直しとして焼きサバ・きゅうりとワカメの酢のもの。そして漬物に味噌汁。ここ涸沢ヒュッテはいつ来ても食事は満足できる。丼ご飯2杯で全てのおかずを平らげる。満腹満腹。 食後のコ−ヒ−を飲みながら語らっているうちに7時を回った。洗面、歯磨きを済ませて、そろそろお休み。8時少し前に布団へ入る。穂高の山小屋は北穂小屋を除いてどこも洗面の水が自由に使えるのがたいへんうれしい。稜線上の天水のみに頼っている小屋ではとても考えられないことだ。 夜行バスで眠れず睡眠不足のせいか、今日一日のことを振り返っているうちに、いつの間にか眠りについた。ところがしばらくたってすごいイビキで目を覚ます。それからというもの、イビキが気になって気になって寝つけなかった。このイビキは親子連れのオヤジさんの方。寝たのは2時過ぎだろうか。眠たいのに眠りを妨げられることほど腹の立つことはない。明日は個室をとろうと思う。 |
8月22日(木) 5時30分起床。眠くて眠くて、気がついたらお日様は顔を出したあと。残念ながら御来光は拝めなかった。歯を磨き顔を洗って、ザックをまとめているうちに朝食の時刻。 花巻のおじいさんと妙に気が合い、朝食を一緒に食べに行く。このおじいさんは60を過ぎてから山歩きを始めたとのこと。頂きを極めることよりも、高山植物の観察に興味があるという。きれいな花をめでながら、のんびり山歩きを楽しむということだ。 朝食をおいしく済ませ、出すべきものを出して、準備完了。山小屋でのトイレはうまいタイミングで済まることが肝要である。トイレの絶対数が少ないのでタイミングがずれると、行列になってしまう。今回は宿泊者も少なく、行列になることはなかった。 出発前、忘れないように水筒にお茶を満たす。余談ながら、ここ涸沢ヒュッテは食堂でお茶がもらえる。ところが穂高岳山荘では1リットル 200円と、有料になる。 7時ちょうど出発。くだんのおじいさんは、ザイテングラ−ド経由で奥穂を目指すとのこと。二人とも今夜は穂高岳山荘泊りなので再会を約束し、別れる。 さあ、今日は東稜を踏破して、北穂高岳から穂高岳山荘まで縦走だ。今日のポイントは何といっても東稜の踏破である。とりわけ「ゴジラの背」と呼ばれる鋸状の尾根歩き。 ここは去年も挑戦したが、ル−トを見失い断念したコ−スなのだ。昨夜シャッツバ−ム の店主さんにコ−スを教えていただいたので、今度こそ成功させたい。店主さんも連れの方と午後から登るらしい。 しかしこの二人はザイルを使って登るという。一方自分は単独でノンザイル。ちょっとばかり気懸りだが、まあ行けるところまで行こうと思う。 靴紐をギュッと締め、気合いを入れて歩き始める。しばらくは南稜のル−トを行く。ここは一般ル−トなのだがなかなか斜度がきつく、一日の歩き始めとしては辛い。 涸沢カ−ルに建つもう1軒の小屋、涸沢小屋を過ぎるときつい登りが始まる。道は始めのうちガレ場であり、階段状になった岩を踏みながら歩いていく。段差があると足を大きく上げなければならず、1歩1歩がだんだんきびしくなってくる。 上部に行くと這松やお花畑の中を電光型に登るようになってくる。きつい。「ゆっくりゆっくり、休まずにぃ−」と念仏のように唱えながら、ただただ歩く。ここで休むとなおさらきつくなるぞ、と言い聞かせながら。 こんな時よく「くそっ、来るんじゃなかった・・・・」と思う。「ク−ラ−の効いた涼しい部屋で冷たいコ−ヒ−でも・・・・」などと軟弱なことを考えてしまう。「あと5分歩いたら休もう」「あの角を曲がったら休もう」と自分を自分で慰めながら歩くが、しかし休まない。単独なのだから好きな時休んで差し支えないのだが、それでも休まない。自己への挑戦、自己満足に過ぎないだろうが・・・・。 東稜ル−トへの分岐の目印となるゴルジュがしだいに迫ってくる。これから登る東稜ル−トは一般路ではないため道標はない。したがって、見当をつけて南稜ル−トから分岐していく。そのための大きな目印が北穂のゴルジュなのだ。 下を巻くようにしてゴルジュ上に出る。ここで休憩とする。こんなに歩いたのにと思うが、時刻は7時50分。ガイドブックタイムは60分。何とか50分で歩けた。 ここから枯れた北穂沢をトラバ−スする。大きさの違うさまざまな石が累々と積み重なっている。しっかり確かめて行かないと落石を起こしてしまう。浮き石に乗ると自分も転落してしまう。わずか10分足らずだが気をつけなければならない。 稜線取り付き点に着く。ここからはガレの直登となる。落石を起こさないように、そして自分も転落しないように注意しながら登る。 8時25分、稜線上に出る。昨年は槍ガ岳方面の素晴らしい展望が待っていてくれたが、今年は一面ガスっており、何も見えない。残念。かろうじて奥穂方面が望めたので写真を撮る。10分の休憩の後出発する。東稜ル−トに入ってからは登山者の姿は全く見ることができない。 さあ、ここからが今日のハイライト。鋸歯状のきびしい岩稜尾根を忠実にたどっていくのだ。特に通称ゴジラの背の通過がポイント。さらに両側の切れ落ちた幅20センチほどのリッジもある。さっそく岩に取り付く。 じっと岩壁を見つめてル−トファインディグ。下から上までじっくり眺めてホ−ルド・スタンスを見極めて登り始める。 文字通りよじ登っていく。小さなピ−クをいくつか越えていくと、眼前にすっぱりと切れ落ちたリッジが現われた。去年はル−トを誤ったため、ここは通らなかった。しかしガイドブックの記述ほどのことはない。難なく通過する。但し、悪天候ならかなり手強いだろう。 下方を見るとはるか下方に涸沢ヒュッテが豆粒ほどに見える。かなり高度をかせいだことが分かる。南稜ル−トを登る人たちの姿が望見できる。こっちを見ている。涸沢カ−ルの末端部にはナナカマドが競うように白い花を咲かせている。緑の葉は秋の訪れとともに一面燃えるような紅葉を見せる。その頃来てみたいものだ。 ゴジラの背も無事通過し、いよいよ最後のコルへの下りである。およそ50メ−トルの垂直に近い岩壁を一気に下降するのだ。途中で引き返すことはできない。降り始めたら最後まで降りるしかないのだ。ここは去年も経験しているのでそれほど緊張感はなかった。距離は遠いがホ−ルドもスタンス豊富にある。 9時10分、無事降下し東稜のコルに到着。チョコレ−トをひとかけら口に入れる。甘さが口いっぱいに広がる。見上げると北穂高小屋の赤い屋根がわずかに見える。ここからは小尾根を右のほうへ巻きかげんに登り、槍ガ岳からのル−トと合流すると、ひと登りで頂上へ到達できる。ザックを背負い、いざ出発。しだいにザックの重さが辛くなり、肩から腕にかけてしびれがくる。 ここの登りも結構きつい。頂上まで30分ぐらいか。休まないで歩け! あえぎあえぎ登っているうちにクレゾ−ル臭がしてきた。よし、そろそろ北穂小屋だということが分かる。トイレの匂いなのだ。 槍からのル−トと合流し、最後の登りを鎖や埋め込みボルトに助けられながら登りつめる。北穂小屋到着。9時50分。予想外に早い到着である。ガイドブックタイム3時間40分のところ、2時間15分で登ったことになる。 小屋の展望テラスで大休止とする。すこしばかり早いがここで弁当を食べる。ここから穂高岳山荘のある白出乗越までは岩稜地帯の縦走コ−スとなり、ちょっと弁当を広げて、という場所はないからだ。 涸沢ヒュッテで求めた 800円也の弁当。中には佃煮やでんぶなどのおかずしか入っていない。季節柄腐りやすいものは一切ない。したがっておかずもこうなるのだ。粗末だがしかたない。 ゆっくり時間をかけて全部平らげる。到着したときは一人だったが、次第に人数が増えてきた。何れの人も南稜ル−トを登ってきた人たちばかりである。 単独なので話相手もなく、一人でぽつねんとコ−ヒ−を飲んでいる。生憎展望はガスに閉ざされ、何にも見えない。わずかばかり常念岳の端正な円錐状の頂きが見えるだけ。 頂上は小屋のすぐ裏手である。ザックをかついで頂上へと向かう。休憩中の人に頂上標をバックにして写真を撮ってもらう。 10時50分、出発。穂高岳山荘へ向かう。ここからのコ−スも名うてのコ−スである。 南峰とド−ムの付け根にあたるところを巻きながら下り、最後に鎖を使っての大きな下りとなる。しかし鎖を使うほどのこともなく難なく下降する。 右側は滝谷に向かって千メ−トル近く落ち込んでいる。ここはロッククライミングのゲレンデとなっているため、絶対に落石してはならない。最新の注意を払いながら下降していく。それにしてもザックが重い。 展望は相変わらずガスに閉ざされたままである。さっきまで見えていた涸沢カ−ルも流れるガスに見え隠れしている。 しばらく行くと道は稜線通しとなり、今までの岩稜からガレやザレに変わり、手足を使 ったカニ歩きから2本足での歩行に変わる。これこそ雲上漫歩である。 しかしそれも最低コルまで。そこから先はガイドブックに『このコ−ス最大の悪場』と書かれている涸沢岳への登りが待っている。しかし昨年も経験している上、ガイドブックの記述ほどでないことも分かっている。 ホ−ルド、スタンスを確認しながら快適に高度を稼いでいく。途中何組かのパ−ティ−を追い越していく。涸沢岳頂上への最後の鎖場もスイッと越え、頂上へ出る。時刻は12時20分。頂上標を背にしてセルフタイマ−で写真を撮る。 ここから穂高岳山荘はほんのひと下り。12時35分到着。到着予定時刻は14時30分だから2時間も早着。北穂からここまでガイドブックタイムでは2時間20分の所要時間だが、1時間30分で踏破した。 宿泊の受付を済ませる。幸い個室が空いていたので、今夜は一人でノンビリできる。それに運がいいことに、個室料金は2000円引きの6000円。8月末の上、台風がいつまでも九州に停滞しているせいで客足が少ないからであろう。 くだんのおじいさんはどこにも姿が見当たらない。今日はザイテングラ−ド経由で奥穂高に登るとの話だった。とすると時間的に考えて既に小屋に入っている頃なのだが。天候が怪しいので下山したのだろうか。 図書コ−ナ−で山の本を読んでいるうち、にわかに薄暗くなってきた。と思うまもなく大粒の雨が激しく叩きつけてきた。トタン屋根を打つ音がすさまじい。早く着いてよかったなと思う。 玄関は幕営予定のパ−ティ−が退避してきたのだろう、たいへんにぎわっている。そしてしばらくして、奥穂から下山してきた人たちで再びごった返してきた。 この人たちはここへ荷物をデポしているのだろう、皆軽装である。レインウエアを持たずに行った人が大部分で、どの人もずぶ濡れである。いくら荷物をデポしても、雨具だけは必携である。 と思いながら見ていると、なんと例のおじいさんがいるではないか。話を聞いてみると既に宿泊受付を済ませ、奥穂を往復してきたとの由。話もそこそこに部屋へ着替えに行かれた。にわかにあたりは騒々しくなった。 ロビ−でコ−ヒ−を飲みながら、おじいさんを自分の部屋へ呼んであげようと思う。しばらくして着替えを済ませたおじさんがやってきた。 「個室をとったので自分ひとりですから、よかったら移ってきませんか」と申し出ると、たいへん喜ばれた。おじいさんの部屋は10畳に12人で、少々窮屈だということ。一方自分の部屋は8畳に1人だから、2人になったってどうってことない。 早速荷物をもっておじいさんが移ってきた。個室料金を折半にしてくれと言われるのを固辞したが、かえって失礼だと頂くことにした。 あれこれ話に花が咲いた。驚いたことにこのおじいさん元校長先生。たいへん物腰が柔らかく、話好きでとても感じのいい方である。いろいろ驚かされることばかりだったが、中でも朝日新聞社主催の世代別陸上競技会の全国大会で3年連続三段跳び優勝という実績や花巻の市広報紙に植物紹介に関する執筆を連載していること、また県の生物研究グル−プで今も活躍されていることなど、そのバイタリティにはただただ溜息が出るばかりだった。さらに区長の職も引き受けておられるという。 食事になった。昼食が早かったのでペコペコである。食堂へ飛んでいく。メニュ−は骨つきチキンの唐揚げ・チキンの照焼き・付け合わせとしてスパゲティ・線ぎりキャベツ・そしてわらびのゴマあえ・昆布巻き・豆の佃煮・味噌汁に漬物。お腹いっぱい食べる。 落陽を楽しみにしていたのだが、この天候ではちょっと無理。未練たらしく窓から西の方向を見るが、暗雲立ちこめ何にも見えず。 その後ロビ−でビデオを見て部屋に戻る。時刻は7時過ぎ。しばらくおしゃべりをして就寝の支度をする。校長先生も昨夜は眠れなかったとのこと。8時頃就寝。 |
8月23日(金) 今朝は校長先生が起こしてくれた。時刻は5時ちょっと前。ねぼけ眼で外を見ると見事な御来光。常念山脈から今しも太陽が顔を出そうとしている。校長先生曰く「夜中にトイレに立ったらきれいな月が出ていた」と。早速カメラを取り出し記念写真。 洗面を済ませ、パッキングをしながら今日の予定を話し合う。校長先生は来た道を真っ直ぐ下って、徳沢あたりに泊るという。新宿までの特急バスの予約が明日の午前だからとのこと。 朝食を済ませ、お茶を買って水筒につめてパッキング完了。トイレへ行くが生憎ふさがっている。タイミングが外れるとこういうことになる。しばらく待って、再度行ってみると運よく1つ空いていた。 校長先生はゆっくり発つからと言われるので、一足先に出発する。時刻は6時15分。 奥穂へのル−トはのっけから梯子場と岩稜である。大阪経済大学のパ−ティが先行している。2人のメンバ−がリ−ダ−らしい男にあれこれ注意を与えられながら、おっかなびっくり登っている。いい若い男が何でこれしきのところが怖いのか、と思いながらノロノロ後をついていく。それにこういう場合、道を空けて先に行かせるのが当り前だぞ、と腹を立てながら、登っては止まり、止まっては歩くの繰り返し。自分のあとにも何人かの登山者が続行している。渋滞である。いいかげん嫌になったところで、やっとリ−ダ−が道を譲ってくれた。 前があいたところで、遅れを取り戻すごとく快調に登っていく。今日は台風一過を思わせるほどの好天気である。空は真っ青。槍ガ岳や薬師岳をはじめ、遠く白馬・鹿島槍まで雲上に顔を出している。穂高に通い始めて、3回目にして初めての大パノラマである。この景色を独り占めするのが実にもったいない。専門家がいくらうまく写真を撮っても、この場で自分の眼で見る景色には到底勝てない。 程なく奥穂頂上に到着。時刻は6時55分。渋滞に巻き込まれたため40分もかかった。ここまで来ると南側の展望も開け、 360度の大パノラマ。思わず息を飲む。早速先着の人に写真を撮ってもらう。槍ガ岳をバックにして、そしてジャンダルムを背にして・・・・。きっといい写真が撮れたことだろう。 それにしても寒い。そして風が強い。ザックから長袖のシャツを出す。他の人たちも早々に次の目的地前穂に向けて出発している。 前穂高岳へのル−トはどちらかというと一般ル−トである。さほど危険なところは見当たらない。しかし西穂高岳へのル−トは熟達者向きの難しいル−トである。去年は、行ける自信はあったが同行者不調のため天狗岳までで引き返している。 ここで迷いに迷った。昨日の雨のため岩がぬれていて、足場が悪くなっていないだろう か。それに小屋での情報では台風が東に向かっているというし。 「よし、あきらめよう」と、一旦は一般ル−トの前穂へ向かった。しかし、数歩歩いたところで踵を返し、結局は誰も入っていない西穂ル−トへ足を踏み入れた。西の空は明るいし、それに1年間待ちに待ったこのル−ト、また1年我慢することが耐えられなかったからである。 奥穂を7時10分出発。いよいよ西穂へ向かう。去年中途断念しているだけに、1年間待ちに待ったこの瞬間である。いやが上にも緊張感が高まる。 早速「馬の背」の通過。その名のとおり、両側が切れ落ちた幅30センチほどの岩の積み重なった道である。浮石に乗ったりバランスを崩したりすると、真っ逆さまに転落すること必至。動かない石を見極め、慎重に歩を進める。 両側を見るとさすがにゾ−ッとする。しかし怖いとは思わない。これを怖いと思ったら絶対に通過不可能。ちっとも怖いと思わないので難なく通過する。子どもの頃から崖や石垣、木などをよじ登って遊んできたせいか、高いところは少しも怖くない。 馬の背を降下する。ここもガリガリに痩せた岩稜で、ガイドブックでは要注意箇所になっている。落石を起こさないように気をつけながら降りる。 これからのコ−スはいわゆる道ではない。岩だらけのところを登ったり降りたりするのである。土がないのだ。あるのは岩だけ。その岩には道しるべとしてペンキマ−クがつけてある。それを忠実にたどっていけばよい。しかし時々見失うことがある。天候さえよければ何の心配も要らないが、雨が降っていたりガスっていたりすると正常なル−トに戻れなくなることがある。 しばらく歩いてロバの耳直下の急峻な岩場を過ぎると、再びやせ尾根となる。慎重に通過するとジャンダルムの基部に出る。時刻は7時45分。ガイドブックタイム90分のところ35分で踏破する。すごいペ−スである。 基部の信州側を大きく巻いて反対側に出る。ここからジャンダルムの頂上に登る。岩だらけの斜面を頂上目指してまっしぐら。ペンキマ−クがないから適当に見当をつけて登っていく。頂上には未だかつて見たことがないほどの素晴らしい展望が待っていてくれた。思わず歓声があがるが、頂上には誰もいない。この素晴らしいパノラマを独り占。 北を向けばはるかかなたに白馬・鹿島槍、その隣に針ノ木岳、ずっと右を見れば鷲羽岳・野口五郎岳・黒部五郎岳、その奥には薬師岳まで見える。西を見れば飛騨の名峰笠ガ岳が目の前に迫り、遠く伊吹山らしい影も見える。南はというと西穂から焼岳、そして乗鞍・御岳・中央アルプスの山並みが。東は前穂から明神へ、そして南アルプス・八ガ岳。 今年で3回目になるが、これほどの大パノラマは初めて。夢中になって写真を取りまくる。 重いザックを背負いながら、歩いて歩いてやっとここまでたどり着いた。やっと頂上を極めた。誰の力も借りないで自分の足だけを頼りにして。これで4つ目のピ−クを踏んだことになるが、4つ目で初めてこの展望が得られた。これだから山登りはやめられない。いくら辛い思いをしても必ず報われる。必ず満足が得られる。よかったな、と満足感に浸りながら吸う一服のうまさ。 さあ、次のピ−ク天狗岳に向かって出発だ。ジャンダルムの岩場をかけ下り、ル−トに戻る。 |