行動記録

1 オーバーブッキングで飛行機に乗れない!メキシコに着いたらスキーが無い!

12月22日(成田17:25―ロスアンジェルス09:50〜20:00―)

12月23日(−メキシコシティ01:30)

 クリスマス直前の土曜日とあって、ロスアンジェルス空港のメヒカーナ航空カウンターは里帰りのメキシコ人であふれかえっている。14時30分発の便でメキシコシティへ行くはずだったのだが、オーバーブッキングのためその飛行機には乗れず、指示された行列に並んでじっと待つことになる。僕と同じ目にあった乗客も多いようで、乗客と航空会社係員との口論があちこちで発生し、テレビカメラまで取材に来て大騒ぎになっている。

 夜になってようやく別の航空会社アエロメヒコの便に乗ることができ、午前1時30分にメキシコシティへ到着するが、飛行機に預けたザックとスキーが見当たらない。ザックの方は予定通りメヒカーナ航空の昼間の便で運ばれていたようで、そちらの荷物受取所で見つかった。しかしスキーは行方不明である。

 

2 高度順応のためラ・マリンチェ(4,462 m)登山

12月24日(メキシコシティ10:00―IMSSリゾート3,080 m 11:30)

 登山ガイドや旅行の手配を頼んだSERVIMONTの経営者ゴンサロ・レイエスの息子であるルイスの車で、ラ・マリンチェ登山口のIMSSリゾートまで送ってもらう。ルイスの話では、オリサバの現在の通常ルートやピエドラ・グランデまで登る道路はゴンサロ・レイエスが開拓したものらしい。IMSSリゾートにはシャワー・台所・電気コンロ・ベッド・暖炉が付いたキャビンがたくさんあり、6人用キャビンが1泊US$45で借りられる。レストランとミネラルウオーターやビスケットの売店もある。

 

12月25日 晴(IMSSリゾート07:00―ラ・マリンチェ11:00〜11:30―IMSSリゾート14:00)

 今日はIMSSリゾートからラ・マリンチェに登る。この山には昨年ルイスと一緒に登り道は覚えているので、今年はガイドを頼まないことにした。IMSSリゾートはラ・マリンチェの北側の山麓にあり、そこからジグザグの車道(一般車通行禁止)を縫う山道を辿る。標高3,400mで車道から離れて右側の松林を登るようになり、標高3,800mで樹林限界に達する。草原を少し進んでから右の尾根に登り、尾根を南に進めば山頂だ。雪は上部の日陰に少しあるだけなので、夏道歩き用の装備で良い。頂上からはオリサバも見える。

 

3 オリサバ(5,611m)の登頂とスキー滑降

12月26日 曇。標高5,000m以上は雲がかかっている。夜は雪と霧で5cm積もる。(IMSSリゾート10:00―トラチチュカ2,600m 11:30〜13:30―ピエドラ・グランデ4,260m 15:30)

 SERVIMONTのフランシスコが運転する車で、IMSSリゾートからオリサバ山麓のトラチチュカにあるレイエス氏宅へ移動。ここにはSERVIMONTの事務所もある。中庭に懐かしい顔がいると思ったら、昨年同じ日程でオリサバ登山を試み悪天候の中で共に敗退したメキシコ人のユルゲンである。彼は今年も僕と同じ日程で登るらしい。僕のスキーはまだ行方不明のままなので、レイエス氏の納屋にあった古いスキーを借りることにする。ルイスとフランシスコが、30分以上かけて締め具を僕の靴に合わせてくれた。

 ユルゲンやガイドのロベルト、他の登山者と一緒に、四輪駆動車でピエドラ・グランデまで登る。道は極端に悪く、車の座席は軍隊の兵員輸送トラック式でおまけに窓が小さいときているので、何かしゃべり続けていないと車酔いで気分が悪くなる。酔い止めの薬を飲んでおく方が良いかもしれない。

 ピエドラ・グランデには無人の山小屋が2つあるが、そのうち大きい方に泊まる。1階と2階のほか天井裏でも寝られるようになっているが、メキシコや欧米の登山者が30人ほどいてほぼ満員だ。水場は、小屋の東側の涸谷へ踏み跡を2分ほど下りた所にある。

 

12月27日 曇時々地吹雪。標高4,500m以上は雲がかかっている。(停滞)

 今日は高度順応のため標高5,000mまで往復する予定だったが、地吹雪がひどいので小屋で停滞する。

 

12月28日 朝のうち曇 のち晴 (ピエドラ・グランデ02:00―ハマパ氷河末端06:30―オリサバ山頂10:30―ピエドラ・グランデ14:00〜15:00―トラチチュカ17:00)

 「ヨシオ!ヨシオ!」とロベルトが呼ぶ声で目が覚めた。「晴れているから出発しよう。」と言う。時刻は午前1時である。できれば今日登頂するつもりらしい。昨日の高度順応活動は中止になってしまったので確実に頂上まで行ける自信は無いが、途中で高度障害が出てきたら、引き返して明日もう一度アタックすれば良いだろう。

 朝食を済ませて2時に小屋を出る。ロベルトが「スキーを担いでやろうか?」と言うので、その言葉に甘えることにする。「スキーは自分で担ぎ上げる。」と意地を張りたい気もするが、短い休暇のうちに高度順応も不十分なままアタックするのだから、できる限り体力を温存した方が良い。ともかく高所で滑ることが最優先だ。

 小屋からコンクリートの水路沿いにしばらく歩き、涸谷の底に近づいたら左岸の踏み跡を辿る。標高4,400mで平らな所に出てから、高さ10mの溶岩壁を左に見ながら進む。雪が深くなってきた。膝下くらいのラッセルは、ロベルトがほとんど1人でこなす。ロベルトと僕、それにユルゲンともう1人の登山者の合わせて4人が、今日の先頭集団である。満月に近い月明りと雪明りのために、ランプ無しでも歩けそうだ。小屋のかなたに街の灯がまたたいている。

 標高4,750mで左手の溶岩壁が低くなり、あとは岩尾根と沢が複雑に入り組んだ地形になる。沢を2つ3つ渡りながら少し登り、傾斜35度のガリーの下に着いた所でアイゼンとハーネスを着ける。昨年はガリーが凍っていて滑落死亡事故も起きたらしいが、今日はラッセルがきついばかりで危険は無い。

 急なガリーは標高4,900mで終わり、ハマパ氷河末端に出る。時刻は6時30分である。夜明けも近く、随分明るくなってきた。氷河は幅500mにわたって広がり、しだいに傾斜を増しながら山頂へと続いている。

 まっすぐ山頂方向へ登る。開いたクレバスは見当たらないし、斜面は氷がむきだしでヒドゥンクレバスを踏み抜くおそれも無さそうなので、ロープは着けずに進む。標高5,200mで少し頭が痛くなってきた。ロシアのエルブルースに登ったときは、標高5,300mで頭痛がし始め、オリサバと同じくらいの高さの山頂を往復してスキーで滑り降りるころには頭痛と疲労が増し、斜滑降・キックターンで下りるのがやっとというありさまだった。そのときより今日の方が頭痛の開始が早いのは心配だ。しかも、ざらめ雪の緩斜面だったエルブルースと違って、オリサバは35度の凍った斜面だ。頭痛と疲労がひどくなってから滑るのは危ない。今日はここから引き返し、明日アタックすべきだろうか。ロベルトに「少し頭が痛い。」と話すと、「ここで15分ほどゆっくり休んでから登ろう。」という返事が返ってきた。休憩するうちに頭痛は弱まり、それに雲が厚くなり始めて好天が明日まで続くかどうか怪しくなってきたこともあり、このまま登り続けることにする。

 標高5,200mから傾斜がきつくなり、ルートは左上するようになる。小屋で料理や荷物番をする年配のガイド助手が、「調子はどうだ?」と言いながら登ってきた。(荷物番はしなくて良いのか?)浅い革靴に8本爪のアイゼンを着け1mもあるピッケルを手にした古風ないでたちで、飛ぶように我々を追い越していく。

 ユルゲンは標高5,400mから頂上めざして直登を始めたが、ロベルトと僕は左上を続けて標高5,500mで火口縁に着き、そこへ荷物を置いていくことにした。アイススクリューとスノーバーでザックとスキーを固定し、テルモスだけ持って山頂へ向かう。頂上から滑るのも技術的には難しく無さそうだが、だいぶ疲れてきたのでこれが無難な選択だろう。

 山頂には10時30分に到着。ロベルト、ユルゲン、ガイド助手と握手を交わし、写真を撮る。心配していた天気も良くなり、日差しが暖かく感じるくらいになってきた。200km西に、雪化粧をして高峰らしい姿になったポポカテペトル(5,465m)とイスタシフアトル(5,230m)が見える。東にはメキシコ湾があるはずだが、もやがかかって判別できない。1リットルのテルモスの紅茶は山頂で空になる。あと0.5リットルほど水を持ってくれば良かった。

 荷物をデポした所まで下りてスキーを履く。借り物の古いスキーの締め具はステップイン式でないため、氷の斜面を削って作った狭い足場で装着するのは一苦労だ。ロベルトに手伝ってもらい、5分もかけてようやくスキーが履けた。

 11時に滑降開始。ためしに斜滑降とターンをひとつやってみる。傾斜35度のガリガリの氷だが、スキーを横滑りさせればちゃんとブレーキがかかる。大丈夫だ。左の方へ長い斜滑降をして登りのルートより少し西側の斜面に出てから、眼下に広がるメキシコの大平原に向かって2度3度とターンを繰り返す。ひとしきり滑って後ろを振り返ると、氷河に刻まれたシュプールが陽の光を反射してきらきら光っている。ガイド助手は、小屋でお茶の用意をするため先に駆け下りていったらしい。ロベルトとユルゲンは、まだはるか上の方にいる。ユルゲンは、高度障害で気分が悪くなった別の登山者を介抱しながらゆっくり下りているようだ。彼らが追いつくまで待ってから、再び滑降を始める。標高5,200m〜5,100mはシュカブラだらけ、その下はつるつるの氷のため、斜滑降ばかりして下りる。氷河末端に近づくと、氷の上に雪が着いていて楽しいスキーに変わる。「ヨシオ!もう一発エキストリームだ!」というユルゲンの声援を受け、新雪で埋まった氷河下のガリーにも飛び込むが、標高4,850mで滑降は終わり。ピエドラ・グランデに着いたのは14時である。

 車でトラチチュカへ戻り、レイエス氏宅内にあるロッジに泊まる。このロッジは個室ではなく暖房も不十分だが、150年前に建てられた石鹸工場を改造したもので雰囲気は洒落ているし、料理もおいしい。

 

4 行方不明のスキーを発見!

12月29日〜31日

 オリサバの北東にあるエル・カリサル温泉やハラパ人類学博物館をゆったり巡った後、メキシコシティへ戻る。行方不明のスキーは、空港内のメヒカーナ航空荷物保管所で見つかった。

1月1日(メキシコシティ11:00―サンフランシスコ15:05)

1月2日(サンフランシスコ11:40―)

1月3日(−成田15:40)

 

メキシコ オリサバ(5,611m)