浜松まつりとは?

浜松まつりの由来

昼の部は、勇壮な大凧揚げ合戦、夜の部はきらびやかなご殿屋台と「激練り」を3日間通して行います。

大凧揚げ合戦は、430年余り前、時の引馬城主・飯尾豊前守の長男・義廣公の誕生を祝い、城下の住人が、その名入りの凧を揚げたのが起源といわれています。ここから、長男が生まれると端午の節句に祝い凧を揚げる「初凧」の風習が生まれ、それが明治・大正・昭和を経て、現在の凧揚げ合戦になりました。凧の大きさは2帖(1.5m四方)から10帖(3.64m四方)まであり(ときにはそれ以上の凧もある)4帖・6帖が適しているといわれています。

ご殿屋台の引き回しも町民の中から自然発生してきたものだそうです。始まりは凧合戦の帰りに大八車の四隅に柱を立てて凧を屋根がわりにして引いたもので、大正4年頃から底抜け屋台や花屋台が登場してきました。そして時代を追うごとに重層唐破風入母屋造り、桃山式などのご殿屋台が出現し、みごとな彫刻が施されてきました。

なんといっても浜松っこの心を踊らせるものは、独特のラッパと太鼓のリズムです。祭りの間は朝から夜中までこの音楽が鳴りやみません。祭り期間でなくても浜松人は年中「激練り」状態ですが・・・。

浜松祭

  

白羽町とは

浜松市の中央南部に位置し、凧合戦の会場である中田島の北側隣の町です。浜松まつりへの参加はまだ浅い方で15年目になります。残念ながら夜の部の「御殿屋台」の参加はありませんが、その分初子さん宅での「激練り」には気合いが入っています。

平成13年の初子さんは7軒あります。お預かりしている祝い凧(初凧)は6枚あります。4.5帖から6帖までで、どの凧も天高く舞う姿が目に浮かんできます。(祭り前の談)

白羽町

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