悪魔はシャイに I Love You 第3幕
 

志咲摩衣




 悠乃サンの両親に挨拶をした次の日の朝、オレはようやくおふくろと顔を会わせる決意を固めた。よその親に会っておいて、自分の親と顔を会わせないなんて、血がつながってないとしても、いや、つながっていないのならなおさら親不孝すぎると思ったのだ。ちなみに、親父は大学の研究室にこもりっきりで帰ってきていない。
「おはよう」
 何食わぬ顔で、おふくろに挨拶する。
「今日は寝坊しなかったんだ。えらいえらい」
 おふくろはコーヒーをいれながら、こちらを向いて笑った。ショートボブの薄化粧は、わがおふくろながら華やかな美人だと思う。そのうえ、四十すぎだというのに若い。ここ数日は休日返上で仕事をしているのに、顔に疲れが出ていないのはびっくりだ。
「なに、ぼんやりしてるの。ホント、そういうところ、あの人にそっくりねえ」
 きれいな顔が悪戯っぽく笑う。おふくろの言うあの人とは、親父のことだ。
「に、似てねぇよ。オレは絶対、親父みたいなぼさぼさ頭で外に出たりしない」
 そう、似ているはずがない。オレは──。
「陽一?」
 おふくろは湯気の立つマグカップをオレに差し出しながら、首をかしげた。
「悩み事があるんなら、言いなさい。なんでも相談にのるわよ?」
「あ、ああ」
 オレはあわててコーヒーを口にして、ごまかす。
「……別になにもないよ」
 あたたかな湯気。朝陽の差し込むキッチン。そんな、なにげないもののすべてがオレは好きだった。
「ホントに、なにもない」
「そう? じゃ、先に出かけるわね」
 おふくろはコーヒーを一気に飲み干して、玄関へと走っていった。
「いってらっしゃい」
 おふくろの背中に声をかけると、玄関のほうから「いってきまーす」と明るい声がして、ドアの閉まる音が聴こえた。
 ごめん。オレは、あなたの息子なんかじゃない。





Scene 5 悪魔のモラトリアム




 封印が解けてから、徐々にオレの世界は姿を変えはじめた。世界が幾層にも重なる複雑な魔法陣で構成されているのを感じる。その魔法陣を発動させることで、世界を意のままに動かす──それが魔法だ。人間の術師やふつうの魔族は呪文を使って魔法陣を発動させるが、翼あるケルビム──天使や悪魔は意思の力だけで魔法陣を使う。
 そんなことをぼんやり頭に浮かべながら歩いているうちに、学校についてしまった。校門で待ち構えていたらしい美瀬と目が合う。
「おはよう、ジミーくん」
「おまえ……」
 なにか言ってやろうと思ったが、ぐっとこらえた。魔界の竜なんかシカトだ、シカト。
「冷たいなあ、ジミーくん」
 のんびりした調子で言うと、美瀬はオレの肩をひきよせた。
「ばっ、バカ竜。なにして……」
 ヤツはオレの耳許にささやく。
「ねえ、エリュシエル。いつまで、そんな嘘の格好してるつもり?」
「あのな、オレは」
「わざわざ、〈魅惑〉の魔法が効かない姿に化けるなんて、純情すぎて泣けてくるよね」
 美瀬──竜皇子ヴィセリオンは低い声でくすくすと笑う。
「でもね。無理だよ、銀のエリュシエル。封印が解けたいま、六枚の翼ある高位の悪魔が人間のふりをして暮らそうなんて」
「うるさい!」
 オレは叫んで、美瀬の腕を振り払った。
「これ以上つきまとうなら、魔界へ吹き飛ばしてやろうか。ヴィセリオン」
 凄んでそう低く告げると、美瀬はうれしそうにくくくと笑った。
「無駄だと思うけどね。彼女は美しい悪魔に夢中で、たとえ魂は同じでも、地味な君なんてどうでもいいのさ」
 一瞬、言葉を失ったオレを置いて、美瀬はそのまま校舎へと歩いてゆく。
 春の風が、なぜかとても冷たかった。

 ホームルームが終わって、授業がはじまっても、オレはずっと悠乃サンの後ろ姿を目立たないように眺めていた。一年のころから、ずっと、こうだった。なかなか他人に名前を覚えてもらえないオレが、女の子に好かれるなんてありえないと思っていたから、悠乃サンに告白するなんてもっとありえないと思っていた。
 でも、いまなら。オレの力だけじゃなく印象までも封じていた厄介な魔法が解けたいまなら。
 悪魔の力全開で目立ちすぎるわけにはいかないけど、ちょっとくらい、悠乃サンにオレを──山本陽一をアピールしてもいいんじゃないか? いつか、本当のことをキミに打ち明ける日のためにも。

 次の体育は、男女とも体育館でバスケだった。悠乃サンにアピールするチャンスだ。
 オレはあまり背が高くないので、いままでバスケやバレーが好きじゃなかった。だが、いまはあの田臥のように動ける自信がある。ああ、ごめんなさい、田臥さん。オレはあなたのように努力してません。
 ひととおりルールのおさらいと練習時間があって、男女ともゲームをはじめることになった。三十八人のクラスだから、二十人がゲーム組で、半分近くの十八人が見学組になる。振り分けのためのじゃんけんの時、オレはズルをして魔法を使い、ゲーム組になった。悠乃サンのほうはさすがに気がとがめてなりゆきにまかせたが、うまいことに彼女は見学組になった。
 ラッキー! これで、悠乃サンに思う存分アピールできるぞ、オレ。
 試合がはじまった。オレはドリブルをしている相手から、なんなくボールを奪う。ゲーセンのときと同じで、相手の動きは止まって見えるし、身体が自分のものとは思えないほど軽いのだ。オレがボールを奪うために差し入れた右手が、相手には見えなかっただろう。ボールを奪ってからはオレの独壇場だった。ボールは手に吸いつくようだったし、ドリブルをしながら迫ってくる相手チームの奴をかわすのは爽快だった。こんなに楽しくバスケをしたことは生まれてはじめてだ。まず、スリーポイントシュートを試してみる。ボールはあっけなくバスケットの中におさまった。
 ちらりと悠乃サンを見る。だが、彼女は女子の試合を眺めていた。隣の田中さんはしっかりこちらを見ていたし、同じく見学組の美瀬は、女の子に取り囲まれながらニヤニヤとイヤな笑みを浮かべていたけれど。
「うーん、最近ノリノリだな、山本」
 相手チームになった北条が不思議そうにオレを見ている。
「あはは、まあ、ひきつづき絶好調かも」
 ひきつりつつ返しながら、良心がまた疼く。すまん、北条。今日だけちょっと目立たせてくれ。
 そうはいっても、あんまり目立ちすぎるとおかしいので、少しのあいだ、おとなしくゲームの流れを追った。次にオレがボールを奪ったとき、どこからか「山本ーっ、またスリーポイントいけ!」と声がかかって驚いた。ひょっとして、注目されてる? 期待されると応えなくちゃいけない気がしてくるから不思議だ。だけど、今度はスリーポイントじゃなくて、テレビで見てずっと憧れていたアレで決めてやる。ボードの近くで、オレはコートを蹴った。見えない銀の翼が背ではばたく。
「ダンク? 山本がァ?」
 北条が叫び、コートの内も外もざわめく。オレはまた悠乃サンのほうをちらりと見る。
 あちゃーっ。なんでまた、見てないんだよーっ?
 悪魔の力で目立ちすぎるのは本意じゃないんだ。だって、これはオレの努力の成果じゃない。でも、オレのことを見てくれるきっかけが欲しい。だから……もう一度だけ。
 オレは、最後のつもりでダンクを決めた。わっと歓声があがる。
 ちらりと見ると、今度は悠乃サンと目が合った。目を大きく見開いている。
 見た? 見てた? 悠乃サン。ちょっとは格好良かった?
 オレが思ったのも束の間、彼女はつまらなさそうにオレからふいっと目を逸らした。
 ……ああ、バスケ作戦はダメか。

「おまえって、意外にハイとローがはっきりしてんのな」
 体操着を着替えながら、北条が言う。そう、あのあとは最悪だった。ボールを奪っても、ドリブルは通らない。シュートは外す。
「メンタル面がやわなもんで」
 なるべく軽口に聞こえるように返す。すると、北条は胸のまえで腕組みをして、声をひそめた。
「……なあ、どうしても、彼女じゃなきゃダメか?」
「えっ?」
 オレが首をひねると、北条はむすっとした顔つきになる。
「余計なお世話かもしれないが、あのコはおまえと合わない気がしてきた。もっと、いいコがいるって」
「……そんなことねぇよ」
 ──悠乃サンは、いいコだよ。おまえが知らないだけで。

 放課後、三田村が悠乃サンに脚本を渡すというので、ついてゆくことにした。
 オレと悠乃サンが合わないなんて、そんなことはない。ただ、山本陽一と悠乃サンにきっかけがないだけだ。北条は、オレと悠乃サンがほとんど毎日会ってるのだって知らない。悠乃サンはやさしくて可愛いんだ。オレたちは、ホントはラブラブなんだ。
 三田村が脚本を渡している。オレは、なにか気の利いたことでも言おうと、頭をひねっていた。ダメだ。頭はよくなっているはずなのに、こういうときにぴったりの台詞はさっぱり浮かんでこない。
 そのとき、悠乃サンと目が合った。最近、彼女と目が合うことが多くなってうれしい。だが、次の瞬間、悠乃サンはいきなりオレを睨んだ。
 ……えっ?
 冷ややかな侮蔑の視線がオレを刺す。
 なんで……悠乃サン?
 世界が凍りついた、そんな気がした。

 夜になって、人に化けていた姿を元に戻す。窓ガラスに映るのは、銀色の悪魔エリュシエル。こんなに容易く、姿なんか変えられるのに。オレはオレのはずなのに。
 重たい気分のまま、悠乃サンの部屋に姿をあらわす。彼女は熱心に三田村の脚本を読んでいた。
「なに読んでるの?」
 オレが声をかけると悠乃サンは顔をあげる。ふわりとしたやわらかな笑顔。人の姿のオレには絶対見せない笑顔。
「撮影、見に来る?」
 彼女が訊いてくるのに、オレは困った。恋人なんだから、撮影が気にならないはずがない。でも、山本陽一とエリュシエルが同時に存在できるわけがない──そのとき。
「そんな風に口を曲げないでよ。なんだか、山本くんみたい」
 彼女はさも厭そうに、オレの名を口にした。
「え?」
 まさか。オレに無関心なだけじゃ……ないのか? 胸がずきりと痛んだ。まさか、あの冷ややかな視線の意味は。悠乃サンは──。訊かないほうがいい、どこかで醒めた理性が告げていたけれど、オレの口からはほろほろとこんな言葉がこぼれ落ちた。
「悠乃サンって、映画の相手役の……彼のこと……嫌い?」
 情けないことに掠れ声になってしまう。彼女は眉をひそめて、唇を少しだけとがらせて言った。
「……そんな風に考えてみたこと、ないかも。ただ、あの人ってなんだか挙動不審で……ちょっと不気味だから」
 オレが挙動不審で──不気味。そんなふうに思われていたなんて。頭がガンガンする。
「どうしたの、エル?」
 悠乃サンが心配そうにオレの顔をじっと見つめている。でも、悠乃サン、キミは。
「悠乃サン。オレのこと、好き?」
 彼女を強く抱きしめた。悪魔のオレなんか目に入らないように。こんなのはオレじゃない。オレは悪魔だけど、心はまだ悪魔なんかじゃない。だって、オレはずっと人間で──。
「好きよ、エルが好き」
 エルが好き──。
 そのとき、自分の中でなにかが壊れた気がした。

 

 

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