ルナティック・ゴールド
       番外編 ルナティックラプソディ〜月光狂詩曲

志咲摩衣


 

 その日、1年A組はざわめいていた。
 6月半ばという、おそろしく中途半端なこの時期に、なんと転校生がくるのだ。
 全国でトップクラスの生徒ばかりが集まる、このラ・メール高校の選抜クラスのA組に。学費免除の特待生として。

 つい先日、鳴り物入りではじまった〈大老の召集〉が、なぜか突然第二次関門で一時休止となり、その直後、あの〈中央本家〉ルナティック・ゴールドが芸能界に鮮烈デビューしたこの時期──季節はずれの転校生はルナなんじゃないか──そんな憶測が ラ・メールに多く在籍する黄神子弟のあいだで飛びかうのも無理はなかった。
 季節はずれ、選抜クラス、特待生──破格の待遇。
 理事長である海棠青野とのつながりを考えても転校生がルナである可能性は高い。
 黄神一族の〈中央本家〉にして、いまやトップスターの仲間入りをはたそうとしている美貌のヴォーカリスト──あのルナティック・ゴールドが1年A組に入ってくる。
 そんな期待で、私立ラ・メール高等学校1年A組はざわめいていたのだった。

 だが、"彼"の心のざわめきは……少し違っていた。
 〈赤〉の一族である"彼"は〈大老の召集〉に呼ばれていない。
 だから、"彼"と〈中央本家〉ルナに面識はない――はずだった。
 でも。
 会っちゃってるんだよな……マズイことに、あんな格好で。
 〈赤〉の宗家の後継候補、赤津哲也は鼻から小さく嘆息した。
 先週まで隣の席にいた哲也の守護職である片平朱鷺は、特待生の転入にともないB組に落とされた。 先日のテストで総合点がクラス最下位だったのである。
 巷でなんといわれているのか知らないが、実は朱鷺が落とされたことはたいして気にしていない。勉強をサボってばかりの幼馴染にはいい薬だ。問題はそのせいでオレの隣が空席になっちまったことだ。 もしも、転校生がルナで、オレの隣に座るとしたら……最悪だ。いっそのこと、オレがB組に落ちるべきだったか。ダメだ、そんなことになったら、〈赤〉の面子は丸つぶれだ。くそっ、やっぱり朱鷺 の大バカヤロー!
 今すぐ、教室から飛び出したい衝動にかられる。
 だって、あの人に判らないはずがないじゃないか、オレが──赤里だってこと。

 遠くで空気を切り裂く音がする。
 ヘリコプターのプロペラ音。
 あんなモノに乗って登校してくるバカは、金持ちぞろいのこの学校でもただひとり、海棠青野くらいしかいない。こそこそテレポートしてくりゃいいのに見せびらかしているのだ、あの 成金バカ理事長は。海棠の力を。体育館の屋上にヘリが着陸した。透視しているらしい〈白〉のヤツらが顔を見あせて、なにやらうなずきあっている。やっぱり海棠のバカボンボンがルナを乗せてきたのか。
 哲也は頭をかかえた。

 ホームルーム三分前、いつもは時間ぴったりにくる担任の白井が教室に入ってきた。
「おはようございます。今日はみなさんお聞き及びのとおり、わがクラスに転入生が入ります。あたたかく迎えましょう」
 心なしか声が緊張している。先生、やっぱりルナなのかよ?
 白井の緊張が伝染したのか教室が静まり返る。
 そこへ、海棠青野があらわれた。足音も声もでかい。いつもながら騒々しい男だ。つづいて対称的に無表情な後白河綾瀬。
 そして──。
 後白河につづいて入ってきたヤツにクラス中の注目が集まる。
 入ってきた男子生徒は、背がすらりと高く均整がとれていて、顔立ちも整っていた。短めの茶髪で瞳も明るいブラウンだが、ルナの学校用の変装と思えないこともない……が。
 なんだ? こいつ、目が泳いでる。
「きょっきょっ、今日からこのクラスに入ることになった、た、高見沢令です。よ、よろしくお願いします」
 うわ……キョドってる。かわいそうなくらい声が裏返ってるよ、この人。
「高見沢君の席は、そこの赤津君の隣だ」
 白井の指示で高見沢令と名乗ったヤツはぎくしゃくとこちらにやってくる。
 うわ……転んじゃったよ。あれが芝居なら芸達者すぎ。
 女子がくすくす笑うのが聞こえる。
 その時、グラリ、と床が揺れた。
 ……地震?
 そこにいた誰もが思った、ちょうどその時。
 教室のドアをあけて、長身の男子生徒があらわれた。絶妙のタイミングで揺れがおさまる。まるで彼が地震を止めたようだ。 クラス中の眼が驚いたように彼を追う。長めのつややかな黒髪に紫のサイドメッシュ、長身に制服のブレザーを粋に着崩したクールな美貌。
 彼は優雅な足どりで高見沢のそばまで来ると、歌うように「おはよう、令くん」と声をかけた。
 黒川透。世界に君臨する黄神大老の後継者。
 これまで学校に一度も姿をあらわさなかった幻の同級生だった。

 こんなヤツ、絶対ルナじゃねぇ!
 それからわずか一分後、哲也は心の中で叫んでいだ。
 哲也の隣に座るなり、謎の特待生はきょろきょろとクラスの女のコを見てにやけているのだ。
 そりゃ、たしかにこのクラスの女子はタレントばっかで可愛い子しかいないけどね。
 周りを見回しながらくるくる変わる高見沢の表情はそのへんのミーハーそのもの で、トップアイドル美木亜梨名を相手に対等にわたりあっていたルナの片鱗もうかがえない。
 もしかして、巧妙な変装かもしれないって疑ったんだけど……これはありえない。こんなバカでマヌケで ミーハーなあがり症の小心者がこの世のものとは思えない儚く寂しげなあの美しい人のわけがない。
 高見沢は後白河の姫を見つけると手なんか振っている。……ああ、バカだ。こんなヤツを一瞬でもあなたかもしれないって疑ったオレは大バカ野郎です、ルナ。
「おい、転校生」
 哲也が声をかけると、高見沢は振り向いてふんわり微笑った。
 ……まあ、顔はキレイだな。
「教科書、持ってんのか?」
「あっ、ああ、一限目、何?」
 女のことしか興味がないのか、こいつは。
「数学だけどさ。あんま、でれでれ鼻の下のばして女の顔ばっか見てんなよな。あんた、ホントにこのクラスに選ばれたのかよ?」
 哲也がそう言うと、高見沢は不服そうに口をとがらせた。
 まあ、よかったけどさ。赤里の秘密がバレなくて。
 ルナには赤里のことを女の子として覚えていてほしいから。


「おはよっ、哲也」
 翌朝、高見沢はこうあいさつしてきた。
「……なんでいきなり名前呼び捨てなワケ?」
 哲也がいかにも不機嫌そうにそれに応ずる。
「だって、当分お隣さんじゃん。ずっと赤津君なんて呼ぶのも堅苦しいし」
 高見沢はまた、ふんわり微笑った。……ホント、こいつって顔だけはキレイだよな。
「あっそ。"タカミザワクン"がそうしたいんならそれでいいよ」
「うっわー、哲ちゃんの意地悪っ」
 おいおい、いきなり哲ちゃんかよ?
「……あのさ、昨日オレのこと助けたとか勝手に思って、なれなれしくすんのやめてくれない?」
「いいじゃんか。オレ、哲也と仲良くなりたいんだから」
「オレのほうはごめんだね。黒川のお稚児さんなんて」
「だから、それは違うって昨日も言っただろ!」
 高見沢は真っ赤になって叫んだ。
「透とはそんなんじゃなくて、ちゃんと友達なんだってば!」
「ああ、それそれ」
「へっ?」
「あの黒川を名前で呼び捨てにしてるヤツなんて、海棠くらいしかいないんだぜ?  昼だって、後白河を含めたラ・メール御三家と仲良くメシ食ってるし。見た感じヤツらのパシリってわけでもなさげだし」
 哲也は高見沢の目を見て、訊いた。
「……あんた、何者?」
「え、お、オレは……」
 高見沢はしどろもどろになる。
「……もしかして、あんたのオーラは黄金色とか」
 じっと目を見つめたまま言うと、高見沢は目をぱちぱちさせて「え……いや、オレのはなんつーかすごくヘンな色で……その……」などと口ごもった。
「なワケねぇよな。あんたがルナなわけがない」
 高見沢はいきなりむせた。オーラの色とかルナって言っただけで、キョドったりむせたり、マジで小心者だ。
「だってさ、高見沢なんていう名家は黄神にはないし。家がたいしたことなくて黒川たちとつるんでるなんて、中央本家じゃなけりゃ、誰かのお稚児さんか、偉いさんの隠し子くらいしか考えられない ワケ。オレ、そういうめんどくさそうなヤツと関わりたくないんだよ。わかる?」
 言って、哲也は高見沢から顔を背けた。
「それって、哲也が〈赤〉の宗家だから?」
 高見沢の言葉に哲也はちらりと視線を戻す。
 ドキッ。胸が鳴った。
 高見沢は……なんともいえない哀しそうな貌をしていた。いつかの、あの人のような。
「だから、〈赤〉の男子がひとりしかいないこのクラスで、誰とも話さないのか?」
「……うるさいな。そうだよ、少なくともあんたが〈赤〉の一族じゃないことはたしかだ。あんただって、心の中じゃ〈赤〉のことを見下してるんだろう?」
「そんなこと、ない」
 高見沢はひどく傷ついたような貌をした。
「とにかく、もうオレにかまわないでくれ。オレだって黄神だ。黒川に睨まれたくない」
「へっ?」
「あいつ、さっきから、こっち睨んでんだよ。ったく、勘弁してくれよな」
「イヤだ! オレ、絶対っ、哲也と仲良くなってやる!」
 高見沢はいきなり立ち上がって叫んだ。
「バ、バカ! クラス中に聞こえてんぞ」
 哲也は頭をかかえる。
「いいじゃん。オレは絶対哲ちゃんと仲良くなるからね!」
 そう言って、高見沢はいきなり哲也にがばっと抱きついた。

『あああああああああーっ!』
 クラス中に声にならない悲鳴が起こる。正確にいえば、クラスの半分以上を占める〈大老の召集〉で高見沢令の正体を知っている黄神子弟たちのテレパシーの悲鳴だ。
『ああ、なんてこった、黄神令が赤津のケダモノヤローに!』
『中央本家ともあろうお方が! なんで〈赤〉なんか!』
『オレは抱きつかれるんならルナちゃんがいい!』
『ちっ、オレだって隣の席なら!』
『赤津め、あとでシメてやる』
『……でもシメたのがバレたら、ご本家さまに嫌われんぞ?』

 そんなこととはつゆ知らず、小柄な哲也はじたばたと叫んでいた。
「は、離せ。離せよ、高見沢っ! 男に抱きつく趣味があんのか、あんたは!」
 なぜか顔が赤くなってゆくのがわかる。
 なんでだよ? オレもこいつも男なのに。こいつはルナじゃないのに。なんで赤くなんなきゃならないんだ。 オレは赤津の跡取りになるんだ。女みたいに赤くなってちゃダメだ。
「離せって! オレは男だ!」
「哲也がオレと仲良くなるって約束してくれたら、離してあげようかなァ」
「なんだよ、それは!」
「高城さんの真似っこ」
 言って、高見沢は悪戯っぽく笑う。
 さっきまでとなんだか雰囲気がちがう。こいつ、よくわかんねぇよ。
「あんた、小心者のくせにかなりワガママだな」
「へっ?」
 高見沢がきょとんとして一瞬力を抜いた隙に、腕をふりほどいて突き飛ばす。
「やっぱ、マヌケだ。詰めが甘いよ、高見沢」
 哲也はふんっと笑った。それを見て高見沢はうれしそうに言った。
「やっと笑った」
「えっ?」
「だって、哲也ってあんま笑わないんだもんな。笑わせたから、オレの勝ちね」
 高見沢がふんわりと微笑うのに、哲也はがっくりとうなだれて呟いた。
「……ンなん、勝負してねぇよ、バーカ」

「あれは……赤津哲也に手を出すなってことなんでしょうね?」
 令と赤津のやりとりを眺めながら、綾瀬が黒川透に向かって言った。
 透は苦虫を噛み潰したような表情のまま答えない。
「令は倉庫での一件以来、〈赤〉に弱いからな。まあ、宗家を取り込むのは悪くないか。赤津の後継選びはうちより読めねぇが」
 青野がらしくもなく、低い声音で言葉をつづる。背を伸ばして以来、こういった時の青野はふだんの彼とは別人のように大人びて見えた。
 透がくっくっと笑った。
「〈赤〉の行く末はもう決まっているよ」
 さらりと、言う。
「かわいそうに、ね」
 その言葉に綾瀬と青野は目を見合わせた。

 そんな不穏な会話がされていることなどつゆ知らず、哲也が訊いた。
「……で、マジな話、あんたのオーラって何色?」
「うーん……秘密」
 高見沢はまた悪戯っぽく笑った。
「なーんだ。仲良くなるとか言っておいて、オーラの色も言えないのかよ?」
「フツーにバラしちゃつまんないじゃん。でも、哲也には絶対教えるよ」
 そう言って、高見沢はまた微笑う。
「楽しみにしててよね、哲ちゃん」
「はァ? なんだよ、それ。それにその、哲ちゃんっていうの、やめろよな」
「やだよ、やめないもんね」
 高見沢はくすくすと微笑った──そんな貌は少しだけ、あの人に似ている。
 そう哲也は思った。

 

Fin

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