ルナティック・ゴールド
       第1部 月下の一群

志咲摩衣


 

14 ルナティック・ゴールド
 


 数日後、令は海棠家のベンツに乗って清原との打ち合わせに向かっていた。天気は令の気分を映したように雲ひとつない快晴。鬼ひげと清原がプロデュースを争うオーディションの本番をわずか二週間後に控えた日の朝だった。
 清チャンこと清原貢が所属する日本屈指の広告代理店『白鳳』の本社ビルは銀座のメインストリートに面 した一等地にあった。
「あ……れれっ?」
 自分と並んでビルの前に降り立った青野を見て、令は首をかしげた。
「青野……って、オレより背高かったっけ?」
 たしか、昨日までは心持ち見下ろしていたはずの青野を、なぜか今はささやかながらも見上げているのだ。
「オレ、まさか縮んじゃったのか?」
 不安げに令は自分の身体を見下ろした。
「バーカ。オレが伸びたんだよ」
 そう言って青野がへへんと自慢げに笑う。
「たった一日かそこらでーっ?」
「清さんが背高いかンな。伸ばしたんだ。目線が同じじゃないと、どうも交渉しにくいんで。ただなァ、あんましでかすぎっと、なーんか老けちまってオレの好みの服が似合わねぇんだよな」
 そうぶつぶつ言う青野は、たしかに渋めのプリントの入った半袖のシャツに生成りの麻パンツといういでたちで、いつもよりちょっと大人びて見えた。
「すっげーっ。〈青〉ってそんなンできるのか?」
「バーカ。念動力者の〈青〉にゃそういう力はねぇよ。だけど〈赤〉と〈黒〉に依頼すりゃ、そんなんすぐだぜ。〈赤〉の変身データを〈黒〉が読み込んでオレのオーラに働きかける。んで、背がにゅにゅにゅーっと伸びるってわけだ」
「アスパラガスみたいに?」
「おい? ……なんで、そこでアスパラガスが出てくんだよ?」
「だって、にゅにゅにゅーって伸びるっていったら、アスパラガスじゃんか」
 美貌の金髪が至極マジメにそう言って微笑う。
 なんだかすっかり脱力して、青野は自動ドアの前で肩を落とした。……やっぱ、このバカより背が高くなってよかった、とひとりごちる海棠の御曹司だった。
 円柱型のドアがすっと割れて、メタリックなホールがふたりを迎える。令は吹き抜けのホールをカーヴを描いてそそりたつ銀色のオブジェを見上げた。その向こうから真っ白いTシャツ姿の清原が手を振って歩み寄って来た。
「ようこそ、海棠さん、ルナ。どうぞ、上のオフィスでお話ししましょう」
 この一見フリーターに見えかねないTシャツ青年が、実は今年で三十歳になると聞いた時には令も青野もびっくりした。
「ねっ? ルナちゃんの倍も生きてるオジサンには全然見えないよねっ?」
 そう言って笑うと、右に八重歯がのぞいていっそう若く見える万年青年の清原だった。

 令が案内されたのは、美容室のような雰囲気の明るい部屋だった。さほど広くない部屋の壁一面 に大きな鏡が並んでいる。
 そこに、若い男が座っていた。
 ……えっ?
 清原を見て立ち上がる男を、令は思わず凝視(みつ)めてしまった。
 ひょろりとした長身痩躯の青年である。明るく染めた長めの髪をラフに後ろで束ね、年の頃は二十三、四といったところか。飄々とした、いかにも業界人といったムードを漂わせている。
 たしかに、かなり格好いいといえる容貌ではあるものの、令は別段、同性のビジュアルに興味があるわけではない。思わず彼に見入ってしまったのには、れっきとした理由があった。
 それは、この青年のオーラの色、だった。輝くような白。まぎれもない、黄神一族の透視能力者──〈白〉の一族の証であった。
 青年のほうも、令を見て眩しいように目を細め、唇の端を僅かにあげて笑った、ように令には思えた。
「おい?」
 青野に小突かれて、令は我にかえった。
「ルナ? 見とれるほど、こいつ、イイ男かァ?」
 清原が冗談めかして言う。
「……すっ、すみません。ちょっと知ってる人に似てらしたもので」
「へーっ、高城(たかぎ)。こんな綺麗どころと知り合いだったんか?」
「残念ながら、ぜんぜん」
 高城と呼ばれた〈白〉の青年は肩をすくめてかぶりを振った。
「彼は、今回アシストに入ってくれるスタイリストの高城隼人」
 清原が紹介すると、高城は黙って小さく頭を下げた。白いオーラがゆらゆらと全身から立ち昇る。
「じゃ、高城。ルナのメイク頼んだよ」
 ……へ……っ?
 清原の言葉で、それまで〈白〉のオーラに気をとられていた令の意識が現実に引き戻される。
 メイク?
「あっ、あのー、清原さん。メイクって? オレ、CMソング歌うんじゃ……」
「そりゃ、もちろん」
 清原は八重歯をのぞかせて笑った。
「じゃ、別に化粧とかしなくても……」
「歌もモデルもルナちゃんだからね」
「へ……っ? モデル?」
「そっ。女性用化粧品のCMだからね。綺麗なルナちゃんならぴったりでしょ」
 そう言って、清原は清涼飲料水のCMノリに爽やかに笑うと、青野を伴ってドアの向こうへ消えてしまった。鏡だらけの部屋には金魚みたいに口をぱくぱくさせた令が取り残される。
 ……女性用化粧品のCMモデルぅーっ? オレが? ジョーダンだろーっ?
 その時、ふっと高城と目が合った。彼は令の顔を見て、上等の素材を手に入れた料理人のようににっこりと笑った。

 令は泣きたい気分だった。
 清原たちが行ってしまってすぐに令は高城からベージュ色のうすものの衣装に着替えさせられた。その後、鏡の前に座らされた令は自分の恰好のあまりの情けなさに泣きたくなった。ピラピラしたうすい布のあいだから、なまっちろい腕や脚がのぞいていて、なんだか嫌になるくらい華奢に見える。メイクのために前髪をピンでまとめあげられ、大きなよだれかけのような布を首から垂らされた日には、もう鏡から顔を背けたくなった。
 ちっくしょー。オレはこれでも男なんだぜ。そりゃ、たしかに今はついてないけど……。
 ここで令は哀しげに自分の身体を見下ろした。十五年間、慣れ親しんできたものの喪失感にはいつまで経っても慣れそうもない。
 でっ、でもっ! いつもはちゃんとつくべきモンだってついてるし……。みんなだって、ルナのこと一応オトコだって思ってんだろーっ? 清原さん、なに考えてんだよォーっ?
「はい、ちょっと顔あげて。ふぅーん、ホント、綺麗な肌だねぇ」
 高城が令の頬にチークをさしながらクスクス笑う。頬を掠めるブラシの感触がなんとも居心地悪い。
「ふんふんふん。ノリがいいねぇ。ふだん、化粧水とかはなに使ってる?」
「………使ってません」
「へぇーっ。じゃ、まさか、フツーのオトコみたいにじゃぶじゃぶ洗っておしまい?」
「……そうですけど」
 高城はヒューッと口笛を吹いた。
「そりゃまた。すごいすごい」
 ……なんなんだよォ。その、フツーのオトコみたいに、ってのは。みたい、じゃなくて、フツーのオトコなんだぜ、オレは。
 そう心の中で叫んではみるものの、今、目の前の鏡に映っている薄化粧を施された顔は、我ながらフツーのオトコとはとても思えなかった。一番ショックだったのは、この性別 不明のメイクが自分の顔にしっくり合ってしまったことだった。
 こんなの、オレじゃない。令はくしゃっと顔をゆがめた。
「ダメダメ、そんな貌」
 ふいに言われて、令は思わず高城を見上げた。
「この世界でやってくつもりなら、メイクも慣れなきゃ。いいかい? タレントは男でもテレビや舞台じゃ絶対メイクは欠かせないんだ」
「でも、みんなはオレみたいにピンクの口紅つけてないでしょう?」
 令は真っ赤になってうつむいた。
「ふーん……ピンクのルージュつけるくらいなら、デビューしたくない?」
「……えっ?」
「甘いなァ。歌だけじゃなくフィルムにも出られるっていうのは顔を売るチャンスなんだぜ。でなくても、あんたのせいで女の子が泣いてるっていうのに」
 驚いて令は顔をあげた。
「オレのせい……? 泣いてる……って、どうして?」
「あんたがフィルムに出ることが決まったせいで、内定していたタレントが降ろされたって話だよ。まあ、仮に押さえてあった歌手は早々に降ろしたらしいし。清原さん、ああ見えて厳しいよねぇ」
「……そんな……」
「ここは、そういう世界なんだよ。スカートはかされなかっただけよかったと思いなさいって」

 清原のオフィスは手狭で、お世辞にもきれいとは言いがたかった。廊下に面 したドアには清原貢のネームプレートが鈍く輝き、その下に『関係者以外立入禁止』と簡単にワープロ打ちされた紙が貼りつけてある。だが、たとえ、このオフィスに足を踏み入れたとしても、ここでどんな企画が練られているかは一見しただけでは到底わかるまい。机の上にはラフらしい紙束が乱雑に散らばっているし、床のそこかしこに雑誌やDVDが山と積まれている。
 だが、清原はそれらのあいだを慣れた足取りですり抜けて、オフィスの中にいまふうの間仕切りで設けられた小さな一室に青野を案内した。そこだけはパソコンとプリンタなどが置かれていて、かなりさっぱりと片づけられていた。
「申し訳ない。どうも、ああしておかないと落ち着かない性分なもんで」
 そう笑って、清原はいったんドアの外に消えた。
「でも大丈夫。だいたいのイメージはもうできてますから」
 言いながらすぐに戻ってきた彼は、足で器用にドアを開け閉めし、給湯室で煎れてきたらしいコーヒーをふたつテーブルに置いた。
「どうぞ、お湯を注ぐだけにしちゃ、結構いけるんですよ、これ」
 実際、透や綾瀬と違ってそういったことにあまり頓着しない海棠の御曹司は、よい匂いのするコーヒーを美味しそうにすすった。まずいものでさえなければ、あるものをそれなりに楽しむほうが青野の性格に合っていたのである。
「本当はフィルムに使う女の子は決まってたんですよ」
 コーヒーをくいっと飲み干して清原が話し始めた。
「だけど、急遽、降りてもらいました。……実は、鬼サンの使う歌手ってのがなんかとんでもない奴らしいんで」
「とんでもないって、どんな?」
 すかさず青野が口をはさむ。
「オレも会っちゃいないんですが、なかなか本気で人を褒めない鬼サンが、もう不気味なくらいゾッコンって感じで。あんな鬼サン、はじめて見ましたよ」
「へーっ、それでルナを振ったってわけか」
 ──だよな。こっちの情報じゃ、オレがルナのことを鬼島雄三に打診した時には、あちらさんだって歌手候補が決まらなくて困ってるはずだったんだ。それが、一歩違いでとんでもない奴が現れて急遽決定しちまったってワケか。でも、〈海棠〉を怒らせたくはないって訳でルナのことはライバルの清原に紹介したってこったな。ふぅーん……。
「ルナみたいに素質のある子をライバルのオレにまわすほど凄い奴らしいんで。オレのほうも路線を変更せざるを得なくなって」
「で? あれでも一応オトコのルナに女性用化粧品のCMモデルをさせようってことになったワケだ」
「海棠さんだって狙ってたんでしょ?」
 言ってニヤリと笑う清原に、青野もただニヤニヤしてみせた。
「ルナの売りは歌の才能だけじゃない。あのビジュアルにもあるんですから、使わない手はないってことで。そうそう、海棠さんにも商品をお見せしなくちゃね」
 清原はマル秘と朱書きされた小さめの段ボール箱をぱっくり開けて、きらきら光るなめらかなフォルムの小物をいくつか取り出した。
 それは、女性用化粧品だった。リップスティックのカバー、化粧水やクリームの蓋など、すべての容器がマットな金色にきらりと光る星のようなラメを散りばめた素材で飾られている。
「結構、洒落てるでしょ? 色もなかなかイイんすよ。もっとも、この色がなっかなか決まんなかったせいで、夏向けCMの企画が六月はじめの、こーんな押せ押せの時期になっちゃったんですけどねぇ。こりゃ、編集が大変だわ」
 言いながらリップスティックのカバーをはずし、くるくる回してルージュ本体を出してみせた。ピンク色のスティックの中にきらきらと細かく光る粒子が見える。
「光ってるっしょ? 今回のはこれがウリなんです。小さすぎず、大きすぎない『きらきら』がなめらかに唇や目元を飾るっていうのが。なんせ、夏向け商品ですからね。ちょっとだけいつもより派手めでしかも上品にってのがクライアントの意向なんすよ」
「派手めで上品……ね。そりゃま、たしかに」
 あんなバカでも一応、神と呼ばれた〈至上の黄金〉だかんな。
「関東から北の人間、特に主力購買層の二十代以上の女性は派手なものに抵抗を感じる傾向があるでしょう。同時期に関西できんきらが流行ってて、関東じゃ渋めがもてはやされるって例がいくらでもある。でも、やっぱりねぇ、なんだかんだ言って東京でヒットしないことにはねぇ。だから、モデルは上品でなくちゃいけない。モデルの品がよけりゃ関東の人間だって、多少派手かなーと思っても品が悪くないからいいやってノリで買えますからね」
 そう言って、清原は青野に向かって八重歯をのぞかせニッと笑った。
 その時、オフィスのドアを開ける音がして、ふたつの足音が響いてきた。
「おっ、来た来た」
 間仕切りのドアを開け、仮説のパソコンルームに入ってきた者の姿を見て、清原は一瞬息を飲んだ。
 金髪の令をすっかり見慣れた青野でさえ、驚きは隠せなかった。
 令……だよな。
 うすものをまとったミルク色の素肌。
 形のよい唇と切れ長の眦(まなじり)は金の粒子きらめく薄紅に染められ、頬にもうっすらと桜色が添えられている。その紅が、美しいとはいっても、ふだんはかなり少年の雰囲気を持つルナを、いっそう妖しく謎めいた中世的な者に変えていた。
「……清原さんっ」
 名前を呼ばれて清原ははっと現実に戻った。
「はっ、はい?」
「ホントにオレ、こんなカッコしなくちゃいけないんですか?」
 心細げにうすものの衣装を手でいじりながら言う。衣装の効果で、本来の令よりかなり着痩せして華奢に見えるのだが、その仕草と声がまさしく少年のものなので、清原はちょっと残念な気がした。
「ダメだね。女性用の化粧品だから。モデルが男っぽくちゃマズイだろう?」
 清原がニッと笑う。その後ろで高城がニヤニヤ笑うのが目に入った。
「……でも」
 令がまだ何か言おうとするのを清原がぴしゃりと遮る。
「それが不服なら君には降りてもらうしかないな」
「えっ?」
「オレのイメージじゃ、君のビジュアルと歌はふたつで一組のものなんでね。君で画(え)が撮れなきゃ君の歌も今度の企画では意味がない。それが理由で、君の前に決まってたモデルにも降りてもらってる。悪いけど、イメージに合わなかったら、そのくらい平気でやるよ」
 そう言って清原は令の顔をじっと見つめた。つい、さきほどまでの柔らかな雰囲気はどこへ消えたのか、口元には神経質そうな皺が刻まれている。
「どうする? ルナ?」
「オレ……」
 降ろす──そう言われて、他に選ぶ道があるはずもない。チャンスはこれきりなのだ。
「……やります」
 そう応えて、令はうつむいた。
「オーケー。じゃ、みんな揃ったところで、CMのデモを見てもらおう」
 清原はパソコンにDVDを挿入した。
 流れるようなタッチでキーボードを操作すると、ディスプレイに黒地に赤で大きくマル秘のマークが浮かび、ぐにゃりと揺れて大手化粧品会社のロゴマークに変化した。続いて、簡単なCG画面 がはじまる。バックミュージックに合わせて長い金髪のキャラクタが踊るように動くのを、令はじっと食い入るように見つめていた──。

「あのさァ、青野」
 肉の焼ける香ばしい匂いが立ちこめる中、ずっと黙りこくっていた令が口を開いた。今夜の夕食は、毎日膨大なオーラを放出する令のスタミナを気遣って、海棠家には珍しい焼肉だった。もっとも、青野自身はかなりひんぱんに街の焼肉屋に出かけているのだが。
「ああ? あんだァ?」
 焼肉を口いっぱいに頬張りながら青野が応える。
「あの高城さんって人……」
「ああ、スタイリストか?」
「……うん」
 令はちょっと上目遣いで青野の顔を見つめた。
「なんだァ? 意地悪でもされたか?」
 青野がゲラゲラ笑う。
「ンなんじゃねーよ。……あの人、〈白〉の一族みたいなんだ」
「へぇーっ。〈白〉か。まァ、タレントは〈赤〉ばっかりの芸能界だが、制作サイドには〈白〉も多いんだよな。……高城、ねぇ?」
 青野は腕組みをして考えるようなポーズをとった。
「やっぱ、知らねーなァ。ま、名前のどこにも白の字が入ってねぇし、大した家じゃねーのはたしかだ」
「……へっ? なに、それ?」
「戦後、日本に移住した時の流行で、名門ってぇのは必ず姓に一族の色が入ってんだよ。黒川とか後白河とか。でなきゃ、名前に入れる。海棠なんざ、成り上がりだから名前に入れてンだ」
「ふーん……そっかァ」
 その時、ドアをノックして蝶ネクタイの男が入ってきた。
「お食事中、失礼いたします。黒川様がお見えになられました」
「えっ? 透っ?」
 令の貌がぱっと明るくなる。
 すぐに、焼肉の匂いに貌をしかめながら黒川透が入ってきた。
「青野。屋敷で焼肉はやめたほうがいいんじゃないか? 家具に匂いがつくぞ」
「ンなこと言ったってな。こいつ、バカみたいに食うんだぜ? オレ、外じゃ恥ずかしくってよ」
「青野っ! おまえだって、同じくらい食うじゃんかよォーっ」
 ぎゃあぎゃあ騒ぐ令を見て、透は微笑んだ。
「お腹をこわすんじゃないよ、令くん」
 言いながら、令に小さな包みを渡す。
「わっ、お土産か? 開けていい?」
 令ががさごそ包みを開けると中に数個の焼き菓子が入っていた。
「わっ、うまそーっ!」
「……透。アレの由来を訊いてもいいか?」
 青野が鼻にしわを寄せて言う。
「由来とはなんだ?」
「どこの菓子職人がつくったとか……あんだろ?」
「ああ。パリのピエール・モンリュソンにつくらせた」
「知らんが、それって、すげー職人なんじゃねーの?」
「今、焼き菓子だったら一番だろう」
 透の一番はむろん世界で一番ということである。
「あいつ、そんなのぜんぜんわかんないで食っちまうぜ」
「おーい、ふたりともォ。早くお菓子食おうぜ」
「ほら」
 青野が透をちらっと見る。
「喜んでるじゃないか」
 透は楽しげに微笑んだ。
「で? 令くん。オーディションは順調か?」
 別室で紅茶を飲みながら透が切り出した。
「う……うん。いいんだけど……」
 令は赤くなってうつむいた。
「こいつ、すっげー化粧映えするんだぜ」
「ほう。それは見てみたいな」
「いっ、いいよっ。あんなん、見なくたって」
 令はふだんの姿に戻っているので、なおさらあの恰好が恥ずかしく思えた。
「メイクした顔が恥ずかしかったら、これは演技しているんだと自分に言い聞かせたらいい」
「へっ?」
「高見沢令だと思うから恥ずかしいんだよ。別人だと思ってごらん」
 透はくすっと笑った。
「それから、『へっ』はやめなさい」

 帰り際、透は青野にそっと耳打ちした。一瞬、青野の目が険しく光る。
「じゃーなァ、透。また遊びに行くから」
 無邪気な令の声を傍らで聞きながら、青野は黙って透のコルベットを見送った。
 令がメイクを恥ずかしがっていることを知っていて現れた絶妙のタイミング。たしかに、透は〈中央本家〉をいつも見ている。
 耳打ちされた言葉は『抜け駆けするなよ』のただ一言だった。
 オーディションを受けさせることまでは、一応連絡しておいたんだが。逐一、報告しなかったのがお気に召さなかったのか──。
 てやんでえ。オレは奴の部下じゃねぇ。成り上がりのどこが悪い。
「どうしたんだ? 青野?」
 令が首をかしげて訊いてくる。
「なんでもねーよ。おらっ、風呂入ってさっさと寝ろ」

 次の日、打ち合わせにやって来た令を、オフィスに向かう途中で高城隼人が待っていた。
 あ……なんだか、イヤーな予感がする。
「おはよう、ルナ」
「おはようございます、高城さん」
 あいさつもそこそこに、高城は有無を言わさず令の腕をさっと取った。
「じゃ、早速メイクしよーか」
「えっ? あっ、あのー、今日は歌の打ち合わせじゃ……」
「そうそう。でも、オーディションまであまり日にちがないじゃない。早くメイクに肌を慣らさなきゃね」
 にっこり笑って、令の腕をがっしり捕らえたまま、口笛を吹き拭きメイク室に向かう。
「あっ、あのォ、高城さん。みんな見てるけど」
「気にしない、気にしない」
 長身のふたりが、腕を組んで歩く様は社内を行く人々の目をひいた。金髪の令はもちろん、高城もかなり整った容姿をしているため、なんとなくアブナイふたりのようである。
「あのー、オレ、逃げませんから」
「ふーん……オレと仲良く腕組んで歩くのがイヤなの?」
 高城はわざとらしく傷ついたような表情をする。
「いっ、いえ、そーゆーんじゃ……」
 気まずい沈黙。
「……あのー」
「今度はなんだい?」
「衣装のことなんですけど……」
 ほーら来た、とばかり、高城はふふんと笑った。
「ダメダメ。あれは清原さんのイメージなんだから、変更はできないよ」
「いえ、オレ思ったんです。昨日デモで見せていただいたイメージなら、もう少し派手にしたほうがいいんじゃないかって」
 高城の足が止まった。そして令のほうへ向きなおる。
「派手ってどんなふうに?」
「もうちょっと、光り物みたいなアクセサリーとかつけたほうが映えるんじゃないかって……」
 高城は驚いたように令を見た。
「あんた、そーゆーのイヤじゃなかったの?」
「……そりゃ、オレ自身はそーゆーカッコすんの、好きじゃないんだけど」
 令は口ごもった。
「客観的に見て、清原さんが見せてくれたイメージなら、そのほうかいいんじゃないかって……」
「いいの? それ、採用されちゃったら、あんたがやるんだよ?」

 相変わらず肌にべたべた感じるメイクは気持ちのよいものではなかったし、ピラピラする衣装から脚が見え隠れするのには気が滅入ったが、令は透の言ったように、鏡に映る姿を自分が演じている他人と思おうと心に決めた。いったんそう思ってしまえばピンクの口紅もそう気にならない──ような気がする。
「こうすると、いいんじゃない?」
 ふたりはルナが身につけるアクセサリーを選んでいた。長いチェーンが何本も垂れ下がったイヤリングと、全身に細い金のチェーンをまとうのが令のイメージだった。チェーンには大粒のゴールデンパールを散りばめる。今日は急ごしらえのデモ用ということで、会社にあった金色のネックレスを何本もつなぎあわせて全身にコーディネートしていった。
「へぇーっ。あんたって、ちよっとそーゆーのつけただけですごく映えるんだなァ」
 高城は、目の前のルナを自分の作品のように惚れ惚れと眺めた。それからふいに令の顔をのぞきこんで、まったく脈絡のないことを訊いてきた。
「あんた、彼女いる?」
「……へっ?」
 一瞬、令は呆然としてから目をぱちくりさせて高城の顔を見た。
「好きなコだよ。つき合ってるコとか、いる?」
 もう一度繰り返して、わざとほつれるように結った明るい褐色の髪をかきあげる。
 令の心の中に赤いオーラと黒い豹の影がよぎる。高城から視線をそらし、鏡をちらりと見て下を向いた。
 やっぱ、黒豹が彼氏なんだろうな……。
 令がうつむくと全身につけた金のチェーンがさらさらと音をたてる。
「いないよ。そんなん、いるワケないだろう」
 令の言葉に白いオーラがゆらっと揺れる。
「嘘ついてるんじゃない? いるんだろう?」
 うつむいた令の長い髪がするりと肩から落ちて、白くのぞくうなじがみるみるうちに赤く染まる。
 そして、ぽつりと言った。
「好きなコなら……いるけど……ぜんぜん、片想い……」
 声が掠れている。
 そんな令を、高城は目を細めて不思議そうに見つめた。
「片想い? そりゃ、どうだか。相手に訊かなきゃわかんないよ」
 言われて令は顔をあげた。
「あなたは? 高城さん」
「えっ?」
 ふいを突かれたように一瞬目をみはってから、高城はふっと笑った。
「いるよ。こっちもたぶん片想いだけど、ね」
 細い金鎖が、しゃらん、と鳴った。

「へぇーっ、そりゃいいな。誰の発案だ?」
 金色のチェーンで飾られた令を見て清原は言った。
「清原さんのデモを見て、ルナが考えてきたんだよ」
 すかさず高城が言って、ふふんと笑いながら付け加える。
「コーディネートにはオレも一役買ったけどね」
 令が音楽ディレクターから歌のレッスンを受けているあいだ、金魚鉢と呼ばれる防音ガラスの外側で、清原と高城はスピーカから流れる令の歌を聴いていた。
「オレさ、やっぱりルナの歌って好きなんだよな」
 清原が傍らの高城に話しかける。
「なんか、切なくて、ね」
「……オレも好きですよ」
 高城も呟くように応える。そんなスタイリストの生真面目そうな横顔を見て、清原はもぞもぞと口を動かしたが、どうも言葉にならないらしい。
「なんです?」
 察した高城が水を向ける。
「……ルナは海棠さんが君を寄こしたって知らないんだろう?」
 高城はひょいと肩をすくめてくすりと笑った。
「教えたら、よけいな依頼心を起こさせるだけでしょう。海棠はルナをびしびし鍛えるつもりらしいですよ」
「……まァ、君がここに来たのはそれだけじゃないだろうがな。ルナをフィルムに出すよう、それとなーく熱心に勧めてくれたからねぇ」
「あれ? そんなことしましたっけ?」
「若いのに食えない男だなァ。ルナに対しても君、憎まれ役ぜんぶ買ってでてるだろう? 海棠さんの指示なら、その分のギャラはちゃんと請求しろよ」
 白いオーラの男はくすくす笑った。
「そりゃ、ごもっともで」
 それきり、ふたりともしばらく口を開かなかった。
 令の甘く切ないラブソングが流れる。
 うつむいて、真っ赤に染まった白いうなじ。
『……ぜんぜん、片想い……』
 掠れて、震えていた綺麗な声。
「まいった……な」
 あんなふうに、〈中央本家〉に好かれて落ちない女の子がいるわけないじゃないか。
 高城隼人と名乗った後白河綾瀬は雄弁な溜息をついた。

「おーい、令っ! 令ィーっ?」
 清原と鬼島がプロデュースを争うオーディションを、いよいよ明日と控えた日の夜、後白河ましろから電話が入った。令に話したいことがあるという。
「あーったく、あのバカ。どこ行ってんのやら。悪ィな。折り返し、かけなおさせっからよ」
『ううん。いないならいいんだ。……綾瀬も心配することないって言ってたし。ごめんね、青野』
 受話器の向こうから耳をくすぐるようなかわいい声が響く。
「いいって。あのバカ。ケータイ置きっぱなしで、おおかたトイレにでも入ってんだろう。まーったく、間の悪いヤローだぜ」
 電話口でぶつぶつ言う青野の後ろで、蝶ネクタイの男がさっと膝をついた。
「ご本家さまでしたらあちらです」
「はァーっ? あっちっつーたら、竹藪のほうじゃねーか」
『……もしかしたら、高見沢、気づいてるのかもしれない……』
 ましろが呟く。
「何を?」
『ふたつの、月』
「えっ?」
『なんでもない。じゃね、青野』
 そう言って電話は切れた。ツーッ、ツーッという音が深い溜息を誘う。
 ──相変わらず、つれないなァ。
 後白河ましろが〈白〉の姫と呼ばれているのは、黄神一族にとって貴重な女性というだけからではない。彼女は黄神の中でも〈白〉の一族だけにごく稀に現れる〈見者〉──予知能力者なのである。
 そういや、あやちゃん、言ってたっけか? ここんとこ、ましろが変な夢を見るらしくて困るとか。
 もともと変身能力があるわけではない後白河綾瀬は、例の青野が身長を伸ばした方法で高城隼人に姿を変えていた。便利な方法ではあるのだが、専門の術者を必要とするので自力で元の姿に戻れない。そのため、今は旅行と称して家に帰っていないらしい。
 頼りになる兄貴がいなくて、令ンとこに電話してきたってわけか。
「こりゃやっぱ、本人に電話させるっきゃねーな」
 芝居めいた仕草で青野がぽんっと手を叩く。
「しかしながら、青野様。今、ご本家様のもとへは行かれないほうがよろしいかと」
 さきほどから控えている蝶ネクタイが口を開く。
「いいんだよ。天下のましろ姫が話したいっておっしゃってるんだ。男として、た・い・へ・ん、結構なお話じゃねぇか。へっ」
 眉間に青筋をたてたご機嫌斜めの若様を、それ以上止める勇気は彼にはなかった。
 海棠邸の北側にはむやみに広い竹林があるだけだ。アールヌーヴォー調の洋館の背景に純和風の竹林──このセンスが青野には幼いころから謎だった。まあ、毎年、大好物の美味しい旬の筍にご相伴にあずかれるということでよしとしている現実主義者の海棠の御曹司であった。
 ブロンズのオブジェが見下ろす庭園を抜けると、遠くの竹林の中にぼうっとした光が見えた。薄闇の中、さやさや揺れる竹林が淡く浮かび上がる。
 林に足を踏み入れると、竹の青い匂いが鼻孔をかすめた。
 そういや、ここに来るのは何年ぶりだ? なにも知らないガキのころは、ここで他の兄弟たちとよく遊んだっけか。へへっ、青時のバカはよく竹の根っこにつまずいてころんでたな。
 光に近づくうちに、竹のさやさやという葉音に混じって、かすかに令の歌声が聴こえてきた。
 歌、といってもそれに詞はなかった。メロディを、ただつれづれに歌っているだけだ。気がつくと、そよとの風もないのに、歌にあわせて竹の葉が鳴っている。まるで、囁き交わすように。
 さやさや、さやさや。
 さやさや、さやさや。
 柔らかな黄金色の光の中心に令がいた。軽く竹に身をあずけ、素足のまま、令は竹林に語りかけるように歌っていた。
 らしくもなく、頼りなげな青野の声に気づいたのか。令の瞳がふいに声の主をとらえ、うっすら微笑った。竹が突風にあおられたかのように、ざっ、と鳴った──。
 薄闇の中、黄金色に光る瞳。
 ち……がう?
 これは、令じゃ、ない。
 不思議と青野は恐ろしくはなかった。だが、なにかが彼に告げていた。これは触れてはならぬ 光景だと。
 青野はそのまま足早に竹林をあとにした。

 その日は朝から霧のような雨が降っていた。
「やーだなァ。雨降ってっと、化粧のノリがいまいちなんだもんなァ」
 オーディション当日の朝、窓の外を見ながら令がぶつくさぼやく。
「なに言ってんだ? おめぇ、あんなに化粧すんの嫌がってたくせに」
 青野が呆れ顔で令を見た。
 化粧のノリだってぇ? こいつ、ホントに夕べのアレと同一人物かよ?
「だってさー、化粧のノリがよくねぇと、高城さんの機嫌が悪くなんだもん。えーっと、こっち先につけるんだっけか? あー、めんどっちィ」
 令の前には数本の丈の高い瓶が置かれていた。せめて、基礎化粧品くらいは毎日使えと高城から半ば脅迫されたのである。
『あんたの肌にニキビなんか、ぜーったい許さないからな。いいね、さ・ぼ・る・ん・じゃ・ないよ』
 最後のセリフだけ妙にドスが利いていたのが、いまだに恐い。
「あっ、そうだ、令」
 青野は今思いついたというように口を開いた。令はコットンでぴしゃぴしゃ顔をたたきながら青野のほうへ身体を向ける。
「おめぇ、夕べ、裏の竹藪で……」
 あれをなんと表現してよいのかわからず言葉が途切れる。
「竹藪?」
 まだ金髪になっていないふだんの姿の令がきょとんと青野を見た。
 薄闇の中、黄金色に光る瞳──。
「いや、なんでもねぇ」
「なんだよォ?」
「へへっ、それより、面白そうだな。それ、オレにもやらせろや」
 青野はニヤリと笑うと、いきなり令に襲いかかり、ぴしゃぴしゃ頬をはたいた。
「いってぇ! ただ、たたけばいいってモンじゃねーんだよ! おいっ、青野!」

 コーヒーのよい匂いが狭いパソコンルームにたちこめる。令、清原、高城の三人はオーディション直前の最後の打ち合わせをしていた。
「で、最後になるんだけど、ルナ」
 清原が頭をかきながら声をかけてきた。
「実は今回の企画、商品名も考えなきゃならなくてね」
 いったん話を切って、また頭をかく。
「でね。君で企画をやってるうちに、どうも、この商品イコール君のイメージになっちゃって。早い話が、君の芸名にしたほうがいいんじゃないかって、商品名になっちゃったんだ」
 言って、反応を確かめるように令の顔をちらりと見た。事情が飲み込めていない令は、実はきょとんとしているだけだったのだが、幸か不幸か、整いすぎたその顔立ちのせいで他人から見るとツンとすましているようにしか見えない。清原は少し汗をかいた。
「あっ、別に気に入らなきゃ、使わなくていいんだよ。うん、もし気に入ったら使ってくれればいい」
 つまり、清原はルナの芸名を考えてくれたらしい。
「ちょっと、意味がナンだし、もしかしたらイヤかもしれないんだけど……」
「どんなのなんです?」
 なぜか赤くなっている清原に令がじれる。
 それへ、清原はまるで秘密の名前でもうち明けるように、口の横に手で壁をつくってそっと告げた。
「……ルナティック・ゴールド」
 その名前を耳にした瞬間、令の脳裡に忘れかけていた何かが閃いた。
 そんな──気がした。

 


 

HOME



Copyright(C)2004, Mai. SHIZAKA. All rights reserved.
本作品の著作権は志咲摩衣に帰属するものであり、無断転載・再配布を禁じます。