ルナティック・ゴールド
       第1部 月下の一群

志咲摩衣


 

2 第一次関門

 

「オレは不正入学なんて絶対イヤだからな」
 BMWのふかふかの座席で、令は隣の男から目を逸らすようにして言った。隣の男、後白河綾瀬はそんな令をちらりと横目で見て、ちょっと複雑そうな表情をした。
「別にね、不正ってわけでもないんですが」
「何のためだかわかんないけど、金を積んだか、圧力かけるかしたんだろうが。オレはそういう汚いのは絶対ゴメンだ」
「あそこの経営者も黄神でね」
「やっぱり。大老のお気に入りとかいうのの圧力かよ」
「まあ、話を聞いてください。ぼくはあなたのオーラの話を彼にしただけなんですよ。それだけで話は決まりでした」
「あんたみたいに目がいいとかで役に立つわけでもない、地震しか起こせない傍迷惑なオーラのどこがいいんだよ?」
「……黄金色のオーラは失われた〈中央本家〉の色なんです。黄神が四つに分かれる前の」
 狂おしい憧れの色、と綾瀬は口に出せなかった。はじめて壇上から令のオーラを見た時には胸が灼かれる想いがした。情報として耳に入ってはいたものの、揺らめき炎の如く舞い上がる黄金色のオーラがこれほど他の黄神と違っていようとは夢にも思わなかったのだ。嫉妬──馴染みのない感情が綾瀬の中に芽生えた。
「あなたのオーラはすべての可能性を秘めているんです。ほら、スポーツの盛んな学校でよくこれから伸びそうな選手を特待生にするでしょう。それと同じに考えてくれればいいんです」
「でも……」
「それにあなたのIQを調べさせてもらいましたが、ラ・メールの生徒の平均値より高いですね。努力が足りないんじゃないですか。もしかして、あなた、すごくカンがいいでしょう? 駄 目なんですよ、黄神は。それで怠け者が多いんです」
 どうも高見沢相手だと言葉がきつくなるな。まあ、いい。黄金のオーラの持ち主だ、このくらいなんでもないさ。
「大丈夫、絶対赤点なんて取らないように特訓してあげますから」
 綾瀬はにっこり笑った。

 翌朝、ふかふかのベッドの中で令は自分がどこにいるかはっきりつかめないでいた。
 ……あれぇ? なんでこんなとこにカーテンが? うう〜ん、ま、いっか。もちょっと寝てよ。
「高見沢、高見沢」
 ……うう〜ん。
「高見沢令ッ、起きろッ。……ったく、寝かせておけばもう一時過ぎだ。一応、客として扱ったぼくが馬鹿だった。高見沢ッ、おい、こらッ、起きろッ」
 綾瀬が天蓋のカーテンを引いて見ると、幸せそうな寝顔から湯気のように黄金色のオーラが立ち昇っている。〈至上の黄金〉がこんなガキだとは。歯がみしたくなる綾瀬だった。
「わたしが起こしてあげようか?」
 突然後ろから声をかけられて、さすがの綾瀬もドキリとした。
「驚かせてしまったかな。妹さんからここだと聞いたんだが」
 髪に紫のメッシュを入れた男、黒川透がそこに立っていた。
「……そうですね、お願いしましょうか。あなたの《声》だったら、いくら彼でも目を覚ますでしょうから」
 綾瀬はにっこりしたが、実を言うと黒川は彼にとって最も苦手な人物だった。そんな内心はおくびにも出さず、何気ない風を装って綾瀬が見ていると、黒川を包んでいるオーラが揺らめきだす。〈黒〉の一族のオーラは鮮やかな紫色である。
 ふ……ん、見せびらかしてるな。
 紫の光の波はふわりと弧を描いたと思うと一瞬動きを止め、狙い定めたように令の頭を貫いた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
 後白河邸に絹を切り裂く令のおたけびが響き渡る。
「ちょっと可哀想だったかな」
 さして感じた風でもなく黒川が言う。令はといえば、ベッドの上でがばっと跳ね起きたものの、ただ息を弾ませて目をぱちぱちさせているだけである。
「いっいっ……今のは……なっな……ハァ、ハァ」
「おはよう、高見沢」
 綾瀬がにっこり笑って令の顔をのぞき込んだ。
「ぎゃあぁッ」
 化け物にでも遭ったように令が思わずのけぞる。
「なんでお前がここにいるんだよぉ?」
「なんでって、ここはぼくの家なんですが?」
「へっ……?」
 ゆるゆると記憶が甦ってくる。そうだ、オレはまんまとハメられて転校することになって、当分はこのラ・メールが用意するといった特別 な寮、すなわちにっこり野郎後白河の家に居候……。すっかり令が憂鬱な気分に陥っているとくすくす笑う声がする。顔をあげるとあの時のメッシュと目が合った。
「あれ? あんた、たしかこの前の……」
「黒川透だ、令くん」
「へぇっ、あんたら一緒に住んでるわけ?」
 これには綾瀬と黒川、両者がムッとした。
「黒川君は今日ぼくの家を訪ねてきただけですよ。だいたいもう午後の一時すぎなんです。来客があってもおかしくない時間でしょう」
「だって、ここんとこずーっとあんたのおかげでゴタゴタしちゃってんだぜ、オレ。ちょっとくらい寝かせてくれたっていいじゃんかよ」
 令が拗ねるようにそう言うのを黒川が微笑んで見ている。
 ははーん、なるほど。それで突然のご来訪というわけか。綾瀬が片眉をちょっとあげて納得する。さもなければ、我が家に寄りつくわけがない。
 その時、ドアをノックする音がした。入って来たのは、品のいい淡い薔薇色のスーツに身を包んだ女性だった。
「あやちゃん、忘れ物よ」
 そう言って、綾瀬のものらしいシルバーブルーの携帯電話を差し出す。
「ああ、母さん、ありがとうございます」
 綾瀬は携帯のディスプレイをちらりと見て「ちょっと席を外します」と出ていった。
 令は一瞬、なにがなんだかよくわからなかった。おっとりした声でその女性が言った『あやちゃん』が、紛れもなく『綾瀬』の愛称だということに気づくのに数秒かかったのだ。
 『あやちゃん』、アレが『あやちゃん』だって? うそだろ〜っ? やめてくれぇ。
「あら、黒川さん。ごきげんよう」
「ごきげんよう、後白河夫人」
「ごめんなさいね、たった今、旅行から帰って来たばかりでご挨拶が遅れてしまって。あの、失礼ですけど、こちらの綺麗なオーラのかたはどなたかしら?」
 夫人がにっこり笑って令のほうを見る。
「高見沢令君です。先日の大老の召集で綾瀬君とすっかり仲良くなってしまいましてね」
 黒川がさらりと言う。
「まあ、高見沢君、よろしくね。綾瀬の母です」
「いっいえ、こちらこそ、後白河君には大変お世話になっております」
 つい、心にもないことを言ってしまう令だった。
「それにしても綺麗なオーラをお持ちだわ」
 夫人はうっとりしたように言う。
「は……はぁ」
 この綺麗なお母さんにもオーラとやらが見えるらしい。でも、このおっとりした人からどうしたら後白河みたいなのが生まれるんだろう?
「どうぞ、おふたかたともごゆっくりしていらして下さいね。今、お食事をご用意しますわ」
 にっこりして夫人が部屋を出ていく段になって令はようやく気がついた。自分がまだパジャマ姿で頭はぼさぼさのとんでもない恰好だということに。

 食後の美味しいクレーム・ブリュレを食べ終わっても、令はとても憂鬱な気分でいた。
 あーあ、オレ、これからどうなっちまうんだろう? なんか、いつのまにかあの野郎の言いなりになっちゃって。ちょっと人より頭がいいからって何様だと思ってるんだよな。ああ、これからはもう絶対、後白河製薬の薬なんて飲まねぇぞ。
「見返してやればいい」
 同じテーブルで静かに紅茶を飲んでいた黒川透がふいに口を開いた。『あやちゃん』はさきほど部屋を出てから帰ってこないので、今部屋の中にはふたりきりである。
「あれとて君にはかなうまい」
「へっ?」
 唐突に切り出されて話がつかめず、思わずハニワになってしまう。
「誰が誰にかなわないって」
「後白河のあやちゃんは高見沢令にかなうはずがない、そう言ったんだが」
「あっあのぅ、もしもし?」
「ただし、君が本来の能力に目覚めたらの話だが」
 黒川が令の顔をじっと見る。長い前髪が右目を隠しているので令から見えるのは左目ひとつだけだ。両耳に赤いピアスが光る。
「オレには超能力なんてないぜ。そんなモン欲しくもねぇし」
 つい、目を逸らして令が言う。
「君は何かを隠しているだろう?」
 ギクッ。
「たとえば黄金色の波」
 ギクギクッ。
「……オーラのこと?」
 まさか親でさえ知らないことをこいつが知っているはずがない。
「しらばっくれても無駄なことだ。君はここまで来てしまった。これからは黄神以外の何者として生きることもできないんだ。いい加減に正体を顕わしてしまったらどうなんだ」
「正体だなんて人を化け物みたいに言うのはよしてくれ」
 令は小さく叫ぶように言った。
「化け物かもしれんな。黄神はもともとヒトではないから」
「……えっ」
「天空から降り立ったとも、ヒトより先にあった種だとも言われているが。いずれにせよ、ヒトと異種であることは間違いない。話してあげようか、一族の歴史」
 令は答えなかったが黒川は勝手に話し始めた。
「その怒りは天を衝き、地を引き裂いたとも言われる」
 黒川の落ち着いた声がよく響く。
「人々は目映い黄金色のオーラをまとったその人を畏れ敬い〈神〉と呼んだ。賢く見目麗しいその〈神〉もまた人々をよく導いた。農耕は〈神〉がヒトに与えた知識のひとつだと言われている。〈神〉はあらゆる点でヒトより優れていたが、生物としては致命的な弱点があった。繁殖力が非常に低かったのだ。自らが滅びゆく種であることを悟った〈神〉は子孫を残すためにヒトと交わらねばならなかった。だが、ヒトから生まれた混血の子らには〈神〉の力のすべてを受け継ぐことは出来なかった。〈神〉のものである黄金色のオーラを持つ子供は生まれず、〈神〉の死とともに黄金色のオーラは失われた。とは言うものの、〈神〉の子らにはそれぞれ少しずつ先祖の力が分け与えられていた。たとえば白く輝くオーラを持つ者には物理的透視能力やオーラを見る力が備わっていた」
 ここで黒川は紅茶を口にした。令は興味ない風を装っていたものの、実際は全身耳になっているような有様だった。
「だが、数世代にひとりほどの僅かな確率で黄金色のオーラを持つ者が現れるんだよ」
「うちの親は黄神じゃないぜ」
 令はそっぽを向いたまま言った。
「日本のような狭い島国では誰だってどこかの世代に黄神の力持っている。強く出るか、出ないかの差だけだよ。遺伝の不思議ということか。まあ、今の黄神は混血だからヒトと言えないこともない。だがね、令くん、君に限っていえば黄神の血のほうが強い。ヒトとはほど遠いんだよ、君は。自分でもよく分かっているだろう」
「お、オレは普通だッ。変わったとこなんて、ぜんッぜんないからな」
 地震はともかくアレにはここんとこすっかりご無沙汰なんだから。もう一生あんな目に遭いたかない。
「〈アレ〉か、それこそ黄神だ」
 黒川が嬉しそうに笑った。
「……お、おまえ、もッもしかして」
 令の血の気がさーっと引いた。
「失礼。君の思考は強すぎて飛び込んでくるんでね。読むつもりじゃないんだが」
「ひ、人の心が読めるのか」
「これからは〈黒〉の一族と出会ったら気をつけたほうがいいと思うな」
 バレた。アレだけは誰にも知られたくなかったオレの秘密。イヤだ。絶対、あんなモノになりたくない。
「わたしは無理強いはしないがね。でも、今のままじゃ後白河どころか、黄神の血をほんの少ししかひいていないような輩にさえ勝てないと思うよ。まあ、明日が楽しみだな」
 黒川はそう言って微笑んだ。

 別に黄神の中での位置なんてどうだっていいじゃないか。
 翌朝、無理矢理押し込まれたBMWの中で令は思った。
 たしかにオレは黄神の血をひいているのかも知れない。だけど……。
 窓の外、人々が列をなしてバスに吸い込まれるように乗り込むのが見える。
 負けて、多少バカにされたってアレを見られるよりはマシだ。オーラを持ってるだけで使えないことがわかれば、こいつらだってオレに構わなくなるはずだ。
 そう思うと、なんだか胸のあたりがキュッと締めつけられた。
 黄神邸にはすでにたくさんの人間が集まっていた。ツンツン頭が手を振っている。
「おっせぇなァ。どうせまた〈中央本家〉が寝坊でもしたんだろう」
 令のほうを見てニヤニヤしながら言う。令がなにも答えないでいると、
「どうしたの。お姫さま、ヤケに元気ないじゃん」
 そう言って顔をのぞき込んだ。
 ムッカーッ。令の平手が海棠の頬を直撃した。
「だっ、誰がお姫さまだって言うんだよッ」
「いってぇなァ、結構元気じゃんかよッ」
 言い終わらないうちに海棠のこぶしが令の頬に飛んだ。令が三メートルは吹っ飛ぶ。
「オレに喧嘩売るなんざ百年はえぇんだよ、へっへ」
 ショックで少しの間、令は立ち上がれなかった。
 なんだ、今の。普通のこぶしの衝撃なんかじゃない。これは──。
「喧嘩は相手を見てからするものだよ、令くん。青野(せいや)とはわたしだってやりたくない」
 低くてよく響く音楽的な声に令が顔を上げると、黒川がハンカチを差し出している。令はきっぱり無視して立ち上がろうとしたがよろけてしまう。
「まだ無理なんじゃないかな。〈青〉のオーラの直撃をくらったあとじゃ」
 不本意にも黒川に支えられる恰好になる。
「〈青〉は念動力のエキスパートだからな。オーラをぶつけてくるんだよ。ほら、口のはしが切れているよ」
「ったく、黄神てのは傲慢野郎の集団かよ。ちくしょう、口くらい自分でふけるッ」
 情けなくて泣きたくなる。どいつもこいつもバカにしやがって。海棠は何事もなかったみたいに後白河と大笑いしながら話している。まわりを見るとなんだか冷ややかな視線が自分に集まっている。そっか、この中にはオレのオーラが見える奴も、オレの考えてることが読める奴もいるんだっけ。
「大丈夫、普通の〈黒〉は表層意識しか読めないものだから、それを逆利用してだますことだって出来る」
 黒川がまた話し掛けてくる。
「ほら、じいだ」
 黒川の言うとおり、『じい』がマイクを手にして現れた。
「皆様、本日はお集まり下さいましてありがとうございます。さて、第一日目の本日、皆様に行っていただく競技は屋内コートでの庭球でございます」
 周囲がざわめく。
 ていきゅう? なんじゃそりゃ。
『テニスのことだよ、令くん』
 黒川の声が頭に響く。
 ……えっ?
『精神感応──テレパシーというやつだ。今、わたしは君の心に直接話し掛けている』
 実際に話す声と同じ低くてよく通るいい声だ。
『お褒めにあずかり恐縮だな。くすくす』
 …………。
「──しかし、ご承知の通り、通常の庭球競技ではございません。黄神の力を存分にお使い下さい。方式はダブルス。グループ四名のうち、二名様ずつ二組のペアになっていただき、一回戦ごとに抽選で相手を決め対戦していただきます。ただし、先にいずれかの組が敗れた場合、勝ち残っているほうの組も失格となります。勝率、セット数などを計算した上で、本日の結果 により半数のかたにお帰りいただくことになります。皆様のご健闘を心よりお祈りいたします」

 グッパで令と黒川、綾瀬と海棠がそれぞれペアになった。
 なーんだ、なんか特別なことでもやるのかと思ったらテニスか。変な一族にしちゃまともじゃないか。
 令はちょっとだけ拍子抜けしていた。
「綾瀬ーっ」
 野郎どもをかき分けて女の子の声がよく響く。思わず見ると、すっげー超カワイイミニスカートにショートボブの子が駆けてくる。ちぇっ、後白河のカノジョかよ。
「ましろか。今日は競技者以外、立入禁止じゃないのか?」
 綾瀬の表情がほころぶ。
「審判なのよ、わたし」
 そう言ってあごをつんと上げた仕草が生意気そうだけどやっぱカワイイ、と令は思ったが悔しいのであんまり見ないようにしていた。
「ね、こちらが高見沢?」
 彼女がふいに令を見る。
「噂通り、キレイ」
「あっあの〜」
 どうせ褒めるんなら、イケメンとかカッコイイとか言ってくれればいいのに。
「ああ、高見沢君ははじめてでしたか。妹のましろです」
 ……へっ?
「黄金色のオーラがこんなにキレイだなんて」
 妹ォ〜ッ? なんでこいつにこんなにカワイイ妹がいるんだ?
「じゃ、みんながんばってねーっ」
 スカートをひるがえして彼女は行ってしまった。気がつくと、周りの野郎どもがみんな彼女の後ろ姿をボーッと見送っている。中でも特にでれーっと見ていたのはツンツン頭の海棠青野だった。

 一回戦がはじまった。抽選で綾瀬と海棠のコンビが第一試合をすることになった。
「黄神式テニスというのをよく知っておいたほうがいい」
 黒川があの音楽的な声でそう言って、令をギャラリーの一番いい席へ連れていく。うしろから押されてぶつぶつ言っていた奴らが、黒川の顔を見るなりそそくさと道をあける。こいつ、何者なんだ? 黒川なんて名前のでかい会社あったっけ? オレの考えなんて読めているはずだが黒川はなにも言わない。
 選手がコートに散った。
「敵の前衛は大黒英雄、〈黒〉の一族だ。後衛が青地祐介、〈青〉の一族」
 黒川が令に説明する。
「このコンビが一番理想的だな。精神感応者の〈黒〉が相手の心を読み、念動力者の〈青〉が攻撃する」
「じゃ、あいつら不利なのか?」
「普通はな。まあ、少し見ているんだな」
 海棠青野のサーブで試合が始まった。
 はっ、速い。
 令が思う間もなくボールは相手コートに落ち、バウンドして青地の顔に直撃した。
「青野はあれが得意なんだ」
 黒川はため息を吐いた。青地は少しの間倒れていたがふらふらしながら立ち上がった。
「よせばいいのに、相手も〈青〉だからな。なまじ、バリアを張っていたために衝撃が弱かったんだろう。ああ、青野がむきになるぞ」
 黒川が天を仰いだ。
「もしかして、あれ、さっきのオレみたいにオーラ直撃なわけ?」
「令くんの時はあれでもかなり手加減していたはずだ。あんなの奴にとってはレクリエーションなんだから」
「ず、ずっこいッ」
 令は思わず叫んだ。
「黄神式と言っただろう」
 黒川は落ち着いたものである。
 その後は試合にならなかった。青野の二発目をくらった青地が気絶して試合続行不可能になったのだ。青野がこっちを向いて得意気に手を振っている。
「……力の差がありすぎてあまり参考にならなかったな。あちらのコートに行こう」
 三面使っているコートのひとつで後白河ましろが審判をつとめていた。
 令はましろのいるコートへさっさと向かって行く。黒川は仕方なさそうについて行った。審判の女の子は三人いるけど、やっぱこの子が一番カワイイ、令は思った。
「右の前衛が〈白〉、後衛が〈青〉。左の前衛が〈黒〉、後衛が〈青〉。さあ、令くんならどうする?」
 ましろをぼーっと見ていた令は突然話を振られて我に返った。
「わっ悪い」
「それじゃ負けるな。まあ、君は勝つ気などさらさらないようだが」
 ギクッ。
 それだけ言うと黒川は席を立って行ってしまった。
 ま、マズイ。なんか、怒らせちった気がする。やっべーっ。あいつはオレの秘密を知ってるんだぜ。

 冷や汗をかいているうちに令と黒川の番になってしまった。
「よォ、がんばってくれよー。お前らコケるとオレまでコケちまうんだからなーっ。ま、透が例の奴かましてくれりゃ一発だよなッ」
 ツンツン頭が能天気に言う。
 相手側のサーブから試合がはじまった。いきなりオレの身体に衝撃が走る。
 いってーっ。こいつも海棠と同じ〈青〉なのか。
「ありゃりゃ。透ちゃんてば助けてあげない。ボリボリ」
 ギャラリーで観戦している青野がポテトチップを食べながら言う。
「意外にスパルタなんだな、黒川も。と言うことは高見沢はボロボロになるかな」
 綾瀬が笑う。
「はやくカタつけてくれよォ。オレめんどいのやだぜぇ。ボリボリ。あやちゃん、ポテチ食う?」
「…… あやちゃんは止めて欲しいんですが」
 その間に令は三発も衝撃波をくらっていた。青野ほどのパワーはないにせよ、オーラを立て続けに直撃されて令はくらくらしていた。ボールは打ち返せても、オーラは跳ね返せない。相手のふたりはニヤニヤして令を見ている。
 この野郎、オレばっか狙いやがって。黒川は怒ってるんだろうな。ちっとも動く気配がない。これを防ぐ手ってなにかないのか?
 考えているうちにもう一発くらう。
 うーっ、気持ち悪い。やっぱ、アレしかないんだろうな。ああ、あと一発くらったら、オレ──。
 〈青〉のサーバーはもう令の顔を見ている。
 ──ああ、もうダメだ。
 ふいに、令のオーラが揺らめきだす。
 ぐらり。
 オーラの揺らめきにシンクロするように大地が震えはじめる。黒川が妖しく笑った。
「いよいよかな」
 綾瀬が呟く。青野が口にポテトチップを運ぶペースが早くなる。
 イヤだ──ダメだ、絶対に。
 令は必死に自分を抑えようとしていた。黄金色の輝くオーラがゆらゆらと舞い上がり、窓ガラスががたがたと鳴った。
 ダメだ。あんなの、誰にも見られたくない。
 アレは──オレじゃ、ない。
 オーラの揺らめきが少しずつ小さくなる。そして地震が止んだ。
「あーあ、不発かよォ」
 青野がふうっと息を吐く。場内は騒然となり、令を指さして何か言っている者もいた。当の令はその場にへなへなと座り込んでしまった。もう立ち上がる気力もない。
「わかった。君には失望したよ。そこで座って見ていればいい。一生目立たず平穏に生きられればそれでいいんだろう?」
 黒川が令を見下ろして冷ややかに言った。
「それで将来、青野が経営する会社の社員にでもなれればそれで御の字か」
 ギャラリーがざわめく中、「フォルト」と女の子の審判がやっとコールしてゲームが再開された。
「なんだかわからねぇが、驚かせやがって」
 相手の〈青〉の男がへたりこんだ令を見ながらセカンドサーブをトスした。
「今度こそゲームセットだ」
 ラケットを大きくバックスイングする。
 その時、黒川がうっすらと微笑んだ。輝く紫色のオーラが舞い上がり一瞬動きを止める。
「ゲームセット」
 綾瀬がにっこり笑った。
 紫色のオーラの奔流が〈青〉のサーバーの頭を貫く。ゆっくりとスローモーションのように〈青〉のサーバーが倒れ込むのを令は見たような気がした。
「早くやりゃいいのによ」
 青野がポテトチップの空き袋をパンとつぶした。

 ううーん。あれ? なんだか頭がボーッとする。ふっと……。
 身体の下に何か短いツンツンしたものが当たる。
 ああ、そうか。これは芝生だ。オレはたしか〈青〉のオーラを何発かくらって……。
 そこで令はがばっと跳ね起きた。コートの脇の芝生の上に令は寝かされていたようだ。頭がズキズキと痛む。
「目、覚めた?」
 声のするほうを見るとショートボブの……えっ、なんで彼女がここにいるんだ?
「みんな食事しに行っちゃったけど、あなたももう食べれる?」
 後白河ましろがジュースをストローで飲みながらオレの顔をのぞき込んだ。なんだか胃がムカムカしてとても食事という気分じゃない。
「ダメだな。入りそうにないや」
「だいぶひどくやられてたもんね」
「みっ見てたの」
 あんなトコをッ。
「審判してた試合、すぐ終わっちゃったんだもん」
 そう言ってジュースを差し出された。
「さ、サンキュ」
 うっわーっ、間接キスじゃん。
「すごいオーラだったのにね。うまく使えないの?」
 オレはジュースを吹き出しそうになってあわてて飲み込んだ。顔から首まで赤くなるのがわかる。な、なにか言わなきゃ、と思うがとっさに言葉が出ない。明かり取りの天井の窓から陽がさんさんと降り注ぎ、汗がじっとりとシャツに染みてくる。
「おーお、お目覚めかい」
 わざとらしくピーピー口笛を鳴らしながらツンツン頭がやって来た。明らかに妬いている。
「オメーさ、ちゃんと透に礼言っとけよ。気絶したお姫さまをここまで運んできてくれたんだからな」
「そのお姫さまって言うの、やめてくれない?」
 よりによって彼女の前で。
「だってよォ、これから先、守ってやんなきゃなんないんだぜ。まるっきしお姫さまじゃねぇの」
 青野が令を見下ろす。
 ムッカーッ、とはしたものの令には返す言葉がなかった。
 午後から二回戦に入った。人数の割に進行が妙に早いのは黄神式テニスの勝敗がたいていあっけないほど早く決まってしまうせいだろう。綾瀬と青野のコンビは早々に顔面 直撃一発で決まってしまった。
「悪ィな、オレ気が短くてさぁ」
 審判をしていたましろに、さも得意気に話し掛ける。運悪く、ちょうどそのコートでの次の試合が令たちだった。
 この子の前でまた気絶するハメになっちまうのか。
 令は果てしなく落ち込んでいた。さっきの後遺症でまだ頭がズキズキする。
「今度の相手はぶつけられたら一発でアウトだぜ。オレほどのパワーはねぇが、〈青〉のご宗家様の登場だ。透、ぼやぼやしてねぇでさっさと決めろよ」
 青野がわざとらしい大声で黒川に言う。
「〈青〉の一族の宗家は実質的にその座を海棠に奪われて久しいですからね。今回はどうしてもいいところを大老に見せたいでしょう」
 綾瀬も淡々と解説する。黒川はと言えばまともに令と口をきこうともしない。
 ……こいつら、オレを仲間に入れたことを後悔してんな。くそっ、まだ頭がズキズキする。ちくしょう、なんでオレがこんな目に遭わなきゃならねぇんだ? そうだ、なんでオレがこんなところでこんな金持ちのクソガキ共とバカみたいなことやってなきゃならねぇんだよ?
「やーめたっと」
 そう言って、令はラケットを青野に放った。そして背を向けて出口へ向かう。
「おい」
 青野が声をかける。令は振り向きもせずにどんどん歩いて行く。
「そういうわけには行かねぇんだよ」
 青野のオーラが触手のようにひゅるりと伸びて令の身体を絡めとる。オーラがきつく巻きついて令は身動きがとれない。
「離せよッ。おまえらのためにオレがこんな目に遭う必要ねぇんだから」
「言ったろ? オメーがコケるとオレまでコケちまうんだよ。お姫さんはそこに突っ立っててくれればいいんだ。あとは透が一発で決める」
「関係ないね。オレを入れたのはあんたらの勝手。オレとしちゃあんたらみんなコケてくれりゃせいせいする」
 令が青野の顔を睨みつける。
「あんだってぇ?」
 蒼いオーラが燃え上がる。いっそうきつく縛られて令が咳こむ。
「へっ、いくらオメーがいきがったってオレには逆らえねぇんだよ」
 青野が笑う。蒼いオーラがずるずると令の身体を引き戻す。令の顔が蒼褪めひきつるが、否応なくコートに引きずられてしまう。
 ましろのコールで試合がはじまったが、既に令の意識の中に彼女はなかった。
 〈青〉の宗家とかいう奴がサーバーだ。もうオレを狙って笑っていやがる。あいつのオーラに直撃されたらオレなんか一発だ、そう言ってたな。
『将来、青野の経営する会社の社員にでもなれればそれで御の字か』
 ふいに黒川の言葉が甦る。
 オレがあいつの下で働く? あの傲慢野郎の? イヤだ。こいつらの言いなりになるなんて。冗談じゃない。死んだってイヤだ。
 〈青〉のサーバーが令めがけてオーラを放つのが見えた。
 オレは誰にも命令なんかされない。
 オレは……!
 その時、黄金色のオーラが稲妻のように閃いた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ」
 オーラもろとも〈青〉のサーバーが吹き飛ばされた。
「凄い……こんなオーラは見たことがない」
 綾瀬が呟く。
 令を包む黄金色のオーラが渦巻いて天井まで伸びる。空気がびりびりと振動し窓ガラスが砕け散った。令を中心に風が起こり、ネットが苦しげに揺れ、その場にいた者の髪や服をはためかせる。隣のコートにいた者でさえ痛いほど、オーラが肌をなぶる。
 ああ、もう止められない。どうにでもなっちまえ。
 オーラの流れとともに令の髪が伸びてゆき、黄金色に染まってゆく。やがて、風が徐々に鎮まり、黄金色のオーラが穏やかに主を包んだ時、そこに立っていたのは綾瀬たちが知っていた高見沢令ではなかった。
 黒川透は思わず息を飲んだ。彼が見たのは輝く黄金色の長い髪、淡い琥珀色の瞳の驚くべき美貌の持ち主だった。肌はなめらかで透き通 るように白く、唇はさながら石榴のよう。古代人が神と信じたのも無理はない、透は思った。顔立ち、すらりとした肢体そのものは元の令とそう変わっていない。ただ、不思議に脆い、儚いといってもいいこの中性的なムードは令が持ち合わせていなかったものだ。
 いまや屋内コートの中はしんと静まりかえっている。何か冒しがたい雰囲気に包まれ、皆が令のほうを見ている。令の言葉を待っているかのように。だが、令はなにも言わずに皆に背を向けてその場を立ち去ろうとした。
「おっおい、待てよ」
 青野が叫んだが、すぐさま黄金色のオーラが鞭のように飛んだ。
「つっ。おまえ、オーラをコントロール出来るのか?」
 令はなにも答えない。ただ、黄金色の髪が波のように揺れただけだった。


 

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