ルナティック・ゴールド
       第1部 月下の一群

志咲摩衣


 

3 至上の黄金

 

 本物の黄神だ。神と呼ばれたあれが先祖の姿──綾瀬は思った。令がバリアを張る寸前の変身直後のほんの一瞬、ちらりとかいま見た彼の身体、あれはたしかに普通 のヒトではあり得ない。細かい組織がちょっと見ただけでもかなり違っているし、何よりも本人が苦にしているのは──。

「おい、令くん。待てよ」
 令のオーラが追ってきた男、黒川透に伸びる。
「おっと、それは勘弁してくれ」
 透があやうくオーラの鞭を逃れる。
『オレにかまうな』
 令の言葉が直接透の頭に響く。テレパシーだ。
「君だって結局黄神だってことじゃないか。そうやって思いのままオーラを扱う我ら一族」
『オレは黄神になんてなりたくなかった。あのままでよかったのに』
 令がテレパシーで応える。
「で? いつ爆発するかわからないオーラに一生怯え続けて好きなことも諦めるのか」
『……っるさいな、ほっといてくれ』
 令がテレパシーでなにか言うと、空気がひりひりと震える。
「神の声はそれは美しかったという。聴かせてくれないか?」
 令は一瞬沈黙した。
「……わかったよ。あんたにはバレてるんだもんな。それと多分、後白河にも」
 吐き捨てるように言った令のその声はいつもと違っていた。それは普段の彼より幾分高く、よく響いた。儚げな──きつい美貌の黄金色の神はたしかにヒトと違っていた。それは生物学的に男性でも女性でもなかった。生殖器をまったく欠いていたのである。
「それでここを出た後の予定は?」
 透が微笑む。
「家に帰るに決まってんじゃないか」
「そのままで?」
「冗談じゃない。元に戻るに決まってんだろうが」
 令がぷりぷり怒ると、滝のように肩から流れ落ちた髪が揺れる。
「元に戻ったら、彼らは黙っちゃいないだろう。普段の令くんはオーラがまったく使えないんだから」
「おっ、おい。まさかずっとコレでいろって言うのか?」
 令は愕然として自分の身体を見下ろした。なんとも言い難いこの喪失感。
「わたしはどちらでもかまわないが」
「……オレはかまうんだよッ!」
 コレじゃホントにお姫さまじゃねぇか。ちくしょう、オレは男だぞ。
「君が哀しむとオーラにビリビリ感じるんだよ、困ったな。よかったら、わたしの家へ来ないか。当分、両親は日本へ帰って来ないから気遣いは要らないし」
「だって、あんた、黄神の跡目相続……じゃなかった。えーっと……」
「実はわたしもそういうことにはあまり興味がないんだ」
 透は光の加減で黄金色に光る令の瞳に見入っていた。
「それから、そのあんたって言うのはやめてくれ。透でいい」
 そして微笑んだ。

 シボレーコルベットの助手席に乗せられて、しばらくしてから令ははっとした。
「おい、あんた。じゃなくって、透。年いくつなんだ」
 隣で慣れた手つきでハンドルを握っている透が応えた。
「令くんと一緒だが」
「むっ、無免許じゃんか」
「大丈夫さ。年齢制限さえなければA級ライセンスだって取れる腕だ」
 透がくすくす笑う。
「そういう問題じゃなくってぇ」
 令が長い髪を揺らして騒ぐのがなんともかわいい。黙っていればこわいくらいの美貌なんだが。
「とても十五歳には見えないだろう。黄神はだいたい早熟なんだ」
 たしかに後白河と同じで、ひどく大人びていて高校一年生とは思えない。
「だが、その姿の君も十五歳には見えないよ」
 そう言って、透はホテルの駐車場に入って行く。
「ここで食事でもして行こう」
「……え? ちょっ、ちょっとやだよ。オレ、この恰好で外に出るのなんか」
「いいじゃないか。知り合いがいるわけじゃなし」
「だ、だって」
「ここの料理、結構いけるよ?」
 透が微笑んだ。
 令は食べ物に弱い。その上、体調が戻ってきて昼食を抜いたのが大分こたえてきた。
 そ、そうだよな。誰もオレが高見沢令だなんて知ってるわけじゃなし、普通 じゃないなんて服着てりゃわかんねぇだろうし、ま、いっか。
 そう令が覚悟を決めた時、お腹がぐーと鳴った。

 令と透が中央の回転扉から入って行くと、一瞬、はっとしたような空気が流れた。ロビーに居合わせた誰もが、なぜか一斉にふたりに目を向けてしまったのである。たしかにそれは見事な一対だった。透は髪のメッシュに合わせた紫色のシルクのシャツに黒い麻のスーツを小憎らしいほどラフに着こなし、いかにも他人から注目されるのに慣れているといった風情だったし、一方、令はジーンズに白い綿シャツといったシンプルこの上ないいでたちだったが、かえってそれが一層そのこの世の者ならぬ 美しさを引き立てていた。その上、令は黄金、透は黒──光と影のように互いを際だたせている。
「おっ、おい、透。なんか、みんなこっちを見てるような気がするんだけど」
 ワケアリの令としてはあまり嬉しい事態ではない。
「令くんのオーラは派手だからな」
「これ、普通の人にも見えちまうのか」
 自分から絶えず立ち昇る黄金色の波を見ながら令があわてる。
「見えるというより何かを感じるんだよ。で、思わず目を向けると君がいるってわけだ」
「ふぅん……こうして見ると、普通の人のオーラってちょろちょろとしか見えないんだな。あとさ、あの人の後ろにある暗い影みたいなの、あれ、なんだ?」
「わたしには見えないんだよ、令くん」
 透がくすりと笑う。
「すべての力を持っているのは中央本家だけだからね」
「あ……っ、ご、ごめん」
「たぶん、今の令くんだったら後白河以上になんでもよく見えるはずだ。……なんでもね」
 そう言われて令が辺りを見回すと、ホテルの広いウィンドウガラスの向こうに道行く人たちの中にもぼうっとした暗い影を背負った者が何人かいるのに気づいた。その時、影のひとつがふいに動いた。影に引っぱられるようにふらふらと人も動く──車の激しく行き交う道路のほうへ。
「危ない!」
 令が叫ぶと、黄金色のオーラがガラスを貫き、影めがけて光の矢のように伸びる。ガラスが砕けるのとほとんど同時に影が塵の如く散った。その人は何事もなかったように、また雑踏の中にまぎれてゆく。
 今のはなんだ? あの、暗い影──。
「人助けをしたようだね。令くん」
「透、見えないんじゃなかったのか?」
「見えないが、感じるんだよ、わたしは」
 紫色のオーラが揺らめく。
「あれはなんなんだ? 人を殺そうとしていた……」
「魔霊──ソウルさ」
「そ……うる?」
「黒川様、お怪我はございませんでしたか?」
 年輩のホテルマンが透に向かって深々とお辞儀をした。見ると、ガラスの破片はすでに片づけられはじめている。
「いつもの部屋を頼む。今日のお薦めはなんだい?」

 通されたのは、落ち着いた雰囲気の最上階の広い一室だった。五十畳くらいのスペースに四人掛けのテーブルと椅子、そしてグランドピアノがあるだけだ。オフホワイトの壁には印象派の絵画が数枚、飾られている。
「惜しいな、夜になると夜景が綺麗なんだがね」
 透がそう言いながら氷酒のグラスを口にした。洋風懐石をつまみに氷酒のさくさくした食感を楽しみつつ、前に座る美貌の金髪を眺めている。美貌の金髪のほうは……自分の髪と悪戦苦闘していた。
「あ〜っ、うざったいッ。この髪、どうにかなんないのかよぉ」
 長い髪に慣れていない令が下を向いて者が何人口に運ぼうとすると、髪がフィレステーキの肉汁の中に落ちてしまいそうになるのだ。
「ゆっくりでいいから。あわてない、あわてない」
 透が嬉しそうににこにこして言う。
「だーっ、オレは腹へってんだよぉ」
 オーラを使えば簡単なのにな。透は思ったが、令が騒ぐのを見ていたくて口には出さなかった。
 それでも、なんとか令がデザートのグランマルニエ入りオレンジシャーベットにありついたころ、いつのまにか透がピアノの前に座っていた。紫色のオーラがかげろうの儚げな翅のようにふわりと舞い上がる。
 気がつくと、その調べはまどろみの中に聴こえる雨音のように自然に訪れていた。雨はやさしく大地のキイを叩く。やがて調べはせせらぎになり、川になり、滝を流れ落ちた。いつしか流れは大河となり、旅路の果 てには海があった。海は、凪いでいた。 穏やかな波が生命の歌をうたい、耳の岸辺に打ち寄せる。そして令は蒼い惑星の鼓動を聴いた──。
 いつ、ピアノが鳴りやんだのか令は気づかなかった。メロディが途切れても、令はまだそれを聴いていたのだった。黄金色のオーラがリズミカルに舞い踊る。
『オーラで聴く音楽はいいものだろう?』
 ふいに飛び込んできた透の《声》で令はようやく我に返った。目からは涙があふれていた。
「今のは……」
「音楽はね、本当は音だけを聴いているんじゃない。人のオーラを奏でるものなんだ」
「オーラを?」
「そう。今、君とわたしのオーラはぴったりシンクロしたんだ」
「そうすると、ああなるのか? 今のは、まるでオレの全身が……ううん、すべてが歌をうたってるみたいだった!」
 我知らず身体を震わせうっすらと頬を紅潮させている美貌の金髪を見て、透は微笑んだ。
「歌ってみればいいだろう?」
 一瞬身体をびくりと震わせ、令は床に視線を落とした。黄金色の波が肩からすべり落ちる。
「その姿になるのが嫌で君は歌うのを自分に禁じたんだろう?」
 黄金色のオーラがゆらゆらと揺れる。
「はじめてその姿になったのはいつだい?」

 令の琥珀色の瞳が透を見据えた。そして一瞬とまどうように彷徨い、また長い前髪に隠れて片方しか覗いていない透の黒い瞳へ戻った。
「……小学校にあがる前だったと思う……。だいたい変身は歌が引き金になるのが多くてさ、あの時も歌ってたんだ」
 椅子に腰を掛けながら令が口を開いた。
「あの頃、オレはまだ身体が弱くて、その割に目立ちたがりのガキだった。でも、なんせチビだったしこんな顔だろ? あんまし、その……近所の奴らとはうまくいってなかった」
 いじめられっ子だったんだろうな、と透は思ったが口にはしない。
「で、まあ、ひとりでいることが多かった。あの時も、最初はひとりで滑り台をステージに見立てて歌ってたんだ。夕方で、ちょうど誰もいなかったからさ。それで、すごく気持ちよく歌ってたら……なぜか人が集まってきちゃったんだ。オレをバカにしてた奴とか、近所のおばさんとか、知らない女の子とか。それがオレになんか言うとかじゃなくて、オレの歌を聴いてるらしい。なんだかよくわかんないけど、オレ、気分がよくなっちゃってさ。別 の歌をうたいはじめて……しばらくするとアレがやってきた。肌にびりびりっと電気が走るみたいになって──これがだいたいいつものパターンなんだけど──まず地震が起きる。そのあと、すうっとオレの中の何かが上に抜けていくような、エレベーターであるのとよく似た感じが来て……気がつくとコレになってた」
 そう言って令は髪の先を手で梳いた。
「驚いたろう?」
 透が黄金色の一房を手にとったので、令が顔をあげると視線が合った。
「……そりゃあね。そのあとが大変だった。オレはパニクっちゃって、なにがなんやらわかんなくなって、気がつくと団地の屋上にいた」
「どうやって?」
「いまだによくわかんないけど……多分……」
「テレポートか」
「多分、そうだと思う」
「で? 変身を見られた人たちはどうした」
「それがみんな、そん時のことは全然覚えてないらしいんだ」
 令が小首をかしげる。
「ふ……ん、なるほど。凄いな」
「へっ?」
 聞くなり透が眉を顰める。
「前々から思っていたが、その『へっ』はやめてくれないか。君には似合わない」
「なんだよ、それ」
 令がむくれた。
「品がないし、間が抜けている」
 令としてはなにか言い返したかったが、適当な言葉が見つからず、結局顔を赤くしただけだった。
「それで? いつもの姿にはすぐ戻れたのか?」
 透は平然と質問を続ける。
「い、いや、しばらくは、その……ショックが酷くて。あん時はマジで男じゃなくなっちゃったかと思ったし……」
 令はますます赤くなってうつむいた。それからはっと気がついた。
「透、こんなこと全部知ってるんじゃないのか? オレのことなんか全部……」
「わたしは必要な時をのぞいて、盗み見はしない主義だ。ただ、君の思考は強すぎて飛び込んでくることもあるがな」
「ごっ、ごめん」
 令はまたうつむいてしまった。透は少しの間、不思議そうな表情で形のよい黄金色の頭を見ていた。これが〈至上の黄金〉か……。
 そして、令の耳の辺りの黄金色の一房をふわりとかきあげる。令が顔をあげると透は微笑んだ。
「君の歌を聴かせてくれないか?」

 もう何年も令は歌ったことがなかった。もちろん学校で歌わされはしたけれど、合唱の時は口パクで通 したし、どうしても声を出さなければならない時でも本気にならないよう気を散らそうと一生懸命だった。少し気を許して変身しそうになったことが、実は何度もあったのだ。たいてい途中でトイレに駆け込み、事なきを得てはいたが。
 にも関わらず、彼はひとつ深呼吸しただけで何気なくすうっと歌いはじめた。
 プロのアーティストの持ち歌ではない。無伴奏──ア・カペラでいきなりオリジナルを歌い始めたのだ。透明でよく通 る、それでいてしっとり響く声。
 ──これがまったく訓練されていない声か?
 透は驚いた。
 身体を『楽器として使うこと』を知っている声。肉体を管楽器に見立てて高音低音を効果 的に響かせるテクニック。クラシックの訓練を十年以上受けて、この声を数オクターブ出せる域まで到達する人間が千人のうち何人いるか。この声を出せずに歌を諦める者がどんなに多いか、令くん、君は知らないだろう。
 黄金の声──眩暈にも似た感覚が透を襲った。
 もちろん、令の歌はクラシックの類ではなかった。前から歌ってみたいと思っていて歌えずにいた曲のひとつだ。だが、たとえ歌わずにいようと、令の中で曲が消えてしまうことはなかった。令はいつもメロディと一緒にいたし、それは彼の一部だった。その一部を今、令は歌っているだけだった。
 声は自分でも驚くほどすんなりと出た。心の中でいつも思い描いていたイメージ通 りに歌えるのがうれしかった。今日は変身を気にする必要もない。令はこんなに自由に歌ったことがなかった。声にシンクロするようにオーラが舞い上がり、黄金色の光の奔流が令の身体中から溢れ出る。誘われるように透もピアノを弾きはじめ、黄金と紫のオーラがシンクロし螺旋を描いた──。


 

HOME



Copyright(C)2004-2005, Mai. SHIZAKA. All rights reserved.
本作品の著作権は志咲摩衣に帰属するものであり、無断転載・再配布を禁じます。