悪魔はシャイに I Love You



 あと一週間でバレンタインデー。
 彼氏のいないわたしにとって、一年に一度、最大のチャンスがやってくる。
 そんなとき、突然、彼はあらわれた。
 彼はわたしがいままで会ったどんなひとよりもキレイで格好良くて。
 見た瞬間、涙が出ちゃうような理想のひとなのに──。
 ああ神様、あんまりです。
 彼が……わたしの恋をかなえるためにやってきた"悪魔"だなんて。



Scene 1 ファンタジィは突然に



「こんばんは、お嬢さん」
 よく響く甘い低音──それが、わたしと"彼"との出会いだった。
 読みかけの小説から顔をあげると、そのひとは目のまえの空間にぷかぷかと浮いていた。 わたしの部屋の中、プチトマト模様のベッドカバーのうえに。
「うわ……」
 それは、あまりにファンタジックな光景で、わたしは驚くことすらできず、ただぼんやりと彼に見入ってしまった。
 宙にぷかぷかと浮いていた彼は──本当に信じられないくらいキレイだった。
 銀色に輝く長い髪と淡い瞳、鳥に似たかたちのふわりと大きな翼。彫りは深いのに涼しげな印象の、凛としてやわらかな顔立ち。理想がわたしの頭のなかから抜け出てきたようなひとだった。
 現実的に考えれば、こんな存在自体ありえない。でも、わたしはたぶん、彼の実在を望んだのだ。夢のようにキレイな翼ある天使を。
「……えっと、あの、水梨悠乃(ゆの)さん?」
 キレイな天使が怪訝な表情をしてわたしの名前を呼んでいる──ぼんやりとそう思ったとき、わたしは天使の姿がほんのちょっぴりヘンなのに気がついた。
「あ……あれ? どうして天使に角があるの?」
 思わずわたしが口にすると、キレイな天使はどことなく不機嫌そうに応えた。
「え? だって、オレ……悪魔だから」
 たしかに──銀色に輝く天使のような彼の頭からは、ねじれた銀色の角が二本、にょきっと突き出していた。
「あ、悪魔っ? うそうそっ! 絶対うそっ!」
 わたしは叫ぶ。だって、そんなのって、ありえない。ありえない存在を目にしながら、わたしは思った。
「……うそじゃないって」
 甘くてけだるい理想的な低音がぼそりと言う。
「だって、銀色の悪魔なんて邪道よ! 悪魔ならたとえどんなに美形でも、肌以外は全身真っ黒なのが王道なのに!」
 ありえない世界にもちゃんと約束ごとがあるのだ。
 邪道と呼ばれた悪魔は、なぜか哀しげに自分の身体を見おろして、銀色の長い髪を優雅にかきあげた。髪に触れた左の小指に光る銀の指環が憎らしいほどよく似合っている。
「オレはまだ研修生のバイト扱いだから、こんなハンパな色なんだって」
「け、研修生? バイト? なによ、その夢のない設定は!」
 わたしがライトノベル愛好者らしくそう叫ぶと、キレイな悪魔サンははぁーっとため息をついた。
「オレもそう思うけどね……人事部長が言うんだよ。魔界も天界も慢性的な人手不足で猫の手も借りたい状況だって」
 ああ、このひとに……もとい、このファンタジックな美貌の悪魔サンには人事部長なんてリアリティあふれる台詞は似合わないのに。
「大丈夫、安心して。オレ、水梨さんに悪いことをしに来たんじゃないから」
 悪魔サンはわたしの顔を見て、まるで天使のようににっこりと微笑った。ああ、やっぱり好みだ。
「つまりね、慢性的人手不足の天界から──まあいろいろあって──天使の仕事がまわってきちゃったってわけ。でも、天使の仕事なんて、立派な悪魔はやりたがらない。それで、研修生のオレにやれってことなんだよね」
 ああ、そうか──わたしは納得した。このひとがさっきからなんとなく不本意そうなのは、天使のお仕事がまわってきちゃったからなんだ。天使のお仕事なんてホントはやりたくないんだろうな。このキレイに微笑う悪魔サンだって、やっぱり"悪魔"なんだから。
「でね。水梨悠乃さん。もうすぐ、バレンタインだよね」
 悪魔サンはまたやさしく微笑って、甘い低音でささやくようにいった。彼の声で"バレンタイン"なんていわれると、ドキドキしてしまう。
「……オレはキミの恋をかなえるために来たんだ」
 ……えっ?
「 キミの好きなひとは誰?」
 え、え、ええーっ?

「キミの恋をかなえてあげる──バレンタイン特別企画」
 くりかえし口にした彼の、すきとおった銀色の瞳が悩ましげに揺れた。まつげが落とす長い陰にドキドキする。気がつくと、キレイな悪魔サンはすぐ目のまえにいて──わたしの部屋の小さなこたつに入っていた。
「ああ、ええっと。浮かんでると、目の高さが会わなくて話しにくいから、さ」
 わたしの視線に気づいた悪魔サンがいいわけじみたことをいう。なんだか妙にリアルだ。こんなにリアリティのない美形なのに。思わずわたしはふきだした。
「……オレ、なんか変?」
 こたつに入ったまま、彼が怪訝な表情で訊く。そんな貌さえ、とてもキレイなんだけど。
「だって、おこたに悪魔ってヘン」
 わたしが言うと、彼はあわててこたつから出ようとした。
 う、うそっ。どうしてそんなに素直な反応するのよ?
「いいわよ、出なくて。この部屋、寒いし」
「……そう?」
 彼はほんのりうれしげに、そそくさとこたつに入りなおした。
 ううーん、慣れてる。絶対、初おこたじゃないよ、この悪魔サン。
 ファンタジックな容姿を裏切って、こたつに入る姿がとてもなじんでいる。たしかに寒い季節に不似合いな、宗教画の天使のような仄かに銀色に光るうすものをまとっているのだ、彼は。こたつに入りたいのも無理はないのかもしれない──でもね。
「おい、そんなに笑うなよ」
 不機嫌そうな声。ああ、もったいない。あなたが理想のひとなのに──そう、あなたが"悪魔"でさえなければ。


つづく
2005.2.13




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