悪魔はシャイに I Love You



 眠る少女の耳許に、悪魔がそっと囁いた。
 たったひとこと、それだけで、彼女にかかった魔法は解けた。  


Scene 1 銀の魔法の解けるとき

 

 季節は春。
 いま、オレは春を満喫している。
 春休みのこの季節、桜のつぼみはまだほころびはじめたばかりだというのに、オレの心に咲く桜はもう満開だった。オレはいま、悠乃サンいうところの、ほにゃらけた貌をしているにちがいない。
 だって今日は、悠乃サンとオレの、はじめてのデートなのだ。そう、なんどでも、声を大にして、世界の中心で叫びたい──今日はオレと悠乃サンの初デートだ。
 以前、パフェを一緒に食べたときのような代理デートなんかじゃない。正真正銘、オレと悠乃さんのはじめてのデートなんだ。

 ほんのすこしだけ、約束の時間に遅れてきた悠乃サンが、オレのほうへ向かって駆けてくる。春っぽい服装になった悠乃サンも、むちゃくちゃきれいでかわいい。
「ごめん、待った?」
「……いや、別に」
 こんなふうに外で会うのは、いつもと違ってやっぱり照れくさい。ああ、なんでこう、ぶっきらぼうになるかな、オレ。
「髪短いのも、似合うかも」
 そう言って、悠乃サンはオレの──山本陽一ではない──銀色の悪魔が人間に化けた顔を見上げて、にっこりと微笑った。
 つまり、オレはまだ、名前のない悪魔のままで悠乃サンとつきあっていて──人間としてのオレの状況はなにひとつ進展していなかった。
 それでも、オレは一日くらい、つかの間の春を満喫したかった。だから、春休み最後の今日、デートに誘ったのだ。

 本日のメインイベントは、とりあえず映画を観ることだった。映画を観たあとなら、その感想でとりあえず会話がはずむと、美人女優と結婚したばかりの若手芸人がテレビで言っていたからだ。
 ふだんのオレと悠乃サンは、こたつのなかでなんとなくみかんを食べたり、なんとなくお茶を飲んだり、オレの小さくなった翼で悠乃サンが遊んだりするくらいで、デートらしい会話をしたことがない。たまには悪魔にされてしまったオレだって、人間らしい格好でふつうっぽいデートがしてみたい。
 そのために、今日のオレは悪魔の顔のままで、ばっちり人間に化けている。翼もない。角もない。髪だって、肩につくかつかない程度の長さで、目立たない茶色にしている。服装も雑誌にでていた『これが春のデートファッションベストテン!』で、悪魔のオレに似合いそうなのを魔法で生成してみた。鏡に映ったオレは、芸能人にしか似合わないようなその服を、憎たらしいほどちゃんと着こなしていた。
 ふと、気がつくと、悠乃サンがするりとオレの腕に細い腕をからませてきた。
「……えっ?」
 つい、オレが彼女の顔を見ると、ぷいっと視線を逸らされる。
「悠乃サン?」
「悪魔サン、足速すぎ」
「あ……ごめん」
 悪魔のオレは背が高いから、ふだんのオレよりストライドが長いわけで。気をつけて歩いていても、やっぱり足が速い。
「ごめん、ふだん一緒に歩いてないから」
 なんて、つい、言い訳じみたことを言うと、悠乃サンがむっとした表情になった。
 ……やばい。
「やっぱり、うちで会うほうがよかったかも」
 ぼそっと呟く。
「悪かったってば。ほら、もうすぐ映画館だから」
 オレはあわてて悠乃サンの顔をのぞきこんだ。悠乃サンはオレの姿を上から下までさらりと眺めて、さらりと言った。
「そうやってると、ホントに人間みたいだよね」

 もちろん、悠乃サンに悪気はないんだろう。
 彼女にとってオレは、銀色の翼と角をもった悪魔だ。
 それでも。オレはやっぱり、人間に化けている今日くらいは、オレのことを人間だと思い込んでいて欲しかった。
 スクリーンでは、地獄に堕ちたくないイケメン主人公が必死になって悪魔祓いをしている──ああ、どうして、よりによってこの映画を選んだんだ、悠乃サン?

「……面白かったね」
 映画館を出ると、悠乃サンがきれいに微笑った。
「あ、ああ、そうだな」
 オレはひきつった笑みを浮かべる。
 あのさ、悠乃サン。悪魔が主人公に滅殺されまくってた映画だったんだけど。いや、オレがふつうに人間だったら、かなり面白い出来の映画ではあったんだけど。
 春の陽射しはぽかぽかと温かくて、吹く風も一週間まえまでとはちがって、とても気持ちがいいのに。
 なぜか──哀しい予感がする。

 そして、悠乃サンはおもむろに口をひらいた。
「ごめんね、悪魔サン」

つづく
2006.10.23



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