悪魔はシャイに I Love You




 彼のなにもかもが、わたしは好きだった。
 みかんの筋をきれいにとる指も。
 照れくさそうなやわらかい微笑みも。
 甘く響く声で、なぜかぼそぼそ話す癖も。
 だけど、気づいてしまった──ごめんね、悪魔サン。



Scene 2 ごめんね、悪魔サン




 季節は春。
 いま、わたしは春を満喫している。
 春休みのこの季節、桜のつぼみはまだほころびはじめたばかりだというのに、わたしの心に咲く桜はもう──はらはらと散りはじめていた。
 だって今日は、わたしと悪魔サンの、最後のデートなのだ。そう考えただけでも涙が出そうになるけれど、それでもやっぱりこれがわたしと悪魔サンの最後のデートなのだ。

 約束の時間にほんの少しだけ遅れてゆくと、待ち合わせの場所にはもう彼がきていた。
 銀色の角も翼もない彼はまるで人間のようだったけれど、それでもたくさんの人がいる駅前広場で彼だけが輝いて見えた。道行く人もなんとなく彼に目がいってしまうみたいで、歩きながら自然に彼を目で追っている。そう、彼は信じられないくらいキレイな顔をしていて、背も高く、手足もすらりと長くて、それだけでも十分に人目をあつめてしまうのだけれど。
 でも──彼はやっぱり、違うんだと思う。

「ごめん、待った?」
 わたしが彼に声をかけると、周りの空気がざわりと揺れた。本人はそんな空気の色なんか全然気がついてない。
「……いや、別に」
 わたしの言葉にそっけなく応えて、彼はこちらを見た。もうすっかり見慣れたはずの顔なのに、やっぱりドキリとする。いつもは淡い銀色の瞳が明るい琥珀色に変わっていて、肩より短めのブラウンの髪をした彼は、本当にふつうの男の人のようで決心がゆらぎそうになる。
「髪短いのも、似合うかも」
 わたしは言って、彼を見上げた。
 彼の顔がほんのり赤くなる。ありえないほど照れ屋なのだ、このひとは。こんなにキレイで、どう考えたってモテそうで、おまけに三百年以上生きてる悪魔なのに。
 彼は顔を赤くしたまま、すたすたと先を歩いてゆく。道行く人が彼を目で追う。
 嫌だ。このひとは、わたしの彼氏なんだから──今は。
 わたしは彼の腕に自分の腕を絡ませた。
「……えっ?」
 彼が目を見開いて、わたしの顔を見た。そんな表情までキレイなのは反則だと思う。
「悠乃サン?」
 このひとは声まで甘くてよく響く。
「悪魔サン、足速すぎ」
「あ……ごめん」
 ぼそりとだけど、すぐにちゃんと謝ってくれる。
「ごめん、ふだん一緒に歩いてないから」
 それは──わたしが彼と外出したくなかったから。みんながこんなふうに彼を見るのが嫌だったから。きっと、気づくのが、怖かったから。
「やっぱり、うちで会うほうがよかったかも」
 彼がそこにいるだけで、場の空気が変わる。ふつうの人間にはあり得ないほど、みんなが彼に魅了されてしまう。前に、神崎先生に化けた彼とデートしたことがあったけれど、あのときも彼は神崎先生にそっくりなのにどうしても神崎先生には思えなかった。神崎先生はかっこいいけれど、やっぱりふつうの人だから。
 わたしの部屋で、ふたりきりなら気がつかないのに。こうして、外の世界で彼と逢うと、気づいてしまう。彼が飛び抜けて人を惹きつける存在だってことに──彼が人を魅惑する悪魔だってことに。

 映画の最中も、わたしはずっと彼のようすをちらちらと盗み見ていた。悪魔が主人公に滅殺されるストーリーなのに、彼は主人公に感情移入しているみたい。ホントに変な悪魔。天使みたいにやさしい──ヘンテコだけど大好きな悪魔サン。

 映画館を出てすぐに、こらえきれずにわたしは彼に切り出した。本当は、今日の最後に言うはずの言葉だった。
「ごめんね、悪魔サン。わたし、やっぱり、あなたとはつきあえない」
 彼はキレイな瞳を見開いてから、ほんの少し、眉をよせた。
「悪魔サンのこと、好きだよ」
 自分の頬をあたたかいものが伝うのがわかる。
「でも、わたし、気づいちゃった……それがあなたの魔法の力なんだって」
 彼は唇をきつく引き結んでから、ふらふらと頭を横に振った。

つづく
2006.11.5

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