悪魔はシャイに I Love You


 怖かった。
 自分の中のなにかがはじける感触。
 なにより怖かったのは──オレが悪魔である自分を愉しんでいたことだった。

 


Scene 7 そしてオレは途方にくれる

 

 悠乃サンに魔法を使ってしまった。
 魔法を使って、無理矢理、美瀬からひきはなしてしまった。
 嫌われて当然だ。
 オレはあのまま家にも帰らず、誰にも見つからなさそうな高層ビルの屋上にいた。翼も角もそのままの、忌まわしい悪魔の姿で。どうしても、人間に化ける気にならなかった。
 もしも、このまま、人間に戻れなかったら──考えないようにしていた可能性が、冷たい水のようにひんやりとオレの心に忍び寄ってくる。
 厭な予測ばかりが駆けめぐり、最悪な推測に思い至って胃がひくりと引き攣れた。
 そんな──そんなはずがない。
 銀の指環に震える指先で触れた。

 夜中にこっそり家に戻った。
 ナーンの魔法がかかった我が家では、オレが夜どこにいても両親はなにも気がつかない。オレのせいで、家族まで不自然な状態なのかと思うと、もうほかのことはどうでもいいから、人間に戻って、ふつうの生活に戻れさえすればいいような気がしてくる。
 むしょうに喉が渇いて、キッチンに向かうと、ちょうど帰ってきたばかりの親父とはちあわせした。
「あ、おかえり」
 学者バカの親父は、オレが小さなころから大学に寝泊まりすることも多く、あまり顔を会わせることもない。
「ああ、ただいま」
 ぼさぼさの髪に流行らない銀縁メガネをかけた親父は、オレの顔を見てぼそりと呟く。
「なんだ、おまえ、冴えないなあ」
「親父にだけは言われたくない」
 オレが即答すると「そうか、そうだなあ」などと言って、親父はなぜか楽しげに笑った。
 そんな親父を見ていたら、やっぱり人間に戻るのに専念するのが一番な気がした。人間に戻るには、悠乃サンの恋がかないさえすればいい。そう、相手はオレじゃなくても、人間に戻れるのだ。悠乃サンのことはきっぱり諦めて──彼女の恋を応援するのが、オレには似合いな気がした。

 なにがあっても、当たりまえのように朝はやってくる。
 悠乃サンの顔を見たくない、そう思ったけど、どうせ彼女はオレのことなんかろくに覚えてない事実に思い当たって、ますますヘコんだ。
「山本ォ、決戦の日にそんなショボイ顔してちゃダメダメ」
 朝のあいさつもそこそこに、三田村がいきなりオレにでこピンをくらわす。
「いてぇじゃねーかよ。このヤロー!」
「気合い。なにごとも気合いなんだよ、ヒーローくん」
 はぁ? ヒーローだ? 相変わらず三田村のいうことはよくわからない。
 そのとき、美瀬の声がなぜか耳に届いた。
「諦めてないからね……悠乃サン?」
 思わずふたりの席を見てしまう。美瀬が自分の机に浅く腰掛けて、隣の席の悠乃サンを見下ろしている。
 ──いまなんて言った? 悠乃サン? 諦めてない? てか、会って二日目でもう名前呼びかよ。悪魔のオレが睨みきかしたってのに懲りてないのかよ。あのキンキラヤローはよ。
 いやいやいや、ダメだ。ここで理性を失っちゃ、昨日の二の舞だ。ふうーっと深呼吸をした。
 そうだ、オレは悠乃サンと美瀬を応援するんだ。
「ほら、山本もアホな百面相やってないで、さっさと行くぞ」
 北条がそう言って、なぜかオレの腕を引いた。
「行くってなんだよ、北条?」
「いいから来い」
 なんだかわからないが、オレたちは悠乃サンのほうへ向かっているような気がする。
「ちょっ、北条。オレ、今日、その方角は積極的に遠慮したい」
「今日に限らず、おまえはこの方角に遠慮しすぎなんだ」
 北条はささやくように言って意味深に笑った。
 教室なんてものは広くない。だから、オレはあっというまに、悠乃サンのまえに引き出されていた。遠山の金さんのまえに引き出された悪い人の気分である。実際は、北条と三田村、そしてオレが悠乃サンのまえに立っていただけなのだが。
「水梨さん、話があるんだけど」
 北条がいつもの人好きのする笑顔で切り出した。
 おいおい、なんの話だ?
 ここでオレは最悪の推測に思い至った。
 ま、まさか。オレの代わりに? ダメだ、北条。今のタイミングだけは勘弁してくれ。
 オレはいつも以上に悠乃サンの顔が見られないでいる。
「北条くん、なんの話?」
 やっぱり、北条の認知度は高いななどと、オレはどうでもいいことを考える。
「たぶん、水梨さんにもいい話だよ」
 ああ、北条。それって絶対、いい話なんかじゃねぇよ。
 やめてくれ、言わないでくれ。絶対、うまくいくわけがない。指環がちりりと熱くなる。
「オレの撮る映画に出てくれない?」
 ……は? 映画?
「映画?」
 悠乃サンの声が少しはずんだ。
「そっ。自主制作映画。オレが監督で、シナリオが三田村。ヒロインが君。どうかな?」
 北条はくすりと笑った。
「わたしが、ヒロイン?」
 顔を見なくても、悠乃サンの声がうきうきしているのがわかる。
「そう、すらりとした美人さんだからねー」
 三田村があいの手をいれる。
 だがしかし。ちょっとまて、北条。映画の話なら、なんでオレがここにいるんだ?
「そう、君がヒロイン」
 大道具か小道具? はたまたエキストラ? もしかして、機材運びか。手伝ってやるのはやぶさかではないが、そんなんで、なんでオレを引っぱってくるんだ、北条。
「それで、主人公が山本」
 そう言って、北条はずっとうつむいたままのオレの頭を軽くはたいた。
 ちょっと待った……いま、こいつ、なんて言った?
「えっ、この地味な人が?」
 悠乃サンの驚いた声に、席に座っていた美瀬がぷっと噴き出すのが聞こえた。

つづく
2006.11.27(12.3改稿)


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