悪魔はシャイに I Love You



 月明かりの下、エリュシエルの銀色の瞳が哀しげに揺れていた。
 どうして? なにがそんなに哀しいの?
 こんなに近くにいるのに、あなたの気持ちがわからない。やわらかな微笑みさえも遠くて。
 ぼんやりと歩いていたわたしは、いつのまにか学校の昇降口に着いていて、機械的に下駄箱を開けた。上履きをとろうとして、はらりと白いものが落ちたのに気づく。足許に落ちていたのは白い封筒。拾い上げてみると、封はされていない。なんとなく厭な予感がして、それでも好奇心に克てなくて中に入っていた白い紙を広げてしまう。

『北条くんは水梨をヒロイン役から降ろしたいんだって。親友で主役の山本くんが水梨に興味がなくなったから。恥かくまえに、自分から降りちゃいなよ』



Scene.8 誰にも言えない




 それは、パソコンのプリンタから出力された無機質なゴシック体で、とうてい犯人を特定するのは無理そうな代物だった。
 ああ、めんどくさい。
 わたしは元の通りに紙を折り畳んで封筒に戻した。誰かに見られて大事にされるのも厭なので、仕方なく鞄のなかにしまった。
 こんな目に遭うんなら、引き受けなきゃよかったかな。
 重たい気分で、教室へと向かう。たぶん、犯人はクラスメイトの女子の誰か。北条くんか、美瀬くんのファンだろう。……もしかすると、山本くんのファンかも知れない。可能性はめっちゃ低いけど。
 教室へ入るとどこからか視線を感じた。視線の元はわからないけど、たぶん犯人だと思う。わたしの反応を見ているんだろう。バカみたい。
「おはよう、悠乃サン」
 席に着くと、美瀬くんがあいさつしてきた。彼はあんなことがあったあとも、しれっとした顔で話しかけてくる。
「おはよう」
 礼儀なので、一応あいさつを返すと、彼はのんびりとした声でつづけた。
「なんかさ、空気が不穏だよねー」
「全然、不穏そうに聴こえないんですけど」
 わたしがそう返すと、美瀬くんがあの胡散臭い王子様スマイルを浮かべてキレイな顔を近づけて来た。どこかで息を呑む声がした気がする。
「悠乃サンの銀の君、最近、ようすがヘンでしょう?」
 なんで、美瀬くんがそれを。
「……あなた、なにかした?」
「ぼくはなにも。なにかしたのはキミでしょう」
 そう言って、悪魔払い師は小首を傾げてくすりと笑う。
 わたしが……?
「あれの機嫌が悪いと、その周辺も荒むんだよね。あれの位階はそういうポジションだから」
「どういう、意味?」
 わたしが詰め寄ると、彼は意味ありげに深い緑色の瞳を細める。
「教えてあげてもいいんだけど。あれは望んでないし、そもそも教えちゃったら意味がない。ごめんね、悠乃サン」
 彼がそう言って肩をすくめると同時に、神崎先生が入って来てホームルームがはじまった。

 その日以来、毎朝のように下駄箱には白い封筒があって、『淫乱女』だの『イケメン狙いの性格ブス』だの大きなゴシック体で印字された紙が入っていた。わたしは誰にも言わなかった。絵里にも、彼にも。廊下を歩いていて、肩をぶつけられることが多くなった気がしたけれど、まだそれだけだった。エルなら、すぐになんとかしてくれると思ったけれど、自分の恥のような気がして言えなかった。
 そして、わたしはいつもの長いキスのあと、彼にまったく別のお願いをした。
「ね、エル」
「……ん?」
 彼はいつものようにキレイに微笑った。
「まえに絵里と会ったよね」
「ああ、悠乃サンの友達?」
 低くて甘い声が耳をくすぐる。
「絵里、好きな男子がいるんだ。協力してくれる?」
 エルの長い銀の髪を梳くようにもてあそびながら、彼の顔を見上げた。彼は少しだけ困った貌になってから、口の端をあげて微笑う。
「……相手によるかな」
「大丈夫。相手の男子、いま、フリーだから」
 そう、彼はもうわたしに興味がないらしい。そう思うと、胸がずきっと痛む気がしたけれど、たぶん気のせい。だって、わたしにはエルがいる。エルと一緒にいるとこんなにしあわせなんだもの。絵里にもしあわせになってほしい。だから、わたしは、目のまえのやさしい悪魔に願った。
「お願い、エリュシエル。山本くんが絵里を好きになるように魔法をかけて」

つづく
2007.2.26

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