もともと、不思議にやさしい天使みたいな悪魔は、どこか儚くて寂しげな貌をするひとだったけれど、わたしの大好きな穏やかでふわりとした笑顔が少なくなって、気づくと、哀しげにわたしの顔を見つめていることが多くなった。わたしの他愛ないおしゃべりを、曖昧にかわすことが多くなって、気づくと、強く抱きしめられて長いキスを交わしていた。
Scene 6
愛するひととのすれ違い
「ねえ、エル。わたしと会うまえはなにをしてたの?」
長いキスのあと、彼の胸にもたれたまま、わたしは訊いた。
「……知りたい?」
耳許に大好きな甘い声が響く。
「知りたい。だって、あなたのこと知らなすぎるもの」
そう、いつだって、彼のことを訊ねると上手くはぐらかされる。このひとは不器用そうで、意外にのらりくらりとはぐらかすのが上手い。
「悠乃サンは知らなくていいよ」
吐息とともに、そんな言葉が耳に吹き込まれる。
「……あ」
「悠乃サンって、耳が弱いよな」
いつもより意地悪な声が低く響く。最近、たまにこんな声になる。
「ずるい」
「オレは悪魔だから」
そして、どこか拗ねたような自嘲を孕んだ声。
「エル、どうしたの? 最近、おかしいよ」
彼はくすりと笑う。
「おかしくないよ。オレはいつもオレ。キミが知らないだけで」
「だから、知りたいんじゃない」
わたしが彼を見上げようとすると、ふわりと抱きしめられて、広い胸にうずもれてしまう。エリュシエルが耳許に囁く。
「本当のことを知ったら、悠乃サンに嫌われるから……言わない」
「どうしてわたしがあなたのことを嫌いになるの? まさか……そんなに酷いことをしてたの」
このひとに、悪魔らしいことができるとは思えない。わたしと会うまでは、よくわからないけれど封印されていたみたいだし。
彼はわたしの両の頬に、男っぽい大きな掌をあてて顔をあげさせた。彼の淡い銀色の瞳と視線が合う。痛くはなかったけれど、このひとにしてはちょっと強引。
「酷いことなんてしてない。でも……悠乃サンは、いま、目のまえにいるオレだけ好きなら、それでいいよ。そうだろう?」
間近で銀の瞳が揺れて、長い睫毛が影を落とす。潤んだような切ない眼差しでそんなふうに言われたら、うなずくしかないじゃない。
けれど。わたしはこのとき、彼がどんな気持ちでその言葉を口にしたのか知らなかった。
「──興味ないよね?」
突然、絵里からかけられたその言葉にわたしは反応できなかった。
「え? なに?」
お昼休み。絵里とわたしはいつものように一緒にお弁当を食べていた。
「だから、一応、念押し。まあ、あんな超美形のカレシがいるんだから、大丈夫だと思うけど。悠乃は山本くんに興味ないよね?」
「あの、ちょっと不気味な人?」
わたしがそう返すと、絵里はあからさまに不機嫌な貌になった。
「ひっどーい。彼は不気味なんかじゃないよ。山本くんは癒し系なの!」
……えっ、もしかして。
「絵里って、山本くんのこと」
「しっ!」
絵里が人差し指をたててわたしを黙らせた。
「ごめん。だって、絵里が好きなのって北条くんだと思ってたから」
わたしが声をひそめて言うと、絵里も内緒話モードになる。
「北条くんを見ているうちに、気になってきちゃったんだ」
絵里は照れくさそうに笑う。女の子っぽくてかわいいなあ。
「そっか。彼、今フリーっぽいから、よかったじゃない」
わたしが言うと、絵里はまた呆れたように、ぷーっとふくれた。
「フリーって、そりゃそうなんだけど。……今だから言うけどね。彼、ずーっと、悠乃に片思いしてたんだよ」
……えっ?
「その貌、ホントに全然気づいてなかったんだ」
絵里はわざとらしく額にぱんっと手をあてた。
「……冗談でしょ」
地味で挙動不審で不気味で、ほとんど話もしたことのないあの人が? わたしに片思い?
「ずーっと見てたじゃない、悠乃のこと」
ああ。だから、よく目が合った?
「じゃ、挙動不審だったのって」
「好きなコをまえにしてあがってたんでしょ」
そっか。すとんと納得した。
不気味なんて思って、悪いことしちゃったな。
ちらりと山本くんのほうを見る。彼は今日もなんだか影薄く、北条くんたちとごはんを食べている。
「でもさ。最近、山本くん、元気ないんだよね」
絵里が心配そうに、紙パックのウーロン茶を飲む。
「悠乃のこと、見なくなったし。まあ、これはわたしにとってはいい傾向なんだけど」
絵里は少し複雑そうな貌になった。
「悠乃、山本くんになにか言った?」
わたしは首を大きく横にふる。
「ほとんど、あの人と話してないもの。どうして?」
訊くと、絵里は言いにくそうにしている。
「なに? 言ってよ」
「なんだかここ一週間くらい、悠乃のこと避けてるんだよね。だから、悠乃がなにか失言したのかと」
避けてる? わたしのことを?
「ううん。なにも言ってない」
言ってないはずなのに。
もう一度、山本くんをちらりと見る。彼と、ほぼ一週間ぶりに目が合った。
ごめんね、不気味なんて思って。わたしが心の中でこっそり謝った──そのとき。
彼はうっすらと目を細めて、不機嫌そうにわたしを一瞥すると、ふいっと視線を外した。
え……っ?
絵里が小さくため息を吐くのが聴こえた。