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LUNATIC GOLD 1
 

 

 


 

 


第一部 月下の一群

 

 


 黄金色の波が揺らめくように舞い上がる。
 熱狂の嵐の中、彼は叫び続ける。
 真実の自分を。
 すべての者よ、我が声を聴け、我を見ろ、我はここにいる。
 黄金色の波がノヴァのように輝き、スパークした。

 

 


1 オレはフツーの高校生だった

 



「委員長の君が遅刻じゃ、みんなに示しがつかないじゃないか、高見沢君」
 担任の杉山が職員室中に響き渡る声で言う。
 ──んなこと言ったって、今日は朝からどしゃぶりで、いつものチャリは使えないし。バスは満員でうちの停留所を無視して通 過して行くし。ひとつ前のバス停まで、やーっと歩いて乗れたと思ったら、道が混んでていつもは十分で行くとこを四十分もかかっちまうし。これでもオレはいつもより三十分も早くうちを出てるんだぜ、センセー。
 そう言えるタイプだったら、今頃センコーのパシリ、もとい委員長なんて貧乏くじ引いてないよなぁ、でも委員長やっとくと内申書いいんだよなぁ、なんて思いながら、高見沢令はこの場で望まれているであろう表情を作って口を開いた。
「すみませんでした、先生」
「まあ、真面目な君のことだからな、今回は大目に見よう。今後はしっかりしてくれよ」
 杉山が満足げに笑う。令はぺこりと頭を下げて、一刻も早く職員室から逃げ出そうとした。
「ああ、そうだ、これ配っておいてくれ」
 ドアに手がかかったところで声をかけられ、あわててとって返す。杉山がプリントをどさっと渡した。
『十五歳の芥川賞作家、後白河綾瀬講演会』
 プリントに目を落とすと、来週そんなのがうちの学校に来るらしい。
 ふぅん、芥川賞といえば日本で一番権威のある新人文学賞じゃねぇか。経歴を見ると、なになに、つい最近までイギリスに留学してたというその野郎は、十五歳でケンブリッジ大学を卒業しちまったようだ。腹が立つ程の超エリート。同い年でンなの、まるっきし別 世界だ。ここで、令ははっと現実に戻った。
 あ〜あ、呼び出しくらったせいで昼休みがパァじゃんか。次の化学はテストだっつーのに。

「令ッ、濡れたままで部屋に入って来ない!」
 帰宅するなり、令を待っていたのは母親の叱責だった。
「わーったよ」
「テストはどうだったの」
 突っ込まれると、ヤバイ。
 すその濡れた制服を脱衣所に脱ぎ捨て、下半身下着だけのかなり情けない恰好で自分の部屋にかけ込む。今日のテストはヤマがはずれて散々だったのだ。令のヤマは実際おそろしい程よく当たる。ただし、テストの直前に落ち着いてはるのが条件だ。今日みたいにあわただしい場合や、あがりにあがりまくる受験の時にはまったく役に立たない。高校受験で第一志望をコケた暗い記憶が甦り、令は頭を振った。
 ひととおり着替えをすませて、ふと机の上を見ると、やけに上等そうな分厚い和紙でできた封筒が目に入った。表書きも達者な毛筆である。裏を見ると『黄神』とだけ立派に印刷されていた。令が知っている黄神といえばひとつしかない。黄神と書いて『おうじん』と読むことは誰でも知っている世界有数の財閥の名だ。宣伝費かかったDMだなぁ、と思いながら、令は封に手をかけた。なんだか妙な、首の後ろがざわざわする感じがした。

「あのさ、うちって黄神となんか血のつながりあんの?」
 夕食のカレーをすくいながら令は言った。
「黄神って、あの黄神?」
 母親が目を丸くする。
「あるわけないじゃない、ねぇ、お父さん」
「あるわけがない」
 話題をふられた父親もうなずく。そりゃそうだ、天下の大財閥と親戚なら、いくらなんでもアパート住まいってことはないだろう。やっぱり、あれはなにかのまちがいに違いない。
「なぁに? 昼間きてた手紙に何か書いてあったの?」
「ううん、あれはただのDMだよ」
「そう、で、テストはどうだったの」
 ま、マズイ。
「おまえのまあまあは散々ってことだからねぇ」
 ううっ、さすがは母親、読まれている。
「すべりどめのはずだった今の高校レベルで成績悪いようなら、日曜のバイトはさせませんからね」
 が〜ん。オレはそそくさとカレー鍋の方向へ立ち上がった。そこへ、母親のとどめの一撃。
「それから、バカな息子には肉のおかわりもないわよ」
 クリティカルヒット。令は倒れた。
 満足しきれていないお腹をかかえて自分の部屋に戻る。はーっとため息を吐いて、なんとはなしに部屋の中を見回した。団地サイズの四畳半の洋室。本棚と机と洋服ダンスとベッドが大部分のスペースを占領し、CDラジカセと小さなテレビデオが隅のほうに申し訳なさそうにうずくまっている。パソコンも欲しいけれど、たとえ金が貯まっても、本体はともかくプリンタなどの置き場所は到底ない。あ〜あ、令はまたため息を吐いた。
 成績なんかよくたって実際なんになるんだろう。正社員になるのは難しいし、運良く就職できたとしたって、たいした給料がもらえるわけでもなし、家なんか建てちゃったら一生ローンの返済で終わっちまうし。一番おいしいとこは生まれつきの天才か金持ちが持っていくんだよな。オレにだってやってみたいことはあるけれど……あれは無理だ。例のヤツをやらかすわけには。ダメだ、ダメ、やっぱり地道に生きるしかない。
 お気に入りのCDをセットして、ベッドにばったり倒れ込むと指先に何か当たった。見ると、さっきの封筒だ。高見沢令殿、黒々と書かれた文字が偉そうでムカつく。住所も名前も間違ったところはない。もう一度中味を取り出してざっと目をとおす。便箋も透かし模様の入った凝った和紙で、表書きと同じ流れるような毛筆でしたためられている。
『高見沢令殿
 黄神一族の次代を担う貴君を当家に招待し(中略)なお、当日は他家の後継も多数会することになるため、この機に一層の親睦を深めることを(後略) 』
 これって、どう考えても黄神のぼっちゃんが一同に会するパーティかなんかの招待状だよなぁ。なんでこんなもんがオレに来るんだろ。やっぱ、まちがいだよなぁ。
 気がつくと、CDの歌は夢を失うなとシャウトしている。大きく何度めかのため息を吐いて、令は封筒を放り投げた。胸のあたりに軽い羨望をちくっと感じながら。

「ねぇ、見た見た? あれ、BMWだよね」
 今日は朝からクラスの女どもがやかましい。
「カッコイ〜の。やっぱさぁ、フツーじゃないんだよね」
「うん、そうそう。クラスの男子なんかとはぜんっぜんちゃうよね!」
 ったく、女ってぇのは。
「あ〜あ、野郎の話なんか聞いたってくそ面白くもねぇよなぁ。カワイイ女の子でも呼びゃいいのに学校も気がきかねぇ」
 令の隣席の小川が女子に聞こえるように、わざとらしく言った。今日は、例の芥川賞作家の講演があるのだ。そいつがさっき、車で到着したらしい。
「高見沢もさぁ、いっつもモテてっから面白くねぇだろ?」
「べっつに。女の子のほうがよかったってのは賛成だけど」
 令がそう言うと、きゃあきゃあ騒ぐ女の子たちの声のトーンがちょっと落ちた。長身で小さな顔がちょこんと載っているタイプの令は、同じクラスになった女の子がまず一番に目をつける男の子だった。顔立ちもすっきり整っており、綺麗すぎてかえって派手さを欠いているくらいだ。バイト先のファーストフード店でも令目当ての女性客が結構多く、マニュアル通 りににっこり笑うと、赤くなってレジでうつむいてしまう女の子も少なくない。
「やっぱ、高見沢は特別なんだな」

 午後の授業をすべてつぶして講演がはじまった。委員長という手前、おおっぴらにしゃべるわけにもいかず、メール代もケチっている令は、寝てしまうつもりでいた。ところが講演者の、えーっと上も下も名字みたいな名前の──後白河綾瀬がずうっとこっちを見てしゃべっているような気がするのだ。
 オレってこんなに自意識過剰だったっけか。
 一年生の席は前のほうで、しかも令の位置はかなり右よりにあるから、壇上にいる人間の視線は自然に令の場所にはこないはずだ。後白河は、とても同い年には思えない大人びたイケメンだが、令としては野郎に好かれてもちっともうれしくない。きっと、この辺を見てしゃべるのが癖なんだよなぁ、令はそう思いこむことにしたが、眠る予定は諦めるしかなかった。
 なんだか令にとってどっと疲れる講演が終わった。教室に戻る途中でまた小川が声をかけてきた。
「なぁ、おまえって男にもモテんのな」
「な、な、なんだよ、それは」
「だってよ、あいつ、ずうっと高見沢のこと見てしゃべってたじゃねぇか」
「あ、小川君もわかったぁ? そうだよね、あの人、絶対高見沢クンのこと見てたよね」
 同じ班の望月成美まで話に加わってきた。望月はカワイイ子なので、正直こういう話題で盛り上がって欲しくない。
 だが、災難は後ろからやってきた。
「高見沢君?」
 望月が小さく声をあげた。振り向くと噂の当人、後白河綾瀬が立っている。
「ご、後白河……」
 近くで見ると、令よりも少しだけ長身で、見上げる恰好になったのがなんだか悔しい。
「手紙は届きましたか?」
「……あのオレ、あなたとは初対面だと思うんだけど」
「ふうん、ぼくはさっき充分挨拶したつもりだったんですが」
 後白河がにっこり笑う。望月が「やだー」と言ったのが聞こえる。
「人の顔、じろじろ見るなんて失礼なんじゃないか」
 そう言いながら、自分の顔が赤くなるのがわかる。
「……そりゃ失礼。で、来週は来るんでしょう?」
「来週ってなんだよ?」
「まさか郵便事故かな。黄神からの招待状、届いていませんか」
 あ……あのまちがいの手紙か。と、思った時、後白河がくすりと笑った。
「あれはまちがいなんかじゃありませんよ。黄神大老がそんなヘマをするはずがないでしょう?」
 妙に真剣な目でオレをじっと見る。
「では、また来週に」
 後白河の後ろ姿を、令はただ呆然と見送るしかなかった。

 来週の日曜日、たしかに黄神の招待状にはそう書かれている。自室のベッドの上で令は迷っていた。行くべきか、行かざるべきか。あいつがずっとオレの顔を見ていたのは、たぶんこいつのせいなんだろう。令はもう一度招待状を見た。あの後白河っていうのは製薬会社の御曹司だったはずだ。てことは、後白河製薬も黄神財閥なのか。にしても、あいつはなんでオレの顔まで知ってたんだろう。

 五月の、ちょっと汗ばむくらいの陽気の中、令は黄神邸にたどりつけないでいた。最寄りの駅から地図を見ながらてくてく歩いてきたのだが、それらしき高い塀がえんえんと続くだけで門が見あたらないのだ。
「畜生、門はどこにあんだよ? おニューなのに汗でぐしゃぐしゃじゃんか」
 見栄っ張りの令はバイト代をはたいて、きれいなプリントのシャツと三万円もするジャケットを買った。パンツも勧められたが、もう財布の底が見え隠れしていたので泣く泣く諦めたのだ。
 そこへ天の助けか、はたまた悪魔の誘惑か、一台のBMWが止まった。
「高見沢君?」
「ごっ、後白河」
「よかったら乗って行きませんか」
 イギリス帰りの製薬会社のおぼっちゃまはそう言ってにっこりと笑った。びしっとスーツできめた後白河は大学生くらいの年齢にしか見えない。もしかして、こいつ、ホントにオレに気があったらどうしよう、ちょっと令が躊躇していると、うしろでベンツがクラクションを鳴らした。
「なぁにしてんだよぉ、あとがつかえちまうぜ」
 ベンツの窓から髪をツンツンに立てたちょっとワルそうな奴が顔を出す。
「ああ、青野(せいや)か。ちょっと待って。さ、高見沢君、早く」
 ツンツン頭が後白河に気づいてニヤリとした。
「なんだ、ケンブリッジの旦那じゃんか。それじゃそいつが例の?」
「まあね。それではまたのちほど。君とも相談がありますから」
「オッケー」
 後白河の車に乗せられて少しすると大きな門が見えてきた。ベンツだのアウディだのBMWだの、大きな左ハンドルが次々と入って行く。この分だと、電車でゴトゴト二時間も揺られてやって来たのはオレだけかも知れない。門を抜けても庭がえんえんと続いていてまだ玄関に着かないらしい。たしか、ここって都内でも一等地だったんじゃないか。やっぱ、来るんじゃなかった。令はどっぷり後悔した。視線を感じて横を向くと、後白河がまたこちらを見ている。……こいつ、ホントになんなんだ?
「なにか、オレの顔についてますか?」
「顔じゃなくて、ただ派手な色だな、と」
 そう言って、にっこり笑う。
「ああ、ここで我々は降りましょう。あと、頼みます」
 運転手にも微笑みかけて、車からさっさと降りる。自分のシャツの色合いを見ていた令も、あわてて後に続いた。
 開け放した大きな玄関をくぐると、そこはホテルのロビーのようにひたすら広かった。その広いスペースに同年代の野郎どもがうじゃうじゃしている。百人以上はいるだろう。令があっけに取られていると、年輩の男が寄ってきて深々とお辞儀をした。
「これは綾瀬様、ようこそおいで下さいました。恐れ入りますが、あちらが受付になっております。儀礼的なものでございますので、宜しくお願い致します」
「ああ、じい、いいんですよ。今日はセレモニーだから。もちろん、ぼくもみんなと同じことをするつもりですよ」
 『じい』なんてものが現存するとは。そのうち、『ばあや』や『おひいさま』も登場するかも知れないぞ。
「受付ぇ? いいじゃんか、めんどいぜ。じいだってオレのことはよーッく知ってるくせに」
 令たちの後ろでさっきのツンツン頭が叫んだ。
「青野様、本日は黄神大老の……」
「ちっ、わーったよ。でも並ぶのなんざゴメンだ。さぁ、どいた、どいた」
 ツンツン頭がそう言うと、不思議なことに彼の前にさっと道が出来た。
 そんなやりとりをしているうちに、さっきまで奥のほうで話していた奴らがなぜかこちらのほうへ寄ってきた。

「後白河君、芥川賞おめでとう。イギリスはどうだった?」
「海棠君、久しぶりだね。今度一緒にゴルフでもどうだい?」
 ツンツン頭は海棠青野というらしい。どうやら、このふたりを中心に輪が出来ていくようだ。別 に後白河と一緒にいたかったわけでもなんでもない令は、みるみるうちに輪の外に押し出されてしまった。
 ……へーっ、あいつらきっと大物なんだな。ま、いいや。黄神のぼっちゃん達のごますりごっこなんてオレには関係ねぇし。それに後白河みたいなのは苦手だ。
「ねぇねぇ君」
「……へ」
 横を向くと、めいっぱい盛装して来たつもりなのか、紋付き袴姿の男がいた。小柄なせいかどう見ても老けた七五三だ。令は思わずふき出しそうになるのを懸命にこらえた。
「君、見かけない顔だけど、どうやって後白河綾瀬と知り合ったんだい?」
「……どうやってって、あの作家のセンセーが勝手にオレにガンつけやがって……っていうのもちょっと違うかな、えーっと」
「うらやましい」
「へっ? なんで?」
「なんでって、後白河といえば、〈白〉の一族の宗家の嫡子で、〈大老の目〉と呼ばれる、実の孫をのぞけば黄神大老一番のお気に入りじゃないか。その後白河と友達になれれば、血のうすい、やっと招待状をもらえたぼくにだってチャンスがめぐってくるかも知れない」
「チャンス、ってなんの」
「ホントに君、黄神なのか。そんなことも知らないなんて」
「う〜ん……たぶん黄神じゃないと思う」
「なんだ、後白河の小姓か」
 紋付き袴はぶつぶつ言いながら、他の奴のほうへ行ってしまった。
 ……オレがなんであいつの『小姓』なんだよ? 第一、いまどきそんなもんいるもんか。
 ふと、周りを見渡すと、例のふたりに寄って行った奴ら以外は、めいめい知り合いの連中と情報交換しあっているらしい。黄神の血やら能力って言葉がやけに耳につく。それと、たまぁにオレのことを上から下までなめるように見ている連中がいるような感じがするのは気のせい……じゃないと思う。そんなにこのシャツ派手じゃないよな。
 受付をすませてしばらくすると、別の大広間に案内された。長いテーブルの上にナプキンがあるところを見ると、ここで豪華なゴハンが食べられるらしい。
「ラッキー」
 なぜかジロジロ見られたうえに、見知った顔がまったくいない心細さも手伝って、このまま帰ってしまおうかと思い始めていた令だったが、ここで思い直した。せっかく二時間もかけてここまで来ておいて、おいしいゴハンを食べていかない手はないじゃんか。
「ああ、いたいた。高見沢君」
「……へっ」
 声のするほうを見ると、後白河がにっこり笑って手を振っている。冗談じゃない、オレはあいつの小姓なんかじゃねぇぞ。令は無視を決め込んで聞こえないふりをしていたが、ツンツン頭がやって来て、ぐいっと腕を取られた。いっいやだァ、こいつら大物なんだろォ? 隣なんかにいたら注目浴びちまうぅ。マナーがわかんないから、隅でコソコソ食おうと思ってたのに。細身の令と体格の変わらない、背だけでいえば、少し低いくらいの海棠の腕がなぜかまったく振りほどけない。ついに令は、後白河と海棠の間の、マナーでいえばものすごい上座に無理矢理座らされてしまった。予想していた通 り、一同の注目を一斉に浴びる。けげんそうな表情をする者や、嫌悪感も露わににらみつけてくる者さえいた。
 ここで令はやっとツンツン頭の出自に思い当たった。今や世界で一二を争う金持ちと言われる海棠グループの御曹司……。ウソだろ〜っ? なんでオレがそんなのにかまわれなきゃなんないんだよォ。
「ここにいたほうが得だと思いますよ」
 そっと、後白河が耳打ちしてくる。トク? なんのこっちゃ。
「あとひとり……」
 ふたりが令の後ろでぼそぼそ言うのが聞こえる。
 そうこうするうちに、おおかたの人間が席に着いた。海棠はしっかり自分の隣を『あとひとり』のために確保している。
「おっせぇな、あいつ。まさか、来ねぇつもりじゃ……」
 ちょっとイライラしているらしい。その時、いったん閉められたドアが開いてひとりの男が入ってきた。
「おっ、こっちこっち」
 海棠が手をぶんぶん振る。ものすごく長身の野郎で全身黒ずくめだ。ビジュアルバンドのメンバーみたいな黒髪のロン毛に紫色のメッシュを入れている。顔も日本人ばなれしていてひどく目立つ。このメッシュの登場で、場内はざわめいていた。海棠や後白河に対する注目ともちょっと違う。誰もが少し驚いたようにメッシュを目で追っているのだ。その中をメッシュは中世の貴族のように優雅に歩いて行く。ふいに、令とメッシュの目が合った。無表情だった彼がなぜか微笑んだ。
 メッシュを待っていたかのように食事がはじまり、令はテレビのグルメ番組でしか見たことのない豪華料理を満喫した。ラッキーだったのは結局運ばれてきたのが、あまりマナーにうるさくない中華料理だったことだ。ツバメの巣だの、熊の手だの、フカヒレだの、北京ダックだの、ああ幸せ。デザートのよくわからない甘くて美味しい謎のフルーツを食べ終わったころ、広間の灯りが突然消えた。
『黄神の血を引く子等よ』
 よく通る低く落ち着いた声が響き渡った。耳を傾けずにはおけない、不思議に力のある声。
『わしの後継を定める日が近づいている。しかし、それは黄神の血を色濃く引いた者でなくてきならぬ。黄神の力を持った者でなくてはならぬ。故に、ここに選ばれし黄神の子等よ。競い合い、わしに黄神の力を見せるのだ。黄神の血を見せるのだ。この通 過儀礼により、そなた達の一族における地位が位置づけられよう。これまでは過去のことぞ。これよりは、子等よ、そなた達によって全てが決まるのだ』
 灯りがともり、いつのまにかさっきの『じい』が前に立っていた。
「黄神大老よりのメッセージを皆様にお聞きいただきました」
 水を打ったようにしんと静まりかえっていた場内がふいにざわめいた。
「ただいま、大老の仰られたように、皆様には競い合っていただかねばなりません。黄神の力にて、でございます。これには大老の後継ばかりではなく、次代の勢力範囲の獲得もかかっております。さて、方法でございますが、本日お近くのお席に座られたかたに四人でひとつずつの組になっていただき、他の組の方々と競い合う形を取らせていただきます」
 一斉にわっと声があがった。令は当然、ツンツン頭、メッシュ、そして後白河綾瀬の三人と同じグループということになる。ここにいたほうが得だと思いますよ──後白河の耳打ちはこういう訳だったのだ。
「期間は今週の水曜から二週間──」

「だからぁ、オレ、二週間も学校休めないって言ってんだよ」
 にっこり作家に誘われて乗せられた、帰りのBMWの中で令は叫んだ。そんな令を無視して、後白河は携帯電話でラ・メールとやらの話をしている。
「中間テストなんだぜ。そんな時期に休んじゃったら、内申書ムチャクチャに書かれちまうよ」
「事の重大さをちっとも理解していないようですね、あなたは」
 電話を切った後白河が、ちょっと呆れたようにため息を吐いた。
「黄神一族内での位置が決まるんです。テストや大学なんてどうだっていいでしょう?」
「だからぁ、オレは黄神なんかじゃないってば」
 後白河はぷっと吹き出した。
「本当に、あなたは何にもわかっちゃいないようですね」
「その、人を小馬鹿にしたようなしゃべり方、やめて欲しいんだけど。オレんちは黄神なんかじゃねぇんだから。招待状だってホントはなんかのまちがいなんだぜ」
「ふうん、じゃ、今日はどうして来たんです? 黄神一族の集まりだってことは知っていたでしょうに」
 後白河は痛いところを突いてくる。だけど、こいつの前で『もしかして自分も黄神だっら……』なんて、ほのかな期待を持って、つい来てしまったなんて言いたくない。
「好奇心だよ、好奇心。今日は話のタネにちょっと来てみただけ。第一、なんでオレがあんたらと組まなきゃなんないんだよ? あんたらと組みたそうにしてた奴らたくさんいたぜ。なんで、オレじゃなきゃいけないんだよ?」
「ダメですね、あなたじゃなきゃ」
 後白河はまたにっこり笑った。こいつのアルカイックな笑顔にはどうも妙な迫力がある。
「怖いんでしょう。黄神と競い合うのが」
 ムカッ。
「おっ、降りるっ、降ろせよ。歩いて帰る」
「これに勝てば、黄神一族の頂点に立てるかも知れないのに、尻尾をまいて逃げ出すってわけですか。まぁ、無理もないかも知れませんね。一般 庶民のあなたじゃ」
 これにはすごくムカついた。ダメだ、ダメだ。怒るな、怒っちゃ……。
「たしかに、あなたは黄神じゃないですね。そんなプライドのない奴」
 瞬間、ぐらっときた。頭にカッと血が昇って、なにがなんだかよくわからなくなる。
 後白河が「ほぅ」と声をあげる。地震だ、直下型の。その時、令は後白河にぴしゃりと頬を叩かれた。ぴたりと地震がやむ。
「……これは見事だ」
 後白河がくすくす笑う。令は蒼白になって下を向いている。
「さすがですね、これほどとは」
「なっ、何がさすがなんだよ」
 令が声を絞り出すように言う。
「地震が起きちゃうんだぜ。オレがいつもどれだけ苦労してるか……」
「まぁね、ちょっと怒っただけでオーラが暴走しっぱなしでは、普通は困るだけでしょうね。……にしても、派手な色だな」
「また、シャツの色かよ? さっきから、からかいやがって……」
「あなたのオーラの色」
「おっ、オーラ?」
「人が放つ精神の波動です。あなたのは派手な黄金色でね、壇上からでもすぐにわかりましたよ」
 そう言って、令のほうを眩しいように見る。
「きっ、黄金色? そ、そんなん見えないけど?」
 あわてて令はあたりを見回した。
「ぼくは〈白〉の一族ですから、普通の人より目がいいんですよ」
 目? そういえば、紋付き袴が〈大老の目〉って……。
「おっ、おい、もしかして黄神の力って……」
「そう、俗にいう超能力です。さっき、あなたのことをジロジロ見ている人達がいたでしょう。彼らも〈白〉の一族ですよ」
 後白河はいつものようににっこりした。
「あなたのオーラ、それは黄神以外の何者でもありませんよ」

 結局、令はアパートの階段の下まで送ってもらってしまった。
「えっと、お、お茶でも飲んで行く?」
 つい、社交辞令が出てしまう自分が哀しい。
「今日のところは遠慮しておきましょう。あなたの家も今、大変でしょうし」
 後白河は例のくすくす笑いをした。イヤミな奴め。どうせ、後白河製薬御曹司の芥川賞作家が突然やって来たら、家中あたふたするよ。
「それじゃ、また近々」
「もう二度と会うことはないと思うよ」
 令は振り向きもせず、アパートの階段を駆け上がった。
 ところが、後白河が足を踏み入れずとも、高見沢家はあたふたしていた。
「ただいまぁ」
「令っ、こんな大事な日にどこに行ってたの?」
 中から母親が頬を紅潮させて駆けてきた。
「なんだよ?」
「特待生に選ばれたのよ」
「……へっ」
「まったく、うちの子は親に内緒でいつのまにそんな試験を受けてたんだか。お母さんに言っておいてくれたっていいじゃないの 」
 母親は涙ぐんでいる。
「天下のラ・メールの特待生だなんて」
「はぁっ?」
 ラ・メールといえば、半分以上があのT大に合格するという超進学校じゃねぇか。そんなバカな。なんでもオレのいない間に、ラ・メールの職員がやって来て、『お宅の息子さんが優秀な成績で特待生試験に合格されました』とかなんとか言ったらしい。──そうだっ、ラ・メールっ。あの後白河の薬売りが電話してたじゃないかっ。
「お母さん、信じられなくて、ラ・メールに電話して本当かどうか確認しちゃったわ」
 オレだって信じられないやいっ。まさか、ここまでやるなんてっ。
「かっ、母さん、それは後白河ってイヤミな奴のインボー……」
「今夜はご馳走よ。そうね、令の大好きなまぐろのとろ鉄火丼なんて奮発しちゃおうかしら」
「ちょっ、ちょっと待ってってば。オレは特待生なんかじゃ……」
「えっ、なあに? 孝行息子」
 そう言って、令の肩をぽんぽん叩く。そんな母親のうるうるした目を見ていたら、令はなにも言えなくなってしまった。合格確実と言われていた第一志望の一流高校を見事に落ちた時には、母親はげっそり十キロは体重を落としたのだ。 どうしよう……なにか断る理由を見つけなきゃ。
「あっ、でっでもさ、ラ・メールって都内じゃん。せっかくだけど、うちからじゃとても通 えないよなっ」
「大丈夫。特待生のために特別に寮を用意するって仰ってくれたのよ」
 母親が後白河のようににっこり笑った。

 翌朝、登校するとすぐに令は担任の杉山に呼び出された。
「高見沢、本当に急なことだったが、おめでとう。あちらに行ってもがんばるんだぞ」
 いえ、センセー、ちっともめでたくないんです。
「まあ、真面目な君のことだ。あっちでもうまくやれるだろう」
 いえ、うまくやられたんです。
「君のような優秀な生徒と今日限りとは、先生は本当に残念だ」
 せっ、センセーっ。うるうる。
「でな、委員長バッジを返却して欲しいんだが」
 あーのーなーっ!
 オレがバッジをむしり取っていると、化学教師の松原が声をかけてきた。
「高見沢、苦手なのは化学だけだったんだな。だがなぁ、やはりもう少しがんばらんと」
 そう言って、あの日のテスト『四十八点』を手渡された。いやだぁぁぁぁ〜っ、落ちこぼれたくないぃっ。
 クラスに戻ると、女の子たちが口々におめでとうを言ってくれる。つい、にっこりしてしまう自分が情けない。小川が隣の席でぼそりと言った。
「やっぱ高見沢は特別だったんだなぁ」

 うちに帰ると、母親はすっかり『孝行息子』の荷造りを終えて待ってくれていた。
「六時頃、ラ・メールのかたが車で迎えに来てくださるんですって」
「あっ、あのね、母さん」
「なに?」
 やっぱり、コネによる不正入学だなんて、とても言えない。

第1話 End
2004.6.26 rewrited
Written by Mai. Shizaka

 

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