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LUNATIC GOLD 11
 

 

 


 

 


第一部 月下の一群

 

 


11 最悪なKISS

 




 落ちた……。
 鬼ひげが根岸とにこやかに握手をしているのがスローモーションのように見える。まるで映画を観ているみたいに現実感がない。
「君たちも次のチャンスでがんばって下さい」
 鬼ひげが言ってドアの外へと消えた。ゆっくりと、ゆっくりとドアが閉じる。そして、パタン、と小さな音がした。
 すべて、終わった。

「……君、君」
 遠くで声がする。
「君、大丈夫?」
 目の前にミネラルウォーターを持ってきてくれた青年の顔があった。
「え……あ? オレ?」
 令は椅子にボーッと座りこんだまましばらく動けなかったらしい。
「今、外に出るとマスコミがたくさんいて大変だろうと思って。……なんだったら、しばらくここにいる?」
「ありがとうございます。なんだか、すっかりお世話になっちゃって、すみません」
 令はぺこっと頭を下げた。
「残念だったね。君、すごくよかったのに」
 青年は令の耳元でささやくように言った。令は少しだけ下を向いた。
「……そんなこと、ないです。……根岸さん、よかったし……」
 令の呟くような小さな声がなぜか控え室中に響いた。不思議に皆黙り込んでしまう。
「てめぇ……本気で言ってんのかよ?」
 突然、令に一番つっかかって来ていたヤンキー風の男が怒鳴った。
「てめぇにとっちゃ、ひとつのオーディションなんざその程度のモンなのかよ? ええ? 何千人いようが一番上手く歌えるんだろ?」
 つかつかと令のほうへ詰め寄ってくる。
「ええ? あんた、さっき、言ったよな? 何千人いようと一番上手く歌えるって」
 ヤンキー男は挑むように令を見下ろした。
「……言ったよ」
 令は椅子に座ったままそっぽを向いて言った。
 いまさら、こいつは何が言いたいんだ? 終わったことじゃないか。そうだ、全部、終わっちまったんだ。
「で? なんで一番のあんたが落ちるんだ?」
 ヤンキー男はまだ言い募る。
 そんなこと、審査員に訊いてくれ。オレはもう何も聞きたくない。
 令は心の中で怒鳴った。
「いいか。おい、ちゃんと聞けよ。悔しいけどよ、オレもそう思ったよ! 何千、何万、応募者が来ようとあんたは残る、ってな!」
 彼の言葉に驚いて令は顔を上げた。ヤンキー男は怒ったように顔を真っ赤にしている。
「おい、なんであんた、もっと怒らねぇんだよ? 赤の他人のオレでさえこんなにハラ立ててるってのによォ? 今日のオーディション、誰が見たってあんたが一番だったじゃねぇか! 審査員のど阿呆どもがどう選ぼうと、根岸よりもオレよりもあんたの歌が一番よかった。ここにいる奴らには皆わかってるぜ? なのに、なんで当の本人がそんなに平然としてられんだよ?」
 間近にいる彼と目が合った。そして、皆と目が合った。皆、令を見ていたので。唇が震えた。彼らの気持ちをオーラで感じたので。
「オレ……オレだって……」
 令が唇を噛みしめる。
「オレにだってわかんねーよ! だけど、あいつらが選ばねぇんじゃしょうがないじゃないかッ?」
 抑えていた感情の爆発に堪えきれず、涙があふれた。大粒の涙がぽろぽろと頬をつたう。泣いてしまったのが恥ずかしくて令は部屋を飛び出した。
「あっ、おい待てよ。おいッ」

「あっ、君!」
 部屋を出るなり、レポーターたちに取り囲まれる。あの時の栗山とまともに視線が合う。
「あれ……? 君、泣いちゃって……ありゃりゃ」
 こりゃかわいい。
 そう栗山がにやける間もなくカメラに気づいた令が慌てて腕で顔を隠す。と、ふいに空いていたほうの腕をぐいっととられた。
「マヌケ! こっちだ、ついて来い」
 さっきのヤンキー男だ。ヤンキーはするすると巧みに人をすきわけ前に進む。
「こちとら、バイトでタレントの逃がし屋もやってんだ。へっへっへ」

 打ち合わせに向かう途中の廊下で根岸はごくりと唾を飲んでから思い切って口をひらいた。
「どうしてオレだったんです?」
 夢にまで見たデビューだ。うれしくないはずがない。だが、どうしても心にひっかかる。なぜ、彼じゃなくオレを選んだんだ? こんなことを自分から口にするなんて甘い、とは思ったがそれでも根岸は訊かずにはいられなかった。認めたくはないが、ルナと名乗ったアレは桁が違う。天才というのはあの金髪のような奴のことを言うんだろう。
 鬼ひげは根岸をちらっと横目で見てから天井を見上げてううんと唸った。少し、間があった。
「それはね、根岸君」
 鬼ひげは豪快に笑い出した。
「いわゆる企業秘密ってやつだよ」

「脱出成功!」
「うまいなァ」
 ヤンキー男の車の中で令が感心する。
「ったりめーよ。ショーバイ、ショーバイ」
「ホントありがとう。助かった」
 助手席の令がにっこり笑う。ヤンキー男はそのまま令を凝視した。
「……あんた、年いくつだっけ」
「へっ? 十五だけど?」
「ああ、十五ね。ふ……む、ンならわかるかな」
「何が?」
「いや、別に。こっちのこと」
 その時、このヤンキー男は令が知ったら顔を真っ赤にして憤慨しそうなことを考えていた。
 うーん、こいつってガキのせいか、なんか、妙にかわいいんだよな。別に女にゃ見えねぇんだが、髪がキラキラ長いせいだか、人種が違うせいだか、肌なんかツルツルしちゃってよ。守ってやんなきゃって感じがすんだよな。逆に歌ってる時なんかとても十五に思えねぇくらい『凄い』んだけど。
 だが、さいわい令は他人の心をつい読んでしまうという〈黒〉の悪癖に染まっていなかった。
「なにジロジロ見てんだよ?」
 口をとがらして言っただけだ。髪を気怠そうにかき上げながら。そんな仕草さえもが猫のようで小悪魔的だが本人にそういう自覚はまったくない。
「えっ、いっいやー、別に。それよか、なァ、これから一緒に飲まねぇか?」
「……あのさー、オレ、未成年だって言ってんじゃん」
「うっわーっ。かってぇなァ。いまどき、貴重なんじゃねぇの。もしかして、あんた、おかたいクラス委員かなんかやってねぇ?」
 ヤンキー男は自分で自分の言った冗談に大笑いしている。
「やってたけど?」
 令のあっさりした肯定にヤンキー男は絶句した。
「……うっ、うっそだろーッ? マジかよ? あ、そーか、からかってんだな?」
「ホントだよ。オレ、委員長やってたんだぜ」
 令は真顔で言う。
「あんたがーッ? 学校行ってンのーっ? ンでもって委員長ーッ?」
 この妙にあぶねぇガキが?
「今は休学中だけどね」
 令はくすくす笑った。姿によって周りの反応がこれほど違うのはちょっとした快感だった。ふだんのオレだったら学校行っててあたりまえにしか見えないだろうに。だいたい学校じゃ『マジメな高見沢君』で通 ってたもんな。それが目の前のヤンキーは金髪で歌うたってるオレしか知らない。なんかくすぐったいような妙な気分だ。
「でさ、どこで飲むんだ?」
 令は我知らず、妙に危ない小悪魔的な仕草で訊いた。

 ヤンキー男の名は風間一太郎と言った。
「ここでいつもバイトしてんだ。今日はあがりだけどな」
 言いながら一太郎は細い階段を降りてゆく。小さなライヴハウスらしい。
「あーれ、ぷーチャン、オーディションはどうだったんだ?」
 早速バイト仲間らしいこれまたヤンキー風の男から声がかかる。
「ダーメダメ」
 一太郎がお手上げの格好をした。
「あれ、せっかく珍しく最終に残ったのになァ」
「おいおい、珍しく、はねぇだろ?」
 一太郎の後から遅れて入ってきた令に気がついた男がはっとした。
「おい、ぷーチャン、後ろの……」
「ん、こいつオーディションで知り合ったんだ。ルナっての」
「あ、どうも、開店前にすみません」
 令が頭を下げてからにっこり笑った。
「あっ、いや、今日はここ休みだから」
 言ってから一太郎にこそこそささやく。
「知り合った……って、あんまりテレビ見ないオレだって知ってるぜ。彼、今評判の──」
「ホンモノのほうがキレイだろ? おい、ルナ。あんた、バドワイザーでいいか?」
 一太郎と令がカマンベールチーズとソーセージの盛り合わせを肴に飲み始めると、しだいにいかにもバンド風の連中が集まってきた。
「あれ? さっき、今日はここ休みだって言ってなかったっけ」
 令が粒入りマスタードをあつあつのソーセージにつけながら訊いた。ソーセージから熱い肉汁がしたたり落ちる。
「週に一度、アマチュアバンドのみんなでここを借りてんだ。ここのオーナーがいい人でさ。ほら、オレらって練習するとこもなかなかねぇだろ?」
 一太郎は目の前の驚くほど綺麗な生き物が食事をするのを不思議な気持ちで眺めながら応えた。なんとなく、食べたり、トイレに行ったりするのが不自然に思えてならない。日頃の令の大食漢ぶりを知っている青野あたりが聞いたら大爆笑するに違いなかったが。そんなこととは露知らず令はチーズの苦味を楽しんでいた。
「これ、美味しいね。あ、それでさ、練習してるってことはみんなプロ目指してんの?」
「だいたいはな」
 それでか。
  令は納得した。気づかないふりをしていたが、本当はさきほどから射るような視線をあちこちから感じていたのだ。
 オーディションの待合室と変わんないな、令は思った。でも、彼らはいい。彼らにはこれからいくらでもチャンスがある。何度でもオーディションを受ければいい。だけどオレにはもうチャンスはない。いったい誰のいたずらなんだ? オレんとこにわざわざコピーを送りつけるなんて。オレが青野んとこにいるなんて知ってる奴はそういないはずだ。とすると、黄神一族なのか? 一族の誰かがオレをはめようとしてるっていうのか? これも、オレが中央本家だってことに関係してんのか?
「よォ、ルナ。オレの仲間紹介するぜ」
 一太郎が指で合図したので令は立ち上がった。周りがざわめく。一挙一動見つめられているような雰囲気だ。居心地悪いな……とは思うが逃げ出すのも癪に障る。一太郎がさっき店の入り口で会った男から順にメンバー紹介してくれた。
「んじゃさ、オレら、二番目に演奏すっから聴いてってくれよ」
 一太郎たちは喧々囂々で打ち合わせをはじめた。「だっからな、そこ、おまえのドラムがダサイってんだよッ」「ベース、もっとシャープに入んないワケ?」といった会話が続く。
 バンド仲間……か、いいな。オレもやってみたかった……。
 一太郎たちを眺めながら令は胸の奥に小さな疼きを感じていた。
 オレにはずっと仲間なんていなかった。いつだって、自分の気持ちを抑えて変身しないようにしてたから、どこかシラケてて、みんなとノリが合わなくなっちまって。いつも『イイ子の高見沢君』だった。本気でなにかやったことなんかなかった。本気になると決まって変身しちまって隠れるハメになって。今度がはじめてだ、本気でやったのなんか。いつものオレだったら、きっと歌うことさえ出来ずにあそこで逃げ帰っていただろう。だから、認めて欲しかった。オレの歌なんてダメなのか? あの人にとっちゃ、やっぱりただのオマケだったのか?
 令はバドワイザーを一気に飲み干した。

 ステージで練習がはじまる。いつのまにか、バンドのメンバーらしくない女のコたちの姿が客席──実際は令と一太郎が座っていた隅の数席以外オールスタンディングなのだが──ともかく客席にあたるスペースに混じっているのが目についた。アマチュアながら彼らにも結構な数のファンがいるようで、演奏がはじまるまで店の外で待たされていたらしい。演奏といっても練習なので、途中でリーダーのダメ出しが入って中断することもままある。だが、『そんなトコまで見ちゃったバンド』がだんだん大物になってゆく、それを見守るのがたまらないフリークなファンが彼女たちなのだ。
 ところが、その彼女たちの場所にいきなり現れたのが全国ネットの有名人の『謎の金髪』だった。有名、とは言っても実際のところ誰も名前さえ知らない謎の人。純粋な好奇心と、明日の学校で自慢のタネが出来たことに女のコたちはわくわくした。
「あのー」
 女のコたちのひとりがおそるおそる声をかけてきた。
「なに?」
 令にしては珍しくかなりぶっきらぼうに言って顔を上げた。ライヴハウスの常で照明が暗いため、令が顔を上げてはじめて彼女たちは謎の金髪の美貌を見ることができた。小さく声があがる。
「ルナさん、ってお名前なんですか?」
 オーディションの話がもう噂になっているらしい。
「……そうだけど?」
 令は前髪を邪魔そうにかき上げる。
「あの、握手していただけますか?」
 一瞬、間をおいて、令は皮肉っぽい笑みを浮かべて訊いた。
「……みんなさ、オレのこと、どう思ってる?」
 女のコたちがざわめいた。
「……え? あの、テレビで見て……ステキだなって……」
「テレビ?」
 令は女のコの顔を怪訝そうに見上げた。
「テレビなんてちらっとしか出てないじゃない。あんなので、どうしてみんな覚えてんだか。オレはまだなんもやっちゃいないんだぜ。なんであんな騒ぎになるんだか全然わかんないよ。あのさ、握手なんて、オレ、タレントじゃないんだぜ? そこらの男と握手なんかしちゃっていいの?」
「……え、だって、あの……」
 女のコの顔が朱に染まる。令はすっと立ち上がって彼女を尊大に見下ろし、微笑んだ。冷ややかな白い微笑みが昏いライヴハウスの中で妖しく浮かび上がる。それは日頃の令とはまるで別 人だった。ひんやりとしたオーラを身にまとった、危うく物憂い黄金色の魔性がそこにあった。その冷たい美貌に彼女が溜息をつく。何故か令の胸に苦いものがこみあげ、ふいにその長い指で彼女のほっそりとしたあごを捕らえた。そして、彼女の唇にそっとキスをした。周りにいた女のコたちが息を飲む。
「……握手の代わりだよ」
 そう言って、一太郎に悪いなと思いながら店の外に出ようとした、その時だった。鮮やかな赤いオーラのゆらめきが目の前にあった。

「赤……里……」
 令の酔いがいっぺんに醒める。
 赤里の大きな瞳がじっと令を見つめていた。
 今のを見られてた? よりによって彼女に。わずかの間、令を睨みつけていた赤里は唇をきゅっと噛んでから令に背を向けた。
「まっ、待てよ」
 令が追う。赤里が逃げる。混み合った客に阻まれて赤里はすぐ令に捕まってしまった。
「離してよッ、バカッ」
「今日は君のケータイ番号、聞くまで離さないよ」
 令が赤里の手首をつかんだまま彼女の背中に言う。なんだか、自分のセリフにしてはやけにキザに響いた気がした。
「なっ……なによ、それ」
 赤里は振り向かない。
「この前、聞き損ねて後悔したから」
「パッカみたい。それが女のコへの社交辞令だとでも思ってるわけ?」
「……オレは、そういうタイプじゃないよ」
 実際、特定の彼女とつき合ったこともない。わざわざケータイ番号を訊いたのも赤里がはじめてだった。
「へぇ、挨拶がわりにキスするような男がそういうタイプじゃないっての?」
 赤里が令を振り向きざま言った。
「呼ばれてもいないのにテレビにのこのこ出ちゃって、ちゃっかり顔売ってさ。あんたって、ホント最低な奴だよね」
 赤里の手首をつかんだ令の力がきつくなる。
「……君まで、そう思ってたの?」
「……え?」
 赤里は一瞬、言葉を失った。驚くほど切ない黄金色の瞳が自分を見つめている。小さな子供がよく見せるすがりつくような瞳。ステージ上ではちょうど最初のバンドの演奏が終わったところだった。黄金色の瞳に射すくめられていた赤里が沸き起こった拍手にはっとする。令は赤里の手首を離して今度こそライヴハウスから出て行こうとした。
 その時、客のひとりが叫んだ。
「次は彼よ!」
 客は令を指さしていた。

 彼女が叫んだのと同時に拍手が沸き起こった。そしてどこからともなくコールと手拍子がはじまる。
「ルーナ! ルーナ!」
 その声はウェーヴのように広がり、たちまち狭いライヴハウスはルナコールに包まれた。
「ルーナ! ルーナ!」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ。オレはそんなつもりじゃ……」
 よく通る令の声さえかき消されてしまうほどの熱いコールが続く。ステージ上では既にスタンバイしていた一太郎たちが呆気にとられている。他のバンドのメンバーたちが令を睨みつけている。だが、ルナへのコールは落ち着くどころかますますボルテージを上げてゆくばかりだ。一太郎たちの気持ちを考えると令はとても歌う気になれなかった。自然、足が出口へと向かう。
「逃げるつもり?」
 赤里が令の背に向かって叫ぶ。
「いつもは平気で他人のステージに上がるくせに、今日はまたずいぶん殊勝じゃない」
 令は何か応えようとしたが言葉にならなかった。その時、ステージから声がかかった。
「よォ、ルナ、来いよ。バックならオレがやったるからよ」
 一太郎がサムズアップして見せた。ライヴハウス内がわっとどよめいた。

「ルーナ! ルーナ!」
 コールの熱気は最高潮に達し、令の耳に唸るように響く。軽い眩暈さえ感じながら観客のあいだをすり抜けて令はステージに舞い上がった。
 一太郎のバンドのメンバーが苦い貌をしながらもバックを演ってくれることになった。軽い打ち合わせのあと、イントロがはじまる。キーボードの一太郎が令にウィンクした。令は軽く小首をかしげてそれに応え、客席に向かって亜梨名のライヴでしたのと同じように優雅に一礼した。歓声が沸き起こる。
 はじまりは透きとおった優しい声。
 ふわりと舞い上がるような軽いステップを踏んで令は歌った。
 ──そう、夢だ。
 届かない黄金色の夢。
 歌っていたい、ずっと、ずっと。
 ほら、オレのオーラとみんなのオーラが一緒になって踊っている。 別々の夢が解け合って、同じ歌をうたっている。
 歌っている時はひとりじゃない。
 ああ、ずっと、ずっと歌っていたい。
 ひとりじゃなく、みんなと一緒に──。

 不思議な時間だった。誰もが子供のころなくした何かを見たような気がした。夢の途中で黄金色の長い髪がたゆたうように揺れた。

 気がつくと令は一太郎のバンドのメンバーに囲まれていた。皆、興奮に顔を紅潮させ、令を見つめている。そこに言葉はいらなかった。
 ステージの下では拳を白くなるほど握りしめたヴォーカルもいた。
 あれは、夢だ。誰もが目指している、歌の一番自然なかたち。一度聴いたら二度と忘れられない。オレはもう、彼の歌から抜け出すことは一生出来ないだろう。ああ、まだ、ルナの歌を聴いているようだ。いつまでも聴いていたい──聴いて、いたくない。
 観客は熱狂していた。口々にルナの名を叫んでいる。

 人々の熱狂をよそに、令はひとり、ふらりとライヴハウスの外に出た。夜気がひんやりと心地よい。軽い気怠さを感じて、缶 ジュースの自動販売機にもたれかかる。令の身体からは絶えず黄金色のオーラが溢れるように立ち昇り、それに反応した機械からジュースの缶 ががちゃがちゃと落ちてきた。
「まいったな……」
 苦笑しながら道に転がり出た缶を拾い歩くはめになる。
「どうしたの?」
 ふいに声をかけられ振り向くと赤里が立っていた。ジュースの缶を数本手にした令は赤里に視線を向けたまま口を開かない。
「邪魔したみたいだね」
「そんなこと、ないよ……」
 令がうっすらと微笑んだ。そしてジュースを数本差し出す。
「今ならもれなく缶ジュースつきだよ」
 言ってから、ちょっと小首をかしげてくすくす笑う。
「なんでこんなにたくさん買ったわけ?」
 コーラの缶を選び取りながら赤里が笑う。
「なんでだろうね」
 令が腕の中の缶の山を見下ろす。
「こんなに飲む奴なんていないのに」
 そう言って令がまたくすくす笑うのを赤里は不思議そうに見つめている。
「ルナ、あんた、もしかして落ち込んでるんじゃない?」
「ふーん、オレが? そう見える?」
 令の黄金色の瞳が赤里をのぞきこむ。泣き笑いみたいな微笑み。この人はどうしていつもこんな寂しげな貌をするんだろう。歌っていた時はたしかに皆と一緒にいたのに。この人の歌にはそんな力があるのに。なのに、この世界がついの住処ではないような、まるで異邦人であるかのような、そんな寂しさをいつも漂わせている。こんなにそばにいるのに、今にもどこかへ消えてしまいそうな、そんな儚さ。届かない黄金色の宝石。
「……消えたりしないよ」
 令が赤里の想いをさえぎるように言った。あまりに強く令のことを想っていたので、令にはその間の赤里の思考が筒抜けになっていた。
「オレは本当は君が思っているようなんじゃない。ふつうの、どこにでもいる高校生なんだ。なのに、みんなどうしてそんなふうにオレを見るんだ?」
 令は小さく頭を振った。黄金色の髪がさざ波のように揺れる。
「今のオレは……そんなに他人(ひと)と違ってるのか? わかんないよ、オレ自身は全然変わっちゃいないんだぜ。オレはただ、歌いたかっただけなんだ。そうじゃなきゃ、ずっとふつうでいるつもりだった。でも、黄神一族ならオレと同じなんだろう? 違うのか? オレは黄神の中でも違うのか?」
 最後のほうは間近にいる赤里でさえほとんど聞き取れないほど小さな声だった。
「……ルナ、あんた、誰かと喧嘩でもしたの?」
「……え?」
「わかんないな。あんたみたいなのがどうしていつもそう寂しそうなんだか」
「寂しい? オレが……?」
 令はかたちのよい眉を顰めた。本人は気づいていなかったが、日頃の令なら絶対に見せないナーヴァスな表情だった。
「あんたの歌って、どんな歌でもなんだかいつも切ないんだよね。楽しい歌ってうたえないんじゃない?」
「……そんなこと……ただ、オレの歌の好みなだけで……別にオレは……」
 令は口ごもった。
「いいよ、言いたくないんならさ。無理に言わなくたって。でも、言わなきゃいけない相手にはちゃんと自分の気持ち、言っておいたほうがいいよ。……たとえば、後白河ましろとか」
 そう言って赤里はけらけら笑った。
「ましろちゃん? なんで彼女が出てくるんだ?」
「うまくいってないんじゃないの? だから、全然知らないコにキスしたりしちゃう」
「ちっ、違うよ。あれは……キスなんてただの挨拶がわりみたいなもんじゃないか」
 さきほどのキスのことを持ち出されて、つい心にもないことを言ってしまう。
「へーっ、さすが外人。でも、日本の女のコでそこまで進んでるコは案外まだ少ないよ」
「外人なんかじゃねぇよ。オレはこれでもれっきとした日本人……」
 思わず令は叫んだ。
「……え? あんたが?」
「だから、オレは君が思ってるようなんじゃないって言ってるだろ? ……こんなの、本当のオレじゃない。オレはこんな……」
 ふいに令はふだんの姿に戻りたくなった。
 戻って、ただの高見沢令として赤里と話がしたかった。
 ──黄金色のオーラが、揺らめいた。

第11話 End
2004.11.3 rewrited
Written by Mai. Shizaka

 

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