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LUNATIC GOLD 13
 

 

 


 

 


第一部 月下の一群

 

 


13 月下の一群




 とある高層ビルの屋上で彼は人を待っていた。
 五月の終わりとはいえ、夜気はまだ冷たく、強い西風が彼の細身の身体に容赦なく吹きつける。すっきりした端正な顔立ちにペールブルーのメガネをかけた男──海棠青時(せいじ)はふだんの彼らしくもなく、小さく舌打ちした。
 ここへ青時を呼び出したのは強烈な耳鳴りとテレパシーだった。〈中央本家〉──黄神令の動向を窺いに海棠の本宅を訪れた帰途のベンツの中で、突然、未知の相手からのテレパシーを受け取ったのである。はじめに襲ったのは金属的な耳鳴り。一族の礼儀に叶わぬ 不躾きわまりないテレパシーだった。だが、次に無礼な来訪者が送ってきたヴィジョン──それは。
 あの姿を見なければ、このような礼儀をわきまえない誘いに応ずる青時ではなかった。あの時の耳鳴りがまだ耳の奥に残っているような気がする。青時はこめかみを押さえ優しげな面 差しの顔を歪めた。
『誰にも言わず、ひとりで来い』
 テレパシーはそう告げた。
 ──罠だ。あの姿があり得るはずがない。あれは、あの姿は。
 だが、親父殿は青野を買っている。〈中央本家〉でさえ、青野を頼りにしている。
 昏い想いが青時をこの場所へと向かわせた。
 眼下に都会のネオンが滲む。高層ビルから見下ろす都市は光を散りばめた底なしの闇のように思えた。底なしの闇──名状しがたい何かを感じて青時は小さく震えた。
「〈中央本家〉、か……」
 言い伝えによれば、〈中央本家〉は闇濃き時代、魔霊を祓うために現れるのだという。闇濃き時代、それが今だというのだろうか? たしかに黄金色のオーラが現れたという噂はかなり以前から囁かれていた。オーラを活性化させる〈気〉の中心──東京周辺に〈中央本家〉が現れた、と。
 だが、どうして『今』なんだ? 〈中央本家〉の存在を、あの黄神大老が十五歳になるまで知らなかったとは到底思えない。隠していたとしか考えられないのだ。では、何のために? 愛孫、黒川透が大老として一族の長となるのに邪魔だからか? ならば、なぜ大老の召集で黒川透その人が黄神令を表舞台に立たせたんだ? もしかして、それは──オレがこれから『会うはずの人物』が原因なんじゃないか?
 ふと、青時は月を見上げた──その時。
 あの金属的な耳鳴りが脳を貫いた。反射的に蒼いオーラが舞い上がる。あまりの苦痛にオーラを制御しきれず、コンクリートの床にピシリと亀裂が入った。
「やめろ!」
 青時が小さく叫ぶ。その声に応ずるかのように耳鳴りが唐突にやんだ。腹立たしい思いで青時が顔を上げるとすでに目の前に待ち人の姿があった。
 すらりとした長身に薄手のロングコートを翼のように纏いつかせた影。月光を背にしているため、顔立ちは定かでない。テレパシーで送られた映像、あれは本当の姿なのか……?
「なかなか見事なオーラだな、海棠青時?」
 影が口を開いた。
「君は一族の礼儀を知らないようだね」
 苛立たしげに青時が応える。その言葉に影は肩をわずかに揺らした。『……笑った?』そう青時が思った刹那。ゆらり、と影は武闘家の舞のように優雅な動きで青時の背後を取っていた。瞬時に青時の蒼いオーラが臨戦態勢を取ろうとする。だが。
「無駄だ。おまえのオーラは封じた」
「なっ……?」
 たしかに、何かが自分のオーラをがっちりと抑え込んでいるような厭な感じがする。〈青〉の一族の中でも決して弱いほうではない青時のオーラが封を破ろうと必死にもがく。
「無駄だと言っただろう? それより、俺がおまえの思っている通りの者なのか確かめに来たのだろう。ならば、振り向いてこの顔を見るがいい」
 不覚にも背後を取られて耳元でそう囁かれた青時は背筋にぞくりと冷たいものが走るのを感じた。黄神一族はその始祖──中央本家の血筋に近ければ近いほど、人からはほど遠い魔性なのだと聞いたことがある。だが、当の〈中央本家〉黄神令はふつうの人間とあまり変わらないように見えた。
 しかし、今、背後にいるのは──。
「どうした? 兄に先んじたくはないのか?」
 影がからかうように囁く。
「青野を兄と思ったことなどない」
 青時は低く絞り出すように呻いて振り向いた──そこに、見た者は。
 影の如き男の姿が、月明かりに照らし出される。先日、テレパシーで見せられた姿と寸分たがわぬ 者がそこに在った。
「まさか……」
 我知らず、青時は呟いた。
 うっすらと微笑を浮かべた驚嘆すべき美貌。秀麗な額、瑕瑾なき鼻梁。だが、中でも際だっていたのはその双の瞳。
 それは──月光を映す黄金色の瞳。この世にふたりとないはずの、あの黄神令と同じ鮮やかな黄金色──〈中央本家〉のみに許される禁色。
「……本当に……〈中央本家〉がふたりいると?」
 呟くような青時の問いに応えることもなく、黄金の瞳の持ち主は微笑を浮かべて告げた。
「〈青〉の正しき後継よ、この黄河の僕(しもべ)となるがよい」
 あらがう暇(いとま)もなく、ひんやりとした長い指が青時の額に触れた。青時の全身に電流のような衝撃が走る。〈青〉である青時には見ることはできないが、これが黄金のオーラの感触であることはすぐに知れた。
 それは、戦慄すべき至福の快感だった。

「ねぇ、どうしちゃったの?」
 甘ったるい女の声で、青野の思考は途切れた。何か──よく知った者の意識──がぴりっと彼のオーラを掠めたような気がしたのだが、テレパシーが得手でない〈青〉の一族である青野にはその出所を追跡するすべはなかった。
 世界に名だたる海棠グループ総帥、海棠青蔵の長子、青野は都内のホテルにいた。異母弟とは距離にして一キロ足らずの、目と鼻の先、最上階スイートルームに。
 男っぽい整った顔をちょっと歪めて、青野はサイドテーブルの飲みさしのビールをぐいっとあおった。ビールはすてに気が抜けて生ぬ るい。彼はちっと舌打ちする。
「悪ィな。今日のお楽しみはこれでおしまい」
 青野はベッドに裸身のまま座り込んでいる若い女を抱き寄せキスをした。
「……どうして? 夜はまだ始まったばかりじゃない」
 キスの余韻をにじませて青野の引き締まった胸を細い指がなぞる。
「野暮用ってやつだ。ごめんな」
 女に向かって青野は悪いなといった顔をしてみせた。妙に母性本能をくすぐね悪戯っぽい表情に彼女は肩をすくめる。
「ねぇ、青野。あたしのこと、好き?」
 青野の首に華奢な腕を絡ませながら、女が問いかける。その長い髪を青野がそっと撫でると、耳元に彼が先程プレゼントしたばかりのダイヤのピアスがきらりと光った。
「嫌いな女を抱くわけねぇだろ?」
 そう言って、もう一度彼女の唇を軽く噛むように口づけてから、するりと身体を離しシャワールームに向かう。
「ねぇ、次はいつ会える?」
「また連絡するって」
 青野はウィンクしてからシャワールームのドアの向こうに消えた。シャワーの音が恨めしげに響く。残された女は青野の飲みさしの缶 ビールの口をきゅっと噛んだ。
 数分後、新宿の街をバイクで疾走する青野の姿があった。目的地までテレポートで移動することなど、〈青〉の一族でも最高レベルの能力を持つ青野にとってわけないことだ。
 だが、ちりちりとした苛立ちが彼にバイクを必要とさせていた。全身を駆け抜けるマシンの振動、そしてスピードをじかに肌で感じる快感を。
 青野にとっても、これは賭だ。あの、どうしてもそりの合わない異母弟の言うとおり、〈中央本家〉を勝手に動かすのは少々まずいことになるかも知れない。それはわかっている、が。
 俺は海棠青野だ。親父も弟も関係ない。これが、俺のやり方だ──〈中央本家〉は誰にも渡さない。
 黒光りするヘルメットの中で青野はうすく笑った。
 もてあます程の情熱と乾き──若さそのものが海棠青野を苛んでいた。
 バイクは闇を切り裂いて海棠の弟とは逆の方向へと青野を運ぶ。
 離れて行くふたつの雲。これが、ほかならぬ兄弟の距離であった。

「どうしてオレはダメだったんです?」
 同じ頃、〈中央本家〉高見沢令はにぎやかなパブの中にいた。
 オーディションを落とされた歌手志望の少年の、あまりにもあからさまな抗議に、本日の審査委員長鬼島雄三は口をあんぐり開けてから、思いだしたようにゲラゲラ笑った。
「顔に似合わず、呆れるほど図太いなァ、君は」
「オレのどこが気に入らなかったんです? 真面目に答えてください!」
 令はなおも言い募る。
「歌がダメなんですか、それとも顔ですか?」
 鬼ひげはあやうく口に含んでいた水割りを吹き出しそうになった。
 顔……って、オレをからかってんのか、この子は。
 腹の中で思いつつも表面上は何食わぬ顔をつくって、芸能界の古狸は金髪の少年を見上げた。
 光を映す淡い琥珀色の瞳。紅潮したなめらかな真珠色の肌。流れ落ちる黄金色の長い髪が光のベールのようにふわりと華をそえる。
 まさしくカリスマ的な美形だな、鬼ひげは心の中でこっそり呟いた。
 そこにいるだけで人の目を一身に集めてしまう。この店にいる誰もが、この子のことが気になって気になってしようがないって貌をしてるぞ。もっとも、ご当人は慣れっこなんだろうな。他人の目なんか全然気にしてないようだが。
 だが、鬼ひげは口に出してはこう言った。どこまでもタヌキな男である。
「どこ、ねぇ。さーて、どこが気に入らないんだろうねぇ。まあ、すわんなさい。ほら、周りの人達が見てるじゃないか。君の金髪は目立ちすぎるんだよ、オマケ君」
「オマケオマケって、人のことをお菓子のオマケみたいに言わないでください、鬼ひげサンっ!」
 これには、そばにいた清チャンが吹き出した。
「いーなー。鬼サンを面と向かって鬼ひげなんて言っちゃう新人ははじめてだ。ますます気に入っちゃったよ」
「……へっ?」
 その声で令ははじめて清チャンの存在に気づいた。そして目を見開いた。
「……あなたは」
「さっきはどーも」
 清チャンと呼ばれる若い男はにっこり笑った。それはまぎれもなくオーディション会場でペットボトルを差し入れてくれた、あのアシスタントの青年だった。
「あなたは……どうして、ここに?」
 呆然として、鬼ひげと清チャンの顔に交互に視線を走らせる。
「彼は清原っていって、俺の後輩。今日は手伝いに来てもらってね。今、CMつくってる男だ」
 そう紹介しながら、清チャンに向かって鬼ひげはニヤニヤ笑っている。その目がふと、入口のほうへ向けられた。
「おっ、役者がそろったようだな。おーい、こっちこっち」
 鬼ひげが入口に向かって大きく手を振る。つられて令が振り向くと、そこになじみの姿があった。
 黒く光るノースリーブのレザージャケットを粋に着こなした筋肉質のスリムな身体、ツンツンに立てた髪。男っぽい整った顔が令の姿を見つけて訝しげにゆがんだ。
「せっ、青野ァーっ? なんでおまえがここにィーっ?」
 海棠の御曹司は驚く令を不機嫌そうに一瞥しただけで、すっと鬼ひげたちのボックス席に歩み寄った。
 なんで、なんで、青野がここに現れるんだ?
 令はひたすらパニクっていた。口を小さく開きかけて青野の顔をじっと見つめる。青野はそんな令をちらりと見てから、鼻に皺をよせて目をそらした。
「なんだ? その顔は。バカみたいに口を半開きにして、ぼーっと突っ立ってんじゃねーよ」
 きつい口調で言うと、令の肩に腕をぐいっと回して座るよう促す。鬼ひげはそんな二人をちょっと不思議そうに眺めている。
「なんだよ、青野っ! いきなり出てきたくせにっ。痛いじゃんか、離せってば!」
「おめぇこそ予定外なんだよ、バカ。ったく、どこにでもほこほこ出てきやがって!」
 無愛想にそう言いながら、青野は令の黄金色の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「へっ?」
 なんだ? 今の。
 ぽかんとする令を後目に青野は鬼ひげに向きなおって訊いた。
「で、鬼島さん。こいつ、どうなったんだ?」
「ああ。予定通り落としたよ」
「なっ?」
 予定通りィーっ?
 令は思わず腰を上げた。それに向かって鬼ひげはニヤリと笑う。
「オマケ君には悪いが、俺は最初(はな)っから君を『愛してるなんて言えない』に使う気は毛頭なくてね。考えてもみなさい。いったいどこの誰が君みたいな目立ちたがりをデュエットに使うんだ?」
「……え?」
「技術がどうこうじゃないんだよ。君は性格がデュエット向きじゃない。『どうしても自分が一番目立たなきゃイヤだ』っていう、実にイイ性格してるんだ。たしかに、亜梨名ちゃんのコンサートではちゃんとハモってたがね。いざ、本当にデビューって時に君にはたしてあれができるかどうか。まァ、無理だろうな。十中八九、亜梨名ちゃんと戦っちゃうだろうね。そういう性格なんだよ、君は。……ってワケで不合格。おわかり? 清チャン」
 言われて、つい先程、自分ならルナを選ぶと断言した清チャンがちょっとふくれる。
「そんな貌したってダメダメ。あそこはどうしたって根岸なんだよ。彼なら浅田笙のバックを長いことやってたし、大人だからな。協調性がある。亜梨名ちゃんといいデュエットができるよ。というわけで、オマケ君にははじめから落とす予定で、オーディションのコピーを送って、歌ってもらっちゃったわけだ。言っただろ? 今日の君はオマケだって」
 そうちゃらっと言ってのけた鬼ひげは、アーモンドチョコをがりがりかみ砕いた。
「コピーっ!」
 令は叫んだ。傍らで聞いていた清チャンが「あーあ」と呟いて天を仰ぐ。
「じゃっ、じゃあっ、鬼ひげさんっ! あなたがオレんとこにあのコピーを送ったんですかっ?」
 オーディションの時の怒りが再びこみ上げてくる。令は唇を震わせて鬼ひげの胸ぐらをつかんだ。
「オレをオーディションに呼んだのはあなただったんですか? それじゃ、なんで、なんであんなこと言ったんです?」
「あんなこと?」
 鬼ひげは目を細めて令を見た。
「言ったじゃないか! オレが……亜梨名ちゃんのステージを踏みにじっただの、また利用しに来ただのって……! 自分でオレのことおびき寄せたくせに……っ」
 そう言って、令はぎりぎりと歯を食いしばった。今にもオーラが爆発しそうなのを必死で抑え込んでいるのだ。
「招待状が来たからって別に来なけりゃならんてことはなかろう? あとは君の意志の問題。君が亜梨名ちゃんを利用したことに変わりはない。それに、あそこに来てた連中はみんなそう思っとったぞ」
「……え?」
 令は一瞬言葉を失った。
「まァ、君は他の連中なんぞ目に入ってなかったろうがな」
「そんなこと……」
 ない、と言いかけて、一太郎の顔がふっと浮かんだ。
『てめぇにとっちゃ、ひとつのオーディションなんざその程度のモンなのかよ?』
 そう叫んでいたヤンキー男。
『おい、なんであんた、もっと怒らねぇんだよ? 赤の他人のオレでさえこんなにハラ立ててるってのによォ? 今日のオーディション、誰が見たってあんたが一番だったじゃねぇか!』
 本気で怒っていた。審査員に対して。オレに対して。それだけ一太郎は真剣なのだ。いや、あいつだけじゃない。
 誰もがみな、オーディションのひとつひとつに自分の実力と人生のすべてを賭けてやって来るのだ。そうだ、一太郎はオレのことを『亜梨名のステージを利用しようとして舞台にあがった卑怯な奴』だと思っていたんだろう、きっと。亜梨名ちゃんに憑いていた魔霊のことなんか、誰も知っちゃいないんだから。だけど……それでも、あいつはオレのバックを演ってくれた……。
「それくらい当然なんだよ」
 鬼ひげは真顔で令の目を見据えて言った。
「他人を踏み台にして、蹴落としてくるくらいじゃなけりゃ、この世界じゃ残れんよ」
「……そんな……」
「君は、それができるタイプだと思うが?」
「なんで、そんな……。オレ、そんな酷い奴に見えるんですか?」
 いつのまにか、胸ぐらをつかんでいた手を下ろして、令は眉根を寄せて鬼ひげの目をじっと見つめていた。青野は、そんな令を見て無言のまま水割りを口にした。
「オーディション会場で、君は俺に『歌なら誰よりもうまく歌える』って大見得切っただろう? 尊大に俺を見下ろして。あの時の君は実に美しかったな。それこそ、抜き身の日本刀のように。どうせ自分が一番と思っているんだから、いつもそういう貌してなさい」
「そんなっ! ……オレ、そんなんじゃ……」
 令はすっかりしゅんとなって俯いた。そんな令を鬼ひげはさも不思議そうに眺めて眉を顰めた。
「どうも、調子が狂うなァ。オーディションでのイメージと違いすぎないか、君は。もっと、傲岸不遜で嫌味なくらい自信過剰のコかと思ってたのに、そんなに可愛らしいんじゃイジメ甲斐がないじゃないか」
 これには、青野が吹き出した。
「平気、平気。こいつ、ちょっとくらい蹴飛ばしても死なないタマだから。こーんな生意気な大マヌケ、そんじょそこらにいねぇって」
「せっ、青野までなんなんだよっ?」
 半べそをかきながら憤慨する令に、青野が真顔で応えた。
「あのなァ、いいか? よーっく聞けよ。今日のオーディションはおめぇにとっちゃ、はじめっから『愛してるなんて言えない』のためのモンじゃなかったんだ。鬼島さんがおめぇを見てみたいって言ってくれたんで、飛び入り参加させたんだよ。彼は今、別 の企画も持っててな。オレらはそっちのほうでおめぇを使うのはどうかって話をするために、今日ここで約束してたんだ。ったく、それがこんなとこにまで現れやがって。……驚かせてやろうって計画がおじゃんじゃねぇかよ」
 最後のほうはぶつぶつとぼやくように言う青野の言葉に、令は状況がいまいちつかめずにいた。
「……へっ?」
「あのなァ、人が真剣に話してる時に、その間の抜けたへっはやめろ! 腰から力が抜けるだろうがっ」
「だって、青野。このひげオヤジと組んでたワケ?」
 令が不満げに鬼ひげに視線を向ける。
「ああ、安心しなさい、オマケ君。俺は君と組む気はないよ」
「えっ?」
 鬼ひげの言葉に、今度は青野が訝しげな貌をした。
「悪いね、海棠さん。今日のオーディションの結果は清原に聞いてくれ。実は、今度のCM、海棠さんから話をもらった時点で、俺のほうはもう候補が決まっちゃっててね。だから、清原を手伝いに呼んだんだ」
「鬼さん……」
 清チャンが上目遣いでじとっと鬼ひげを見つめる。
「別にいいだろうが。お前さんだってルナを呼んでるって言ったから、このクソ忙しい時期に手伝いに来る気になったんだろう?」
「悪いが全然、ハナシが見えねぇ」
 青野が顔をゆがめて口をはさんだ。
「悪い悪い。つまり、海棠さんも知ってる例のCM企画なんだが、俺ともうひとりのプロデューサーとで最終的に争うことになってただろう?」
「そういやァ、そんな話だったか?」
「その、もうひとりのプロデューサーってのが新進気鋭で腕はいいんだが、なかなかこうるさい男でね。歌手候補がまだ決まってないって噂を聞いたんだ」
「ふーん……」
 青野が清チャンをちらりと見た。
「もう分かったと思うが、その、もうひとりってのがこいつなんだ」
 鬼ひげに親指で示されて、清チャンはニッと笑って立ち上がった。
「どうも、海棠さん。ただいま、ご紹介にあずかりました新進気鋭のCMプロデューサー清原貢です」
 そう言って、清チャンは青野に右手を差し出した。ニヤリと笑って立ち上がった青野がそれに応じる。それから、清チャンは令のほうに向きなおって言った。
「で、ルナ。僕と一緒に、この憎ったらしい鬼サンと戦ってみませんか?」
 そしてまた、右手を差し出して、愛嬌たっぷりにウィンクした。

 それからは、ただの業界人の宴会だった。
「だからなー、君のよくないところは、だ」
 鬼ひげが令の肩に腕を回して喋っている。
「その堅すぎるところだ」
「……へっ?」
「あーっ、鬼サン、ダメっすよ。ルナちゃんは俺のパートナーなんすよォ、俺の。ほーら、なれなれしい。ルナちゃんの肩から熊みたいな腕ぇ、はずす、はずすゥ」
「なーんだとォ。俺はおまえの先輩だぞぉーっ!」
 鬼ひげはそれこそ熊のように吼えた。
「それはそれ、これはこれっす!」
 負けじと清チャンも鬼ひげの逆側から令の肩に腕を伸ばした。すかさず、青野が令の身の危険を察知する。案の定、次のオーディションが決まってご機嫌の令は、酒が入っているせいもあって、ぽよよんとふたりのされるがままになっている。
 ──このノーテンキの姫君め。己の貞操の危機をまるでわかっていない。
「んじゃ、鬼さん、清さん。オレら、もう帰るわ。ほら、れ……じゃねぇや、ルナ、帰んぞ」
 そう言って、青野が令の腕をぐいっとつかむ。
「ええーっ、ダメだよ、青野くーん。それだから、彼、堅すぎるんだよォ」
 すっかりただの酔っ払いになり果てた鬼ひげが騒ぐ。
「ダメなもんはダ・メ・だ。あんたら、ギョーカイ人は危なすぎる」
 若いとはいえ、この海棠の御曹司にはどこか威厳があるらしい。いい大人ふたりがしばししゅんとなる。その隙に、オーラの力も借りて令をアブナイ業界人からひょいと引き離した。ウィスキーが程良くまわって、おねむになっていた令は青野の胸にくてんと寄りかかる。金色の長い髪が青野の頬をさらりと撫で、不思議に甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「おっ、おいっ、バカ。ちゃんと立てよっ!」
 どうも、青野は金髪の令に接近すると妙にどぎまぎしてしまう。そこは亀の甲より年の功、鬼ひげがこれを見逃すはずがない。
「ああーっ! 危ないとかなんとか言って、青野くんもお仲間なんじゃないかーっ」
「じょっ、じょーだんだろっ! オレはヤローなんかにゃ興味ねぇんだよっ!」
 真っ赤になりながらそう叫んだ青野は、軽くひょいと令を背負って足音高くパブから出ていった。

 漆黒のバイクが深夜の湾岸を駆け抜ける。
 まっすぐ海棠邸に戻るのなら、湾岸道路を走る必要はないのだが、今の青野は少し遠回りしたい気分だった。
「ひゃーっ! 青野ァ、これ、すっげー気持ちいいなァ」
 うしろで令が歓声をあげる。
「だろ? もうちょい、スピード出すぜ。しっかりつかまってろよ!」
 そう言ったとたん、しっかと腰につかまり直す感触がある。
 ……ったく、ガキみてぇな奴。ンだけど、こいつといるとなんでか知らねぇがイライラが直っちまうんだよな。綾瀬が言ってたっけか? 黄金色のオーラとの接触は健康にいいとかなんとか。効能はともかくとして、たしかに、こいつのオーラってすっげー気持ちいいんだよな。こうしていても、そよそよ優しいオーラが身体を包んでいるのがわかる。こいつのって、なんだか汗までいい匂いがしてんだもんなァ。まいったぜ、こりゃ。
 まァ、いっか。この業界の〈赤〉を敵にまわすつもりでやるしかねぇな。クソ親父が出てきたら、そん時ゃその時だ。
「……とな、青野」
 ふいに、令がつぶやくようにぼそりと言った。
「あんだァ? バイクの音で聞こえねーよ」
 青野が怒鳴るように言ったので、令は少し息を吸い込んだ。そして、さっきより大きな声で言った。
「ありがとな、青野」
「……………! パッ、バカ。ダチだろーがッ。バカ言ってんじゃねーや!」
 腰につかまっている令がくすくす笑うので、そのあたりがむずむずする。それが、そんなに嫌な感じではないのに、青野は気づいていた。

 パプに残された業界人ふたりはどうやら朝まで酒を酌み交わすらしい。
「俺は昔、青野くんをスカウトしたことがあるんだよ」
 さしもの鬼ひげももう大声を出す元気はなく、ぽつぽつと想い出すように話しはじめた。
「へーっ、海棠の御曹司を?」
「ちょっとの間でいいから、やってみないかってね。彼は早熟なんだなァ、今じゃ立派な男前になっちまったが、二年くらい前まではそりゃもう細っこい美少年でな。なんか、ちょっとワルくて、アブナイ感じで。海棠のパーティに行ったんだが、十一人もいる兄弟の中でもピカイチだった」
「じゅっ、十一人〜っ?」
 清チャンが思わず大声をあげる。
「それが、海棠の親父というのが凄い奴でな。だいたい、同い年の男の子をそれぞれ別 の女に十一人産ませてるんだ」
「現代の日本で許されるんすか? ンなこと!」
 清チャンは顔を真っ赤にしている。
「まァ、天下の〈海棠〉だからなァ。だが、たしかに同い年の男の子たちはたまったもんじゃない。青野くんなんかも知り合ったころは、いつも目をギラギラさせた子でね。その年にしてちょっと恐いくらいの迫力があったよ。大人びた貌をして、誰の言葉も信じていないって感じでね。俺の誘いもあっさり断られちまった。大人をあしらうのが板についててな。だから、今日は意外だったよ。あの子があんな風に他人に接するとは思ってもみなかった」
「ルナはいい子ですよ。ま、俺もオーディションで見た時はあそこまで無邪気な子だとは思わなかったけど」
「そうだなァ、いい子だなァ……。俺もちょっと見誤ったかもしれんな。見かけがあんなんだから意地悪く見すぎた」
「後悔してるんじゃないっすか?」
「なァにが」
「CMですよ。あんないい子を俺に譲ってくれちゃって。ルナに勝てる才能の持ち主なんてそうそういやしないでしょう?」
 清チャンにそう言われて、鬼ひげは一瞬黙りこくった。そして、ごくりと喉を鳴らして水割りを呑み込み、大学の後輩を見てニヤリと笑った。
「……俺が親切でルナを紹介したと思うか?」
「鬼サン……?」
「そんなに人がよくはないよ、俺は。ルナのほうが良けりゃ俺が使ってる」
 鬼ひげの掌の中でカラカラまわる水割りの氷が、やけに乾いた音をたてた。
「世の中広いんだよ。俺が見つけた男……あんな歌、聴いたことがない。彼の歌からは、清原、誰も逃げられんぞ……」
 鬼島雄三は照明の射し込みで黄金色に揺れるグラスをじっと見つめて微笑った。
「……逃げられない……?」
「こうしていても、彼の歌が聴こえるんだ。耳について離れられんのだよ。あの声、あのリズム……」
 グラスをじっと見つめたまま、鬼ひげは低く言った。清原はふいにぞくりとした。長いつきあいになるが、こんなふうに何かに憑かれた鬼島の姿を見るのはこれがはじめてだった。
「……そりゃせめて名前だけでもうかがっておきたいもんですね」
 グラスの氷がカラン、と鳴った。
「彼か? 彼の名は──」

 黄金色の月光の下、赤い眼をした黒豹がアスファルトを蹴って深夜の都市を駆け抜ける。
 ときたま、人や車とすれ違うのだが夜闇にまぎれた漆黒の獣に気づく者はほとんどいない。たとえ気づいたとして、この都市に生きる者たちはみなそこに〈それ〉がいることを信じようとはしない。
 都市はそれほどまでに麻痺していた。アスファルトに覆い尽くされた大地は野性のエネルギーをヒトに与えることはできず、ヒト族は足下より第六感を奪われていた。ヒト族の感受性は萎え、求めるものは快楽のみ。都市はヒトに似てヒトと異なる者たち──黄神一族が棲むには絶好の場であった。
 黒豹の動きが、ふいにびくりと止まる。
 敵に気づいた刹那の野獣の動き。赤く光る眼を細めて低い唸り声をあげる。
 その視線の先の空間に、影がぽっかりと浮かんでいた。
 宙に浮かぶ丈高い男の影。低く身を構え、次の動きにそなえて黒豹が力をためる。影のような男の瞳が黄金色に煌めく。
「オーラに惹かれて来てみれば、おまえか。哀れな臣獣よ」
 影の声に獣が唸りをあげる。
「報われないな、おまえも。〈あれ〉が相手では」
 整った唇の端を少し歪めて影は微笑した。そして、ビルの壁を軽く蹴って大きく跳躍し、黒豹の遥か頭上に浮かんだ。上空の強い風が影のような男の白晰を冷たく掠める。コートが翼のように音をたてて翻る。
 男の黄金色の瞳が揺らめいて、半分近くに欠けた月を仰いだ。
「半月……か」
 低く呟くと影は消えた。幻のように。
 それが──はじまりだった。

第13話 End
2004.12.4 rewrited
Written by Mai. Shizaka

 

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