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LUNATIC GOLD 15
 

 

 


 

 


第一部 月下の一群

 

 


15 夢幻の月
 



 オーディション会場へと向かう車の中で、令は不思議な気分でいた。
 『ルナティック・ゴールド』──この名前を清原から聞いた瞬間、震えるような歓喜と、同時にとらえどころのない哀しみが胸の中を駆け抜けていった。
 ──あれはなんだったんだろう?
 あの後、申し訳なさそうに清原が説明したとおり、この名前それ自体の意味はあまり褒められたものではない。LUNATIC──気の狂った、という意味で商品名として広告主が首を縦にふるかどうかさえ怪しいものなのだ。
「ホントにいいのか? ルナティックなんて名前で」
 傍らの高城が軽い口調で話しかけてくる。
「うん……。せっかく、清原さんが考えてくれたし。それに、なんかピンときちゃったから」
「そーか、そーか」
 清原はうれしそうに鼻歌混じりで運転している。
 ──そう、ピンときた、のだ。なぜか、自分の名前だと。
 高城はまだ釈然としない面もちでいたが、名付け親が清原だという遠慮もあってか、それ以上は口に出さなかった。
 窓の外を流れる鈍色の景色を眺めながら、令は赤里とはじめて出会った時のことを思い出していた。あの時は、別 になんということもなくルナと名乗ったつもりだったんだけど。ルナ──ルナティック。悩んでいたパズルのピースがひとつ、やっとおさまったような、そんな感じがした。
 と同時に、なにかが自分の周りで動き出したような、浮き立つような予感が甘やかに令を包み込んでいた。
 ──だが。
 清原の車を降りたってすぐに、そんな不思議な気分をすべて霧散させる光景が令を待っていた。

 それは、けぶるような霧雨の中、ビルの自動ドアの前にたちふさがるかのように、在った。
 魔霊(ソウル)──大きく膨れ上がった人型の闇は、令が見ている間にも、通 りを横切る人々のオーラを精力的に吸い込み、喰らっている。オーラを吸い込まれた人々の目は虚ろで生気に乏しい。
 ああ、そうだ。あれは人の夢まで喰らうのだ。令はふと、どこからか記憶を取りだしていた。
 夢を喰らわれた人々の群。
 膨れあがる巨大な闇。
 あれは何時のことだったろうか……。
 苛立たしいほどの理不尽さを感じて、令の黄金色のオーラがふわりと揺らめき、魔霊へと狙いを定めた。
 散れ、闇よ……!
 その刹那──。
 魔霊の陰から一条のオーラが閃いた。
 パ……シッ!
 輝くオーラが令のそれに横から突っ込み、スパークする。衝撃の余韻で空気がびりびり震えた。
 今の、は……?
 令は驚きに目を瞠った。今のオーラ、あれは……あの色は。
 くすくすくす……。
 魔霊の向こうで女の笑う声が聞こえる。その声に応えるように、ゆらり、と魔霊が揺れ動いた。今まで魔霊の陰に隠れて見えなかったふたつの人影があらわになる。
 一組の男女。ひとりは炎のような赤いオーラをまとった長身の女性。
 そしてもうひとりは──。
 黄金色のオーラの男、であった。令自身の身体から今もゆらゆらと立ち昇るのと同じ目映い黄金色の。

 ──黄金色のオーラ。
 何世代にひとりしか現れないはずの〈中央本家〉だけの黄金……。
「どういうわけか、魔霊を見るとうすら寒くなる」
 呆然と立ちつくす令の肩に高城が手をかけた。
「えっ?」
 当然、〈白〉の一族である高城は今の一部始終を見ていたのだろう。こころなしか、蒼ざめた貌をしている。
「ついにライバル登場ってわけか」
 言って、令の黄金の髪を一房、くいっと引っ張る。
「……? 知ってたのか? オレ以外に黄金色がいるって……!」
 高城は微かに笑ってみせた。それに向かって令がなにか言おうとした時、清原が駐車場から戻ってきた。
「ああ、あれかな。鬼サンの秘蔵っ子」
 見ると、ふたりはビルの中に入って行くところだった。令はごくっと喉を鳴らした。なんと、あの大きく膨れた魔霊は、赤いオーラの女の背中に取り憑いているのだった。
「あの女は赤津遊人(ゆうじん)。〈赤〉の宗家の後継候補さ。別名〈魔霊使い〉──ソウルマスターとも呼ばれている」
 高城がそっと令に耳打ちした。

 会場には鬼ひげこと鬼島雄三が先に到着していた。
「こらっ、先輩より遅れてくるとは何事だ」
 よく響く野太い声がいきなり清原をどやしつける。
「鬼サンが早すぎるんすよォ」
 鬼ひげの前では、後輩の『清チャン』はなんとなく頼りない。
「うーん、ルナちゃんは相変わらず綺麗だねぇ」
 鬼ひげが令の顔を見てニヤリと笑った。
「それは、どーも」
 令はにべもなく言って頭を下げ、それきり鬼ひげの顔をまともに見ようともしない。場は不穏なムードに包まれた。
 ま、無理ないか。
 令の後ろで、高城隼人こと後白河綾瀬はひとりごちた。
 結局、鬼島雄三は『ルナ』を二度も落としてるからな。最上級の無愛想な態度が出てしまうのも仕方ないか。そのうえ、この〈中央本家〉サマときたら、数メートルと離れていない前方にいる、さっきのふたり組が気になってピリピリしてるらしいし。
 綾瀬はくすりと笑った。
 一方、根っからの業界人たる清原は綾瀬のようにそうのんびり構えてもいられないらしい。
 おいおいおーい、ルナってば。今回は敵だけど、この人、こう見えて一応業界の重鎮なんだよォ──内心、冷や汗たらたらの清原が、この不穏なムードに助け船を出した。
「で? あちらのおふたりさんが鬼サンの秘蔵っ子ってわけっすか?」
「ああ、そうだな。清チャンたちにも紹介せんと」
 そう言って鬼ひげが振り向くと、気づいたふたりがゆっくりと歩み寄ってきた。どちらもヨーロッパ系との混血のような美貌の一対である。
「こちらの美女がユージン」
 魔霊を背にした妖しい美女がうっすら微笑んで優雅に頭を下げる。
「そして、彼が黄河。イイ男だろう?」
 黄河と紹介された男は清原には目もくれず、高城をちらりと一瞥し、最後にゆっくりと令を真っ向から見つめた。その双の瞳は淡い琥珀色。そして、なにも言わず、黄金のオーラがゆらゆらとたち昇る右手を差し出し、心持ち唇の端をあげた。
 挑むかのように令がそれに応ずると、全身をぴりっとなにかが貫いた。耳の奥で、リィ……ン、と鈴をころがすような涼やかな音が聞こえる。
 リィン、リィン……。
 ふたつのオーラが歌う。互いに呼び合うように。
 そして、手を離す間際にテレパシーが伝えてきた。
『よろしく、黄神令』

 オーディションのライバル同士とはいえ、男性ふたりの控室は一緒であった。会場となっているのが、CMのクライアントであるアルスメール化粧品の本社ビルなのだから、余分なスペースがとれないのは当然だろう。
 仮設の控室に入ると、高城隼人を名乗っている綾瀬は喜々として令のメイクをはじめた。
「ふんふんふん、いい心がけだな。毎日の基礎化粧はさぼってないようだね」
 化粧品をあれこれ塗られる時の、令の嫌そうな表情がどうやら愉しくてたまらないらしい。ぷぷぷっと、さも愉快そうに笑いながら鮮やかな筆さばきでルナの中性的な顔をつくってゆく。
 いつもならふたりきりの、この密室作業を今日は眺める観客がいた。
 黄河は、はじめはちらちらとふたりに目をやっているだけであった。令としては、高城や清原にこのピラピラした格好を見られるのは、半ば慣れっこになっているとはいえ、今日はじめて対面 したライバルにメイクの全行程まで見られてしまうのは、それこそ顔から火が出る思いだった。
 なるべく、目を合わせないようにしてはいるものの、黄河の視線をちくちく感じる。
 そんなに見るなよォーっ。
 令が心の中で叫ぶと、黄河は視線をふっと逸らした。
 ……!
 あちゃーっ……聞こえちゃったのかよ。
 それどころか、よほどの『大声』だったらしく、気がつくと〈白〉の高城までもがくすくす笑っている。
 メイクを終えた頃合いに、清原が高城を迎えにきた。どうやら打ち合わせらしい。高城が気懸かりだと言いたげな視線を残して部屋から出ていってしまうと、中には令と黄河のふたりきりになった。
 なんとなく、気まずい。
 実をいえば、黄金色のオーラのことでいろいろ訊いてみたい気もするのだが、オーディションのライバル同士というこの状況ではなんとも切り出しにくい。
 えーっと。右手を挙げて、「やァ、はじめまして、黄河さん。今日はおたがいがんばりましょう」じゃ変だよな。やっぱし。ここは無難に「今日は雨が降っちゃってあいにくのお天気ですね」とか。
 ひとしきり悩んだあと、令はうーんと頭をかかえてちらっと黄河を見た。
 同じ黄金色のオーラ、琥珀色の瞳のふたりだったが、黄河の髪は完全な黄金色ではない。黄金色から濃い褐色に微妙にグラデーションする不思議な色合いだ。
「ちょっと変わった色だろう?」
  令の心を見透かしたように、突然、黄河が話しかけてきた。よく響く綺麗な声。
「変わってるけど、いい色なんじゃない?」
 令は素直に感想をのべた。そんな令をちらりと見やって、黄河が眉根を寄せた。そして、ふいに令の頬のほうへ長い腕を伸ばす。
「なっ……?」
「イヤリングが曲がっている」
 そう言って、黄河の長い指が令の頬をかすめて、イヤリングを直した。
「あっ、ありがとう」
 令が顔をあげると、思いのほか、間近に黄河の顔があった。不思議な黄金色の瞳が自分を見下ろしている。
 オレと同じ黄金色の──。
 令とて、決して小さいほうではないのだが、かなりな長身の黄河には自然見おろされる形になる。
 そして、あっと思う間もなく唇を重ねられた。
 触れあった瞬間、令の脳裏を閃光が貫く。
 なっ……なんなんだ? こいつ……っ!
 令の思いとは裏腹に黄金色のオーラはふたたび呼び合い、歌っていた。
 リィン、リィン……。
『ほら、オーラが呼び合っている』
 黄河のテレパシーが頭の中に響く。
 オーラの振動で全身につけた金鎖が、しゃら、と鳴った。
「……離せぇ……っ!」
 令は思いきり黄河を突き飛ばした。と同時に、部屋の鏡が粉々に砕け散る。
「やれやれ。ムードのない人だな」
 黄河は床に座り込んだまま、ゆるくウェープのかかった不思議な色合いの前髪をかきあげて、くすりと笑った。
「男同士でムードもへったくれもあるか! あのなァ、こんな格好してるからって、妙な誤解すんなよ。これはただ、仕事でやってんだからな!」
 怒りに全身の金鎖をしゃらしゃら震わせながら令が怒鳴った。
「とてもよく似合っているよ、黄神令。ほかの誰かがやったなら陳腐かも知れないが、あなたなら芸術的にさえ見える」
「……! きっ、キザなヤローだな! 男がこんなよくわかんねー格好褒められても、ちっともうれしかないっ!」
「男、じゃないだろう?」
 黄河はいともあっさり指摘した。令の頬がカッと火照る。
「おォ、おまえだって、同じだろーが!」
 黄河はくすくす笑った。
「ひとこと断っておくが。俺は男だよ」
「……だっだっだって、おまえ、〈中央本家〉……」
「俺が無性体に見えるか?」
 言われてみると、立ち上がった黄河のプロポーションは、なるほどすっきりとしてはいるものの、令よりどこもかしこもひとまわりは作りが大きい。
「……ずっ、ずるいっ! ずるいぞ、テメーっ! それで黄金色のオーラだなんてっ! ……うっわっ」
 じたばた騒ぐ令の両手首を黄河はあっさりつかんで壁際に押しつけ、白い笑みを浮かべた。肌が触れ合うと、ふたたびオーラが呼び合い、リィンという音が鳴り始める。
「なっ、なにすんだよ、このヤロー! 離せ、離せったら!」
「オーラの音楽が聴こえるだろう? われわれは同質の者なんだよ。だが、黄金のオーラは並び立たない。ひとつとなるか、どちらかが斃れるか。ふたつにひとつだ」
「なんだよ、それ?」
 黄河はその不思議な黄金色の瞳で、令のそれをじっと見つめた。
「あなたが俺の花嫁となるか。でなければ……」
「じょっ、ジョーダンゆってんじゃねーよ! 誰が花嫁だっ!」
 真っ赤になって怒る令を見て、黄河は身を半分に折るようにして笑い出した。
「可愛いねぇ、あなたは」
「なっ……! っのヤロー!」
 ドカッ!
 令は黄河の頭を情け容赦もなくどつき倒して、足音高く控室から出ていった。
 あとに残された黄河はしばらくの間大きく肩を揺らして笑っていた。そして、ぽつりと呟いた。
「花嫁にはふられたか……ならば」
 黄金のオーラがゆらりと立ち昇る。
「──殺してしまうしかない」

 オーディションは清原と鬼ひげのジャンケンからはじまった。
 勝った鬼ひげがモデル審査の二番手を選んだ。これで、つづく歌手審査は鬼ひげ側が先手に決まる。
「悪いが、これで決まりだな」
 清原に向かって、鬼ひげはにんまりと余裕の笑みを浮かべた。
 モデル審査は、セットもなにもない、まったく同じ条件の中でモデルがそれぞれの企画にそった演技をするというものだ。
 令の場合、撮りの本番では歌いながら撮影することになっていたが、純粋にモデルとしての審査を公平にするために、歌は禁じられた。
「歌えないのはちょっと辛いけど。ま、リラックスして行こうや」
 清原が令の肩をぽんぽんと叩いた。
「だーいじょうぶ。彼女よりルナちゃんのほうが、ずーっと美人さんだよォ」
「……清原さん。それ、褒め言葉になってません」
 令はジロリと清原をにらんだ。
 くっそぉーっ! あのヤロー、誰が嫁さんだ、誰が!
 いよいよ本番前の最後の化粧直しをしながら、高城が耳元でこそっと囁いた。
「黄河になにか言われたか?」
「……別に」
 あんなの、恥ずかしくて言えるかよ。
「ふう……ん、いいけど。あんまりカリカリしなさんな。それがあちらさんの狙いなんだから」
 ムッとして令は高城を見上げた。
「高城さんに関係ないでしょ」
 令の顔をちらりと見やって、高城はなにか言いかけたが、口から出たのは別 の言葉だった。
「赤津が仕掛けてくるかもしれない」
 はっとした令の視線が高城にそそがれ、そして逸れた。
「相手が〈赤〉ならオレが阻止する。黄河はそうそう動かないはずだから」
 だが、令はうつむいたまま顔を上げようとしない。
「……ルナ?」
 呼ばれて令はうっそりと顔を上げた。
「高城さん、なんでオレに協力してくれるんだ?」
 少しの間があった。
「ああ、そうか。疑ってるの? オレのこと」
 令はこくりとうなずく。
「少なくとも、敵じゃ、ないよ」
 皮肉っぽいしゃべりをするこの男にしては、驚くほど優しい声だった。
「敵だとは思ってないけど……」
 しゃらん。
「味方とも思えない」
 高城の白いオーラがゆらりと揺れて、神経質そうに前髪をかきあげた。
「ふぅん、そう。ま、いいや。こっちは勝手に動くまでだから」
「……えっ?」
「勝手に動いて、恩に着せてあげよう」
「なっ、なんだよ、それっ」
「言いたいことがあるんなら、オーディションに受かってからゆっくり聞いてあげるよ。……じゃ、いいね。〈赤〉がなにかやっても、あんたは絶対に動くんじゃないよ。演技に集中するんだ、ご本家サマ」
 高城はにっこり笑ってから、くるりと背を向けた。

 モデル審査がはじまった。演技の持ち時間はひとり三分。
 これはCMの審査としては、長いとも短いともいえない微妙な時間である。
CMは十五秒の芸術ともいわれる世界で、あっという間の短い時間にすべてが凝縮されたドラマであり、ギャグであったりする。
 だが、このたった数十秒のフィルムをつくりあげるためには、おそろしく膨大な時間とエネルギーがかかっているのだ。数日がかりで撮ったフィルムを数十秒に編集するのが当たり前の、凝り性の監督が創る映画にある意味匹敵する贅沢な世界なのである。
 他人の芸術作品より、自社の宣伝に資金を使いたい。使いたいが、長すぎると鼻について嫌われる。そんなジレンマがCMの世界には常に見え隠れしている。
 令がいま、挑戦しているのはそんな世界である。

 音楽が流れ、令は踊りはじめた。
 振り付けなど特にない、ただメロディにあわせてたゆたうように舞う、そんなダンスだった。令の動きにあわせて細い金鎖がしゃらしゃら揺れ、散りばめられたゴールデンパールが淡く光る。ライトの光で淡い琥珀色の瞳が黄金色に煌めく。
 目尻に差した赤いシャドウ。薄紅の唇。
 淡く儚い妖精の舞──。
 ほう、と鬼ひげは目を細めた。
 綺麗な動きだ。歌が聴こえてくるようなダンスだな。
 審査員たちもみな幻想的なその舞に見とれていた。
 その時、だった。
 魔霊を従えた長身の女性──赤津遊人が全身から一気に赤いオーラを放出しはじめたのは。
 赤いオーラが暖炉に薪をくべるかのように魔霊にそそぎ込まれる。それに気づいた令の意識が魔霊へと逸れた。
 くすりと遊人が笑う。巨大な魔霊はもぞりと姿を震わせ、数本の触手のようなものを伸ばした。闇色の触手は無差別 に会場内の人々へと伸びてゆく。
 ところが、いつのまにそこにいたのだろうか。 遊人の背後に白いオーラがすうっと現れた。
『退け!』
 遊人のテレパシーが高城を一喝する。
『退けと言われて素直に退くようなら、ここに現れませんよ、ソウルマスター』
『……わたしが誰かわかっていてやってくるとは愚かな奴』
 遊人は不遜に笑った。
『おまえが散華の力を持たぬ〈白〉の一族だということは知れている。魔霊よ、〈白〉のオーラなどすべて喰いつくしてしまえ!』
 言い放つと、魔霊の触手のすべてが高城に襲いかかった。
 刹那。
 高城の全身から輝く〈白〉のオーラが舞い上がり、白熱した矢さながらに闇色の触手を貫いた。光に溶けるように魔霊の触手が霧散する。
『まさか……〈白〉のオーラに散華の力はないはず……』
 高城はにっこり笑って、白く輝く右手を魔霊へと伸ばした。
『〈白〉を甘く見ると痛い目に遭いますよ』
『おまえ……そうか、その力、〈白〉の宗家……!』
 逃げる暇もなくオーラに輝く右手が触れると、巨大な魔霊は跡形もなく散華した。
『ぼくは魔霊が大嫌いでしてね』
『……よく化けたな、後白河綾瀬』
『〈黄神大老〉子飼いの能力者に依頼すれば、誰にだってできることです。それより、黄河はぼくの正体をとっくに知っていたはずですがね』
『なっ……』
『試されましたね、赤津。その証拠に今だってあなたのかわいい魔霊を助けようともしなかったでしょう』
 綾瀬はくすくす笑って、わずか数十メートル向こうでゆったり腰かけている黄河を指し示した。
『まァ、たとえ黄金のオーラでも、ぼくに効き目はありませんが』

 一方、モデル審査を終えた令は清原にきつく叱られていた。
「後半ちょっとの間、なにに気をとられてたんだ?」
「……すみません」
「まァ、すぐ持ち直したからいいものの、しっかりしてくれよ」
「……はい」
 そこへ高城が戻ってきた。
「あれほど審査に集中しろって言っておいたのに、あなたって人は」
 不機嫌そうに言う高城の腕を、無言のまま令はぐいっと取った。そのまま、ひと家の少ない会場の隅に連れて行く。
「なんなんだ、ルナ?」
「……お願いだから、もうあんなことしないでくれ。オレ、あんたが魔霊に喰われちゃうかと……」
 うつむいたまま震える声で話す令に、高城はふんと鼻を鳴らした。
「オレのオーラは〈白〉でも特別製なんだよ。もっとも、攻撃には向いてないけどね。魔霊は触れただけで散華するし、他のオーラもだいたいガードできる。〈赤〉相手なら大丈夫だって言っておいただろう? 少しは他人の話を信用しなさい」
「信じらんないっ!」
 令は叫んだ。
「あんたの言うことなんか、信じらんないよ。さっきだって、あんたのオーラが特別 だなんてひとっことも説明しといてくれなかったし。いつもオレに黙って、なんかこそこそやってんじゃないか!」
「いつも……?」
「しらばっくれんなよ、綾瀬!」
 高城隼人の顔をした後白河綾瀬は鼻の頭をかいて、ちらりと令を見た。
「……やっぱり、気がついてたんですか」
 そしてうっすらと目を細めた。
「なんだよ、その目。言っとくけど、意識は読んでないからな」
「じゃ、どうしてわかったんです?」
「遺伝子のパターンがあんまり変わってないじゃんか」
 綾瀬は目を見開いた。
「……そりゃすごい。あなた、遺伝子パターンが読めるんですか?」
「読める……っていうのと違うと思うけど、見えるから……だいたい似てるか違うかくらいわかるじゃん」
「ふーん……はじめからわかっていて、よく、ぼくの芝居につき合いましたね」
「それ皮肉?」
「少しは」
 綾瀬は肩をすくめた。
「自分のほうがだましてたくせにっ。オレ、綾瀬が言ってくれるの、ずーっと待ってたんだぜ。なのに、澄ました貌してメイクしたりしてさ。綾瀬のいうことじゃなきゃ、あんなめんどっちい化粧水なんか毎日つけたりしないよ」
 ここで綾瀬は、ふいっと視線を逸らし、令に背を向けた。
「綾瀬?」
「ほら、あちらさんの審査がはじまるよ。ライバルの演技はちゃんと見なくちゃ」
 振り向いて言った時には、いつもの高城隼人の軽い口調だった。
「綾瀬っ!」
「高城さんって呼びなさいね。オレ、二十三歳って設定なんだから。年下のルナちゃんは礼儀正しくないとね」
 そのまま、すたすたと歩いていってしまう。
「なんだよォ……高城隼人の、にっこり腹黒オヤジ!」
 また、はぐらかされた。令は綾瀬の後ろ姿を恨めしそうに見送った。

 鬼ひげ側のモデル審査がはじまった。
 フロアにあらわれたのは黄河と遊人のふたりである。ふたりとも、夏らしいマリンブルーと商品のイメージカラーである黄金色を基調にした衣装をつけている。遊人の背にはもう魔霊のまがまがしい影はない。そのせいか、彼女はどこか頼りなげに見えた。
 演技はふたりの抱擁で幕をあけた。身体にぴったりフィットしたマリンブルーのワンピース姿の遊人の背に、マリンブルーのシャツに黄金色のネクタイをしめた黄河がするりと長い腕をまわし、カメラに向かってうすく微笑んだ。
「うっへーっ。あの黄河って男、色っぽい奴だなァ」
 思わず清原が叫んだ。
 美男美女が並んでいたら、普通どうしても華やかな女性のほうに目がいくものだが、黄河とならんだ遊人は影がうすかった。
 妖しく危険な頽廃の美。
 それが黄河の魅力であった。
「フィルムのテーマは危険な恋だよ。貴女もメイクアップして黄河のようなアブナイ男と恋に落ちようってね」
 いつのまにやら、清原の隣に鬼ひげがあらわれ、講釈を垂れている。
「たしかに。ありゃ危ない」
 綾瀬が令の肩に手をかけ、そのうえに軽くあごをのせて耳元で囁く。本来の綾瀬なら決してしない仕草が、高城隼人には妙に似合った。
「いいかい? ルナ。本当は月がふたつあるはずがないんだよ」
「……えっ?」
「妹が夢を見た。ふたつの月が昇る」
 綾瀬は目に落ちかかる長い前髪を、神経質そうにかきあげた。
「見ているうちに、片方の月が赤く染まり、やがて砕け散ったそうだ」
「それって……」
 フロアでは黄河が遊人をきつく抱きしめ、唇を重ねようとしている。
「あんたが砕け散るとこなんざ、オレは見たくないからな」
「あや……」
 あわてて綾瀬は令の口を押さえつけ、テレパシーで言った。
『高城さんと呼びなさいと言ってるでしょう。ここには知った顔が多いんですから』
「へっ?」

 モデル審査の演技が終了し、三十分の休憩に入った。休憩後に歌手審査、そして審査結果 発表という段取りである。
「高城さん、ちょっと訊きたいんだけど」
 いかにも不味そうに眉をしかめて缶入り紅茶を飲んでいた綾瀬に令が話しかける。
「んーっ? 化粧直しでもしながら話したい?」
 綾瀬が高城らしくニヤリと笑った。
「……愉しんでるだろ、あんたってば」
 そう言いながらも、ふたりきりになるにはそれが一番いい口実だったので、令は仕方なく控室に向かった。
「この可哀想な鏡はどうしちゃったワケ?」
 部屋に入るなり、床に散乱する破片を見て綾瀬が目を見開いた。黄河には惨状を後始末をする気などさらさらなかったようだ。
「つい、カッとなって……」
「オーラが暴走しちゃったって?」
 綾瀬がくすくす笑う。
「で、話って?」
 鮮やかな筆さばきで手を動かしながら綾瀬が訊く。
「なんで知った顔がいるとまずいんだ? あんた、オレのせいで、なにかやばいことでもしてんのか?」
 綾瀬の手が止まる。そして、片眉を大きくつり上げた。
「ごめん。怒った? だよな、あんたって悪いこととかできるタイプじゃねぇと思うし……」
 綾瀬はぷーっと吹き出した。
「なっ……! なんなんだよっ」
 綾瀬は必死で笑いをこらえながら口をひらいた。
「この化粧品会社は後白河製薬の子会社なんだよ」
「へっ?」
「だから、ここに後白河綾瀬があらわれたりしたら大変だ。一発で後白河の跡取り息子の決めたほうに審査なんて決定しちゃうんだよ。だけど、ルナちゃん、そういうの嫌いだろう? で、後白河の息子はここにいちゃヤバイってワケ」
 令は一瞬きょとんとしていたが、すぐにはっとした表情になった。
「もしかして……ラ・メールの時のこと、ゆってんのか? あん時、オレが怒ったから?」
「あれでだいぶ嫌われちゃったからね」
「……へ?」
「さ、できた。これで心おきなく歌えるだろう?」
「あや……高城さんっ」
 令は綾瀬のシャツの端をつかんで、その顔をじっと見つめた。
「あの……えっと、ごめん。コネがやだとかって、ホントはこの世界じゃ通用しないんだろ?」
 座ったまま、自分を子どものように見上げる令に、綾瀬はくすりと笑って言った。
「仕方ないでしょうね。それがあなたのいいところなんでしょうし。まァ、次は得意の歌ですから、失敗するんじゃありませんよ」
 そして令の黄金色の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「いくら、ぼくでも畑違いのメイクアップやコーディネートを短期間で習得するのは大変だったんですからね。デビューできたら一生恩に着なさい」

 令と綾瀬が会場に戻ると、すでに黄河がスタンバっていた。ふいに、黄河の射るような視線を感じる。
「遅いぞ、ふたりとも。なにイチャついてたんだ?」
 清原が訝しげにふたりを見た。
「はァ?」
 珍しく綾瀬が心外そうな声を出す。
「ったく、さっきっからふたりでベタベタして。ルナ、デビュー前から男と噂になったりしたら話にならんぞ」
「なんでっ、オレがこれと?」
 令が綾瀬を指さす。
「誰がコレだ! 高城さんと呼べと言ってるだろーが!」
「高城ィ! おまえが一番悪いっ。ルナをアブナイ道に誘うんじゃない」
「オレが?」
「そうだ。さっきから見てると、高城からルナにじゃれついてるようにしか思えないんだが? はしゃぎすぎだ」
 清原にぴしゃりと言われて、綾瀬は顔を赤らめ、あわてて令から顔を背けた。
「もしかして、照れてるの? 高城さん?」
 よせばいいのに、令が綾瀬の顔をのぞき込んで突っ込む。
「オレが照れちゃおかしいか?」

「うわ……高城さんってば、マジかわいい!」
「……おまえら、ホント、いつのまにそんなに仲良くなったんだ?」
 呆れ気味の清原の言葉に、令と綾瀬は思わず顔を見合わせ、ぷーっと吹き出した。そんな中、場内に休憩時間の終わりを告げるアナウンスが響く。
 メロウなイントロダクションが流れはじめる。
 目を伏せたままの黄河のオーラがそのメロディとともにふわりと舞い上がった。そして、一瞬動きを止めたかと思うと、一息に津波のように広がり、場内を黄金色の光で埋め尽くした。もちろん、黄神一族のみにしか見えない光である。
「みごとなオーラコントロールだ」
 黄金色の光で満たされた幻想的な光景を眺めながら綾瀬が呟く。
「これだけのオーラを放出してよく身体が保つな……」
 そして、黄金色のオーラのあるじは歌いはじめた。
 それは、驚くほど甘く、物憂い声、だった。
 声にあわせてオーラがさざなみ、揺らめく。すでに、はじめの一小節で人々のオーラは黄河のそれにシンクロしようとしていた。グラスの中で琥珀色の液体が揺らめくように、場内のオーラはゆらゆらと揺れていた。
 人々は、うっとりと黄金色のオーラの揺らめきの中でたゆたい、聴こえるのはただ、黄河の声だけだった。
 気怠く物憂いラブソング──。
「これじゃ、集団催眠だ」
 苦々しく言いながら、綾瀬は傍らの令に顔を向けた。綾瀬の表情が一瞬嵐のように険しくなる。
「……ルナ、ルナ?」
 綾瀬はちっ、と舌打ちした。
「冗談じゃない。あなたまでシンクロしてどうするんです、令っ?」
 本名を呼ぼうが、清原たちまわりの人間も、当の令本人さえ黄河の歌以外耳に入っていないらしい。
 綾瀬は天を仰いだ。
「迂闊だったな。令、目を覚ましなさい!」
 そう叫んで、綾瀬は令を抱きしめた。白いオーラが全身から溢れだし、会場内を包み込んでいる黄金のオーラの〈場〉を侵食する。
『無駄だ。〈白〉の宗家』
 黄河のテレパシーが綾瀬の頭に響いた。
『〈白〉のオーラごときで、この黄河の〈場〉は破れはしない』
『卑怯者がよく言う。歌では黄神令に勝てないのでしょう? あなたは』
 綾瀬が応ずると、黄金色のオーラが圧力を増した。
『図星だったようですね、黄河。それとも、〈夢幻の月〉とお呼びしましょうか? ……くっ!』
 黄金色のオーラの奔流が綾瀬を直撃した。それでも、綾瀬は令の身体をしっかりと抱き離さない。輝く白いオーラが令を包み、黄河の〈場〉から切り離そうとしている。
「令っ? 令! 早く起きてください。奴とシンクロしたまま歌いたいんですかっ?」
 綾瀬が叫ぶ。
 黄金色のオーラに圧され、白のオーラの勢いが弱まる。
「令……っ!」
 早く起きてくれ。オーラを放出しすぎた。もう、保たな……い。
 綾瀬は渾身の力をこめて、最後のオーラを放った。灼熱した光の矢が令の身体に吸い込まれる。
 令の身体がぴくりと動いた。

「あや……瀬?」
 ふうっと令が目覚めると、そこに令を抱きしめたまま、ぐったりと気を失っている綾瀬がいた。
「……えっ? おいっ? あや……高城さんっ!」
 まったく無意識に令は綾瀬の身体に自分の黄金色のオーラをそそぎ込んだ。
「高城さんってばっ! オレ、一生恩に着るから。目、あけてよっ!」
 綾瀬は小さく笑った。
『あのね、人のことをご臨終みたいに言わないで欲しいんですが。ちょっと疲れてやすんでいるだけです』
 語調とは裏腹に口をひらく元気はないらしく、細々としたテレパシーが令の脳に響いた。
『黄河は歌で勝負しない卑怯者です。負けちゃ駄目ですよ……』
 その言葉で令は、黄河にギリッと視線を走らせる。すでに歌い終えた黄河は、ゆったりとした足どりでこちらへ歩み寄ってくるところだった。
「降参か?」
 黄河が口の端を心持ちあげて訊く。
「誰がっ! あや……高城さんをこんなにしやがってっ」
 くくっと、黄河は笑う。
「高城だろうが、後白河だろうが、誰も聞いちゃいない。周りを見なさい」
 言われて、令はあたりを見回し絶句した。
 場内の人々の目、それはみな虚ろだった。ただ、ゆるやかに右に左に身体を揺らしている。
「みんな、まだ俺の歌を聴いているんだよ」
 さきほどまで、場内を満たしていた黄金色のオーラはもう黄河の身体の周りで揺らめいているだけである。だが、シンクロはつづいていた。人々は呪縛から醒めていなかった。
「後白河が邪魔さえしなければ、あなたもああなっていたんだけどね」
「なんでこんなことをするんだ? あんなに、歌だってうまいのに」
「人の好き嫌いなどという低レベルな判断に委ねたくないんでね。どちらにせよ、歌だけだったら、あなたと俺は互角だよ。だから、オーラでけりをつけさせてもらった」
「……早くみんなを解放しろよ」
「このまま、半日も放っておけば動けるようになる。ただ、俺の歌を聴きながら一生を終えることになるが。それもただの人間には幸福なことだろう?」
「黄河っ!」
「人間どもを解放してやりたいんなら、自分でやったらどうだ? 神と呼ばれし〈中央本家〉だろう? 人々を導き、守る──あなたの務めだ」
「オレは……神なんかじゃないっ……!」
 叫ぶと同時に、令の黄金色のオーラが舞い上がった。

第15話 End
2004.12.30 rewrited
Written by Mai. Shizaka

 

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