1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/INDEX
LUNATIC GOLD 5
 

 

 


 

 


第一部 月下の一群

 

 


5 第二次関門

 



 ──寒い。
 気がつくと『それ』は闇瞑の中にいた。
 ──ここは、どこだ?
 『それ』の呼びかけに応える者はない。問いは虚しく漆黒の闇に飲まれるばかりだ。『それ』は絶望にくねくねと身をよじった。
 ──何故だ?
 何故、わたしはこんなところにいる?
 誰か応えてくれ。
 ああ、応えてくれ、応えてくれ、応えて……。
 『それ』は叫び続けたが、そこにはただ、闇瞑と孤独があるばかりだった。
 ──わたしは何なのだ?
 何のためにこんな処に閉じこめられている?
 ここは昏い、寒い、誰もいない。
 出たい。
 誰か早く、早く出してくれ。
 誰か……。
 ああ、そうだ。
 ……が呼んでくれるはずだ。
 ……が呼んでくれる。
 それをわたしは待たねばならない。
 たしか、たしか、そんな気がする。
 ああ、早く。
 早く呼んでくれ。
 わたしがわたしであるために。
 ……よ、どうか、早く。

 もう一度、大きく身をよじったかと思うと『それ』は動きを止めた。規則的な鼓動だけ残して。再び眠りについたように見えた。
 闇瞑の眠りの中、『それ』が見るのは、浅い夢、人の世の。


 令は朝が苦手だ。
 いつまでだってベッドの中でぬくぬくしていたい。でも、この空きっ腹はもう限界かも知れない。ごろりと寝返りをうってどうにかごまかしてみようとする。その時、お腹が勢いよく鳴って令はようやく決心した。
 跳ね起きてから呆然とする。
 昨日のアレは本当に現実のことだったんだろうか? あの、大国の大統領にひざまずかれ、オレの歌がよかったと外国の偉そうなおっさんたちがみんなして褒めてくれて……。令はいつものさっぱり刈り上げた後頭部をぼりぼり掻いた。辺りを見回すと、パーティの後、じいが案内してくれたホテルの部屋だ。やっぱり夢じゃないらしい。頭はぼーっとしながらもお腹はぐるぐる悲鳴をあげている。そこへ、ノックの音がしてじいが入ってきた。
「お目覚めですか? 黄神様」
「へ……っ?」
「すぐに朝食をお持ち致しましょう」
「ちょっと待ってよ。今、変な名前で呼ばれた気がするんだけど」
 令が右手で盛んにくせ毛を気にしながら言う。
「昨晩、大老が仰せられました。あなた様は黄神令様であらせられます」
 じいはきっぱり言い切った。
「大老はオレの名字まで変えるつもりなのか? オレ、一応、高見沢の長男なんだぜ」
「あなた様がお望みなら。しかし、そのおつもりはないようでございますね」
「当たり前だろ。勝手に名前なんか変えられてたまるもんか」
 くせ毛を立ててムッとした令を見て、じいの表情は停止した。
「なっ、なんだよ。じっ、おじいさん」
「わたくしめのことはじいとお呼び下さい」
 じいは頑として無表情にきっぱり言う。令はこの老人に職人気質を感じた。
「わ……わかったよ、じっ、じい」
 やっぱり照れる。それに上手く言わないと『じじい』になってしまう。
「そのかわり、オレのことも令でいいよ。黄神様だけはやめてくれ」
「御意のままに。令様」
 なんだかこの老人にはからかわれているような気さえしてくる。
 令は病気でもないのに生まれてはじめてベッドで食事を摂った。バターがたっぷり溶けたあつあつのスクランブルエッグにかりかりのベーコン、チーズのとろけたリゾットにフレッシュオレンジジュース、ハーブと赤ラディッシュをお洒落にのせたサラダによく冷えたマンゴーのデザート。なんだか洋画の主人公にでもなったような気がする。
 うーん、黄神の中央本家も悪くない。もしかして、外国なんかに行ったりしたらオレ、国賓だったりして。ぷぷーっ、まさか、んなこたないよな。なんにせよ、一番いいのは黄神の連中はオレが変身したって誰も驚かないってことだ。こんなに自由な気分になったのは、生まれてはじめてかも知れない。
 熱いシャワーを浴びて置いてあったガウンをひっかけると、つい、鼻歌など出てしまう。
 その時、ドアを派手にノックする音がした。
「……じい?」
「わたし。後白河ましろ」
 へ……っ。ええーっ? なんで彼女がこんなとこにッ? オレ、まだブローしてないッ。服も着てないぞ。
「ちょっ、ちょっとタンマ」
「すぐに開けて。待たせないで」
 うっそーっ? マジっすか? オレは鏡をのぞいた。濡れた長めの前髪を軽く落としてサイドをなでつけた。う〜ん、まぁこれでも結構肩幅はあるほうだから、ガウンでも見れないことはない……と思う。
 鏡の前で一番いい顔をつくってから、意を決してドアを開けた。

 バッチィーン!
 一瞬、何が起こったのかよくわからない。
「さすが中央本家様だね。女の子に叩かれたくらいじゃ顔色も変えないんだ」
 これはよくある誤解である。今の令はひたすら面食らっているだけだ。
「……オレ、君に何かしたっけ?」
 やっとのことでそれだけ口にしたのだったが、引き続き無表情を保っている。もう、令はただ面 食らってはいない。叩かれて、かえって頭が冴えてきたほどだ。が、実際、自分がかなり慌てているのも自覚している。慌てているから、慌てていないふりをする。むしろ慌てていない時に慌てているように見せかける、令はそんなタイプだ。
「大っ嫌い」
「え……っ?」
「いい気になって。高見沢は自分が中央本家だって認められたら、他のみんなのことはどうでもいいんでしょ?」
「どうでも……って? なんだよ、それ」
「しらばっくれないでよッ。綾瀬たち、このままじゃ失格になっちゃうんだから」
「失格って……大老のアレ?」
 そういや、たしか海棠が、オレがコケたら奴もコケるとかなんとか言ってたような。オレ自身はあんなの別 にどうでもよかったからなぁ。
「……四人じゃないと、失格なわけ?」
 バッチィーン!
「バカーッ! 高見沢は一族にしちゃ普通の神経してると思ったのに……ッ」
 そう言って、もう一発叩いてから、ましろは泣きながら走り出してしまった。
「ちょっ、ちょっと待てよ。後白河さん」
 令が追いかけ、ましろの細い腕をとる。振り向かせると、くりっとした目から大粒の涙がぽろぽろこぼれ落ちている。
 かわいい貌して泣くなよーッ。ああ、頬がひりひりする。
「もう、もう、間に合わないもんっ。今から黄神邸まで車とばしたって」
「……んなこと言ったって、はじめにからんできたのは海棠なんだぜ? あんなん言われて一緒にやってけるわけねぇだろ?」
「……あれは、ひっく、高見沢が能力に目覚めるために青野(せいや)が挑発してたんだもん……そんなのもわかんないの?」
 ……わかんなかった……。
「でっ、でもなぁ、あの後オレの面倒みてくれたのって、透だけだったし」
「綾瀬は迎えに行ったもん」
「あ……ああ、あれね。けどさ、君の兄さんってすごく感じ悪いんだもんな」
 令が応酬する。
「しょうがないじゃない。あの人、性格曲がってるんだから」
「は……はぁ……」
 令はすっかり脱力してしまった。妹からこうもあっさり曲がった性格を認められてしまうと返す言葉がない。しかしそうなると、性格曲がりの兄の立場はどうなるんだろう……。まっ、いいか。
 令は急いでワードローブを開けてみた。案の定、中にはじいが用意させたと見える上等そうな服が数ダースほどかかっていた。さすがはじい、オレの好みまで調べさせたな……。
「後白河さん、ちょっとあっちに行っててくれない?」
 令が続き部屋を指さした。
「えっ?」
「それとも、オレのヌード見たい?」
 令はいたずらっぽくウィンクした。

 高見沢ってあんなだったかな。令の着替えを待つ間、ましろはちょっと驚いていた。テニスの時はなんだかびくびくしていて黄神に囲まれた一般 人の男の子だったのに、今はすごく黄神っぽい。
「お待たせ」
 そう言って入ってきた令を見て、ましろは息を飲んだ。そこに立っていたのは、ため息の出るような美貌の金髪だった。淡い琥珀色の瞳、珊瑚の唇。令は歌った時の感覚を思い出すだけで変身できるようになっていたのだ。白いサマーウールのパンツに揃いのジャケットを素肌に着けて、胸ポケットからブルー系に金糸の刺繍のあるスカーフを大きく垂らしている。
「派っ手ーッ」
 数秒、美形を鑑賞してからましろは叫んだ。
「似合わない?」
 自信ありげにましろの貌で俺のぞき込み、華やかにくすくす笑う。黄金色の髪が頬に触れる。オーラの見えるましろにとっては、まるで光が降ってきたような感じだ。令の変身した姿を見るのは、テニスの時とパーティと、そして今日が三度目になるがこんなに間近にするのははじめてだ。
「……なんか高見沢じゃないみたい」
 ……悪くないけど。
「うーん、自分でも鏡見ながらなんか他人に服着せてるみたいな変な気分でさ。こんなんなっちゃったんだよ。自分だって気がしないんだ、コレ」
 そう言って、令はかったるそうに髪をかきあげた。
 凄く色っぽくて、アブナイ。なんだかドキドキする。
「さて、行こっか。急ぐんだろ?」
 どこへ、とましろが問う間もなく、令に手をとられるとすぐ辺りの景色がぶれた。
 気がつくと、そこは黄神邸のあの大きな玄関の前だった。ましろは眩暈を起こして令にしがみついた。素肌にじかにジャケットをはおっているせいで、令の肌の温もりがなまなましく感じられる。対照的にひんやりした感触の黄金色の髪がましろの頬に触れる。
「大丈夫?」
 肩を支えながら令が尋く。いつもの令と違う、よく通る透明でやわらかな声がましろの耳をくすぐった。
 令のほうもかなりこそばゆい気分でいた。小柄なましろは令の胸あたりまでしか背がないので、彼女の髪先が素肌にちくちく当たるのだ。ましろの華奢な身体から白く輝くオーラがゆらゆら舞い上がるのが見える。ほんの少しの間、ふたりはそのままでいた。
「たっ、高見沢。他人を連れてテレポート出来るの?」
 身体を起こしながらましろが沈黙を破った。見上げると、令の淡い琥珀色の瞳と目が合う。
「えっ? だってそのために変身したんじゃないか」
 令は歌うように話す。テレポート──瞬間移動は〈青〉の領分だが、高度なテクニックを要するのでマスターしている黄神は少なかった。まして生きた人間を運べるのは同世代では青野くらいのものだったのである。だが、その青野でさえ一度にふたり運ぶのは無理だった。訓練なしで青野クラスの力を持っている、令の能力は驚異的であった。
「じゃ、行ってきます」
 令が学校にでも行くように言って微笑った。
「行ってらっしゃい……」
 そう言いながらましろは後ろ姿の黄金色のオーラを見送った。あれが中央本家……なんだかまだドキドキしている。
「綾瀬が苛つくわけだ」
 ぽつんと言った。

 屋敷は広かったが、今日の令は迷わなかった。人のオーラがたくさん集まっているところへ向かえばいいだけだった。
 ドアを開けて、令が入って行くとみんなが一斉に彼を見た。みな、席に着いてじいの話を聞いているところだ。
 あちゃーっ。やっぱ、間に合わなかったかな。
「早く席にお着きください」
 目が合うなりじいが言った。この慇懃無礼な老人に抱きつきたい気分の令だったが、空いた席が見つからない。よくよく捜すと、前のほうにふたつばかり椅子が空いているのが見えた。じいは令が着席するのを待っていると見えて話を中断している。前に向かう短い距離の間にも、この部屋にいる奴らの意識が飛び込んでくる。
『中央本家だ』
『〈至上の黄金〉、黄神令』
『オーラを奏でる天才だって言うぞ』
 うーん、ぞくぞくする。なんか、だんだん快感になってきた。注目されるのも悪くない。
 綾瀬の隣と青野の隣が空いていたが、令はあえて綾瀬の隣を選んだ。そういえば、透が来ていない。オレが来たって奴がいなきゃ同じことなんじゃねぇのか?
『透は?』
 令はおそるおそる綾瀬にテレパシーで話し掛けた。
『それはこちらが訊きたいくらいです。あなたがたは一緒じゃなかったんですか』
 彼は令と透のちょっとした仲違いを知らないらしい。
『おい、透は何してんだよぉ?』
 青野が話し掛けてきた。
『わからない。昨日の夜から一緒に行動してないんだ』
 令が応える。
『だーっ。もう、間に合わねぇじゃんかよ』
『呼んでみてくれませんか』
 綾瀬が言った。
『へっ?』
『あなたの声なら黒川に届くでしょう』
『わ、わかった』
 と、言ってはみたものの、令はオーラを使うことにかけてはビギナーである。
『透ーッ!』
 やみくもに叫んでみた。
『……恥ずかしい声を出さないでください。この部屋の人間に呼びかけてどうするんです』
 綾瀬が呆れたように言う。見ると、周りの奴らが令を見てくすくす笑っている。じいまでもが令の顔を凝視した。
『まず、意識を広げて黒川を捜してください。それから彼に向かって呼びかけるんです』
 綾瀬が教えてくれた。
 えーっと、透を捜す、か。
 令の黄金色のオーラがふんわり伸びる。令の意識は一気に屋敷の外に飛んだ。透ん家ってどっちの方向だっけ。……わかんねぇよな。オレ、都民じゃねぇもん。しょうがない、アバウトに強いオーラを捜してみよう。
 意識を広げてゆくと、いろいろな人々の想いが令の感覚を掠めてゆく。
  凄いな、ここは人の想いの洪水だ。想いがエネルギーになって渦巻いている。恐いな、これだけ集まってくると強すぎて狂気にも似てくる。
 こんな時でさえ、令の心は歌っていた。人の想いとともに。
『令くんか?』
 ふいに、馴染みのある音楽的な声が頭に響いた。
『透ッ!』
 渦に飲み込まれかけていた令は、はっと目が覚めた。
『捜したんだ。早く黄神邸に来てくれ』
『君は今、黄神邸か?』
『そうだよ。みんな待ってるんだ。用意はいいか?』
『君はあんなものに参加する必要はないと思うが』
『でも、一度やるって決めただろ? 他の奴らに悪いじゃんか』
『わたしは行かない』
 透のテレパシーはきっぱり告げた。
『なんで? おまえ、後白河はともかく、海棠とは結構仲がいいんじゃないのか?』
『青野は嫌いじゃない。わたしと対等に口をきくのは奴と後白河くらいなものだ』
『なら、来てくれたっていいじゃんかよ』
 少しの間、沈黙があった。
『君のためになら、行ってもよいが』
『へっ? マジで?』
『まだ直らないのか、それは。マヌケぶるのはいい加減にやめてくれ』
『……どうせオレはマヌケだよ』
『本当に君はわかってないのか、わかりすぎているのか』
 透はテレパシーでため息を吐いた。
『なっ、なんなんだよ。んなこと、どうでもいいから早く来てくれよぉ』
『君のために行くのだからな、令くん』
 透がそう言ったとたん、令の意識が透の身体に集中した。
『令くん、まさか君は……』
 透がテレパシーを伝え終えないうちに、身体がズレる、という感覚が彼を襲った。気がつくと、透の目の下に令がいた。

 黄神大老の孫、黒川透の突然の出現に広間の人々はびっくりした。
「おまえ、透をテレポートさせたのか」
 青野が唖然としている。
「だって、間に合わないじゃんか。でも、ちょっと失敗しちった。ごめんな、透」
「あっ……ああ」
 透が力無くうなずく。透はテーブルの『上』にテレポートさせられてしまったのだ。長身の彼がテーブルの上で一瞬呆然としている姿は結構マヌケで、綾瀬などは状況を忘れてついニヤニヤしてしまった。その時、じいが言った。
「第二次関門は現在ここにいらっしゃる方々で競い合っていただきます」

「だけどさ、オレたち一次もすべったんじゃねぇの?」
 ふだんの姿に戻った令が訊いた。
「なーに言ってんだかよ、こいつは。あん時ゃ、おめえが相手をぶっ飛ばしちまって、あちらさんは試合続行不可能ってことで、おめぇらの勝ちじゃねぇの」
 つくねを頬張りながら青野がゲラゲラ笑う。作戦会議と称して、ましろを加えた五人は焼き鳥専門の居酒屋にいた。青野の趣味である。
「で? 魔霊狩り──ソウルハンターのルールは?」
 升酒をちびちび飲りながら透が訊いた。透を連れて来るのに夢中で令は聞いていなかったが、あの時じいは第二次のルールを説明していたのだ。
「魔霊(ソウル)……?」
「おととい、令くんは人助けをしただろう。あの時、人の後ろにあった暗い影のことだ」
 透が説明する。
「ああ、あの、人を殺そうとした?」
「そう、第二次ではあの魔霊を狩る。そうだな、青野」
「そうそう、黄神の宿敵だかんな」
 こうして一緒にいても、なるほど透と綾瀬はほとんど互いにしゃべろうとしない。いつも青野が橋渡しになっている。あんまし、こういうの得意じゃないんだよな、令はアスパラ巻きに食いつきながら思った。
「ルールは簡単。明日の朝八時から二十四時間の間にどれくらい魔霊を散華させられるか、ってだけだぜ」
 青野がピストルを撃つような仕草をする。
「さんげ……? 教会にでも行くのか?」
 令がきょとんとする。
「あれは懺悔ですよ。散華は花と散るってこと。一族は魔霊が死ぬことを散華と呼ぶんです」
 綾瀬がくすくす笑う。笑われて、ちょっとムッとしたが、久しぶりに綾瀬が笑ったのを見た気がして令はなんとなくほっとした。

 ビールのおかげですっかり近くなった令がトイレから出ると、細い通路でましろが待っていた。ふいに、朝のことが思い出されて赤くなる。
「ごめんね、高見沢」
「えっ、何が?」
「三度も叩いちゃった。痛かったでしょ」
「気にすんなよ。もう痛くないから」
 そう言ってなんとなく頭を掻いてしまう。
「ありがとね。行ってくれて嬉しかった」
 するりとましろは令の懐に飛び込んで、唇にそっとキスをした。そして、呆然としている令を置いて、ぱたぱたと走り去ってしまった。

第5話 End
2004.7.31 rewrited
Written by Mai. Shizaka

 

Copyright(C)2004-2005, Mai. SHIZAKA. All rights reserved.

Background by Silverry moon light / Title alphabet & icon by White Board