1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/INDEX
LUNATIC GOLD 7
 

 

 


 

 


第一部 月下の一群

 

 


7 人間じゃ、ない

 



 帰りの地下鉄の中で赤里は窓の外の暗闇を見つめていた。闇の中に金髪の美形の微笑みが浮かび上がる。
 なんて、歌声だろう。なんて、表情で微笑うんだろう。
 赤里は小さく頭を振って、彼のことを頭から締め出そうとした。暗い窓が鏡のかわりになって赤里の姿を映し出す。
 後白河ましろそっくりの顔。違う姿で会えればよかった。ううん、あれは、敵だ。赤いオーラなんか子供を産む道具としか思ってないはずだ。黄神の、外国の御曹司だろう。ダボダボのGジャン、無理矢理貸してくれた。返すアテなんかないのに。別 の姿になったら彼は自分のことなんかすれ違っても気づかない。この顔で会えば、ルナはどうしたってましろのことを思い出してしまう。
 地下鉄は金属的な音をたてて闇を切り裂いてゆく。

「あやまんねぇからな、オレ」
 三人と合流しての令の第一声がこれだった。ビルの谷間の公園で三人は令を待っていた。
「別に謝って欲しいとは思いませんが?」
 綾瀬がにっこり笑って右手を出した。
「ちょっとカウンタを見せてくれませんか?」
「これ? ……あれ? いつのまに、こんなに……」
 見ると手首のカウンタは408を示していた。
「ふぅん、やっぱり」
 綾瀬がうなずく。
「ひとりで納得してんなよ」
 令が口をとがらす。
「あの店で歌ってる時、あなたはずいぶん魔霊を散華させていたんですよ。普通 、無意識のオーラっていうのは魔霊に喰われるものなんですが、あなたのは強すぎて奴らも逆に散らされちゃうんでしょうね」
 そう言って、令をじっと見る。
「なんなんだよ?」
 見ると、透や青野も令を見て意味深な表情をしている。
「おまえら、なんか企んでんな?」
「君はいいハンターになれるってことだよ、令くん」
 透がうっすらと微笑んだ。
「ハンター?」
 そういえば〈赤〉の大男が言ってたな。令はふと、手首のカウンタに目を遣った。歌いながら100近くの魔霊を散華させたことになる。
「と言うことで、名ハンターさん、魔霊狩りを再開しましょうか? ……もう酔いは醒めたでしょうね?」
 そう言って綾瀬はにっこり笑った。だが、その目は決して笑ってはいなかった。

 令は拍子抜けしていた。赤里のことを突っ込まれたら、一族の〈赤〉に対するやり方について突っ込み返すつもりでいたのだ。なんだか、はぐらかされたような気分だ。
「ここから10キロばかり南に行ったところに集まっている」
 透の音楽的な声が深夜の公園に響く。
「魔霊は一カ所に集まる習性がある。そこを一気に叩くってわけだ」
 さっきからどこか不機嫌そうな青野が令に耳打ちした。
「青野、フィールドのイメージを送るから後白河と一緒にテレポートしてくれ」
「オッケー」
 透はまず青野にイメージを送ってから、令にテレパシーで話し掛けてきた。
『いいかい、令くん。ここから目的地までのイメージを送るから、わたしを連れてそこまで飛んでくれ』
『わかった』
 令が応えると同時にイメージがどっと流れ込んでくる。
 透のイメージは繊細で的確だ。闇の中、ビルや車が輪郭だけ残して透明になり、遥か遠くまで見通 しているようなパースペクティブ感覚になる。その闇の海に、動物たちのオーラがぽつりぽつりと浮かんでいるのが漁り火のようでとても綺麗だ。その漁り火よりも淡く、植物のオーラがふわりと立ち昇って見える。そんな幻想的な光景の中、透の意識は思考のスピードでビルの壁を通 り抜け、車をすり抜ける。その先に、暗い影──魔霊の群があるのを令も感じた。令は瞬時に現在地と目的地の空間的距離を感覚で捉える。
『うん、わかった。すぐ行けるけど?』
 令が三人に言う。
 令は事も無げにそう言うが、テレポート──瞬間移動にはかなりのテクニックを要した。自分の身体を目的地へただ運ぶだけでは駄 目なのだ。それでは、ひとつの空間に同時にふたつの物質が存在することになり、物質同士がぶつかって爆発してしまう。それを避けるには物質同士を瞬時に交換しなければならないのだ。令にはこの原理が論理的には解っていない。ただ、人が呼吸するように自然にテレポートが出来てしまう、それが今の令だった。
『んじゃ、同時に飛ぶぜ』
 青野がこちらもテレポートなんてどうってことはないと言うように叫ぶ。そして、四人は飛んだ。

 そこは何かの倉庫のようだった。
 古びたシャッターが閉まっており、その向こうに魔霊が蠢くのを令は感じた。海岸近くのせいか、汚れた海の厭な臭いが研ぎ澄まされた感覚にはきつい。
 突然、青野の蒼いオーラがうねりをあげてシャッターを直撃した。シャッター一枚分があっけなく粉砕され、倉庫に月光が射し込む。だが、中のものは奥深く潜んでいるとみえて、その姿は見えない。見ないほうがいい、令はは瞬時に直感した。そこには魔霊だけでなく、たしかに何かがいる。
「さあ、出てこいよッ!」
 青野が挑戦的に叫ぶ。中からずるりというような音がする。それらが動く音だ。
 ずるっ、ずるっ。
 酸っぱい臭いが辺りに漂う。月明かりの下、姿をさらけ出したモノを見て、令は思わず顔を背けた。
 それらは、たしかにヒトに似ていた。
 ヒトのような頭部を持ち、二本足で歩いている者が大半だった。だが、ヒトであった痕跡を残しているがため、かえってその異形は惨たらしかった。
 異形のモノ──彼らは皆、ヒトが変形した者であった。
 ある者は、象のように皺の寄った青黒い皮膚を地面にだらりと垂らし、弛緩しきった身体中の穴という穴から唾液粘液漿液精液などを滴らせている。またある者は、骨格が異常に発達して肉体の外にまで突き出してしまい、白い骨の内側に肉や血管やリンパ球、果 ては眼球までもが張りついているような状態で、苦しげに言葉にならない声をあげていた。他にも、どろりと溶け落ちた肉をずるずると引きずっている者、皮膚の大半が鱗や厚い毛に覆われた者、ぬ めぬめと光るオレンジ色の内臓を剥き出しにした者などがいたが、それらの背後には皆、魔霊の大きな暗い影があった。だが、令が一番見たくなかったのは、彼らからゆらゆらと立ち昇る赤いオーラだった。
「か……彼らは……」
「魔霊に支配された〈赤〉の一族だ」
 令の問いに透が答えた。
「魔霊を支配した黄神は自分の能力を高められると言われている。そこで〈赤〉は魔霊を支配しようと集会を開く。だが、逆に支配された場合、魔霊は宿主の力のコントロールを狂わすらしい。あれがその、なれの果 てだ。世界各地に残る、獣人伝説、キメラ伝説などはすべて〈赤〉の伝説といっていい」
 ヒトの名残をとどめている分、かえって惨たらしいそれらは、奇妙な音を喉から発しながらゆっくりと令たちのほうへ近づいてきた。
 ずるっ、ずるっ。
「〈赤〉が集会を開くことを知ってて止めなかったのかよ?」
 彼らから目を背けながら令が叫ぶ。
「おい、令。オレだってそこまで悪くねぇぜ。〈赤〉も用心深くてな。今までガードが堅くて察知できなかったんだ」
 青野がいかにもバツが悪そうに言う。
「彼らを元に戻す方法はないのか?」
「無理でしょう。魔霊に脳細胞を破壊されています」
 綾瀬が答える。
「だけど、魔霊を散華させたら、あの人たちは死ぬんだろう?」
 令の声が震える。
「死ぬだろうな。魔霊に生かされている状態だから」
 透の声が響く。その時、巨大な魔霊が令を襲った。とっさに黄金色のオーラが舞い上がる。魔霊は感電でもするかのようにぶるぶる震えながら散華した。
『た……すけて』
 令の頭にテレパシーが届いた。同時に異形のモノの一体ががくりと膝をつく。右の腕であったらしき巨大な鈎爪状のものをぴくぴくと上にあげた。救いを求めるかのように。だが、その腕も虚しく空を切り、魔霊と同じに二三度ぶるぶるっと震えたかと思うと、それきり二度と動かなかった。
 令はへなへなとその場に座り込んだ。肌が粟立ち、脂汗がにじむ。地面がぐらりと回るような感じがして、耳鳴りが止まない。
 あのテレパシー、人の意識が残っているのか?
 ふうっと令の意識が異形の者のひとりに伸びるが、その意識は切れ切れで、まるでモザイクのようにちぐはぐにつなぎ合わされている。嘔吐をもよおし、令はそれの思考をなぞるのを止めた。その時、別 の魔霊が襲いかかってきた。
 ふと、赤里の顔が浮かんだ。夕暮れの空のように赤いオーラ。異形の者たちから立ち昇るのも同じ色だ。透からも青野からも綾瀬からも、紫、蒼、白と色は違えど輝くオーラが立ち昇る。そして、黄神ではない人だってオーラを持っている。動物も草木も、この蒼い惑星さえ青銀のオーラを発しているのを令は感じ取っていた。
 そうか、オーラは命だ。なのに、魔霊はただの暗い影だ。オーラ──命の光を喰らう闇。

『そなたは何者だ? 命を持たぬ闇よ。何故、霊波を喰らう?』
 まさに身体を呑み込まんとする魔霊に令は問うた。
──我ガ名ヲ問ウ者ヨ、オマエは誰ダ?
 魔霊の異質なテレパシーが令の頭に響いた。
  ……オレ? オレは……?
──人二非ザル黄金ノ光ノ主ヨ……貴方ハ……

『令ッ! 敵と戯れるのは止めろ!』
 透のテレパシーが飛び込む。気づくと透と青野は魔霊を次々と散華させている。異形の者たちが崩れ落ちる。
「ダメだッ! あの人たちが死ぬ!」
 令が叫ぶ。
「冗談だろッ? あんなバケモンになって生きていたいもんかよ?」
 青野が怒鳴った。
「オレだって……人間じゃないッ!」
 そう叫んだ令の身体から黄金のオーラが舞い上がる。だが、黄金の波は魔霊ではなく、異形の者たちのほうへ伸びていった。輝く光が彼らを包み込み、令は歌い出した。

  黄昏の街は水の底
  ビルさえゆらゆら揺れてる
  熱いくちづけ 甘い吐息
  夕闇の海に沈んでゆく

  眠らぬ都会の魚だね
  君は愛にとまどってる
  グラスの海 夢の間
  切ない気持ちで泳いでいる

  君にささやくよ
  波のようにくりかえし
  愛してる 愛してる
  耳の岸辺に打ち寄せるまで

 それは、ついさっき夕陽を見ながら作ったばかりの歌だった。
「こんな時になに悠長に歌ってるんだ?」
 一瞬、聞き惚れてからはっと気づいた青野が悪態をつく。だが、その時、異形の者たちの一人がぴくぴくと動きはじめた。声にならない声をあげ、頭部を押さえてうずくまっている。他の者たちも徐々に似た状態になっていった。
「変形しようと、いや、元に戻ろうとしている!」
 綾瀬が我知らず声をあげた。黄金色に輝くオーラが歌とシンクロして舞い上がり、赤いオーラもそれに巻き込まれている。それとともに、彼らの姿が人のそれに戻ってゆく。そして、魔霊の暗い影は海に降る雪のように黄金色のオーラに吸い込まれ、消えていった。
 令が歌い終わった時、異形の者の姿も魔霊の暗い影もそこにはなかった。あるのはただ、安らかな貌をして息絶えた人々が横たわった姿だけだ。黄金色のオーラがふっと小さくなり、危うく令がその場に倒れ込みそうになるのを透が支えた。透のオーラにびりびれ感じていた令の意識が途切れる。ふいに風が巻き起こった。
「くっ……わたしたちのオーラを吸収している」
 透が瞬時にバリアを張ると、空気がぱちぱちとはじけるような音を立てる。
「これは……令は空気の分子エネルギーさえ、なんなく吸収できるのか?」
 驚いた綾瀬が目を向けると、透の腕に支えられているのは既にごく普通の少年だった。
 青野がふうっと息を吐き天を仰いだ。

「高見沢令 713」
 じいがカウンタを読み上げると同時にざわっと人々がどよめいた。
『嘘だろう? たった一日で700の魔霊かよ?』
『プロのハンターでも200がせいぜいだって言うぜ』
 あちこちでテレパシーが飛び交う。
「黒川透 342」
「海棠青野 256」
「黒沢晶 189 海棠青時 164……」
 ざわめきなどにおかまいなく、じいは上位成績者から次々と読み上げてゆく。魔霊を感じることの出来ない〈青〉の補佐役の〈白〉を別 として、〈黒〉や〈青〉の者たちのカウンタは大体50あたりが平均といったところだ。
「あふぁーっ」
 青野が大あくびをする。
「行儀が悪いよ、青野」
 綾瀬がくすっと笑った。

 その頃、黄神邸の豪奢な客室のひとつで、令は眠りに落ちていた。傍らでは、透が香りのいいブランデー入りの紅茶を飲んでいる。
「君の存在を知った時からずっと会いたかった。……そして、出来ることなら一生会わずにすませたかったよ、令くん」
 微笑んで独りごちる。
「う……ん」
 令の寝顔が歪み、額が汗ばむ。
「だ……めだ」
「彼らを救えなかったことを気に病んでいるのか、君ともあろう者が」
 透が眉を顰める。
「君は支配者。この世に降りた神なんだよ。彼らの命など、君の前には塵にも等しいというのに……」
 透の長い指が、汗に濡れた令の前髪をすっと撫でる。
「……そして、わたしは……」
 唇を、指先でそっとなぞった。
「君となら、刺し違えてもいい」
 令の目蓋がびくりと動く。
「感じやすいね、まったく」
 くっくっくっと音楽的な笑いが響く。ひとつ、大きく寝返りをうって、令はいきなり跳ね起きた。令の寝起きにしては表情も険しく、大きく目を見開いている。
「透ッ! ここは? あの人は大丈夫?」
 にっこりと透は極上の笑みを浮かべる。
「ここは黄神邸だ。彼らは、安らかに逝ったよ」
「そうじゃない……」
 なかなか言葉をつづれず、令は唇を震わせる。そして、やっとのことでこれだけ言った。
「……ひとりだけ、生きてたんだ!」
 令が透のシャツを握りしめる。
「まさか……」
「感じたんだ。たしかに、元の姿に戻って生きてた人がいたんだ。くそっ、オレが気を失わなけりゃ!」
 令がベッドから飛び降りる。透がその腕をとった。
「今行ったって無駄だ。あそこには人をやらせた」
「えっ?」
「あのままにしておくわけにはいかないだろう? 公表することは出来ないが、せめて弔いくらいはな。しかし、生き残りがいたという報告は受けていないぞ」
「い……なかった?」
 令が呆然とする。
「生きていたのなら、逃げたのだろうな」
「どうして?」
「当然だろう? 我々は敵だからな。他の〈赤〉はすべて殺してしまったのだから」  
 透があえて省いた『君が』の主語が令には聞こえたような気がした。あの場にいた人々のほとんどすべてを自分が殺してしまった──令は泣きそうな貌をして、絨毯のうえにぺたんと座り込んでしまった。
 透は教えたくなかった。あれが彼らにとって一番幸せな死に方だったとは──決して。

第7話 End
2004.8.11 rewrited
Written by Mai. Shizaka

 

Copyright(C)2004-2005, Mai. SHIZAKA. All rights reserved.

Background by Silverry moon light / Title alphabet & icon by White Board