禁酒法とカクテル

 現在、世界には酒を飲めない国民が少なくない。インドやスリランカ、イスラム諸国では宗教的理由から禁酒国となっている。少ないようだが、人口からすると十億を超える数で、このページを見てくれてる方立ちとともに同情を禁じえない。

 さて、あのアメリカにも飲酒が法律で禁じられた時代があったことはよく知られている。そう、あのアンタッチャブル≠フ時代だ。正確にいえば、1920年から33年まで、アメリカ国内で酒の製造も飲酒も禁じられていた。

 これはプロテスタンティズムによる宗教的な理由と飲酒の横行が労働者の生産能力を下げるという経済的理由によるものだが、19世紀から禁酒運動がアメリカ、イギリスで高まり、第一次世界大戦後ピークに達した結果でもあった。

しかし、生まれてからまったく酒を飲んだことのないイスラム教徒ならいざ知らず、そのうまさと魔力を一度でも味わった人間が、法律くらいではやめられるわけはない。もちろん、あなたも今うなずいたことだろう。そんなわけで、密造酒、密輸入酒が大流行。

 そこで登場してくるのが、シカゴのギャングのボス、アル・カポネ。これに対抗したのがFBI(連邦捜査局)の捜査官エリオット・ネス。ちょっとご年配の方なら、テレビの連続ドラマで、若い方もケビン・コスナー主演の映画でご存知だろう。映画ではカナダからウイスキーを密輸入しようとするギャング一味をエリオット・ネスらの連邦捜査官が急襲、派手な撃ち合いのあげくに逮捕する場面がヤマ場だった。

 現在、よく作られるカクテルの中には、当時の粗悪な密造酒を飲むためにジュースをなどを混ぜたものが起源というものも少なくない。

 また、アメリカのバーテンダーの多くがヨーロッパなどに職を求めて移っていったのも、カクテルが世界的に普及するきっかけとなったといわれている。ビールやウイスキーの醸造、蒸留の設備が不要になって、日本にも輸入され、洋酒の国産化の助けともなった。つまり、皮肉なことにアメリカが育てた酒文化が禁酒法をきっかけに世界に広まっていったわけである。

 禁酒法はアメリカの治安を悪化させ、法秩序に重大な危機を与えただけの結果となり、廃止された。