幹線が開通し、東京オリンピックが開催された 昭和42年、当時医学部5年の夏、お盆に東京在住の姉を訪ねて上京しました。
新幹線の運転本数も少なく、東京ー九州間になお多数の長距離急行列車が運転されていました。

江戸が東京となった 明治2年、新両替町は銀座と名が変わり、3年後の大火を契機に レンガ造りの建物にガス灯の輝く新しい町に生まれかわりました。
新橋には日本初の鉄道がひかれ、国の玄関となった横浜と結ばれ、風情のある柳並木も作られました。
昭和42年当時は 東京といえば銀座、銀座といえば四丁目。その交差点にひときわ目を引く時計台があります。
その背後には VICTORの犬のマークが見えます。
向かい側には正面にライオンの像を置く 銀座三越、京橋方向に 松屋、が見えます。

上に スリーダイヤの大きな看板を持つ 三愛ビル はこの頃珍しいガラス張りの円筒形のビルでした。
中には 日産自動車のショールームもあり、エレガントで 待ち合わせの場所ともなっていました。
街路には路面電車が走り、両側には 懐かしい柳並木、頭上には電線が張りめぐらされています。
この先には 銀座松坂屋、大衆的なライオンがありました。
高級デパートが最盛期の頃です。

一方、中央線、山手線の国鉄に加え、小田急、京王、西武の私鉄のターミナル、新宿は急速に変化していました。
新宿西口に 円形の地下スロープが作られ、目を見張るような 美しい都市景観を作り出していました。
浄水場が無くなり、高層ビルが立ち並び、広い連絡道路が作られたのは、この直後のことです。
タクシーは二代目クラウンです。

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