木曽の入替機


中央西線の電化完成後も木曽福島機関区には蒸機が残りました。
仕業は木曽福島及び上松の入替だけでしたが、私にとっては蒸機を見ることのできる最も近い場所でしたので何回か通いました。その割には真面目に撮影はしていません。当時中央西線に一往復だけ残っていた旧客に乗ったり、扇形庫の中で遊んだり、木枯し紋次郎気取りで木曽路を闊歩したりして楽しんでいたようです。

1973年1月

D51目当てで初訪問。デフ付きで有名なC12199が活躍していたが、
私にはデフよりも煙突の上で回転するクルクルパーの方が珍しかった。


1973/1/5 電化準備中の木曽福島に憩う人気者のC12199。


1973年5月

この時は現在大井川鐵道で動態保存されているC12164がいたが、ネガ紛失のため公開できず(TT)。
C12164が大井川鉄道に転出した後はC12199が動いていたようです。


1974年1月

7月10日の電化とともに蒸機は姿を消したと思っていましたが、SLダイヤ情報によると木曽福島の入替にまだ蒸機が残っているようでした。
半信半疑ながら出撃してみると中津川から転属してきたC1269がいました。
この時は同行の友人が機関区内の池に足をはまらせ、事務所でストーブにあたらせてもらうおまけつきでした(^^;)。

1974/1 ターンテーブルのお皿の中からC12を見上げる。


1974/1 木曽福島機関区は扇形庫の8〜10番が青空車庫になっている。


1974/1 上松にて木曽森林鉄道で運び出した
ヒノキを積んだ貨車を入替。

1973年3月

C1269号を撮影したものの、フィルムを紛失し幻の作品になってしまいました(TT)。


1974年4月

4月始めに訪問するとC1269に替わりこれまた中津川から転属してきたC12230が任務についていました。
続いて4月末に訪問すると庫の中に赤ナンバーのC56124がいました。ちなみにこの時、C1269は中津川に戻っていたことがフィルムで確認できました。


1974/4/1 C12230の従輪はいつの間にかプレート車輪になっていた。


1974年7月
期待通り7月からC56124がC12230の後任に着きました。ただしプレートは赤から黒になっていたのはちょっと残念でした。


1974年8月

夏休みに飯田線にED18とED19を撮影に行きましたが、その行きと帰りに木曽福島に立ち寄っています。訪問時間が遅かったせいで、やっとターンテーブルに乗る姿を撮影できました。


1974/8 煙突の後ろの看板には「西線合理化絶対反対」の文字が見える。

1974年11月

C56もいよいよ11月5日までという情報が入ってきました。最後ということで初めて「しなの」で訪問しました。木曽路の紅葉が真っ盛りの頃でした。

1974/11/3 秋空に白煙があがる。     


1974/11/3 逆光の中、整備が進む。          


1974/11/3 あと2日で引退とは思えない姿。



1974/11/3 山影が線路にかかる頃、木曽福島へ帰る。
さらばC56、さらば木曽路の蒸機達。

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