(注)このSSは栞EDから五年後の設定です。
2月1日。
何処の地方も冬真っ只中で当然この街も厚い雪に包まれている。
俺は高校を卒業してから首都圏の大学になんとか入学し、一人暮しをしていた。
単位もギリギリで取得して卒業も出来そうで、
しかも運良く中堅企業の内定まで貰った。
卒論も提出したので完全に休みである。
俺は休みを利用してこの街に戻って来た。
栞と出会い、悲劇と奇跡と知った街。
駅のホームから改札口を出て、雪を踏みしめながら歩く。
ここの雪を踏むと、久しぶりに戻って来たと言うのに、
ついこの間までいたような錯覚にとらわれる。
時計を見ると夕方に近くなっている。
これからする事を考えると余り時間が無い。
急いで携帯を取り出して電話をかける。
「…ああ、俺だ。
そうだな、久しぶりだ…
今から、ちょっといいか?」
20分後。
「ったく、人使い荒い奴だな…」
目の前には、俺がさっきの電話で呼び出した北川がいた。
「悪いな、呼び出して」
「まぁ、いいけどな。
で、何するんだ?」
「実は…」
「…面白そうだな、手伝うぜ」
北川は俺の話に乗り気だった。
突然電話をしてそれでも俺に付き合う北川は、
やっぱりいい奴だと思った。
「で、どうなんだ?」
「どうなんだって何がだよ」
目的地へ向かって歩いている途中の俺の質問に、
北川は聞き返した。
「香里とだよ」
ずしゃぁっ!
北川が派手に雪に突っ込む。
「そ、その話何処から聞いたんだ!?」
「名雪からだが」
「…そうか」
名雪からは今でも時々電話があり、近況報告などをしてくれる。
その中に香里と北川の話があったのだが、
どうやら俺が大学の為に上京した後にくっついたようだ。
出所を聞いて納得した様で、やや憮然としながらも再び歩き出した。
「なぁ、なんでここなんだ?」
目的の場所について、開口1番北川が言う。
「あぁ…色々あったんだよ、ここで」
「ふーん…
とりあえずさっさとやるか。
時間ないんだろ?」
「ああ…」
俺と北川は早速作業に取り掛かる。
俺一人だと厳しかったが、北川のおかげで比較的スムーズに進む。
寒い中の作業で、冷たい風が頬を切り、手はかじかんで震えたが問題ではなかった。
どうしてもこれを作っておきたかった。
日が暮れる直前あたりにそれはなんとか完成した。
「お前も凝った事するな」
北川が感心しているのか呆れているのかそう言った。
「まぁ、凝っても良いのかもな。
何か考えがあるんだろう?」
「…分かるか?」
「そうでもなきゃこんな事しないだろ。
別に詮索はしないけどな」
「サンキュ」
「じゃあ、邪魔者は帰るさ」
そう言って北川は帰ろうとした。
「ちょっと待った!」
「あ?」
俺が2枚の紙を北川に渡す。
話題の恋愛映画のペアチケットだった。
「相沢…」
「報酬だと思って貰っとけ」
「ああ…ありがとうな」
最後に笑顔を見せて北川は帰っていった。
俺のすることは最後の仕上げだけだ。
準備はすぐに整い、俺は再び電話をかける。
「もしもし…」
『…』
「…栞?」
『祐一さん、遅いです』
「悪かったよ…」
栞は電話の向こうでむくれていた。
彼女は一年の時ほとんど入院していたので留年したが、
その後は成績もそこそこ優秀で今は看護学校に通っている。
自分の体験からだろう、患者を精神的に支えられる看護婦になりたいと言っていた。
『今日、何の日か覚えてますよね?』
「ああ」
『じゃあ言ってみてください』
「…建国記念日」
『おやすみなさい』
「待った!
冗談だって」
『そんな事言う人、嫌いです』
冗談が逆効果だったのだろう、すっかりへそを曲げられてしまった。
栞をなだめるのにここから10分を要した。
「とりあえず、今から迎えに行く」
『じゃあ待ってれば良いんですね?』
「そうだ」
『分かりました』
電話を切って歩く事数分。
「美坂」の表札、つまり栞の家に着いた。
軽く深呼吸をし、インターホンを鳴らす。
応答したのは良く知った声だった。
『はい、美坂です』
「栞か?」
『祐一さんですか?
ちょっと待ってください』
少しして、玄関のドアが開く。
「祐一さん、遅刻ですよ」
そこにはちょっと拗ねた様にしながらも笑顔が零れている栞がいた。
五年前の面影も残っているが、栞は成長していた。
薄化粧が良く似合っていて、綺麗だった。
「悪い…
とにかく、行こう」
「何処にですか?」
「行けば分かる」
「そうですか…」
ちょっと不満そうだったが、栞は俺の隣に並んで歩き出す。
話を聞くと香里は北川と出かけたらしい。
あのチケットが役に立ったかどうかは知らないが、
それは開くまで北川の問題だろう。
数歩も歩かないうちに、俺の腕に栞の腕が絡みついた。
「恥ずかしいから放してくれ」
「遅刻した罰です」
「うぐぅ」
「わ、なんですかそれっ」
「秘密」
「そう言われると凄く気になりますよ」
五年前と余り変わらない会話。
それも悪くないものだった。
絡みついている腕後と栞を引き寄せ、お互いの体温を感じながら歩く。
「あ…」
「寒いよりは、な」
「それだけ…ですか?」
「さあ」
「ふふっ…意地悪な人ですね」
話ながら歩いていると、目的地についた。
「ここは…」
「ああ」
公園だった。
最後の1週間、栞を普通の女の子として扱うことを約束し、
噴水の淵で栞とキスをした、あの公園。
「どうしてここなんですか?」
「もうすぐ分かる」
栞の手を引っ張り、少し奥へと進む。
そこには…
「わぁ…」
「な?分かっただろ」
「はい…とっても良く分かりました」
そこには、沢山の雪だるまが並んでいて、
それらの胴体の一部がくりぬかれ、その中には蝋燭が灯され淡い光がゆらゆらと揺れていた。
「流石に10Mとかの雪だるまは無理だからな…
数で勝負だ」
「そう言う問題じゃないと思いますけど…」
言いながらも栞は何処か幻想的な光景に見惚れていた。
雪だるまの群れは中央だけがぽっかりと開いている。
つまり中心を囲む様に並べられている…
というより俺と北川で作って並べたのだ。
その中心に栞を招き入れ、向かい合う。
「昔…ここで約束したよな。
1週間だけ。普通の女の子として扱うって」
「そうでしたね…」
「今度は俺からの約束だ」
「祐一さんから、ですか?」
「ああ」
俺はそう言ってひとつの雪だるまを手に取った。
他の雪だるまには蝋燭が入っているのにそれには入っていなかった。
俺はおもむろにその雪だるまを砕く。
「あっ…」
雪だるまの残骸の中から出てきたのはプラチナの指輪だった。
「…」
無言で栞の左手を取る。
そして、薬指に指輪をはめる。
栞はだまって俺の動作を見つめていた。
「やっと学校も卒業して就職も決まったし、
自分で生活できるようになった。
だからさ、俺と約束して欲しい」
「何を…ですか?」
緊張した面持ちで栞が尋ねた。
「この指輪を、つけたままでいて欲しい」
「それって…」
息を吸い、用意しておいた陳腐な言葉を告げる。
「俺と…結婚してくれ」
「祐一さん…」
栞は俺をじっと見つめていたが、不意にその瞳から涙が零れた。
「泣く奴があるか」
「だって…嬉しいです…
言って欲しかったから…うぇ…」
「俺だって…やっと言えたんだよ」
「祐一さん…えぅ…あぁっ…!」
栞の涙はやがて嗚咽になり、
俺はそんな栞を抱きしめてそっと髪を撫でていた。
何時までそうしていただろう。
栞の頭を撫でつづけていた手が痺れそうになった頃、栞は顔を上げた。
目はまだ赤い。
「すっきりしたか?」
「はい」
目尻に涙を残してはいるものの、栞は微笑んでいた。
「遅くなったけど…誕生日、おめでとう」
「覚えてたんですね」
「ああ、当然だ」
「やっぱり祐一さんは意地悪です」
声色は非難していたが、表情は変わらず笑顔だった。
「今ごろお姉ちゃん達どうしてるでしょうね…」
「さぁ…楽しんでるだろ」
「じゃあ、負けないくらい楽しみましょう」
「そうだな」
「行きましょう」
「どこに?」
「分かりません」
「おい…」
「いいじゃないですか。
祐一さんと一緒なら、どこだって凄く楽しいです」
そう言って最高の笑顔を見せる栞の目から零れた最後の涙の雫は、
蝋燭に照らされた雪より、
左手の指輪より、
何よりも輝いて見えた―