『遺産』第三話
「時には猫の様に」
「祐一、放課後だよっ」
「いや、俺は認めない!
放課後なんて事があるはずが!」
「今日は部活無いから一緒に帰れるよ」
「…成長したな、名雪」
放課後。
いつものやり取りを流された俺は、
一抹の寂しさを感じつつも名雪と一緒に帰ることになった。
と、そこに香里が声を掛ける。
「名雪、お父さんと一緒に帰るの?」
「香里っ…!
まだ決まったわけじゃないよ…」
…まだ?
場所は移って商店街。
まだ夕方には時間があり、
学校帰りの学生、
学校の終わった子供達、
買い物をしている主婦、
それぞれが思い思いに歩いていた。
季節は春。
まだ残された雪は陽の光を浴び徐々に溶け、
まだまだ寒いとはいえ、
それでも冬よりは確実に暖かくなってきていた。
心なしか街を歩く人達の表情も明るく見える。
そんな中、俺達は百花屋にいた。
何故かって…
昨日あの後色々あって…
名雪が部屋から出てこなくて…
二人で何とか説得して、
その時の条件がイチゴサンデーだったんだ。
目の前には満面の笑みでイチゴサンデーを頬張る名雪がいる。
よく何度食べても飽きないものだ、と思う。
まあ、名雪にとっては関係無いのだろう。
「はむ…幸せだお〜」
「安上がりな幸せだな…」
「幸せに値段なんか関係無いよ」
「そうだな…」
もっともな事を言われる。
確かに、高ければ高いほど幸せなんて良いものではない。
「…あ」
「どうした?」
「忘れてたよ…
今日香里と約束あるんだよ…
一緒に服見に行こうって」
「行ってくればいいじゃないか」
「うん、そうだけど…
うー、心配だよ…」
本気で心配そうな顔をする。
…俺は信用無いのか?
「無いよ」
「ぐは…」
どうやら声に出していたらしい。
「お母さんに手を出さないようにね、祐一」
「ぐは…」
ざわ…
にわかに店内がざわめく。
まあ、当然なのだが。
名雪も事態に気付いたのか、気まずそうに笑っている…
「名雪…」
「あ…えっと…あはは…
じ、じゃあ、私は行くねっ」
「え、おいっ!」
走り去った名雪を見送りつつ、
俺は痛いほどの視線を浴びて清算を済ませた。
帰途。
さくさくさく…
季節は移り、路上の雪の多くは溶けたが、
まだ僅かに雪が残っている部分もあった。
と…
ずるっ
「え…?」
がすっ
「ぐは…」
何かに滑り、腰をしたたか打ち付ける。
よくよく見ると、何故かバナナの皮がこれ見よがしに落ちていた。
どうやら今日はとことん運の悪い日らしい。
その後は幸い何もなく家に着き、
腰を押さえつつ玄関を開けた。
「ただいま…」
「にゃ☆」
「え…?」
一瞬耳を疑う。
が、幻聴にしてはリアルすぎる。
目の前にいたのは…
秋子さん。
ネコミミとしっぽを付けていたが、確かに秋子さんだった。
「あ、秋子さん…?」
「にゃ?」
背筋を電撃が…
じゃなくて居間に移動して椅子に座り、
今までの事を整理してみる。
俺は家に帰ってきた。
そしたら何故か秋子さんが猫だった。
で、今は俺の膝の上で丸まって…
「って、何ぃっ!?」
「にゅ…ごろごろ…」
すりすり…
「ぐぁ…」
動くに動けないし、
動きたくないと言うのは秘密だ。
秋子さんは目を細め、しっぽをゆっくり振っていた。
「秋子さん」
「にゃ?」
「秋子さん…」
「うにゃぁ?」
「秋子さんっ!」
「にゃん!」
「…」
頭を抱える。
なんだ?何が起こってるんだ!?
謎が謎を呼ぶ…
が、とりあえずこの状況をどうにかしないと。
いや、それ以前に何故秋子さんはこんな格好を?
「秋子さん、どこからそんなもの見つけたんですか…?
「にゃ!」
しっぽでぴっと何かの箱を指す。
見ると、ミミとしっぽを入れるのに丁度良いくらいの。
この中に入っていた…?
傍らには一切れの紙。
「これで心も体も猫!
アニマルなりきりセット『猫』
使用法:付けるだけ」
…名雪が秋子さん経由で頼んだのか?
「…で、付けてしまったんですか?」
「にゃ」
そうです、と言った表情で頷く秋子さん。
…とにかく。
「秋子さん…離れてください」
「うや?」
「いや、『うや?』じゃなくて…」
どうして?と言う顔でこちらを上目使いで見上げる秋子さん。
仕方無しに離そうとしたら…
「にゃぁ…」
涙目で訴えるような表情の秋子さん。
しっぽも力無く揺れ、ミミもへにゃっとなって…
「くぁ…」
今すぐ悶えそうなのを何とか抑える。
と、
「うにゃ」
ぺろっ
「うわ…」
いきなり頬を舐められる。
どうせなら口の方が…
もとい。
どうしようか…
とりあえず、試しに喉をさすってみる。
「にゅ…ごろごろ…」
秋子さんは気持ち良さそうに目を細め喉を鳴らす。
さっきからぴこぴこ動くミミをつまむと…
「にぅ…」
くすぐったそうに身をよじらせる。
さっきからずっと気になっているのだが…
ふりふりと動いているしっぽ。
…凄く気になる。
ちょっとだけ…
さわっ
「にゃふっ!?」
今までとは違う、
大きな反応を見せる秋子さん。
すりすり…
「ぁ、ぅやぁっ!!」
その声甘ったるい声が俺の魂に火をつけた。
思い切って…
ぎゅっと握ってみる。
「みぅ!」
びくうっ、と派手に体を震わせる。
秋子さんは頬を上気させ、
目を潤ませ上目遣いで訴えるように一声。
「う…にゃぁ…」
ぴしっ
何かにひびが入る音が俺には聞こえた。
がばぁっ!
「にゃん♪」
その日の名雪の日記には、
「0勝2敗」と書かれていたとか。