Kanon『possibility』第十話


「廻り出す歯車」














「・・・ねぇ、おき・・・」

かちっ。

今日は目覚ましより早く目が覚めた。

実の所、昨日は途中で起きてからあまり眠れなかった。

と言うのも、昨日の香里の様子が気になったからだ。

「・・・」

何かあったんだろうか・・・

栞の事・・・?
それとも・・・



「・・・生理か?」



「あ、祐一さん、おはようございます」
「ああ、おはよう、栞」
食堂で栞と会う。
「休みだってのに、早くないか?」

今日は休日である。

「私には、あまり関係ないですから」
栞はまだ学校を休んでいる。
そのことを考えてか、少し俯き気味に答える。
「そうか・・・」

何か忘れている気がする。

・・・・・・

「ぐは・・・」
今日は休み。
何でいつもの時間に起きてるんだ?
「・・・俺はもっぺん寝てくる」
「わ、ダメですよ」
「企業戦士の休日は、昼まで睡眠と決まってるんだ」
「学生は企業戦士じゃないですよぅ・・・」
「まあ、いいか・・・」
栞の突っ込みはさておき、とりあえず牛乳をコップに注ぎ席に座る。

「あら、祐一さん、早いんですね」
キッチンから恵さんが現れる。
「ええ、まあ・・・」
別に言い訳する必要もないので、そのままにしておく。
「すぐに用意しますね」
「あ、どうも」
恵さんは再びキッチンに消える。

「ところで、何で栞はこんな早いんだ?」
もっとゆっくり起きればいいと思うのだが。
「え?」
栞は意外そうな顔をする。
「あはは・・・なんででしょうね」
ばつの悪そうな表情をする。
「いつもなのか?」
「今日はたまたまですよ」
「そうか・・・」



少しすると、恵さんが俺の朝食を持ってくる。
「目玉焼きは半熟でいいですか?」
「はい」
香ばしい匂いのするトーストとベーコンエッグ。
簡単なメニューだが朝食の王道である。
一人で食べるには味気ないが、
こうして人と一緒に食べると何となく美味く感じるから不思議である。

おもむろに目玉焼きにソースをかける。
すると、栞が驚いたような声を上げる。

「え・・・ソースかけるんですか?」
「ソース以外に何がある」
「私は醤油です」
「醤油なんて邪道だ!漢だったらソースで食うんだ!」
「私、女の子ですけど・・・」

それを見ていた恵さんは・・・やっぱり醤油だった。

俺か?俺が間違ってるのか?



食後。
テレビを見ながらリビングでくつろぐ。
栞も横でテレビを見ている。

「なあ、栞」
「なんですか?」
「これから何か予定あるのか?」
「そうですね・・・いろいろ買い物しようかと思ってますけど」
「いろいろって・・・またあんなに買うのか?」
「多いですか?」
栞が一人で持っていたのだから軽いだろうが、少なくともかさばるだろう。

「んー・・・俺も付き合うわ。
荷物持ちくらいならするぞ」
「え、いいんですか?
 助かります」
そう言って栞は嬉しそうな表情をする。
「で、いつ頃行くんだ?」
「お昼を食べてからのつもりです」
「分かった」
「じゃあ、出掛ける時に声をかけますね」
「ああ」
栞は自分の部屋に戻っていった。



置いてあった新聞に目を通すと、総理が倒れたと言う記事が一面にあった。
まあ、だからといって俺たちの生活がどうなると言うわけでもないのだが。



とんとんとんとん・・・



軽快な音とともに香里が降りてくる。
「お、香里、おはよう」
「あ・・・ええ、おはよう」
昨日の事が引っかかっているのか、少し戸惑ったような感じである。
こういう時は、とにかく話題をふるのが一番いい。

何を話そうかと思案したとき、香里の服装に目がいった。
部屋着ではなく外出用の服装のようである。
「香里、どこか出掛けるのか?」
「ええ、名雪に呼ばれてね」
冷蔵庫からオレンジジュースを取り出しながら答える。

「あ、そうそう。
 名雪はあんまり警戒心とかないから、
そのうち祐一を家に呼ぶかもしれないけど・・・」
「襲うな、ってか?」

「・・・っ、けほっ、けほっ!!」
飲んでいたジュースが気管に入ったらしく、苦しそうに咳き込んでいる。

「ふう・・・
あのねえ、どうしてそんなストレートに物を言うわけ?」
「違うのか?」
「合ってるんだけどね・・・
 それもあるんだけど、もう一つ」
急に真顔になる。



「『ジャム』に気をつけなさい」
「・・・どういう意味だ?」
「言葉通りよ」
言葉通りといわれてもさっぱり訳が分からない。
何か変なものでも混ざってるのか?



香里は朝食を食べた後少しして名雪の家へ行った。
俺は昼まで何もすることがなく部屋でゴロゴロしている。

「・・・」

ここへ来てから二週間が過ぎようとしている。
一見何事もない様に見える。
が、未だに香里と栞の間に何があったのか分からない。

「香里・・・」

普段は明るいが、栞の事になると途端に表情を曇らせる。
俺は・・・何も出来ないのだろうか?
香里のために何かしたい・・・



もしかして、恋?

「きゃっ☆」

とか馬鹿なことを考えていたら、ドア越しに栞が昼食が出来たと言われる。



昼食後、出掛ける準備をしてリビングで待つ。

「祐一さん、お待たせしました」
学校へ来たときと同じセーターにストールという格好。
一つだけ違うのは・・・

「・・・それ、つけてるのか」

胸元に光る十字架のついたネックレス。
この間俺が栞にあげた物だ。

「祐一さんからのプレゼントですから」
そう言ってにっこり笑う。

何となく嬉しく、恥ずかしくもある。
それを誤魔化すため栞の頭をくしゃくしゃと撫でる。

「わ、なにするんですかー」
「気にするな」
「うー・・・」
髪が乱れた栞は、不満そうだった。



積もった雪が日光を浴びて白く光る昼間の商店街は、
休日であるにも関わらず人が多いとは言えなかった。
人ごみがあまり好きではない俺にとっては有難い事である。
まばらな人影は、夕飯の買い物をする主婦、私服の学生、その位だ。

「とりあえず、何を買うんだ?」
「えと、大体はデパートで買っちゃいます」
「あの駅前のか?」
「そうです」
地方の一都市の割には大きいデパート。
まずはそこへ向かう。
俺は特に買うものもないので、付き添いと言う形になる。



「最初は?」
「雑貨です」
「了解」

「次は?」
「お菓子です」
「まだまだ子供だな」
「・・・そんなこと言う人、嫌いです」

「あの、祐一さん・・・」
「なんだ?」
「ここは、一人でいいです・・・」
見渡すとそこは下着売り場だった。
「ぐは・・・」
御婦人方の視線が痛い。
俺は早々に退散した。



一通り買い終え、デパートを出る。
空を見上げると、まだ日は高く上っていた。

「ほかに何か買うのか?」
「あ、はい。あの店です」
そこはアイスクリーム店だった。

「・・・この時季に?」
「冬でも美味しいですよ」
「だからって寒いだろ・・・」
俺のコメントは却下され、栞は店内へ入っていく。

「いらっしゃいませー」
「あの、バニラアイスをカップで下さい」
「かしこまりました」
買うものは決まっていたようである。

(そういえば・・・)
ふと記憶の一部分が蘇る。
栞は、昔からバニラアイスをよく食べていたような気がする・・・

「祐一さん・・・?」
「ん?あ、ああ」
少しぼーっとしていたらしい。
栞が怪訝な表情で俺の顔を覗き込んでいる。
「何でもない。
 それより、これで全部か?」
「はい」
「じゃあ、帰るか」
「そうですね」
二人揃って店を出る。



「あ、祐一君っ!」
どこからかあゆの声。
そして近づく気配。

「甘いっ!」
あゆの突進を紙一重で避ける。
「あっ・・・」


べちいっ。



豪快な音と共にあゆが倒れる。
「・・・」
あゆは動かない。
「南無・・・」
「死んでないよおっ!」
がばっと起き上がる。
「ううっ、また祐一君が避けたぁっ!」
涙目で俺を非難する。
「悪い。条件反射だ」
「うぐぅ・・・反射しないでよぉ・・・」
もっともな意見である。

「で、今日は何なんだ?」
「えっと、探し物・・・」
「まだ見つからないのか?」
「うん・・・」
あゆは俯いてしまう。

「ったく・・・
 栞、先に帰ってるか?」
「え?」
その言葉にあゆが驚く。
「私も手伝いますよ」
「え?え?」
栞の答えに更に。

「そう言うわけだ、あゆ。
 一人より二人、二人より三人だ」
「二人とも、いいの・・・?」
「駄目だって言っても手伝うぞ」
「私もです。
だって、私たち、友達ですよね?」
「栞ちゃん・・・ありがとう」
「俺には感謝しないのか?」
「祐一君はさっき避けたから、差し引きゼロだよ」
「うぐぅ・・・」
「うぐぅ、真似しないでよ〜」
「気にするな。
 で、どこから探すんだ?」
「それじゃあ・・・」






探し始めてからだいぶ時間がたった。
空も青から茜色へと移り、人影は更にまばらになっていった。
「今日も駄目だったな」
「うん・・・」
「でも、そのうちに見つかりますよ」
「そうかな・・・」
「そうですよ」
「・・・そうだね」
あゆはゆっくりと微笑む。

「じゃあ、またな、あゆ」
「あゆさん、それでは」
「祐一君、栞ちゃん、またねっ」
そう言ってあゆは俺たちの向かう方向とは反対側に去っていった。



「ところで、祐一さん」
「なんだ?」
「あゆさんって、何を探してるんですか?」
「わからない」
「え?」
栞は意外そうな顔をする。
まあ、もっともな事なのだが。

「あゆも何を探してるのか分からないそうだ。
 だけど、大事なものらしい」
「そうですか・・・」
納得したようなしてないよう表情である。



その後あまり話すこともなく家に着く。
「ただいま・・・」
「あ・・・」
家に入ったところで香里と出くわす。
香里は栞を見るなり表情を強ばらせ立ち去ろうとする。
「香里っ!」
俺の声に一瞬止まるが、すぐに立ち去ってしまった。

無力感と悔しさが俺の中にわきあがる。
「祐一さん・・・」
となりから栞の声。
「全部・・・知りたいですか?」
重大な決意をした、そんな声色である。
「・・・ああ」
「・・・じゃあ、後で、私の部屋に来てください」
そう言うと、栞は部屋に戻っていった。



夕食の席は、俺と恵さんの二人だけだった。



夕食後。

俺は今、栞の部屋の前に立っている。

コン、コン。

「祐一さんですか・・・?」
「ああ」
「どうぞ・・・入ってください」
ドアを開ける。



もしかしたら、この瞬間から歯車は廻り出すのかもしれない・・・