Kanon『possibility』第十一話


「告白」








栞の部屋に入ると、電気は点いていなかった。

月の光に照らされ、ぼんやりと栞の姿が見える。
一人、ベッドに座り佇む。
その様はどことなく儚げだった。

「祐一さん、隣に・・・座ってもらえますか?」

栞に促されて隣に座る。

「・・・」
「・・・」

無言。

「・・・」
「・・・」



どれくらい経っただろうか。
実際はほんの数分間だったのかもしれない。
だが、俺には何時間にも感じられた。

ゆっくりと、栞が言葉を紡ぎ始める。

「えっと、どこから話しましょうか・・・
 ・・・いえ、それより前に祐一さんに謝らないといけないですね」
「何を?」
「私、嘘をついていました。
 本当は、私、風邪なんかじゃないです。
もっと・・・重い病気です。
どんなに注射をしても・・・
どんなにお薬を飲んでも・・・
駄目なんです」

事実は、あまりに衝撃的だった。
だから、すぐには理解することはできず、ただ聞く事しか出来なかった。
栞は窓の外を見ながら話す。

「病気だと分かったのは・・・去年の事です。
 それまでは、ただ体が弱いだけだと思ってました。
 少なくとも私は」

栞はそこでいったん区切り、一呼吸入れてから再び話し始めた。

「去年のクリスマス・・・
 私はお姉ちゃんから二つの物を貰ったんです。
 ひとつは・・・このストールです」

そう言うと、栞は羽織っていたストールをぎゅっと握り締めた。
そして、言葉を押し出すように話す。

「もうひとつは・・・
私の体についてです。
私は、次の誕生日まで生きられない・・・
そう言われました。
 その日から・・・
 お姉ちゃんは私を避けるようになりました。
 とても・・・辛かったです」

栞の肩が小刻みに震えているように見えた。

「だけど・・・
 お姉ちゃんも辛かったんだと思います。
 私のせいで。
 だから・・・何も言えませんでした」

「・・・」
俺は何も言えなかった。
言えるはずがなかった。
何も知らなかったのだから。

「・・・何とか・・・ならないのか?」
やっと出た言葉がそれだった。

「何とか、ですか・・・?」

栞がこちらを向く。
その瞳には、ただ闇しか映っていなかった。

「奇跡が起これば・・・何とかなると思います」

「でも・・・」
栞は微笑んでいた。
全てを悟ったような、
全てを諦めたような、
そんな表情だった。



「起きないから、奇跡って言うんですよ」



「・・・」
返せる言葉が見つからない。
俺の言葉と栞の言葉では「重さ」が違いすぎるから。



「そうだ・・・
 私、もうひとつ、嘘をついてました」

思い出したように呟く。

「前に、私が祐一さんの事を
 『お兄ちゃん』って呼ばなくなったのは、
 恥ずかしいからだって言いましたよね」
「ああ・・・」
「本当は・・・
 怖かったんです。
 また・・・お姉ちゃんと同じように拒絶されるのが。
 だから・・・呼べなかったんです」

栞は俺のほうをじっと見て話している。



「私・・・
 あゆさんと初めて会った日、死のうと思ってたんです。
 だから、あの荷物の中には、カッターナイフが入っていました」

その告白は、再び俺に衝撃を与えた。
あの時、そんな栞の思いなど全く分からなかった。

「その夜・・・
 私は手首にカッターを当てました。
 でも・・・
 この家で祐一さんが寝ている。
 昔と同じように私に笑いかけてくれる、祐一さんが。
 そう考えると、死ねませんでした。
 そして、昼間の事を思い出しました。
 祐一さんとあゆさんのやりとり。
 その様子が楽しくて、久しぶりに笑いました」

ゆっくりと笑う。

が、その笑みは徐々に消えていく。



「笑ってたのに・・・
 涙が止まりませんでした。
 その日、泣き疲れて眠ってしまうまで」



栞の話を聞いているうちに、
俺の中では言葉が出来上がっていた。
栞に伝えたい言葉を。

「あのさ、栞・・・
 起こらないから、奇跡だって言ったよな?」

「はい・・・」

「栞がそう言うんだったら、
 栞には奇跡は起きないかもしれないな」

「・・・どういう意味ですか?」
俺の言葉の意味を理解しかねてたずねる。



「奇跡ってさ・・・
 信じてるから『奇跡』なんだと思う。
 信じなければ、それはただの『偶然』でしかない。
 だけど、『偶然』ってのは有り得る事だよな?
 だったら、それを信じれば、
 『奇跡』になるんじゃないか・・・
 俺はそう思うけどな。
だからさ、信じてみないか?
『偶然』を『奇跡』にするために」

「・・・」
栞は俯いて俺の話を聞いている。
その表情は見ることが出来ない。

「それと、もうひとつ。
 俺は、栞を拒絶する気はない。
 香里は、ずっと栞といたから、耐えられなかったかもしれない。
 でも、俺は耐えようと思う。
 だから・・・俺を『お兄ちゃん』って呼んでくれないかな?」

「・・・いいんですか?
 本当に『お兄ちゃん』って呼んでも・・・」

顔を上げた栞は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「ああ」
俺は力強く頷く。

「・・・ぅっ」

栞の口から声が漏れる。



「ぅうっ、お兄ちゃん、お兄ちゃぁんっ!!」

栞が俺に抱きつき叫ぶ。
その目からは堰を切ったように涙がこぼれていた。

「ずっと・・・待ってたんだよっ・・・ぐすっ・・・
 お兄ちゃんが・・・えぐっ・・・戻って・・来るの・・・」

「ああ、俺は戻ってきた。
 今、ここにいる。
 栞が笑うまではこのままにしてるから、
すっきりするまで、泣いてもいいと思うぞ」

「ぅん・・・ひっく・・・うっ・・・」

この瞬間、俺はこの街、そしてこの家に戻ってきたという気がした。






いつまでそうしていただろうか。
栞は泣き止んで暫くした後、口を開いた。
「・・・お兄ちゃん」
「なんだ?」
「お兄ちゃんって・・・
 お姉ちゃんの事、好きなんですか?」
「なっ・・・」

いきなりの質問に、俺は思いっきり動揺した。
「何で、そう思うんだ?」
「女の勘、です」
栞はふふっと笑う。

「そうだな・・・
 好き、だと思う」

栞の言葉によって、俺は香里に対する気持ちを確認することになった。
今までおぼろげだったものが、はっきりと形をとっている。

「そうですか・・・」

栞が寂しそうに呟く。
が、すぐに笑顔になる。
頑張って笑顔を作っているのかもしれない。

「私は、お兄ちゃんの事好きですよ。
 お兄ちゃんとしても・・・その、男の人としても」

少し恥ずかしそうにそう言う。



「お兄ちゃん・・・
ふたつ、お願いしていいですか?」
「ああ、二つでも三つでもいいぞ」
「ふふっ、ありがとうございます。
 じゃあ、ひとつめです。
 今夜は、私が眠るまで、ここにいてくれますか?」
「わかった」
俺の答えを聞くと、栞は嬉しそうに微笑んだ。

「それじゃあ、もうひとつです」

そこでいったん深呼吸する。
そして、改めて話し始める。



「私と・・・キスしてください」
「・・・俺がか?」
「もちろんです。
 その・・・最初は、お兄ちゃんと、って決めてたんです。
 そうしたら、お兄ちゃんの事諦めます。
 それに・・・私、頑張れる気がします」

「・・・分かった」



目の前には、目を閉じた栞がいる。
その首筋にそっと手を回す。
すると、体が震えているのが伝わってきた。

「力、抜いて・・・」
ありがちな台詞。
だが、少しだけ震えが治まった気がした。

ゆっくりと近づく。



そして、

唇がそっと重なる。






何秒かそうしていた後、ゆっくりと離れる。
「ふぅ・・・」
「・・・はぅ・・・」
「栞、顔が赤いぞ」
「そ、そう言うお兄ちゃんだって、赤いですよ〜」
「・・・明かりもつけないで、見えるわけないだろ」
「・・・じゃあ、騙したんですか?」
「いや、見えなくても分かる。
 だって、栞は初めてだったんだろ?」
「そんなこと言うお兄ちゃん、嫌いですっ!」

栞は怒ってベッドに潜ってしまった。

仕方なく立ち去ろうとした瞬間、


ぐいっ


「うをっ!?」
栞に腕を引っ張られ、ベッドの中に引きずり込まれる。
「いきなり、何だ!?」
「私をからかった罰です、今日は一緒に寝てもらいます!」
「・・・マジか?」
「冗談でそんなこと言ったりしませんっ」

目の前に頬を膨らませた栞の顔があった。
「俺が悪かった・・・」
「謝っても駄目ですよ」
悪戯っぽく笑う。



まあ、久しぶりに、こんなのも悪くはないか・・・



「・・・すぅ・・・」
少しすると、栞の寝息が聞こえてくる。
ちなみに俺はほとんど眠れず、
腕を掴まれているので退散することも出来ず、
悶々と夜を過ごす羽目になった・・・