Kanon『possibility』15話     
          
「ありふれた幸せ」











朝。



いつものように目覚める。



カーテンを開け外を見渡しても、
この寒い時季にランニングをする人間を見ることは無く、
ただただ白い世界が広がるのみだ。
相変わらず眩しい朝の陽光に目を細めながら、
一階に降り、ダイニングへと向かう。



そこに居るのは、



「お目覚めですか、祐一さん」

恵さん、



「おはようございます、お兄ちゃん」

栞、



「おはよ、祐一」

そして、香里。



食卓を囲む家族。
焼けたトーストとコーヒーの香り、
聞こえる笑い声。

そんな何気ない光景。
それは、どこにでもある、
ありふれた幸せ。



ありふれているはずなのに、叶わなかった
いままでは。
今日からは、他と変わらない「日常」が始められる。



「祐一・・・」
「なんだ?」
「何か考え事してるみたいだけど・・・
 とりあえず、寝癖くらい直そうね」
「・・・うぐぅ」
「わっ、何ですか。それ?」
「秘密」

「?」マークを浮かべている栞は置いといて、とりあえず洗面所に向かう。

そして、帰ってきた俺を待っていたもの、それは・・・



「・・・何これ?」
「何って、お弁当箱ですよ」



重箱。
どこから見ても、重箱だった。
苦し紛れに空を仰いでから見ても、やはり重箱だった。



「・・・俺腹が痛くなってきた」
「私はちょっと頭が・・・」
「わっ、二人とも酷いです〜」
「また学校に持ってくるんだろ?」
「そうですよ」
「やっぱり俺たちが食うのか?」
「他に誰がいるんですか?」
「香里、代返は任せた」
「ごめん、私も名雪に代返頼むから無理」
「う〜・・・そんなこと言う人たち、嫌いですっ!」



むくれる栞を見て、あることに気付く。
「なんで、制服着てるんだ?」
弁当を持ってくるだけなら、今から着る事もないだろうに。
「私も学校に通うんですよ」
「・・・マジか?」
「マジです」
「体はいいのか?」
「特別良くはないですけど・・・
 今は落ち着いてます。
それに・・・」

栞はにこっと笑って言った。

「今、行かないと絶対に後悔しますから」

「そっか・・・」
香里の方を見ると、
「止めても無駄でしょう」といった感じの顔をしていた。
が、一緒に学校に行ける事が嬉しいのだろう、
口の淵は少し笑っていた。



「行ってきます」俺。
「行ってきます」香里。
「行ってきまーす」栞。
「三人とも、行ってらっしゃい」
恵さんに見送られ、三人揃って家を出る。

「いい天気ね・・・」
「相変わらず寒いけどな」
「ふふっ・・・またその事?」
「寒いものは寒いんだ」
「しょうがないわね・・・」



「二人とも、待ってっ・・・!」
二人でほのぼのと会話をしていると、
後ろから重箱をもった栞が頑張って追いつこうとしていた。

「手伝ってくださいよぅ・・・」
「・・・俺はアレを食うのを覚悟の上で運ばなくちゃならないのか?」
「そのようね」
「ぐは・・・」

結局、俺が重箱を全て持つ羽目になったようだ。



改めて三人歩いていると、
北川と名雪(今日は遅刻しそうではない)に出くわす。

「よぉ、相沢・・・って、何だ、それ?」

北川は俺の持った重箱を見て固まる。
きっとこの間の事を思い出したのだろう。

「お前にも手伝ってもらうからな」
「・・・見返りは?」
「く・・・ビールでどうだ?」
「・・・まあいいだろう」

とりあえず俺一人でその大半を食うという事態だけは回避した。
それでも半分近くは食う羽目になるのだろう。



キーンコーンカーンコーン・・・

何かが待ち構えているときというのは時間はすぐに過ぎるもので、
気が付いたら昼休みだった。

どんっ。

重量感たっぷりの重箱が机の上に置かれる。

「・・・いつ見ても存在感あるわね」
と、香里。

「・・・引き受けるんじゃなかった・・・」
これは北川。

「うにゅ・・・」
名雪は半分寝てるらしい。
その割にはちゃっかり俺の机の所に来ているのだが。

「みんな、ひどいですー」
栞が不満そうな声を・・・

「って、いつからここに来たんだ?」
「さっきですよ」

クラスを見渡すと、
下級生が混じっていても何事もないかのようにしていた。
どうやら最初の一回だけしか反応はないようだ。



「さて・・・食うか」
「だな・・・」



漢二人、死地へ向かって箸を取る。
その様はきっと涙を誘うことだろう。

「そんなこと言う人、嫌いです・・・・」
「・・・どうして分かるんだ?」
「思いっきり喋ってます」
「ぐは・・・」

誰かに俺のこの癖を直して欲しいものだ。



「・・・(咀嚼)」
「・・・(咀嚼)」
「・・・(咀嚼)」



栞の弁当は確かに美味い。
美味いんだが・・・

「俺、味が分からなくなってきた・・・」
「甘いぞ、北川・・・
 俺はとっくに分からない」

これだけ量があれば何を食っても判断できなくなってくる。
きっと知らない間に箸を食っていても気がつかないだろう。

「栞はもういいのか・・・?」
「わ、私はおなかいっぱいです」
「私もパス・・・」
「俺も・・・アウトだ」
「・・・くー」

・・・名雪は寝ながら食ってたのか?



「どうだ・・・」
「相沢・・・
 死相が出てるぞ」

やっとの思いで弁当の全てを食べ終えた。
因みにデザートはまた女性陣によって平らげられたのは言うまでもない。

「祐一・・・胃薬飲む?」
「頼む・・・」

香里から渡された胃薬を何とか流し込むと、
人間とは単純なもので少しだけ楽になった気がした。

「栞・・・」
「はい?」
「次からは・・・もっと少なくしてくれ」
「ごめんなさい・・・」

俺の顔色が相当悪いのか、
栞もすまなそさうな表情をしている。
弁当を作ってきてくれた相手に対して悪いのとは思うが、
これ以上続けば俺はきっと倒れるだろう。

「少なくしようとは思うんですけど・・・
 でも、あれを入れたらこれも、っていう風になっちゃって・・・」
「・・・」
「いつまで作れるか分からないから、つい・・・」
「そっか・・・」

そう言われると、俺には何も言う事ができなくなってしまう。
何を言えばいいか迷っているために次の言葉が出てこない。
そこに、香里が助け舟を出す。

「栞、今度からは私と一緒に作りましょう。
 そうすれば、量も調整できるし、ね?」
「本当、お姉ちゃん?」
「嘘なんか言わないわよ」
「うんっ、ありがとう!」

香里も、
栞も、
二人とも嬉しそうだった。



昼を食い終えると、
そこには誰もいなかった。

「あれ・・・?」
「どうしたの?」
「いや、なんで誰もいないのかなって・・・」
「知らなかったの?
明日舞踏会があるから今日は午前中で終わりよ」
「なにっ!?」
「さっきHRやったじゃない・・・」
「気付かなかった・・・」

俺は寝てたのか?
それともこの歳で痴呆・・・

「香里、私は帰るね」
「また明日ね、名雪」
「じゃあな、相沢」
「ああ、もう会うことも無いだろうな」
「そんなわけないだろっ!」
「冗談だって。
 じゃあな」
「ったく・・・」

暫くは雑談に耽っていたが、
北川も名雪も帰っていったので、
残る俺達も帰る事にした。

「ところで、香里は舞踏会に出るのか?」
「私?出ないわよ。
柄じゃないもの」
「そうか?」

俺はかなり似合うと思うのだが。
そういえば、舞踏会は体育館で行われるらしく、
一年は設営に駆り出されるらしい。
栞は病み上がりということで免除してもらったと言っていたが。

「いいじゃない、別に。
 ほら、帰るわよ」

そう言ってすたすたと先に行ってしまう。

後ろから俺と栞がついていく。

(なあ、栞・・・)
(なんですか?)
(ものは相談なんだが、
 ・・・用意できるか?)
(え、どうしてですか?)
(ほら・・・)
(あ、そうですね。
 う〜ん・・・お母さんなら、もしかしたら・・・)
(じゃあ、帰ってみたら聞いてみるか・・・)
(祐一さんが聞くんですか?)
(・・・栞、頼まれてくれるか?)
(ふふっ、いいですよ)
(さんきゅ)

「二人とも、何をこそこそ話してるの?」
「何でもないぞ」
「な、何でもないよ」

香里から不審そうな目で見られる。



全ては、明日、明らかになる事だ。