Kanon『possibility』第二話


                「否定」




 

「・・・寒い」

「そう?」

香里と美坂家へ向かう途中、

俺は・・・

 

凍えていた。

「いつもこんな寒いのか?」

「あら、今日はまだ暖かい方よ」

「ちなみに、一番冷え込む日はあと10度ほど低いわよ」

「帰る」

「冗談よ。今日は特に寒い日よ」

「・・・助かった・・・」

本当に助かったかどうかは不明だが、とりあえずほっとした。

「早く温まりたい」

「だらしないわね・・・昔はもっと元気じゃなかった?」

「そうだったか?」

「ええ」

 

 

 

 

7年前・・・

俺は親の仕事の都合でこの町へ来た。

その間、俺は仕事の邪魔だからと美坂家に預けられた。

そこで知り合ったのが、今横に居る香里と・・・

 

 

 

「・・・いち、祐一!」

「え?」

「何ボーっとしてるのよ」

「ああ、ちょっと昔の事を思い出してたんだ。それより、香里」

「何?」

「栞は来ないのか?」

 

 

 

美坂 栞。

香里のひとつ下の妹。

女二人の姉妹だから、栞はずいぶん俺になついていた。

だから、今日はてっきり栞がくると思っていたんだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

「・・・」

「どうした、香里?」

「・・・祐一、私に妹はいないわ」

そう言って香里は早足で歩き出す。

 

 

 

 

「・・・?」

俺は、香里の言葉が理解できなかった。

「・・・どういう意味だ?」

「言葉通りよ」

「言葉通りって・・・」

食い下がる俺に、前を歩いていた香里は足を止め、振り向く。

「・・・何度も言わせないで。私には妹はいないわ」

そう言って、再び歩き出した。

抑揚はなかったが、その語気は有無を言わせないものだった。

「・・・」

それ以上、俺は何も言えずに、香里の後をついていく事しか出来なかった・・・

 

 

 

 

 

「・・・さあ、着いたわよ」

目の前にあるやや大きめの家。

それが美坂家だ。

「さあ、入って」

「・・・お邪魔します」

 

そう言って入ろうとした俺を香里が止める。

「祐一、『お邪魔します』じゃなくて『ただいま』よ」

 

 

それは、俺が受け入れられた証拠だった。

正直、俺が7年振りの従姉妹に受け入れられるか不安だったが、

どうやら杞憂だったようだ。

少し照れながら帰宅の言葉を口にする。

 

「・・・ただいま」

「お帰りなさい」

そこは、久しぶりの暖かい空間だった。

 

「いらっしゃい、祐一君」

 

そこに居たのは、美坂 恵(みさか めぐみ)。

俺の叔母だ。

「お世話になります」

そう言って、恵さんは深々と頭を下げる。

「い、いえ、こちらこそ」

俺も慌てて頭を下げた。

「・・・ねえ、そんな堅苦しい挨拶はいいんじゃないの?」

「・・・そうね。あんまり他人行儀なのもアレかしら。

じゃあ、祐一さん、とりあえずリビングへ行きましょうか」

「はい」

香里のおかげでぎこちない挨拶は中断でき、俺たちはリビングへ向かった。

 

 

 

「じゃあ、私は上にいるから」

そう言って香里は2階へ上がっていった。

 

 

リビングには俺と恵さんの二人だけだ。

「・・・久しぶりですね、祐一さん」

「そうですね・・・」

紅茶を飲みながら静かに会話は進む。

「・・・恵さん」

「はい?」

「どうして申し出を受ける気になったんですか?」

7年も交流のなかった甥の申し出を、恵さんは二つ返事で了承してくれた。

 

「そうですね・・・やはり、女だけだと不安ですしね」

恵さんの夫・・・つまり、香里たちの父親は、先月から長期出張中だ。

「それに・・・」

「それに?」

「・・・いえ、何でもありません」

少し引っかかったが、俺はそれ以上の疑問があるのを思い出した。

 

 

 

「・・・あの」

「はい?」

「香里と栞の事なんですけど」

そう言った瞬間、恵さんの表情は真剣なものになる。

「祐一さん」

「・・・はい」

「今から私の言うことを、絶対に守ってください」

「・・・はい」

そう言った後、恵さんはティーカップを置き、一呼吸置いた後、ゆっくりと、

しかし強い語気で話し始めた。

 

「まず、香里に栞に関することは絶対に言わないで下さい。

栞にも香里の事はあまり話さないようにして下さい」

 

 

「それから・・・」

 

 

「間違っても、二人を引き合わせようという事はしないで下さい」

 

 

俺には、何がなんだかさっぱりわからなかった。

昔は二人ともとても仲がよかった。

が、香里と恵さんの発言。

それは俺の理解を超えていた。

「・・・時が来たらお話します。だから、それまでは・・・お願いします」

「・・・わかりました」

もちろん納得できていないが、詮索など出来ない様子だった。

 

 

 

夕食前。

 

トントントントントン・・・

誰かが二階から降りてくる。

そして、リビングに入ってきたのは・・・

 

 

「栞?」

「お久しぶりです、祐一さん」

それは、香里の妹の栞だった。

「ずいぶん大きくなったな・・・胸以外」

「わっ、いきなりひどいですよ」

「冗談だ」

「・・・冗談に聞こえないです」

「二人とも、御飯できたわよ」

「ほら、早く食べよう」

「ごまかさないで下さいっ」

俺は素早く席に着いて、

「いただきます」

食事を始める。

「なあ、栞」

「何ですか?」

「俺の事、『お兄ちゃん』って呼ばなくなったな」

「んー・・・」

栞は口に指を当てて少し考えて、

「少し恥ずかしいですから」

「・・・そうか」

ちょっと寂しい。

あたかも娘が一緒に風呂に入ってくれなくなった父親のような心境だ。

「ところで・・・」

栞が話を切り替える。

「祐一さん、さっきの本当に冗談なんですか?」

「・・・あんまりしつこいと小さい胸がもっと小さくなるぞ」

「わっ、やっぱり小さいと思ってるじゃないですか」

「気のせいだ」

「そんなわけないです!」

「ふふっ、変わらないわね」

ずっと二人の様子を見ていた恵さんが楽しげに言う。

「うー」

・・・とまあ、こんな調子で夕食の時間が過ぎていった。

 

 

 

 

 

・・・ただ、最後まで香里は現れなかった。

 

 

 

 

 

 

今日一日、一度も二人は一緒に居なかった。

香里の話からして香里が栞を避けていることは明らかだった。

が、恵さんと約束した手前、俺には何も出来ない。

たとえ約束がなくとも、干渉を拒むような空気が存在した。

俺は謎を残したまま、まどろみに身をゆだねていった・・・