Kanon『possibility』第三話


「日溜まりの街」















夢。
夢を見ている。
毎日見る夢。
終わりのない夢。
赤い雪。
流れる夕焼け。
赤く染まった世界。
誰かの鳴き声。
子供の泣き声。
夕焼け空を覆うように、小さな子供が泣いていた。
どうすることもできずに、
ただ夕焼けに染まるその子の顔を見ていることしかできなかった。
だから、せめて・・・。
流れる涙を拭いたかった。
だけど、手は動かなくて・・・。
頬を伝う涙は雪に吸い込まれて・・・。
見ていることしかできなくて・・・。
悔しくて・・・。
悲しくて・・・。
大丈夫だから・・・。
だから、泣かないで・・・。
言葉にならない声。
届かない声。
「約束だから・・・」
それは、誰の言葉だっただろう・・・。
夢が、別の色に染まっていく。








「うん・・・約束、だよ」










ドサッ。
「・・・」
痛い。
硬い感触。
「・・・床の上・・・」
確か俺はベッドの上で寝ていたはずじゃ・・・
「やっと起きたわね」
声がする方を見る。
すると・・・
「香里・・・」
面倒臭そうにしている香里がいた。
「早く起きてくれないと朝御飯が片付かないんだけど・・・」
「・・・つまり俺は香里にベッドから蹴落とされて起こされたのか?」
「早く食べてね」
そう言って香里は一階へと戻っていく。
「・・・おーい・・・」



とりあえず着替えた俺は、朝飯を食べ始めた。
「なあ、香里・・・」
「何?」
「もう少し優しく起こせないのか・・・?」
「・・・例えば?」
「例えば、口でご奉仕して・・・」
「・・・いっぺん死んでみる?」
「・・・冗談でございます」
香りは呆れたようにため息をつく。
「呆れた様にじゃなくて本当に呆れたのよ」
「なっ・・・考えた事がわかるとは、まさかエスパーか!?」
「思いっきり口に出してたわよ」
「ぐは・・・」
・・・とこのように、淡々と食事は進んでいった。




朝食後しばらく経って、香里は『部活があるから』と言って出かけていった。
しばらくして、家から送った荷物が届いた。
隣には栞がいる。
「・・・」
「・・・多くないですか?」
「まあな・・・」
我ながら、少々持ち込みすぎたようだ。
「俺が荷物を上まで運ぶから、栞は整理を頼む」
「わかりました」
そんなわけで引越しは進んでいった・・・



5分後。
「きゃっ!?」
荷物を運んでいた俺の耳に、栞の悲鳴が聞こえた。
「まさか・・・」
俺は荷物を投げ捨て二階へ急いだ。
「栞ッッ!」
俺は乱暴にドアを開け、動けなくなっている栞を見た。
最悪の結末。
開け放たれた箱。
そして、栞の手に握られていたもの・・・
それは・・・


「ぐは・・・」
『〇夢』、『絶〇』。
よりによって〇畜の王道である。
「祐一さん、これ・・・」
栞は真っ赤になったまま固まっている。
「ち、違う!俺は本当は浪漫好きで妹属性・・・だあっ、違う!!」
『妹属性』が火に油を注いだのか、栞はさらに顔を紅潮させてしまった。
と、二人の視線が合う。
「・・・」
「・・・」
心なしか栞の目が潤んでいるように見える。





「栞――――ッ!!」
「きゃあっ!?」
「俺はずっと、栞の事がっ!!」
「ゆ、祐一さん、駄目ですっ!!」
「『祐一さん』じゃなくて『お兄ちゃん』と呼んでくれっ!」
「・・・お、お兄ちゃん・・・」
「うをををををッッッッ、萌えーーーー!!!!」





「のおおおおおおおおっっっっっっっっ!!!!!」
すさまじい妄想から何とか脱出した。
だが、これが現実になるのも時間の問題かもしれない・・・
と、
そこに救いの手が差し伸べられた。


「栞、祐一さん、ご飯できましたよー」
恵さんだ。
俺たちは気まずいまま一階へ降りていった。
そのときの階段での栞の呟きを、俺はずっと忘れないだろう。



「『〇anon』とか『おね』の方が・・・」



昼食中、二人は一言も発しなかった。
その様子を見ていた恵さんは頭に「?」マークを浮かべていた。







「ちょっといい、祐一?」
昼食後、香里が声をかけてきた。
ちなみに香里は友達と昼食を摂ってきたそうで、さっき帰ってきた。
「何だ?」
「買い物に付き合ってほしいのよ」
「遠慮しておく」
「この辺の地理を覚えるのも兼ねて、ね?」
「却下」
「・・・また吊るされたい?」
その言葉を聞いた瞬間、過去の光景がフラッシュバックしてきた。


七年前。
「祐一、一緒にお使いいこうよ」
「いやだ」
「そんな事言わないで、ね?」
「絶対にいやだ」
「・・・どうしても?」
「ああ」
「ふーん・・・」
そう言って香里は一人で出かけた。
そのときはそれだけだった。
だが、翌朝・・・

「ハックション!」
俺は自分のくしゃみで目がさめた。
「・・・って、うわあっ!!」
青く澄み渡った空。
一面の銀世界。
俺は蓑虫のようにベランダから寝袋に入れられて吊るされていた・・・



・・・とまあ、そんな事があったっけか。
「・・・お供させていただきます」
「よし」
香里は満足そうに微笑んだ。


商店街へ向かう途中。
「祐一、この辺覚えてる?」
「いや・・・」
「そう・・・まあ、そのうち思い出すでしょ」
そういってる間に、俺たちは商店街に着いた。
「そういえば、こんな光景だったかもな・・・」
「でしょ?」

目を閉じてゆっくりと景色を掘り起こす。

白い雪。

町並み。

いとこの少女。

そして・・・

「そこの人っ!」

「・・・え?」
突然の声。
そして、意識が現実に引き戻される。
「祐一、危ない!」
香里の声。
「どいて、どいて!」
状況が分からないまま、気がつくとすぐ目の前には女の子がいた。
いた・・・というか、走っている。
手袋をした手で大事そうに紙袋を抱えた、
小柄で背中に羽の生えた女の子だった。
・・・って羽?
「うぐぅ・・・どいて〜」

べちっ!

「うぐぅ・・・痛いよぉ〜」
すっかり失念していたが、女の子は走っている最中だった。
しかも、俺の方に向かって。

「ひどいよぉ・・・避けてっていったのに〜」
まともに顔からぶつかったらしく、涙目で赤くなった鼻の頭をさすっている。
「大丈夫、俺は全然平気だ」
「キミが平気でも、ボクが鼻が痛いよ〜」
よほど動揺しているのか、すでに日本語が怪しかった。
「そりゃ、あれだけ勢いよくぶつけたら痛いだろうな」
「あなたが悪いんでしょ」
すかさず香里の突っ込みが入る。
「・・・うぐぅ」
手袋で鼻を抑えたまま、うんうんと頷いている。
「キミが避けてくれないからだよ〜」
「悪い。とっさの出来事で対応できなかった」
「うぐぅ・・・本当に・・・?」
えぐえぐと涙をぬぐいながら、潤んだ瞳で俺の顔を見上げる。
間違いなくとても痛そうだった。
「本当に悪い。まさかそのままの勢いで体当たりをするとは思わなかった」
「うぐぅ〜」
鼻を押さえたまま、とりあえず立ち上がって体勢を立て直す。
そして・・・

「・・・あっ!」
思い出したように後ろを振り返る。
「と、とりあえず話はあとっ!」
「・・・え?」
俺の手を掴んで、そのまま引っ張るように走り出す。
俺もとっさに香里の手を掴む。
「え?」
「ちょ、ちょっと待て!」
「待てないよ〜っ!」
「な、何で私までっ!」
手を繋いだままの奇妙な三人組は人ごみをかき分けるように、
奥へ奥へと入ってゆく。
・・・俺の手を掴んだまま。
「・・・はぁ」
俺は溜息をつく香里の手を掴んだまま。


「いったい何がどうしたんだ?」
「追われてるんだよ・・・」
時折背後を振り返りながら、必死の表情で商店街を走る。
「・・・追われてるって?」
「・・・・・・」
それっきり口を閉ざす。
それ以上問いただすことも出来ずに、
俺は引かれるままに商店街を走り抜けていった。


どこをどう走ったのか分からない。
ただ、視界に飛び込んでくるのは少女の背中と、
その背中についた羽だけだった。


「こ、ここまで来れば、大丈夫、だよね・・・」
膝に手をつきながら、はぁ、はぁ、と肩で息をついている。
「な、何で商店街を全力疾走しなきゃならないのよ・・・」
香里も似たような状態だ。
吐き出される真っ白な空気が、あたりを埋め尽くしていた。
「大丈夫も何も、とりあえず事情を説明してくれ」
同じように息を吐きながら、少女に問い返す。
「私もその意見に賛成ね」

「・・・」
問われた少女が、じっと俺の顔を見詰めていた。
年齢は俺よりも随分と下だろうか?
どこか幼さを残したような、小柄な女の子だった。
「・・・」

しばらく黙り込んでいた少女が、ゆっくりと口を開く。

「・・・追われてるんだよ」
神妙な表情で、さっき確かに聞いた言葉をもう一度繰り返す。
不安げに背中の羽がパタパタと揺れていた。
「追われてるって、誰に?」
当然の疑問だと思う。
「それ以上はボクの口からは言えないよ・・・」
「無関係の人を巻き込みたくないからね」
この状態ですでに思いっきり巻き込んでいると思うのだが、
俺の気のせいだろうか?
「なあ、香里・・・」
「・・・多分あなたと同じ意見よ」

しかし、人をこんな所まで引っ張っておいて、
無関係も何もないと思うが・・・
「その持ってる紙袋と何か関係があるのか?」
女の子は、最初にぶつかったときからずっと大切そうに紙袋を抱えていた。
「ぜ、ぜ、ぜんぜん、そ、そ、そ、そんなことないよっ!」
明らかに動揺している。
「関係あるんだな」
「ええっ!う、ううん、か、関係ないよっ!」
どもりながら、紙袋を胸元で抱えるように少し後ずさる。
とても分かりやすい女の子のようだった。

「まぁ、言いたくないんだったら別にいいけど」
どうせ、俺には直接関係のないことだろうし・・・

「・・・ところで、この羽は何なんだ?」
「・・・はね?」
不思議そうに首を傾げている。
「はねって、なに?」
俺の言っていることが分からないというふうに、顔に『?』を浮かべる。
「背中についてるだろ?」
「背中・・・?」
首を傾げたままの体勢で、自分の背中を見ようと後ろを向く。
「・・・はね〜」
・・・が、当然後ろを向くと背中の羽は前にくる。
さらに自分の背中を追いかけるように、右回りにくるくると動く。
「・・・うぐぅ」
自分のしっぽにじゃれつく子犬のように、その場でくるくると回転する女の子。
「・・・うぐぅ・・・見えない」

「ねえ、祐一・・・」
「・・・何も言うな」
もしかするとそうではないかと薄々思っていたが、今なら断言できる。
こいつは変な奴だ。
間違いない。
「とりあえず、首だけ動かして背中を見てみろ・・・」
「・・・んしょ」
言われた通り、覗き込むように自分の背中を見る。
「・・・あ、ホントだっ」
無邪気に顔をほころばせる。
「羽があるよ〜」
「可愛い羽〜」
・・・やっぱり変な奴だ。

「で、何なんだこれは?」
白い羽を手で掴んでみる。
プラスチックのような、冷たい感触。
どうやら背中のリュックにくっついているらしい。
「羽だよ」
「最近、はやりなんだよ」
「・・・変な物がはやってるんだな」
まぁ、流行なんてそんなものかもしれない。
「そんなはやり聞いたことないけど・・・」
横から香里がそういう。
「多分、一部ではやってるんだろ」
「そうね・・・」

・・・それにしても。
「・・・あ!」
「・・・どうした?」
「ごめんね、話はあとっ!」
「話はあとっ、じゃない!」
引っ張る腕を逆に引き寄せる。
「うぐぅ・・・放してよ〜」
「走る前に事情を説明しろ」
「でもっ、でもっ!」
切羽詰ったようにあたりをきょろきょろと見回している。
「うぐぅ・・・と、とりあえずこの中にはいろっ!」
すぐ横のファーストフード店を指さす。
この中に逃げ込みたいらしい。
「よく分からないが、誰かに追われてるんだな?」
「うんっ」
「わかった」
掴んでいた手を放す。
「うぐぅ、ありがとぅ〜」
手が離れると同時に、店の中に走ってゆく。
俺と香里もその背中を追って中に入る。

「早くっ、早くっ!」
先に入った女の子が、椅子に座って手招きしている」
「何か食うのか?」
「普通のお客さんを装うんだよっ」
ちなみに、店に入るなり注文もせずに椅子に座って外の様子をうかがっているふたり組が普通の客に見えるかどうかは微妙である。
「・・・飲み物でも注文してくるわ・・・」
疲れたように香里が注文に向かう。
「・・・あっ!」
少女の表情が強ばり、紙袋を抱える手にも力が入る。
どうやら追いかけてきている奴が、店の前に来たらしい。
(どんな奴なんだ・・・?)
窓からそっと外を覗き見る。

沈み行く夕日に照らされて、ひとりの男が立っていた

薄くなった頭に、人の良さそうな穏和な表情。
そして、なぜかエプロン姿・・・
どこから見ても普通のおやじだった。
「お前を追ってるのって、あの人畜無害そうなおやじか?」
「・・・そうだよ」
じっと息を潜めながら、絞り出すように呟く。
「俺にはただのおやじにしか見えないが・・・」
「人は見かけで判断したらダメだよ・・・」
「・・・まぁ、そうだけど」
確かに、エプロン姿というのがそこはかとなく怪しい雰囲気を醸し出しているといえなくもないかもしれない・・・
「・・・」
女の子は、じっと息を潜めている。
やがて、一通り辺りを見回したエプロン姿のおやじは、さすがに諦めたのかそのまま来た道を引き返していった。
それを確認し、香里の持ってきたコーヒーを飲んで落ち着いてから、
三人揃って店を出る。

「うぐぅ・・・怖かったよ〜」
・・・そうか?
「しかし、あのおやじ、どうしてエプロンなんかしてたんだ?」
「同感ね」
「多分、たい焼き屋さんだからだよ」

「・・・」(俺)
「・・・」(香里)
「・・・」(女の子)

「・・・どうして、たい焼き屋がお前を追いかけて来るんだ?」
「・・・それは」
言いづらそうに、俯いてもじもじしている。

「えっと・・・」

「大好きなたい焼き屋さんがあって・・・」

「たくさん注文したところまではよかったんだけど・・・」
なんとなく、話の雲行きが怪しくなってきたような気がする・・・

「お金を払おうと思ったら、財布がなくて・・・
 それで走って逃げちゃったんだよ・・・」

「・・・」(俺)
「・・・」(香里)
「・・・」(女の子)

「・・・もしかして、お前が一方的に悪いんじゃないのか?」
「うぐぅ・・・仕方なかったんだよ〜」
「どう仕方なかったんだ?」
「話せば長くなるんだけど・・・」
「どうせ時間はあるから、気にするな」
「・・・悪いけどあんまり時間ないわよ」
「・・・出来るだけ簡潔に頼む」

「複雑な話なんだけど・・・」
「ああ」
「実は・・・」

「すごくお腹がすいてたんだよ〜」

「それで?」
「それだけ」

「・・・」
全然長くなかった。
しかも、複雑でもなかった。
「・・・はぁ」
香里は天を仰いでいる。

「やっぱりお前が悪いんじゃないかっ!」
「うぐぅ・・・」
「悪人っ!偽善者っ!」
「ひどいよぉ〜、そこまで言わなくても・・・」
拗ねたように、俯いてしまう。
「だって・・・ホントにお金なかったんだもん・・・」
「それで・・・つい・・・」
聞き取れないくらい、声が小さくなっていく。
「とりあえず、反省してるんじゃない?」
香里が小声でささやく。
「それに、後でちゃんとお金払うもんっ!」
「本当か?」
「ホントだもん」
「・・・まぁ、それだったらいいけど」
「そうね・・・」
「うんっ!」
もちろんよくはないだろうけど、
ちゃんとお金払って謝ったら許してくれるだろ・・・

「あ、そうだ」
ぽんと紙袋をあわせて、今まで大切そうに抱えていた茶色の紙袋を取り出す。
「わっ。やっぱりたい焼きは焼きたてが一番だよね」
中から湯気の立ち上るたいやきを、ひとつつまみ出す。
「・・・それはちゃんと金を払った奴が言う台詞だぞ」
「ね、キミ達も食べる?」
すでに俺の言葉は耳に入っていなかった。
「祐一、どうするの?」
「・・・やっぱり、事情を説明して、返した方がいいんじゃないか?」
「はぐ・・・おいしいね」
「食うなっ!」
「うぐぅ・・・」
「うぐぅ・・・じゃないっ!」
「でも、たい焼きは焼きたてが一番おいしいって・・・」
「うまくても食うなっ!」
「うぐぅ・・・」
「うぐぅ・・・」
「うぐぅ・・・まねしないでっ!」
「いや、さっきからずっと使ってるから」
「うぐぅ・・・そんなことないもんっ」
拗ねたように、ふいっと横を向く。
重ね重ね分かりやすい女の子だと思う。
「もうたい焼き上げないもんっ」
「太るぞ」

「・・・うぐ」

たい焼きの頭をくわえたまま、動きがとまる。
「ボク、そんなの気にしないもん」
「だったら見ててやるから全部残さず綺麗に食べてみろ」
「うぐぅ・・・いじわるぅ・・・」
とりあえず、からかうと面白いということが分かった。
「うぐぅ・・・」
「とにかく、やっぱり金はちゃんと払った方がいいぞ」
「お金持ってるときにちゃんとまとめて払うもん」
「・・・まぁ、それならいいか」
「うんっ、約束だよっ」
さっきの拗ねた表情から一転、満面の笑顔だった。
ころころと表情が変わって、見ていてとてもおもしろい。
「だから、はいっ。ボクからのおすそわけだよっ」
「そうだな・・・後でちゃんと払うのなら、まぁいいか・・・」
「そうね・・・」
受け取ったたい焼きを口に運ぶ。
「やっぱり焼きたてだよね」
得意げに目を細めて、自分も同じようにかぶりつく。
「そうだな・・・」
きつね色に焦げ目の入ったたい焼き。
今もなお、白い湯気が立ち上っていた。
懐かしいな。
理屈ではなくそう感じた。
「ボクはあゆだよ」
不意に女の子が顔を上げる。
「月宮あゆ」
「月宮・・・あゆ・・・?」
不意に香里がそう呟く。
「どうした、香里?」
「まさか・・・でも・・・」
「香里っ!」
香里は身体をビクッと震わせる。
「え・・・あ・・・祐一・・・」
「どうしたんだ?」
「・・・何でもないわ。大丈夫よ」
そういうと香里はあゆと名乗った少女の方を向く。
「私は香里よ。美坂香里」
「俺は祐一だ。相沢祐一」
「・・・祐一・・・君?」
「どうした?」
「・・・ううん、何でもないよっ」
泣き笑いのような複雑な表情。
それでもすぐにもとの元気な笑顔に戻る。
「じゃあ、これでさよならだねっ」
「そうだな」
「またあえるといいねっ」
「・・・いいか?」
「うぐぅ・・・いいんだよっ」
「そうだな、会えるといいな」
「うんっ」
笑顔で頷いて、そのまま元気に手を振って走っていく。
傾いた夕日の中で、赤く染まる背中の羽が印象的だった・・・

「大変な目にあったな・・・」
「そうね・・・」
香里の顔は、あゆの名前を聞いたときから浮かない顔をしていた。
結局、買い物を済ませたのは随分遅くなってしまった。



遅めの夕食(やはり香里は現れなかった)を摂り、風呂に入って、
明日に備え寝ることにした。
そして、ふとあることに気づいた。
「目覚まし持ってくるの忘れた・・・」
ベッドから這い出て、香里の部屋に向かう。
「さむ・・・」
早くベッドに戻りたいと思いつつ、まだ明るい香里の部屋をノックする。
「誰?」
「香里、俺だけど・・・」
少しして、ドアが開く。
「何?」
「余ってる目覚ましが会ったら貸してほしいんだけど・・・」
「分かったわ、ちょっと待ってて」
そういって香里は部屋に戻る。
・・・
「これでいいでしょ?」
「・・・ああ」
ピンク色のいかにも女の子っぽい時計。
「それ、よく『効く』わよ」
「・・・なんでそこにかぎカッコが入る・・・」
「それは朝のお楽しみ」
そういった香里の瞳は、かなり邪悪だった。
ちなみに、この時計は一日でその役目を終える。


再び部屋に戻ってきた俺は、目覚ましをセットし、ベッドにもぐりこむ。
明日からは新しい学校。
そこで何が待っているのか・・・
俺は期待と不安を抱きつつも眠りへ落ちていった・・・