Kanon『possibility』第四話
「再会を知る時」
夢を、見た。
遠い昔の思い出のような夢。
泣いている少女。
少女に俺は何かを渡す。
次の瞬間、彼女は笑っていた。
俺は名前を尋ねた。
そして、
彼女は口を開いた。
「・ゆ」
「・きみ・あ・」
「・・・きて」
ん・・・
「ねえ、起きてよ」
まだ眠い・・・
「起きてったら・・・」
うるさい・・・
「・・・起きろって言ってんじゃ、コラァ!!」
「うわっ!」
俺はさっきまでとはまったく違う怒声に慌てて飛び起きた。
そして、声の主を探す。
「さっさと起きろォ!!」
枕もと。
昨日香里に借りた目覚し時計だった。
ピンク色の時計には
『乙女の目覚まし』
と書いてあった。
どのへんが『乙女』なんだか400字以内で教えてほしいもんだ。
「・・・七瀬なのよ、あたし」
その最後の台詞がしばらく俺の頭を支配していた・・・
俺が着替えてドアを開けると、香里も部屋を出てきたところだった。
「おはよう、祐一」
「おはよう・・・」
「なんだか元気ないわね」
「・・・知ってて言ってないか?」
「気のせいよ」
「とりあえず、目覚ましは返す・・・」
「そう?残念ね」
香里は楽しそうだった。
その後、朝食を摂って俺たちは家を出た。
栞は一緒ではない。
多分、別々に登校しているのだろう。
「しかし、変わった制服だな」
「あら、この制服人気あるのよ。
この制服を着たくてウチに来る子が結構いるんだから」
「ふーん・・・」
いろいろ言っているうちに学校に着いた。
「クラスは分かってるの?」
「いや、これから職員室へ言って聞く」
「そう・・・あ」
香里が何かに気付いた。
「名雪!」
そう向こうから走ってくる娘に声をかけた。
「あ、香里―、おはよう」
俺たちの前まで走ってくると、のんびりとした口調で挨拶した。
「あれ、隣の人は?」
「こないだいとこが来るって言ったでしょ?」
「あ、そうだったね」
その娘は俺のほうを向いた。
「初めまして」
「初めまして。俺は相沢祐一だ」
「私は水瀬名雪だよ。名雪でいいよ」
「だったら俺も祐一でいい」
「うん、分かったよ、祐一君」
キーンコーンカーンコーン・・・
「予鈴ね。行くわよ、名雪」
「あ、待ってよ、香里。
じゃあ、祐一君、一緒のクラスになれるといいねっ」
そう言って香里たちは校舎の中に入っていった。
「転校生を紹介する」
担任がそういうと、おおっ!と教室がざわめいた。
「ちなみに、男だ」
そういうと一気に静まり返った。
・・・悪かったな、男で。
「相沢です、よろしく」
簡単に自己紹介を済ませる。
見ると、香里とさっき会った名雪の姿があった。
「じゃあ、そこの席に着いてくれ」
「一緒のクラスになれたね」
右後ろの名雪がそういう。
「ほんと、偶然って恐ろしいわね・・・」
隣で香里はそう呟いていた。
北川と知り合った。
多分、いい奴だ。
「何で俺の紹介が短いんだ」
「みんな知ってるからな」
「そうか・・・」
少し寂しそうだった。
何事もなく一時限目が終了する。
今日は始業式だけらしいが、それも俺が職員室にいる間に終わったようだ。
つまり、今日はこれで放課後らしい。
「今日からよろしくね」
名雪が俺のところへ来てそういう。
「ところで、祐一君って一人暮らし?」
「まあな」
とっさに嘘をつく。
まさか香里と一緒なんていえないだろう。
「じゃあ、今度遊びに行ってもいい?」
「ぐは・・・」
三秒で嘘撃沈。
俺は香里の方を見る。
「・・・祐一はウチで一緒に暮らしてるのよ」
「なにぃっ!」
驚いたのは北川だ。
「相沢・・・お前・・・」
嗚呼、視線が痛い。
「名雪、このこと絶対に他の人に言っちゃ駄目よ」
「どうして?」
「あのね・・・色々面倒でしょ?」
「・・・うん、そうだね」
名雪は本当に分かっているのだろうか・・・
「それじゃあ、私は部活だから」
「名雪は何部なんだ?」
「陸上部だよ」
名雪の口から意外な言葉が出てくる。
雰囲気からはとても想像できなかった。
「じゃあ、私も部活だから」
香里もそう言って席を立つ。
「香里は?」
「演劇部よ」
「相沢、俺達も帰るか」
「そうだな」
俺は北川と一緒に教室を出た。
北川とは校門で分かれて、俺は新しい目覚ましを買うため商店街へ向かった。
『乙女の目覚まし』とやらはもう勘弁だからな。
・・・で。
俺はまた商店街を走っていた。
「・・・お前はどうして俺を巻き込むんだ」
「うぐぅ・・・」
しばらく走って、俺たちは広い道路に出た。
「ここまで来れば、大丈夫、だよね・・・」
あゆは息が上がっている。
「・・・それは間違いなく食い逃げ犯の台詞だぞ」
「うぐぅ・・・しかたなかったんだよ〜」
「また財布が無かったのか?」
「えっ、どうして分かったの?」
「・・・」
・・・こいつわ。
「そうだ、祐一君も食べる?」
「今度は何を盗ってきたんだ?」
「うぐぅ、人聞き悪いよっ」
「事実だろ。
で、何なんだ?」
「たい焼きっ」
「違うよっ」
「どう違うんだ?」
「昨日はこしあんだったけど、今日は粒あんっ」
「一緒だっ!!」
「うぐぅ・・・」
「まあ、いいか・・・」
そう言って、俺はたい焼きを受け取る。
「やっぱり鯛焼きは焼きたてが一番だね」
「そうだな・・・」
幸せそうにたい焼きをほおばる少女。
・・・
一瞬、何かとオーバーラップする。
「・・・?」
たぶん、昨日の光景とダブったんだろう・・・
俺も改めてたい焼きを食べる。
「・・・とりあえず商店街へ戻ろう」
「うん」
「・・・だから、商店街へ戻ろう」
「うん」
「あゆが道案内してくれるんじゃないのか?」
「ボク、知らないよ。こんなところ始めてきたもん」
「・・・」
「祐一君も知らないの?」
「あのなあ、地元の人間が知らないことをおとつい引っ越してきた人間に分かる訳無いだろ」
「え、そうなの・・・?」
複雑な表情で俺をまっすぐ見返す。
「あたりまえだ。1日で覚えられるか・・・」
「そうじゃなくて、引っ越してきたって・・・」
切羽詰まったように食い下がる。
「ああ、昔ちょっとだけ住んでいた事もあったんだけどな」
「・・・7年前?」
「そう、最後にこの街に来たのはちょうどそれくらいかな・・・
ってなんで知ってるんだ?」
「もしかして・・・祐一・・・君?」
「そう、だけど・・・」
「そっ・・・か・・・」
俯いて、声を落とす。
肩が小刻みに震えていた。
「・・・どうしたんだ、あゆ?」
「本当は、昨日会った時から・・・そうじゃないかって思ってたんだ・・・」
あゆの小さな体が、微かに震えているのが分かった。
「名前・・・一緒だし・・・それに、変な男の子だし・・・」
余計なお世話だ。
「昔の、ボクが知ってる頃の、ホントそのまんまだったし・・・」
・・・・・・
「・・・帰ってきて・・・くれたんだね」
・・・・・・
「ボクとの約束、守ってくれたんだね・・・」
不意に、記憶の片隅をかすめた風景・・・
雪。
泣いている女の子。
たい焼き。
夕焼け。
そして・・・
「あゆ・・・そうだ・・・」
思い出した・・・
7年前にこの街で出会って、そして一緒に遊んだ女の子がいた・・・
その少女の名前が、確か・・・
「・・・あゆ」
「うんっ。久しぶりだね」
「そうだな・・・本当に久しぶりだ」
少しずつ、それでも確実によみがえる記憶。
俺は、確かにあゆという名前の女の子と遊んでいた。
だけど、思い出せることはそれだけだった。
どんな女の子だったか、どうして知り合ったのかも・・・
思い出すことができなかった・・・。
「お帰り、祐一君っ」
雪を蹴って、俺のほうへ両手を伸ばすあゆ。
それを、思わず避けてしまう俺。
「・・・えっ!」
べちっ!
避けた背後には、ちょうど木があった。
当然、まともにぶつかる。
「だ、大丈夫か、あゆ・・・?」
「・・・」
全く動かない。
「えっと・・・今のは全面的に俺が悪い、かもしれない」
「・・・」
返事が無い。
「もしかして・・・全然痛くもかゆくもなかったとか?」
「すっごく痛かったよぉっ!」
がばっと振り返って、えぐえぐと目尻を擦りながら涙目で俺に非難の視線を送る。
「・・・うぅっ・・・避けたぁっ!祐一君が避けたぁっ!」
「・・・悪い、つい条件反射で」
「うぐぅ・・・そんなに反射神経がいいなら、商店街でも避けて・・・」
もっともな意見だった。
ちょうどその時。
どさっ・・・
と、大きな荷物が落ちるような音が木々の隙間から響く。
どさっ・・・どさっ・・・!
さらにっはっきりとした音。
「・・・きゃっ」
物音にかき消されるように、女の子の短い悲鳴が聞こえた、ような気がした。
あゆの方を見る。
「・・・」
ふるふる、と首を横に動かす。
違うのか・・・?
だけど、その様子から察するに、あゆにも同じ声が聞こえたようだった。
俺は声のした方向を探して、周りに視線を送る。
白い衣を湛えた木々の中、その先に俺の知っている女の子が座り込んでいた。
「栞・・・」
「・・・」
様々な荷物の錯乱した雪の上に、微動だにせず、
ただ視線を地面に注ぐ女の子。
「・・・大丈夫か?」
顔は俺のほうに向いているが、視線はもっと遠くを見ているようだ。
「俺が分かるか?」
「あ・・・祐一さん・・・」
やっと俺と視線が合う。
「ほら」
手を差し伸べる。
「・・・」
が、固まったままである。
仕方ないので栞の手を掴んで立たせる。
「あ・・・」
「怪我とか、してないか?」
「はい、大丈夫です・・・」
「どうやら、木の上の雪の塊がさっきの衝撃で降ってきたみたいだな」
「・・・なんだかボクが悪いような言い方だね」
「事実だろ?」
「祐一君が避けるからだよっ!」
「いや、だって、いきなり襲いかかってきたから・・・」
「ひ、ひどいよぉっ!襲いかかってなんかないよっ!」
拗ねたように、俺に突っかかる。
すっかり元気そうだった。
一安心だ。
「襲いかかってきたんじゃないのなら、なんだったんだ?」
「感動の再会シーンだよっ!」
「・・・どこが?」
「だから、そうなるはずだったのに、キミが・・・」
「・・・」
栞は黙ったまま(固まったまま)俺たちのやりとりを見ている。
「うぐぅ、もういいもんっ!」
ぷいと横を向く。
「7年ぶりの感動の再会シーンで木にぶつかったの、たぶんボクくらいだよ・・・」
「やったな、世界初だ」
「ぜんっぜんっ、嬉しくないよぉっ!」
「まあ、そんな事はいいとして・・」
「よくないよぉっ!」
あゆは無視して、改めて栞を見る。
「本当に怪我はないか?」
「はい、たぶん・・・」
そう言って栞は錯乱した荷物を拾い始める。
「あ、ボク手伝うよ」
あゆもしゃがみこんで拾うのを手伝おうとする。
「あ!」
栞の声に反応して、あゆが手を引っ込める。
「・・・大丈夫です、自分で拾いますから・・・」
「う、うん」
頷いて、立ち上がる。
「あんまり人のものに手をつけてると、ろくな大人にならないぞ」
「違うよぅ〜、拾うの手伝おうと思っただけだよ〜」
悲しそうにうつむく。
「えと・・・ごめんなさい・・・そんなつもりで言ったわけでは・・・」
「・・・うん、分かってるよ」
ひとつひとつ確認するように拾い上げながら、栞が立ち上がる。
周りに落ちている物がないか確認して、改めてストールを羽織り直す。
そして、ぱたぱたと雪を払いながら、寒そうにぎゅっと紙袋を抱きかかえる。
「・・・ちょっと寒いです」
悲しそうに表情を曇らせる。
「そりゃそうだろ」
あれだけの時間、雪の上に座り込んでたんだ、体だって冷えるだろう・・・
「じゃあ、私はこれで・・・」
そう言って栞が立ち上がる。
「一緒に帰ろうか?」
荷物の量をみて、栞が無事に戻れるか少し不安だった。
「いえ、大丈夫です」
「あ」
あゆが何かを思い出したような声をあげ、栞の方を向く。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
「お前、俺のときも同じような事言わなかったか?」
「うぐぅ・・・気のせいだよ」
俺の言葉に律儀に答えてから再び栞の方を向く。
「ボクは月宮あゆだよ」
「私は美坂栞です」
「栞ちゃん、また会えるといいねっ」
「そうですね」
やっぱり俺のときと同じ事を言っているような気がするのは気のせいか?
「それじゃあ、私はこれで」
「うん、またねっ」
栞は大きな紙袋を抱えて俺たちと反対の方向へ歩き出した。
「ちょっとまった!」
「はい?」
歩き出した栞を引き留めて、大切な用件を切り出す。
「商店街って、どっち?」
「・・・え?」
栞と別れて、俺とあゆが見知った光景に辿り着いたとき、すでに日は暮れかけていた。
「あ、そういえば」
あゆがまた何かを思い出したようだ。
「栞ちゃんって、祐一君と知り合い?」
「ん、まあな」
「それに美坂って苗字だし・・・」
・・・・・・
「もしかして、香里さんの妹?」
できれば聞かれたくなかった質問。
俺は一瞬躊躇したが、誤魔化したくはないので、事実を答えた。
「そうだ」
その後にこう付け加えて。
「だけど、二人の前でそのことは言うな」
「どうして・・・?」
当然の疑問だと思う。
「色々あったみたいなんだよ。それで、今は二人は全然顔を合わせないんだ」
「祐一君は何もしないの?仲直りさせるとか・・・」
「何かしようにも、恵さん・・・つまり、二人の母親に釘を刺されたよ。
『二人を引き合わせようとしないで下さい』ってな。
もちろん、このまま放って置こうなんて思っちゃいない。いずれ・・・そう遠くないうちに何とかしたい・・・というより何かしたい、と思ってる」
「ふうん・・・」
あゆは納得したらしい。
そして、もうひとつ俺に質問をぶつける。
「でも、どうしてボクにそのこと話したの?
『二人は何の関係もない』って言えばよかったんじゃないの?」
「・・・そうかもしれない。
だけどさ、俺が嘘をついたら、二人の関係を否定していることにならないか?
それじゃ駄目だと思うんだ。
もちろん学校の奴には言えない。
香里が言わなかった事を俺が言ったりしたら当然香里はいろいろ聞かれるだろう。
そうなったら香里が苦しむだけだからな。
だけど、この時間に私服って事は、ウチの生徒じゃないだろ?
それに、あゆなら分かってくれる気がしたからな。
だから話した」
「・・・」
あゆは黙ってうつむいている。
「・・・やっぱり」
あゆは顔を上げ、まっすぐ俺を見て笑顔を見せた。
「やっぱり、祐一君っていい人だよ」
「何でそう思う?」
「そんな気がしただけっ!」
そういうと、あゆは駆け出す。
「じゃあね、祐一君っ」
「ああ、またな!」
その晩、栞にあゆの事を聞かれた。
「連続食い逃げ犯だ」
「ええっ、本当ですかっ?」
一応真実だが、なんだか凶悪犯のように思われてしまったので
「冗談だ」
と訂正しておいた。
歯車は、
まだ正確に回っている・・・