vol.2「妹が猫になった理由(わけ)」




「…で」

とりあえずダイニングに行って朝食を食べながら考えた。

「心当たりは?」
「あったら苦労しないよ…」

沙弥は溜息をつきながらコップに残っていたオレンジジュースを飲み干した。

「何だろうなぁ…」
「なんだろうねぇ…」

予想外、というより現実離れした出来事に表現のしようもなく、
ぼーっと考えてはトーストをかじる。
天気は晴れのまま太陽が部屋を照り付け、
気温は徐々に上がっている。
鳥も相変わらず囀り続けているし、
FMに合わせてあるラジオからはジャズのナンバーが流れ、
我が家以外では何の変化もないことを感じさせる。



「ご馳走様」
「私片付けするからお兄ちゃん新聞紙取ってきてね」
「ん〜…」

頭を掻きながら玄関を開け、
郵便受けに挿された新聞を引き抜いて読みながら家に戻る。
玄関を開けたその時。

「貴司、おはよー」
「あぁ、理奈か…」



神楽理奈(かぐらりな)。
俺の隣に住んでいる、小学校の時からの幼馴染だ。
学部こそ違うが、同じ大学に通っている。
中学の時祖父母のところに行ってからも時々電話や手紙はあったが、
向こうにいた頃はその程度だった。
が、戻ってきてからは昔どおりの付き合いで、
沙弥の面倒も結構見てくれている。
一人っ子の本人曰く「こんな妹が欲しかった」そうだ。

そんな感じなのだが、
肩より長い髪をポニーテールにして、シャツにスパッツ、という健康的な格好だ。
適当にそこらにあったのを着ている俺とはえらい違いである。

「朝からそんなのだと一日中だらけちゃうよ」
「ほっとけって…理奈はどうしたんだよ」
「私はランニングだけど?
 日が昇って暑くなると辛いから今のうちにね」
「ふーん…ご苦労様だな」
「別に。慣れちゃったしね。
 じゃあね、貴司」

そう言って走り去っていた。
走って上下する体に僅かに遅れて揺れる胸が道行く老人の注目を集める。
ちなみに情報によると89だそうだが、本人に訊いたらきっと殴られるだろう。



「総理が家庭教師にしたくない一位ってなぁ…当たってるけど」

しょうもない記事から、加害者と被害者の名前が変化するだけの事件を流し読みし、
テレビとラジオ欄を眺める。
時事問題は押さえるべきなのだろうが、
変わり映えしない記事やニュースには自然と興味を奪っていく。
用を終えた新聞をテーブルに放り投げ、ただのんびりとラジオに耳を傾ける。

「何か面白い番組でもあった?」
「いや、何もない」

沙弥がエプロンを外しながら放った新聞を覗き込む。

「うーん、確かに何もないね」
「だろ?
 まぁ、適当にゲームでもやってればいいさ」
「そこに外で運動するって発想はないの?」
「あると思うか?」
「あはは…思わない」

ゲーム機を取り出した俺を見ながら、
苦笑して隣に座る。

「で、何やるの?」
「そうだな…
 ま、適当に音ゲーでも」



取り出したのはスクラッチと7個の鍵盤のついた専用コントローラー。
メーカー純正品のためちょっと高い。

「よし、と」

ゲームを起動して選曲をする。
基本的には馴れてくると高難易度の方が面白い。
トランスの曲を選びスタート。

曲が始まり、
落ちてきたオブジェに合わせ、

鍵盤を叩く。
叩く。
叩く。
スクラッチを回す。

また叩く。



「92%…か」

クリアラインは80%なのでまぁこんなものだろう。
ふと隣を見ると沙弥が固まってる。

「どうした?」
「お兄ちゃん…動きが人間じゃないよ」
「失礼なこと言うな…」
「だって…手が見えなかったよ〜」

どうやらこの手のゲームはやらない人間には人外の領域に見えるらしい。

「沙弥もやってみ」
「えっ、わたしは無理…」
「一番簡単な奴からやればいいだろ」
「う、うん…」

一番難易度の低い曲を選び、沙弥と交代する。

「ほら、このラインに来たら叩く」
「あ、うん」
「あー、それじゃなくてこっち」
「え?あっ」
「ほれ、来たぞ」
「う〜、難しいよ〜」

一曲プレイして、沙弥はへたっとした耳と尻尾で、
疲れたような表情で言った。

「わたしはもういいよ…」



そんな事をやってるうちに昼になり、
冷蔵庫の中を漁るが何もなかった。

「カップラーメン決定」
「えーっ、昨日もそうだったよ」
「何もないんだから仕方ないだろ」
「買ってくれば良いのに…」
「任せた」
「わたし、この格好じゃ外行けないよぉ」

確かに耳と尻尾をつけたままだと変な趣味か相当ファンタジーな奴だろう。



「っつっても俺はだるいしな…」
「お兄ちゃんものぐさだよ」
「面倒なものは面倒なんだ…」
「うぅ、兄妹二人っきりでカップラーメンしか食べさせてもらえない妹…
 不幸過ぎるよぉ」

そう言って涙目で俺を上目遣いで見る。
しかも御丁寧に耳はたれて尻尾は弱々しく左右に振れている。

「…だぁっ!
 わかったからそんな目で見るな!
 行くよ、行けばいいんだろうが!」
「やった♪」

どうも昔から沙弥にこういう目をされると逆らえない自分がいる。
結局言う事を聞いてしまうのが少し悲しい。

「そのかわり、お前も連行」
「うん、わかった」

嬉しそうに着替に行く沙弥。
…って外食なのか?



数分後、この間買った夏物を着た沙弥と外食が決定した。



「カップラーメンは避けてもラーメン屋さんなんだね…」
「他が良かったか?」
「ううん、わたしここのラーメン好きだから」

あはは、と沙弥は苦笑する。
客も多くなかったので少し待つとラーメンが来た。
…少し店員に変な目で見られたが。

「いただきまーす」
「あんま慌てると火傷するぞ」
「大丈夫だよ、わたし熱いの平気だもん」

そう言って沙弥は麺を啜ったのだが、

「あつっ!」
「だから言ったろ…大丈夫か?」
「う〜ん…
 なんで食べれないんだろ?
 今まで平気だったのに…」
「猫舌になったんだろ?」
「え〜っ、そんなぁ…」



残念そうに耳をたらす沙弥だったが、
諦めがついたようで麺を息で冷ましながら食べ始めた。

ふーふーと冷まして食べる様がなんとなく子供っぽくて微笑ましい。



「…お兄ちゃんなんで笑ってるの?」

沙弥は不審そうに俺を見た。

「ん…いや、別にー」

そういって沙弥の耳(猫耳の方)をぐにーっと引っ張る。

「うやっ!?
 ち、ちょっと、お兄ちゃんっ!」
「ん?」
「は、恥ずかしいんだけど…」

沙弥は顔を赤くしながら訴えた。

「面白いのにな」
「わたしで遊ばないで…」

もっともな意見だった。



俺はさっさとラーメンを食べ終え、
猫舌に苦戦しながら沙弥も食べ終えた。
勘定を払って家までのんびり歩く。

「しっかし、治るんか?コレ…」

猫耳を触りながら誰にともなく言う。

「分からないよ…
 でもくすぐったいからやめてね」
「…分かったよ」



兄妹並んで歩く。
隣を見ると尻尾を振りながら鼻歌混じりの沙弥。

…物凄く尻尾が気になるが触ると怒られそうなので見えないことにしよう。



その時。

「おおおおおおっ!?」

「な、なんだ!?」
「ふぇ?」

誰かのしわがれた叫び声に驚いて辺りを見まわすと、
道の真中で白衣を着た老人が立ち尽くしていた。

「せ、成功じゃぁぁぁ!
 苦節50年、ついに、ついに浪漫を!」

怪しい事を白昼堂々叫んでる老人に歩みより、話しかける。

「何が浪漫だ、キチガイ博士」
「キチガイと言うな!」



木違博士(きたがいひろし)。
自称天才の年齢不詳。
何かの実験をしているらしいがその内容は誰も知らない。

「で、何が成功なんだ?」
「勿論、人体にネコミミ及びシッポを生やすことに決まっとろうが!」
「ほう…なるほど。
 どうやって?」
「それはな、ジュースの中に血と涙と浪漫の結晶、
 『ロマリオールN』をこっそり混ぜておいたのじゃ!」
「ええっ、あのジュースにそんなの入ってたの!?」
「沙弥…お前」

沙弥はばつの悪そうな顔で告白する。

「ごめんなさい…貰ったの捨てちゃ悪いから飲んじゃった」
「あからさまに怪しい奴から貰ったのは捨てろ…」
「怪しいとは失礼な!」

憤慨してるキチガイを掴み尋問する。

「こ、こら、放さんか!」
「治す方法は?」
「知らん」

車道に投げた。



残念ながら撥ねられる事はなく、息を切らしながら戻ってきてしまったが。

「殺す気か!」
「当たり前だ!
 人の妹をそんな怪しい実験のサンプルにするんじゃねぇ!」
「貴様にはこの浪漫あふれる試みが分からんのか!
 世界中の漢が泣いて歓喜するようなこの試みが!」



改めてキチガイを掴み、精神統一する。



「分かるかこのボケぇぇぇぇぇぇぇ!」



全力で車道に投げた。

今度はしっかり撥ねられるのを確認してから、
ゆっくりと歩き出す。

「お、お兄ちゃん…
 撥ねられてるよ…」
「ああ、天才らしいからなんとかなるだろ」
「そう言う問題なのかな」
「そう言う問題」


 
数日後、体中に包帯を巻いて街中を歩く不審者が発見された。