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『あさ〜、あさだよ〜、朝ご飯食べて学校に行くよ〜』










 ベッドサイドの片隅から『声』が聞えてくる。のんびりとした、催眠効果もかなり高そうな『声』。
 普通なら、この『声』を聞いたら眠くなる奴の方が多いと思う。けれど、どうしてなんだろうか、高校生のころから、この『声』を目覚しに使っているからか、朝はどうにも間の抜けたこの『声』を聞かないと調子の悪い。
 実際は、目覚しを聞く前に起きてはいたのだが、今朝は早く目が覚めたせいか目覚しの声を待っていたように思う。目を閉じると、夢にまで届きそうな声が何度も繰り返される。

『あさ〜、あさだよ〜…』

 俺にとっては、とても落ちつける声だったが、いつまでも聞いている訳にもいかない。布団から腕を伸ばして目覚しのスイッチをオフにする。
 目覚しを止めて、ふと横を見る。俺の横には、声の主の女の子が眠っている。水瀬名雪、それが彼女の名前だった。昔から仲の良かった幼なじみで、従兄妹で、今は俺の恋人、と言って良いのやら。
 大学のために東京に上京。いや、俺としては帰ってきたと言った方が正しいが、その時から、一緒に住んでいる。いわゆる同棲と言うヤツだが、俺の両親も、秋子さんも基本的に寛容な人格の持ち主らしく、世間から見れば、良く理解したもんだと思う。
 まぁ、その期待を裏切るようなマネだけはしていていないつもりはある。
 とかなんとか言いながらも、ベッドの下に散らばったパジャマと下着をベッドに引きずり込んで着込むのは愛嬌というやつで、まぁ、アレだな。今日が土曜日だから、と言ったら言い訳に聞えるかもしれないが、そんなもんだろうと思う。
 いつの間に、自分は名雪にハマってしまったのだろうか、などと苦笑しながら服を着終えると毛布と布団を跳ね除けて俺は起き上がる。勿論、隣に裸の名雪が寝ているからと言って、遠慮なんてするつもりはない。最も、これくらいでこいつが起きてくれるのなら、俺もどれだけ楽になるかと思う。
 起き上がった途端に、寒さが体中に広がって震えるが、慌てて半纏を煽ってカーテンを空ける。どんよりと曇った空は灰色で、今にも雪が降りそうだった。
 なにか涼秋を誘う、灰色の空は、遠い。
 後ろでは、さむいよ〜、と寝惚けながら震える名雪がいる。結局、これくらいでは起きなかった名雪に、そっと毛布を掛け直して俺は部屋を出る。
 洗面台で顔を洗ってから、朝食の準備をするためにキッチンに入るが、痛いくらいに冷えるフローリングは、ぱっちりと目を覚まさせるほどに冷たい。転がっているスリッパをはき直すと、右と左の模様が違うことに気が付くが、良いだろうと思ってそのままにして冷蔵庫の前に立つ。朝はお腹が空くものだ。
 とりあえず冷蔵庫の扉を手に取った時、マグネットで押さえられてる一枚の俺宛の返信葉書が、不意に目に入ってくる。
 懐かしい名前がそこにはあった。高校の頃の同級生だったヤツ、折原浩平は俺が名雪の街に引っ越す前に通っていた高校の同級生で、葉書の内容は同窓会を開催するとの通知だった。
 葉書を片目に、冷蔵庫から生卵を二つ取り出して、油をひいたフライパンへ入れると、一瞬に白身が広がる。火を弱くして焦げないことを確認すると、葉書の内容を読んでみる。消印は5日前で、同窓会の日程は今日から2週間後だった。

 その後、葉書を受け取ってから、数日か経った頃、俺は折原に同窓会に参加することを伝えるために電話を入れた。一応、返信の葉書も出しては置いたが、電話番号が載っていたので思わず懐かしさでかけみただけだったのだが、少し話し込んでしまったようだ。
 数回のコールの後に出た、携帯から聞える声の、懐かしさに思わず弁が進む。
「ねぇ、祐一。そろそろ私も使いたいんだけど…」
「あっと、悪い…」
 折原との会話が長過ぎるたのか、名雪が迷惑そうな顔をしていた。
「すまん。また今度な…」
 適当に謝って携帯を切る。本当は簡単な用件だけで直ぐに携帯を切るつもりだったはずが、気が付けば一時間程も二人で話し込んでいて、名雪に声をかけられなければ、もっと話していたように思う。
 携帯を切ってから、長電話を誤魔化すように慌てて名雪に声を掛ける。
「名雪、来週の週末にちょっと出かけてくるわ」
「え、来週?大丈夫かな?」
「なんだ、なんかあるか?お前の誕生日はもう終わったろ?」
「祐一の馬鹿、そうじゃなくて、もう年末だから…」
「馬鹿はないだろう。馬鹿は…」
「家に帰るんだよ…」
「あ、そうか、もうこんな時期だったなー」
 名雪の実家はここからだと、相当北の方になるから、長い休みでもないとなかなか帰れない。
 高校を卒業した後は、俺がこっちに帰ってくることを知ってか、名雪もついてくると言い出した。俺の受ける学校のレベルはそれほど低くない。寧ろ高いくらいで、名雪の学力では到底無理だろうと思っていたが、その熱心さに討たれて、俺と香里で徹底的に勉強を教えることになった。結果は御覧の通り。
 そして彼女として俺と一緒に住んでいるのだが、。やっぱり、はめられたのかもなと、思う。
 けれど、それはそれで良いかもしれない。
「で、祐一はなにがあるの?」
「ん、高校の同窓会」
「え、私は?私は誘われなかったよ。なんで祐一だけなの?」
「馬鹿タレ。俺が引っ越す前の連中だよ。それに『あっち』の同窓会は10月にあったばかりだろうが。もう忘れたのか?」 
 これがネタなのか、それとも本気なのか、どちらともとれない名雪の言葉に苦笑しながら俺は答えた。
「あ、そうだったね。忘れてたよ」
「……とりあたま」
 俺は明後日に首を傾げながら、ボソッと言う。無論名雪も悪口だけは聞き逃さないのか、しっかりと反論してくる。
「…ねぇ、さりげなく酷いこと言ってない?」
「そうか?」
「ゆういちぃ〜」
 咎めるように名雪が言う。言い過ぎたかなと、苦笑いで誤魔化しながらも、イチゴサンデーでも奢ってやれば良いだろうと思う。相変わらず安いヤツだと我ながら思う。まぁ、そんなところも好きなんだが。などと自分に惚気ながら思いながら名雪に携帯を渡す。
「どこにかけるんだ?」
 既に番号を押し終えて、携帯を耳に当てている名雪に尋ねる。
「うん、お母さんのところだよ。祐一も一緒に帰るよね?」
「馬鹿か、飛行機のチケット取ったの俺だろうが。何言ってるんだ。当たり前だろう」
 名雪が俺の言葉に「あ、そうだった」と思い出したようにポンと相槌を打つ。
 飽きれる俺をよそに、なんとなく嬉しそうにする名雪に、頼んだぞと行ってポンポンと頭を軽く叩く。「ゆういち〜」と非難の視線を浴びるが、多分久し振りなのだろう、母娘の会話の邪魔をしては悪いと思い、手を振ってこの場から去ることにする。
「んじゃ俺、風呂の準備してくるわ」
「お母さんには祐一も一緒だって、そう言っておくね」
 そう言い残して俺は風呂場に向かう。耳をすますと、後ろでは名雪の嬉しそうな声がしていた。

 葉書を片手に、集合場所の店に向かう。地下鉄の駅から降りて、外に出ると寒さで、自分でも頬が赤らむのがわかる。街灯に霞む深い藍色の空を見ると、白いモノがちらほらと降り注いでくる。
 空を見上げると、ビルの隙間を縫うように落ちてくる雪に一瞬見惚れるが、少し遅刻してしまったことも含め、時計を気になったのがきっかけで、歩みも自然と早くなっていた。
 暫く歩くと、今日の目的の店の看板が見えて来る。数年振りに会う連中ばかりだったので、多少高揚するものがあるが、なるべく平静を装って、俺が店に入ると「遅刻だぞ!」と、片手を最初に声を掛けてきたのは折原だった。他にも貸し切りとなった店の、いろいろな場所から声がかけられる。
 辺りを見ると予想以上に結構人数が集まっていた。軽く見て22、3人はいたような気がする。俺は以前、名雪と一緒に出かけた時の、同窓会の集まりの悪さから、今回の同窓会でも、ここまで集まるとは思っていなかったことで少し驚く。それぞれに挨拶をしてから相沢の座っているテーブルに席を置く。
「悪いな。ちょっと野暮用があってさ。にしてもお前変わらないな」
 黒いロングコートを脱ぎながら、久し振りに会った友人に軽口を叩く。
「お前こそ変わってないよ。けど、本当に久し振りだな。4年振りか。いや、もっとかな」
「そっちこそ元気だったか?」
「それなりにな。けれどお前が東京に帰ってきてるなんて知らなかったよ。もっと早く教えてくれても良かったんじゃないか?」
 ほら、と、ビールをなみなみと注いだジョッキを差し出されて、俺はそれを受け取る。同席している数人と乾杯を交わしながら「…忘れてたんだよ」と、なるべく具合が悪そうに俺は言う。
「…やっぱりな。そんなことだろうと思った」
 折原がそう言った時、後ろの方から見覚えのある姿が視界に入る。そんな中で、ひっそりとした声がする。
「久し振り〜」
 声の主を、思い出して俺は後ろを振り向く。茶色いロングスカートに白いネックのセーターの女性がコートをカウンターに預けていた。月宮あゆ。違いない。その声を聞いて、鮮明に思い出せる。
 挨拶回る月宮と、一瞬だけだったが視線が重なる。御互いにぎこちなく軽く会釈をする。ふいに思い出す過去。白黒の彼女の画像が、脳裏を過る。
「お、月宮。久し振りじゃないか」
「我がクラスのヒロインご到着〜!」
「こっちこっち〜、月宮」
「あゆあゆ久し振り〜」
 様々なところから嬌声が上がる。高校生の頃もそう言えば人気があったなと思い出す。
「相沢じゃない。久し振り〜」
 ふいに別の方から声がして月宮の方から声の方へ振りかえる。
「おっ、天沢じゃないか。元気してたか?」
 高校の頃、引っ越す前の俺は取り立てて何かあると言う程でもなかった。目の前にいる折原や天沢と言った、学校内で目立つ奴らとつるんでいたくらいだったが、まぁ、そのお蔭で行事事には色々と借り出されたりと、なかなかどうして迷惑をかけらりたりはしたが、それなりに面白かったので、今となっては良かったと思う。
「ったりまえじゃない。そう言う相沢こそどうなの、元気だった?」
「まぁ、ぼちぼちってところだな」 
 大げさに肩を上げるジェスチャーをして応える。
「何、相沢おっさん臭くなってない?」
「…お前な」
 余りなことを言ってくれる天沢に、思わず席を立ちそうになるが、掻き消すような間延びした声がする。
「郁未。ちょっと来て〜」
「ほら、お呼びだぞ。行ってやれよ。『レズ友晴香』ちゃんがお待ちだ」
 あの頃と同じからかい方で、折原がのたまう。無論、天沢も睨むが、折原は我関せずで彼女を無視するように、隣に座っている奴と一緒になって笑っている。
「折原!後で覚えおきなさい!あ、相沢も後でね。あ、晴香、今行く〜」
 嵐のように来て、去って行く天沢の後姿を見て、変わらないなと俺も笑いを漏らす。高校の頃に戻ったような感覚はない。なんだかんだ言っても時間は流れている。それに、今更懐かしむなんて恥ずかしいかもしれないと思う。実際は、酒のお陰かそれほどでもないのだが。
 そんな風に、いつも以上に美味しいアルコールを飲んでいる俺の視線の先には、沢山の同級生の中で月宮が笑っていた。

 2時間も経った頃だろうか、折原と俺は少し後ろの方の席に下がって二人で飲んでいた。
「野郎と二人で飲んでも美味くないな」
 俺が言う。
「お前ね、その台詞そっくりそのままお前に返してやる」
 折原が返す。あの頃と変わらない。少しだけ出来過ぎている時間だったが、満足出きる時間だった。
「それにしても今日は珍客万来だな。お前も月宮にしてもな…」
 折原が呟く。
「そうなのか?」
「お前らだけさ、なかなか連絡が付かなかったんだよ」
「ふ〜ん。それにしても相変わらずお堅い格好してるよな、あいつも…」
 連絡を忘れていたわけではないが、なんとなく、気不味い感触を誤魔化そうと、折原にはぶっきらぼうにいうが、みんな、いや何故か月宮との再会の嬉しさは隠せなかった。
 話しかける間を持てるようなことはなかったが、相変わらず一瞬にしてその場の空気を変えてしまえるほどの存在感を持っているように思える。彼女の回りは、いつだって輝いていたかのように。
「それにしても、月宮の奴、高校の時以上にまた美人になったな」
 ボールに盛りつけられた野菜を口に放りながら、何気なく言っただろう折原の言葉に、俺は一瞬ドキリとする。
「そうか?変わらんと思うがなぁ〜」
「馬鹿。お前彼女がいるからだよ。俺にはわかる。美人になったよ。うん」
「…なに言ってるんだか。折原だって長森先輩がいんだろう?なんだよ、別れたのか?」
 なんとかして月宮の会話を逸らしたくて、思い出したように、いつだってヤツが苦手にしていた話を振る。
「それとこれとは話しは違う!それに俺と瑞佳は…」
 消え入るような語尾に免じて、これ以上は虐めるのを止めようと俺は、
「冗談だよ」
 と折原に言う。
「…相沢。調子に乗るなよ、こう見えても俺の方が一応"先輩"なんだからな」
「一応、だろ?"同級生"じゃないか」
 肩に力を入れる必要のない会話は久し振りで、頭の片隅に残っていた何かを一時的に忘れ去らせるためには丁度良かったが、視線が余った時には、何故か俺の目は月宮を追っていた。それをまた、折原などに見咎められて何かといちいち五月蝿かったが、あの頃に比べてそれほどいらいらすることもなくなった。
「にしても、ホントに早いモンだよな」
 折原が唐突に言う。既に回りではビールを飲むのを止めて、ちらほらとウィスキーやバーボンなどの、自分の嗜好にあった酒を飲み始める頃になってきている。そんな時の折原の言葉はどこか遠くを眺めているようで印象的だった。
「なんだよ。藪から棒に…。お前ってそんなに年とってたっけ?一個しか違わないと思うんだがおっさん臭いぞ。天沢じゃないけどさ…」
「ん、ほら、二年の終わりにお前が北海道に行っちまってさ、それで立て続けに月宮も何か『用事』とかで、三年になってから引っ越したんだけど、お前連絡を受けたりしなかったのか?」
「いや、知らなかった。そうだったのか?って、なんで俺に聞くんだよ」
 俺が越してからのことに興味はあった。だが、それだって最早過去で、一切の連絡を断ってからは、こちらのことは何一つ俺は知らない。だから折原の言葉には少し驚く。
「いやさ、月宮と相沢って…いや、やめとこう」
「んだよ。途中で止めんのか?ったく、お前こそ相変わらずじゃないか」
「そう言う意味で止めたんじゃないよ。ほら、最初にも言ったけどさ、月宮もお前も今日が初めての参加だったからさ。それに結構良い感じだったろ?あの頃さ。…ってことで勘繰ったわけ」
「勘繰ったって、別にそういうのじゃ…」
「だろ、だから止めたんだよ。でも、本当に今日ほど珍しい客も来たもんだ…」
 月宮とのことを誤魔化しすような折原の言葉は、あの頃と変わらず相変わらずだった。
 それにしても、こっちに来てから、それほど気の会う友人はなかなか会えずにいたせいもあって、折原との会話は弾む。今まで会わなかったのが不思議なくらいだった。
「…結構集まってるのか?」
「あぁ、今年でもう4回目かな?それにお前と月宮だろ?越した奴が二人も来たからな…。だから珍客」
 グラスに注がれたオンザロックを飲み干して、
「次は来るんだろ?」と聞いてくる。
「気が向いたらな」
 俺も同じように冷酒を舐めながら答える。
「俺が引っ張り出してやる。ついでにお前の彼女も見せて貰うさ」
「ばーか」
 と、俺の声が、グラスの反響で遠く感じる。

 そろそろお開きの時間も経ったのか、回りでは新参者である、月宮が周りの連中と携帯の番号を交換するのに忙しそうだった。俺も御多分に盛れず、今日だけで7、8個は増えたようだ。
 既に、レジの方では会計も済ませたようで、何人かは酔いを覚ますために先に外に出ている。俺や天沢など、後続もぞろぞろと店を出ると、これから2次会に行く連中が集まり出している。店の外は相変わらず寒かったが、風も強くなく、入る前に降りだした雪も強くはなっていたが、少なからず暖か味を出していた。
「おい、相沢も来るんだろ?」
 折原が後ろから声をかけてきた。
 明日は休日だが、溜まったレポートを提出。その後は名雪に付き合わなければいけなかったので、それほど無理はできない。
 結局、俺は二次会に参加することを断ることにする。
「いや、遠慮しとくわ。ちょっとな…」
「なんだ、何かあるのか?」
 小指を立てて笑う折原に違うよと言ってから、小突いてやろうと思った時、
「え〜、相沢こないの〜?付き合い悪〜い」
 と、後ろの方から少しアルコールに回った感じがする天沢が飛びか掛かって来る。
「お前みたいに暇じゃないの!おい、巳間とロリはどこだ!?おい!保護者共!可愛い娘が暴れてるぞ〜」
「ぶ〜。あいざわ〜」
 べたべたとくっついてくる天沢を剥がしながら、巳間と名倉を呼ぶ。まぁ、いつも暴走し勝ちな天沢のストッパー。わがクラスの名物トリオの揃い踏み。
「ゴメンね、相沢君。郁未ってば弱いくせに飲みたがるから…。はぁ〜」
「もう少し自重して欲しいです」
「大変だな、お前らも…」
 と、巳間と名倉に言う。
「ほら貧乳、手伝って」
「貧乳は酷いですよ!私だって成長してるんですから!」
「そんなのは後。郁未を持ってよ」
「誤魔化さないで下さい!」
 馴れてるからと言って、漫才をしながら巳間と名倉に引っ張られて行く天沢の姿に、俺と折原は顔を合わせて苦笑するしかなかった。

「じゃあな」
「よっ、妻帯者!」
「色男!」
「新婚さぁ〜ん!」
「私も彼氏欲しいよぉ〜」
 確実に酔って、ろれつの回っていないやっかみなど、色々と罵声染みた声をかけられる。折原に名雪と同棲していることを言ったのが間違いだったと気付くが遅過ぎたようだ。
 明日が休日だけあって、途中で帰らなかった20人程が残った中でも、二次会に向かう連中が殆どだった。結局参加しないことにしたのは俺以外には、明日仕事が残っている連中くらいなもので、二次会の店へ向かう途中、別方向の地下鉄の駅に向かうために、俺は連中と別れることになる。
「じゃあ、またな」
「おう、また今度携帯にでも入れるわ」
 最後に、相沢へ声をかけてから、逆方向を向かおうと思った時、傘でも持っていれば良かったと思う程に降り出した雪を、東京の街の光で照らされぬ程に深い暗闇から降り注ぐ白を、俺は見上げる。明日は積るかもしれないと、そう思った。
 立ち止まるや否や、勢いに任せて振り積る雪を払って、急いで駅まで続く地下道を目指そうと思った時、後ろから声をかけられる。
「相沢君。ちょっと待って」
 月宮あゆ。彼女だった。
「良かったら、傘、入って行く?」
 モスグリーンで、夜の街並みに融け込みそうなセミロングのコートを羽織った彼女が、赤色の傘をさしていた。そんな彼女の姿に思わず声が出なかった。息を呑んでしまったのが自分でもわかる。
「あ、あぁ。悪いな」
 俺はどもった声で彼女に答える。
「良いよ。別にそんなこと。多分同じ駅だと思うから」
 はいと言って、俺に傘を差し出す。俺に持てと言うことなのだろう。そう受け止めた俺は傘を受け取って、月宮を隣に雪の降る中を歩く。今、この時間はそれほど遅い時間でもないし週末だったが、雪のせいか歩き行く人の姿は疎ら(まばら)だった。
 口数も少なく、駅の入り口へ向かうまで二人で並んで歩く。
「ねぇ、相沢君…」
「あ?何?」
 きっかけとなる会話が見付からず、なんとなく気まずい雰囲気の中で、最初に声を出したのは月宮だった。
「なんか、前にもあったよね。こんなの?」
 名雪より少し背の小さな月宮が、上目遣いで俺に言った。
「あったっけ?」
「ぐっ…相沢君って相変わらずだね」
「なんだよ、そりゃ?で、何のこと。悪い、覚えてないわ」
「ほら、文化祭の準備で遅くまで残って、それで一緒に帰ったでしょ?似てない?今と…」
 そう言えばそんなこともあったなと、古い記憶の倉庫から当時の記憶を引っ張り出す。
「あの時のことか…」
「思い出した?」
「あぁ、月宮が転んで膝を擦りむいて、俺が負ぶった矢先に雨が降り出して…。余り思い出したくなかったな」
「もう、言わなくたって良いでしょ?ホンっと、意地悪なんだから…」
「悪気はしっかりあるから恨んでくれても構わないぞ」
 自分でも、解った。俺は今、隣にいる月宮に対して相当の意識を向けていた。恥ずかしいような、高校生の頃の、あの頃のようなそんな気持ちが俺にあったかと聞かれれば、それに対してNOと言いきれないことは確かだった。
 今、それに類する気持ちが浮かぶのは過去の残り香がくすぶっているからだろうか。冷静な部分での俺には理解できた。あの頃も、今も、本当の意味で、俺は月宮を見れていないだろう。
「でもあの時の相沢君、何か言おうとしてたでしょ?私を負んぶしながら」
「…そうか?あったっけ?重かったってことしか覚えてない」
「もう、相沢君ったら」
 あの時、多分俺の言おうとしたこと。それはきっと告白だろう。しっかりと覚えている。結局、見ることはできなかったはずだ。
「…私の勘違いだったのかな。やっぱり」
「多分そうだろう。いつだってお前は早とちりしてもんな」
 嘘を言っているのは自分でもしっかりとわかる。あの頃のことだ。今更蒸し返したって何の特にもならないし、笑い話にもならないだろうから。
「…そうだね。相沢君がそう言うなら、間違いないよ」
 そう言った月宮の顔は、少し寂しそうだった。

 月宮の傘を持ちながら、結構な時間が経った。あれから言葉を交わすこともなく、いつしか目的の駅について、俺も月宮も地下鉄の切符を買っていた。
 自動改札を潜って、ホームに向かう。御互いに逆の方向に向かうことになるが、ホームは同じだった。ホームに向かう階段を降りながら、何かを言おうと思うが、中々上手い言葉が見付からない。今更取り繕ってなんの意味もないことも知っているからだろうか。
 ホームに降りると、それぞれの上り下りの列車時間を示す電光が教えていた。どうやら俺の方向へ向かう列車は間もなくくるようだった。
「ねぇ、相沢君」
「え?」
 月宮に声をかけられる。間抜な声で返す俺に異も返さずに月宮は続ける。
「傘、貸して上げるね」
「お前はどうすんだよ…」
「私は駅に近いから大丈夫だよ」
「…じゃあ、借りるけど…」
「ちゃんと返してよね」
「わかってるよ」
 会話が戻って来る頃、構内放送と共に列車がホームに入って来る。扉が開いて車内に入る時、何か声をかけないと、と再び思う。
「なぁ、月宮」
「なに?」
「いや、何でもない」
「ふふっ」
「何だよ…」
「うんん、相沢君らしいなって思って。ねぇ、また会えないかな?」
「え?」
「約束だよ。電話する」
 月宮の言葉の途中で列車の扉が閉まる。声をかようにもそんなことが出来る訳もなく、俺の乗っている列車が発車するのと同時に対向ホームには列車が入って行く。
 言葉にならない何かが引っ掛かるのを感じながらも、俺は客の少ないシートに腰を下ろした。
 車内には次に停まる駅の名前が響いていた。

 隣では相変わらず名雪が眠っている。
 叩いたり抓ったりしたくらいでは多分起きないだろう。熟眠というやつだ。
 幸い、今は大学も休みで、起こす必要もないから、俺はそっとベッドから降りる。するとく〜とお腹が鳴ると、何故か間抜なタイミングで名雪が寝言を呟く。
「う〜、お腹すいたお〜」
「…はぁ〜」
 頭を抱えながらも、俺はコンビニのビニール袋を漁って買い置きの菓子パンの封を開ける。我ながら淋しい朝食だなと思いながらも背に腹は変えられない。
 喉が乾いてコーヒーでも淹れようと立ち上がったら朝のニュースの時間。
 お決まりのテーマソングに、いつも通りの朝。
 ナニも変わらない。
 ふいに、月宮を思い出した。
 携帯の番号は控えてある。
 電話をしようか、しまいか、少し迷う。
 ふいに、電話をしようかと思って、財布の中に挟んだままの、電話番号を記したメモを手に取る。
 けれど、俺は電話をするのは止めて置いた。
 どうしてか、電話をすることが"なにか"から、逃げるように思えて。