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勇気と創造! 以下をリスペクトします。













MODS MAYDAY '89(19/MAY)@ INK STICK SHIBAURA
※現在も大活躍されています。

−バンド− ザ・ヘア


 ブルース・スプリングスティーンはアメリカを代表する世界的なロッカーですが、ちょっとユニークな表情をしていると思いませんか? なんだか彼は、遠い目をしている。その哲学者然とした風貌の中には(一ファンの目でみると)哀切があります。卑近にいえば、いったい何をかんがえているんだか、ぼうっとした感じの表情ですね。彼の自伝によれば、スプリングスティーンは、少年時代、成績不良で進級できず、2年留年したそうで、まわりからは低脳児とおもわれていた。あるとき、スプリングスティーンが教室の椅子に座っていると、同じクラスの、つまり2年下の男の子が近づいてきて、いきなりスプリングスティーンに、パシーン! 猛烈な平手打ちを食らわせたそうだ。少年がどうしてスプリングスティーンに暴行を加えたのか、この理由は忘れてしまったのですが、たしかスプリングスティーンはこんな風に書いてた。「座っているおれの目より小さい少年にいきなり思い切りなぐられて、おれはただただアッケにとられていた……」。スプリングスティーンの目に、哀切だけじゃない、ある種の執念をみるようになったのは、この描写を読んでからです。彼の「ポカン」とした表情は好ましい。彼の曲は、一ファンの心をうつ。

 キース・リチャーズの「ポカン」も負けていない、とおもう。キース・リチャーズという人は(一フリークの目でみて)世界一のロックバンド、「ローリングストーンズ」のギタリストなのですが、そして40年近くチャックベリーのギターをモノにしようと研鑽を積んできたのですが、驚くべきことにまだモノにできていないようだ。映画「ヘイルヘイルロックンロール」では、師匠チャックの叱責を受け続けます。「だめだめ、そうじゃない。こうだろ」とチャックは実演してみせ、(あなたのギターとおれのギターはうりふたつのはずだが)キース、いっしょうけんめい真似して弾き直すのだがなんべんトライしてもNGの連続で、「キース、そうじゃない!」チャックはまるで容赦ないのだ。チャックの己の職業に対するこだわりには実にほれぼれさせられるのだけれども、やっぱり叱責直後のキースは、これはちょっと輝いてた。(40年間、あなたを真似しつづけてきたというのに、いったいこれはどうしたことだ?)キースのポカンとした表情は、まさに「ポカン」であり、「ポカン」以外の表現はない。キースの「ポカン」も好ましい。というより愛おしい。可憐(かれん)そのもの、です。

 ローリングストーンズの東京公演は計8回(といってもその内7回は警備員として)観たのですが、キースだけは8回通して変わらぬハイテンションを保ちつづけ(プロならあたりまえのことでしょうが)、そのハッスルぶりは端的にバックコーラスでいかんなく表現されていました。あの雌鳥の首をしめたような絶叫は、まったく健在だった。ひとり、バンドの和を乱す彼の金切り声に、ある種の執念を聴いたファンは、少なからずいたことでしょう。

 1960年後期、ロンドンのクラブでキース(バリンバリンに調子にのってる頃ですね)が酒を飲んでいると、ボブ・ディラン(フォークロックの第一人者。こちらもバリンバリンに売り出し中ですね)がツカツカと近づいてきて、いきなり
「おまえにライクアローリングストーンのような曲が書けるか? おまえには書けない。おれはな、サティスファクションなんか楽勝で書けるぜ。おれはどっちも書けるぜ!」
とキースに向かって指を突きだして大声で叫び、叫んだ後たちまちその場を去ったという。ディランの意味不明の言動は、どうかんがえても意味不明であり、ディランはそれだけ精神的に追いつめられていたということなのだろうが、度を失ったのはキースの方で(まぁ目の前でそんな珍事が起これば当然ですが)、ある雑誌でこんな風に回想してた。「ボブ・ディランは変な男だった。おれはその時、何が起こったのかよく理解できなかった。しばらくアッケにとられていた……」。これがミック・ジャガー(ローリングストーンズのボーカル)であれば落ち着いてしかも即座に「じゃあおまえはおれたちのようなライブパフォーマンスができるのか?」と逆ねじを食らわしたかもしれない。もっともミック・ジャガーのボーカル、ダンスは比類のないものだからそんな強い言い方をする必要もなかったにちがいないが……。しかしミックはそうであっても、キースの方は、

(いったいおれに唯一無二のものがあるのかな? 雌鳥のようなバックコーラスはユニークたりえるかな?)後日、あらためてポカンとしたようにおもえてならない。
 ただキースには、娘に対する本物の愛情があるんじゃないか(一ファンの偏った目でみてだけどね)
 あるラジオの伝えるところによれば、
「キース・リチャーズ氏は、昼食時、愛娘の何とかさんが口にモノを含んでしゃべっていたところ、いきなり平手打ちを食わせ、ちゃんと食ってから話せ! と彼女に食事中のマナーを説いたそうです」。父と娘の間に、一瞬、実に間の悪い空気が流れたことは容易に想像できた。このニュースを聞いてから、娘も含めてリチャーズ一家全員が心から好きになった。

 「ザ・ヘア」というバンドには、まったく魅了された。
「ヘア」の面々には、スプリングスティーンやキースと同質の何かをおぼえさせられた


 ヘアは凄かった。
 裂帛(れっぱく)の気合いがあった。
 一瞬の間の後、耳をつんざくような大音響の中に。








−人− 小池重明


 真剣師というのは「賭け将棋」で食べている人たちのことです。将棋で食っているといっても、羽生、谷川、中原といった日本将棋連盟に属しているプロとは違います(プロは大手新聞社と契約した日本将棋連盟から新聞への棋譜掲載料として給料をもらいます)。真剣師は定収入がありません。だからプロかアマかというとアマですが、アマとの賭け将棋で金を得るので、正確にはセミプロというのが正しい。裏世界の生業なので、一種のヤクザ稼業といえるでしょう。
 故、小池重明という人は、1970年から1980年まで(90年初め頃44歳で病死)無類の強さを誇った真剣師で「新宿の殺し屋」なる異名をつけられていました。NHKのドラマ「二人っ子」で出てきたおじいさんは今も大阪の通天閣道場の師範をしている太田学氏(当年70歳過ぎ)という人がモデルですが、小池氏は彼の次の世代の真剣師になるようです)

 80年代終わり頃、新宿の歌舞伎町にあった将棋居酒屋「天狗道場」には、全国中から腕に覚えのある真剣師、アマ強豪、および若干のプロが集まり、夜な夜な賭け将棋にこうじていたのだが、小池さんは「天狗道場」の牢名主的な存在であって、負けたところを一度もみたことがない。小池将棋は本当にユニークで、初めてみた時、仰天した。まず序盤がメチャクチャで(ある程度の人がみたら必ず勝てるなと思わせるほど)、が、中盤からプロをもしのぐ強さが出始め、終盤は鬼のような強さで一気に逆転勝ちをしてしまう(将棋は序盤に出遅れるとまず勝てない、というのが常識で、羽生5冠王をして「小池将棋の不思議さはプロからみても説明できない。ただその得体のしれない強さは江戸時代中期の将棋の力強さをおもわせる」と論評させた)。
 小池重明は将棋の天才だった。

  小池さんの勝負にかける気迫は、鬼気迫るものがあった。観戦しているだけで体に戦慄の走ることがたびたびあった(誇張でなく)。

 小池さんの追っかけ(といっても女性は皆無だったが)はかなりいたのではないか。左の小説は、日本のSM作家の第一人者、89年より断筆宣言されていた団鬼六先生(将棋4段。本で読む限り小池さんのスポンサーをされていたようです)が、小池重明の死に際し、彼の生涯を書き留めることを決意、渾身の力で執筆された傑作です。小池重明の私生活はまったく知らなかった。もうメチャクチャだ。こんな不幸な人生は、送りたくない。ギャンブルに興味のある人は必読、おもしろい。

 以下は帯文より抜粋

 ■真剣師 小池重明とはこんな男だった━━
・賭け将棋にめっぽう強く、”新宿の殺し屋””プロキラー”とも呼ばれた。
・連続二期アマ名人となり、特例でプロ棋界入りの話も出たが、寸借詐欺事件を起こし、アマ・プロ棋界から追放された。
・女性関係にだらしなく、人妻との駆け落ち歴も三回。
・葬儀屋、運転手、土方家業など職を転々とし、放浪癖と逃避癖は生涯抜けることがなかった。
・子どものころは貧民窟とバクチ場のなかで育った。

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