
本番は「ワイヤー」と呼ばれる競馬詐欺だ。

詐欺界の顔役ゴンド−フ
(ポール・ニューマン)

マフィアのドン・ロネガン
(ロバート・ショー)

修行中の詐欺師フッカー
(ロバート・レッドフォード)
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−映画− 「スティング」 (1973)
監督 ジョージ・ロイ・ヒル 脚本 デビット・S・ワード
原作 ロバート・ウィーバーカ
今春公開された映画「アンブレイカブル」の脚本料は、6億円! 映画史上、最高額が出た。
6億円、と脚本料レコードがぬりかえられたわけだが、「アンブレイカブル」のシナリオに果たしてそれだけの価値があるのかな、大いに疑問だ。
6億円のシナリオを書いたのは、ナイト・シャマラン監督。
監督と脚本のダブルワークをこなした。シャマラン監督は、前作「シックス・センス」のブレイクでのしあがった才人だ。
「もしこの映画がヒットしたなら、私はスピルバーグのように何をすればヒットするかが分かった」とプレスで豪語した。(なんて傲慢。ナックの、「ビートルズを超えた」発言をほうふつとさせるじゃないか)。
「シックス・センス」「アンブレイカブル」の2作をみておもったのは、シャマラン監督の資質というのはストーリーテリングではなく映像センスだろう、ということ(特に色彩の使い方だ)。
ところがシャマラン監督いわく「私の発想に6億円は安い。私の”ドンデン返し”は世界一である」
まったく納得いかない。
納得できるのは、両作とも「うまくいっていない夫婦」がストーリーの軸になっているところだ。現在、シャマラン監督のプライベートはボロボロだという。主演のブルース・ウイルスも奥さんに逃げられて、夜な夜な、ニュヨーク市街を徘徊しているらしい(類は友を呼ぶで、いわば絶妙のコンビ。ゲスな見方で恥ずかしい限りだが、まぁ二人の悲鳴が聞こえなくもない、秀作になった道理だ)。
元ひょうきん族のアナウンサー長野トモコ氏は「ニューヨーク在中のエッセイ」で以下のように書いていた。
「わたしはウイルスが深夜のホットドッグ屋でお姉ちゃんに一蹴されているところを目撃した。逆ナンしようと決心するまでに時間がかかってしまい……」
長野氏によれば、ニューヨーク在中の女性はキャリア指向の強い女が多く、路上ナンパは至難。といって出会いも少なく、ニュヨークは若いシングルであふれかえっている。スター俳優のウイルスでさえ、次の女をつくるのが大変なのだ、という。(脱線してしまったが、実にすがすがしい話じゃないか。おれは心洗われたね〜)
で、シャマラン監督6億円。
言うまでもなくおれは門外漢。納得いかねぇ、納豆食いてぇ、などと日々さわやかな思いで壁にむかってひとりごち、相も変わらぬ30年来のボンクラ生活を送っているわけだが、「シャマラン6億」は、ハリウッドシナリオライターたちの激怒を買った。彼らは、生活がかかってる。一大闘争に発展した。
去年後半から今年にかけて(2000年冬〜2001春)にかけて、ハリウッド作品のラッシュが相次いだのを不審にかんじていたが、以下のニュースを知って納得した。
ハリウッドは今、ストの危機が高まっているんだって。
ストが現実化すれば、2001年5月以降、映画、テレビ、CMの制作がすべてストップしてしまう。それで、それで映画会社はストを見込んで、去年後半から、作りだめを始めたという次第(ロス市内のロケ許可件数は2倍にはねあがり、今、ライター、監督、俳優、みんな大忙しなのだそうだ)。
今、対立しているのは、
”ハリウッド脚本家組合(シナリオライター1万1千人)”
VS
”ハリウッドプロデューサー同盟(監督、作家および会社幹部)”。
ニュースをみる限り、深刻みたい。88年には実際ストに突入し、22週間にわたって大混乱が続いたし、最近だと98年、”CM俳優組合”VS”プロデューサー同盟”で決裂、半年間ハリウッドでのCM制作が凍結した。
事を起こした”ハリウッド脚本家組合”の言い分は、簡単に言うと「おれたち、わたしたちをなめるな」だ。彼らは、主に3点の改善を主張している。
1.興業収益の配当アップ(監督、俳優、作家のベースダウン)
2.撮影現場、編集作業への介入
3.作品のクレジット権保証
金じゃない。金もそうだが、「不当に軽んじられている」シナリオライターたちの名誉をかけた闘いだ。「小僧に6億? ふざけるな」というわけだ。
”プロデューサー同盟”の言い分はまだよくわからない。ただ、5月1日(脚本家組合との契約更新日)が終わると、7月1日、今度は必ずモメる”俳優組合”との交渉が待っているから絶対下手はうてない、といったところか。
言えるのは、どちらも金だけの問題ではなく、己の職業に対するプライドがかかっている、というところだ。これは根深い。双方「絶対退かねぇぞ」と腹を固めているのはまちがいない。ストが現実化すると、ロス経済に一週間あたり300億円の損失が出ると試算されている。が、そんなものは問題ではないのだろう。こっちも打撃を受けるが、それ以上に相手に打撃を与えたい。「死なばもろとも」の姿勢である。
生活より自尊心をとりたい。これが彼らの”ジェントルマン”というものか(大リーグのアレでもわかる通り、やると言ったら必ずやるし、アメリカ社会の闘争ってのはしょっちゅう泥沼化するね)。
が、ストでいちばん打撃を受けるのは、上記2グループではない。ハリウッド映画産業に関わる雇用者27万人のうち70%を占める大道具、メーキャップといった裏方の人たちだ。でも彼らの組合はないんだな。なんで団結しないのかな。不思議だよ。余談だけど。
海外配給のライセンスを持っている会社(ユニバーサルとか)で、スピルバーグ、パチーノといった一線級の人たちで制作された場合、関係者へのペイはどういった配当になるのか?
ここ30年でみて(原作者および音楽家は特別契約なので除外する)、監督、俳優、ライターに配分される割合は、通常、4:3:2(つまりライターのサラリーは監督の半分なのだ)。
プロの監督、俳優、シナリオライターというのは、原作者の描いたそれとは別に、それぞれの立場でオリジナルの世界を創っている人たちだ。各々、譲れない。自分の領分に賭けてる。これが自分の生きてる証、といってもぜんぜん大げさじゃなくて、だからハリウッド映画産業━━ひとつの世界の中で、実力ではなく、職業によって明確なランクづけがなされているのは、たまんない気がする(まぁこれは意味のない感情論ですが)。
A級の俳優、シナリオライターは、まず監督の仕事もこなせる。一様に監督業に転向しようとするのは、だから、特にハリウッドの中では、自然な気がする。
本作の脚本を書いたワードが、まさにこの口といえる。
ワードは、ウィーバーカの原作を至高の映像言語に創り変えた。これに全精力を傾けたんだろう、書いている途中から他人を介入させるのがいやになった。で、自分が監督をやろう、と決意。おれがやるのだ、と興奮のあまり目がみえなくなり、自分だけでそう勝手に決めてしまった。夢うつつで勝手に俳優を選び、会社に企画をもちこんだところ、ポール・ニューマン「断る!」、ロバート・レッドフォード「断る!」、主役二人から「ワードなんか知らない。おれたちは監督ジョージ・ロイ・ヒルじゃなきゃ出演しない」一蹴された。
ヒル、ニューマン、レッドフォードは、前作「明日に向かって撃て!」の黄金トリオだった、「おれたち男のロマンだからさ。ウフフフ」がっちり結束していたんだな。
個人的に言えば、頭にきた。ワード(知らない人だけど)も言ってやりゃよかったんだ。「こっちこそ断る! おれはおれのやり方でやるからよ」と。
スタンドプレイが通るのは、もちろん、超A級の人たちだけである。
我を通して陽の目をみないのと、妥協して喝采されるのとどっちがいいか?(どっちもイヤに決まってる)
本作はアカデミー脚本賞をとったが、ロイ・ヒル監督に大幅に書き換えられた。本作関係者でもっとも胃が痛んだ人は、ワードだとおもう。
73年は、アクション俳優の雄、スティーブ・マックイーンが昇りつめ、ちょうどニューマンと横一列に並んだ格好の頃だ。弟分のレッドフォードはもとより、演技派の新星パチーノ、カーンの次世代も追ってきて、第一人者のニューマンもさすがにウカウカできない。
ニューマン、ワードの書いた脚本を読んで、
「これはレッドフォードのために書かれたシナリオじゃねぇか。それにおれは軟弱男一代だぞ。書き直してこい」
と(ワードじゃなく)ヒルに台本を叩き返した。そんな有名なエピソードが残っている。
ヒル監督は大急ぎで、彼のゴンドーフ役を粗野で屈強な男の設定から、ニューマンの希望に合わせて、腕力よりも知力のある、心配性の男に書き直し、登場シーンも増やした。(となるとレッドフォードも書き直しを要求「おれには暴力シーンをたっぷり入れてくれ」。(前職が作家の準主役)ロバート・ショーも「おれは演技派だから」ヒルの許可なくシナリオを書き直してきて)ヒル監督がムカつきにムカついたのは、まちがいない。
ヒルの胃も、ワードほどじゃないにせよ、相当キリキリしたんじゃないか。というより、各々がいっぱいいっぱい。「スティング」の関係者全員、キリキリしていたのだろう。(今わかったんだが、キリキリが好きだ。他人の胃の、けいれん一歩手前のキリキリが。こう何というか、ときめく)
結論。シャマランの6億中5億は没収、「スティング」チームに分配したい。これがフェアというものだ。

<作品概要>
舞台は三十年代アメリカ。詐欺師三人組がカモったのは、ヤクザ組織をバックにした運び屋だった。すぐさま殺害された師匠の復讐に、弟子フッカーは、詐欺界の顔役ゴンドーフをたよって、詐欺師流のオトシマエを企てる。
音楽は、スコット・ジョプリン。
アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、編曲賞ほか7部門
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★二転三転する驚愕の展開、ラストシーンの鮮やかさ
”ドンデン返し”は、エンターテイメントの華だ。本作「スティング」は、”ドンデン返し”だ。”ドンデン返し”で、これより鮮烈な作品を知らない。
「スティング」は、エンターテイメントの最高峰だ。
タイトルの「スティング」は俗語で「だます、ひっかける、トドメを刺す」の意。主人公フッカーは、ヤクザ、殺し屋、所轄警察、連邦捜査局に追われ、仲間さえも信用できない。いったいだれがスティンガーなのか? 視聴者は皆目わからず、伏線が一気に収束する大団円までスリリングに疾走するストーリー。おれなど、最初みたとき、伏線どころか全ストーリー見失った。み終わって、家族の者にいちから説明してもらった記憶がある。(「今の人はなになに?」質問したら即答、それ以外は完全な沈黙を保っている自分専属の映画弁士が隣にいたらいいな、ってよくおもう)
★「ゴッドファーザー」と対極、軽妙かつ優雅な演出
三十年代のアメリカは、悪名高い禁酒法時代。つまり不況、動乱、マフィア全盛期だ。
「スティング」は、「ゴッドファーザー」とほぼ同時期の設定になっている。「ゴッドファーザー」の舞台はニューヨークだったが、本作のはアル・カポネで有名なシカゴだ。
本作はギャング映画でありながら暴力シーンがほとんどない。渋い色使いの絵とタイトルがペラ〜リとめくられ、役者たちがコミカルに動き出す。全編、紙芝居をみているような優雅さだ。(唯一の殺人シーンまでファンタジックに創られている)
スコット・ジョプリンは”ラグタイムの父と呼ばれる人物で20世紀の初頭に活躍した黒人ピアニスト”とライナーに書いてあるんだけどよく知らない。本作の「エンターテイナー」と「メイプルリーフ・ラグ」が、スコット・ジョプリンの代表曲。
ラグタイムジャズというのは、黒人の音楽としては珍しくほとんどアドリブの無い、楽譜に忠実な音楽で基本的にはピアノソロのスタイルで演奏されるジャズみたい。デパートの中にいる感じ。
リアリティの「ゴッドファーザー」、ファンタジーの「スティング」と、配役、背景、ファッション、音楽まで、みごとに対照的だ。
ヒル・チームVSコッポラ・ファミリーの、5年にまたがるコンセプト対決、彼らの執念がハリウッドを加速させた。「スティング」は、前年度の「ゴッドファーザー」を撃つクロスカウンターになった。
★チンピラの意気、生粋のモッドシネマ
個人的に、本作は生粋のモッドシネマだとおもうんだ。暴力には暴力を、ではなく、暴力には詐欺。そんなところがモッズ的、オシャレだ。もちろんファッションも凝っていて、レッドフォード演ずるフッカーの有頂天ぶりは、「さら青」のジミーとトントンである。メンズスーツは、サーティーズとシックスティーズがもっとも幅がある(と、友人の服職人が言ってた)。ただサーティーズは、体格がよくないと似合わないんだって。貧弱な体型の男は、モッズがアイビーがオススメとのこと。(おれは各々好きなモノを着るべきだ、とかんがえる)
「服飾に賭ける情熱」と「ウワッツラの愛国心」は、どの国を問わず、チンピラたちの「最後の砦」だ。半人前の男にとって、虚勢は命。いかに自分を大きくみせるか、ね。たしかにバカバカしいことだよ、でもバカバカしくても大事なことなんだ、これは。
クジャクのように着飾ると、この世の憂さを一挙に払拭することができる(特にエンジのピンストライプだ。フッカーばりのジャケットは、得体のしれない勇気を与えてくれる)。何様気取りを超えて何様。これは、いってみりゃシークレットブーツなんだ。いや、チンケなブーツなんかじゃない。胃のフルエだ。内蔵の共鳴。己を鼓舞して、行動したい。レッドフォードのコンビウイングチップは、ロウ漬けワックスがけ、いつか部屋の中に飾りたい。
(2001.4.6記)
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