
※写真は、昭和35(1960)年、世田谷の自宅で。この姿勢で(当時は不治の病とされた)脊椎カリエスが治った。
詳細は安岡章太郎をごらんください。 |
−人− 安岡章太郎(作家)
人間っていうのは、ほんとにすばらしいんだ。
以下は、野間文芸賞受賞作品「僕の昭和史」(著 安岡章太郎)より抜粋
無論、書けるものなら長編を書きたかった。しかし、それは才能の点だけでなく、体力からいっても無理だった。僕は、腹這いになって胸にマクラをあて、枕元の原稿用紙に向かって書くのだが、そんな姿勢は苦しいので、ほんの一、二行書いては、仰向けになって休まなければならなかった。そんなだから、一日に四百字詰原稿用紙に一枚書くのがやっとで、どうかとすると一日じゅう原稿用紙を横目で眺めながら一行も書けないこともあった。しかし、僕はひるまなかったし、ヤケにもならなかった。落胆したり絶望したりするのは、まだ自分に幻想を持っていられるときのことだ。僕にはもはや、そんな抱負や期待は何もなかった。僕は、ただ短い行間にどんな小さなことでも自分の知り得たこと、自分の発見したことを書くだけだ。それが小さいなら小さいなりに正鵠を射たものであれば、その文章は生きてくるはずで、それによって自分のなかの空虚なものは少しずつでも埋められるわけだろう。
そんな風にして僕は、昭和二十四年の秋から翌年の初夏にかけて、ノートや原稿用紙に何かを書き続けることに没頭した。その間、世間にどんなことが起こっているか、まったく知らず、何の関心もなかった。 |
|

※写真は、安藤昇原作、主演の映画より。背中の男は菅原文太。
詳細は安藤昇をごらんください。 |
−人− 安藤昇(元安藤組組長、作家、歌手、俳優、映画プロデューサー)
口から吐いた言葉は守.ろう(どんなつまんない約束であっても)、というのが安藤昇の信条です。すごいんだ・・・。
以下は、ベストセラーとなった自伝長編「やくざと抗争」(著 安藤昇)より抜粋
駅前の闇市で若い衆らしい男を捕まえたが、それは相手ではなかった。しかし、その男は、私の名前も、杉本の事件も知っていた。
「よし、午後二時に、ここへ殴り込みをかけてやる。お前んところの親分にも、そう伝えておけ!」
(中略)
殴り込みをかけると大きな啖呵は切ってきたものの、用意は何もない。拳銃、日本刀も暮れにパクられたときに没収され、その日にかぎってだれも現れず、杉本も包帯の中から心細そうに私を見つめるばかりだ。
「あのときのカービン銃でもありゃなあ」
「安ちゃん、二時って言ったけど、道具もないし、二人だけだ。これじゃ、どうしようもねえな」
「心配するこたあねえさ。杉本、木刀を一本買ってきてくれ」
(中略)
午後二時少し前、鍬の柄一本を木炭自動車に積んで新宿を出た。もとより、私たちにはこれという勝算があるわけではない。喧嘩仕度をした相手に対して、こちらは鍬の柄一本。これではどんなにふりまわしたところで勝てるはずもないのだが、大きな啖呵を切った手前、行かぬわけにはいかない。
(中略)
「一人で大丈夫かい?」
「かえって一人のほうがいいんだ。俺が飛び出して来たら、鍬の柄をかしてくれ」
運ちゃんも顔見知りだが、不安そうな顔をしている。私はオーバーのポケットに両手をつっこんだまま車を降りてドアに近づいた。
大人数の殴り込みを予想した相手が、舐めたような顔で私を見た。私はいきなり、ガラスドアの取っ手を力いっぱいに蹴飛ばして中へ入った。ドアが開いて突風にあおられたように、激しく壁にぶちあたり、「バン!」と大きな音を立てた。
三十名近い近いやくざが、いっせいに道具をとって立ち上がろうとした。ある者は日本刀を抜きかけ、ある者はフトコロの拳銃をとり出そうとした。
「動くな!」
私は、腹の底から声をはり上げた。 |
※安藤昇はいわゆる「やくざ」ではなく、一介の風来坊、もしくは必ず「約束を守る」というだけの男です。「暴力団」賛歌ではありませんので。念のため。
|
.JPG)
※写真は、High styleライブ@MARCH OF THE MOD SPECIAL(1999.12.31)。バックはすべてヘルパー。ひさびさのハイスタイル復活にジャムスタ中が沸いた! |
−人− マンジ(ミュージシャン)
人っていうのは自由なものなんだ。一人で、「High
style」と、名乗ってしまうくらい……。
本物の凄み。ひとりハイスタイル!
ふだんボーっとしてる男がステージでがぜん輝くようにみえることは
よくあることだ。もちろんそれもあったかもしれない。
彼がメンバー紹介をし、歌い始めた。
異様な興奮を覚えたのは、そのときだ。
(ひとりハイスタイル!)
マンジさんという人は東京モッズシーンで20年も前から活躍されている人です。いわゆる「フェイス」です。初めてお話させてもらった時、ワクワクしました。名前が鳴りひびいている人ですから、ドキドキしますよね。
11年前、新宿にあるライブハウスの階段で話しかけました。断片的にですが、ハッキリ覚えています。ただただうれしく、気分が高揚していたのでしょう。失礼のないよう丁重な態度で、けれども(フェイスだから何だってんだ?)そんなことを思っていたような気もします。よく思い出せません。ただ鮮明なのは、
マンジさんが
「おれはネオモッズが好きなんだ。R&Bは好きじゃないな」
そう言われた時の笑顔です。自分はおどろいて「僕はネオモッズが大きらいですね」反射的に言い返した。「あんなのはダメでしょう」と。ネオモッズが大きらいだと言ったことは、単純に「ネオモッズをまったく聴いたことがなかった」という理由によりますが、とびあがったのはマンジさんのコメント、そして笑った顔、というのが本当にアナーキーだったからです。 というのも当時は、ザ・ヘアというバンドが、シーンを席巻しており、厳然たる「体制」でした。 彼らの比類なき異様さ、そして強烈なジャングルビートの前では、どのバンドも色あせてみえてしまうのです。 ヘアの影響かわかりませんが、「黒くなければモッズ・ミュージックにあらず」といった空気が シーン内に蔓延しており、具体的にあげると、(南部アーリー)R&B、サザンソウル、 ジャズを筆頭として、ノーザンソウル、ブルーアイドソウル、60’sポップ、マージービート、 ネオモッズ、オリジナルと、この順に重きが置かれていたように思います。 したがってどんなに実力のあるバンドであってもビート系、オリジナル系は、 おしなべて大苦戦、惨憺たるありさまでした。 もちろん、音楽をジャンルわけすること、しかも優劣をつけるというのは、まったくもってこっけいなことです。 しかしながら、そのこっけいさこそ、端的にモッズのユニークさであり、オリジナルモッズの 「よりアンターグラウンドへ、よりマニアックへ」といった指向性をかんがみると、たいへん自然ともいえます。 けれども、上記はすべて自分のかんちがいによるもの、色眼鏡でみてしまった世界かもしれない。 つまり敬愛していた大御所のケンちゃんいわく「ヘア? だめだめ。モッドがソウルきいちゃおわりですよ」 じゃあなにを聴けば? 「インド音楽、ブラジル民謡、GS、百歩譲ってフィリピンカバーソウル」と これが彼の力説する優先順位で、ケンちゃんが回せばダンスフロアは待ってましたとばかりにガラ空きになる、そんなマイナー思想に 敬服していたのでしょうから。
ともあれマンジさん。
「ネオモッズが好きなんだよ」
しかし実のところ、ほんとうにおどろかされたのは11年後でした……。
※”モッズ”というのは、1950年代、イギリスで産まれた若者のサブカルチャー、あるいはムーブメント、およびその中にいる人たちを指します。パッと見、ファッションに特徴があります。身にピッタリした服を着ています。ロンドンの「カミナリ族」あるいは「みゆき族」、最近だと「渋カジ」。そう思っていただければ、まぁ近いかもしれませんね。で、イギリスは40年前の風俗。これは、60年代中盤に、いったんは完全にポシャってしまったのですが、極端に斬新なサブカルチャーというのは、リバイバルもし、また世界中に飛び火もするようで、モッズカルチャーもやはりこの例にもれず、発祥国イギリスはもちろんのこと、アメリカ、カナダ、スペイン、日本等に根付き、リバイバルというよりははっきりユニークな形として、2000年の今、日本でも、日本独自の”モッズ”文化ができているわけです。リアルタイムのカルチャーです。信じがたいかもしれませんが、本当の話です。
※”フェイス”というのは、モッズの世界独特の言葉で”重要人物”を意味します。(もっとも実際に「フェイス」という言葉を耳にしたことは一度もありませんが)
|

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの広報紙

ブエナ・ビスタの顔 コンパイ・セグンド
|
−映画− 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」 監督 ヴィム・ヴエンダース(1999)
−人− コンパイ・セグンド(ミュージシャン)
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
」。2000年にみた映画の中で、いちばんよかったよ。あと「ペパーミント・キャンディー」もよかったな。どっちの作品もみおわって、完全に食欲が失せた。内蔵がふるえているような感じがつづいて(約3時間)。

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
(作品概要)
老キューバミュージシャンたちが一堂に会してコンサートをひらくまで。彼らの栄光と挫折の70年間。
世界各地のルーツ・ミュージックを現代によみがえらせるギタリスト「ライ・クーダー」が、忘れさられようとしていた伝説のキューバミュージシャンたちを集め、共につくりあげたCDが『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。このアルバムはグラミー賞を受賞し、世界中で異例のヒットを飛ばした。(ストーンズの面々も、自分たちのルーツとなるミュージシャンたち━━マディ・ウオーターズ、チャックベリーあたりと敬愛の念をもってプレイしましたけど、これはライのキューバ版といったところでしょうか)
ライ・クーダーの親友である、ドイツの巨匠ヴェンダース監督(『パリ、テキサス』『ベルリン
天使の詩』)がCDと同名のタイトルで映画化した。今は忘れられた一流ミュージシャンたちの憂いを秘めた素顔とカーネギーホールでのコンサートの模様を活写。夢に見た音楽の殿堂に、不死鳥のようによみがえった彼らの演奏が、熱く哀感をこめてひびきわたる━━。音楽ドキュメンタリー作品。
※「ブエナ・ビスタ.……」の名は1932年から30年にわたり実在した「ソシアル・クラブ」に由来しているそうです。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」はインタビューとコンサートの2場面から成り立っているんだけど、合間合間にキューバの街並みが写し出される(ベンダース監督は『ベルリン
天使の詩』で「街を撮らせたら世界随一」との定評を確立させたのだが、本作は天使の視点ではなく人間の目の高さで撮っている)。街並みのショットが効いたな。キューバは暑くて貧しい国なんたなー、ということがよくわかった。太陽がギラギラ照りつける、荒廃したスラムの様相は、なつかしい、というよりもっと積極的な感情で「これは戦後焼け跡闇市じゃないか」自分がかねがね追い求めていた原風景であったことに気づかされた。焼け跡闇市、またそれかとおもわれるかもしれないが、まさにそれなんだ。生の実感がある。自由の匂いがする。屑屋の娘がボサノバを歌っていそうだ(これはブラジルだったが)。いつかキューバとブラジルに行ってみたい。
コンパイ・セグンド
「もし私から音楽を取り上げたら、すぐに死んでしまうよ」
━━来日インタビューで音楽について聞かれて
ブエナ・ビスタの面々というのはキューバの人間国宝級ばかりだそうだ。その中で、とびぬけて光っていたのが、最長老のコンパイ・セグンド。当年93歳、にはおどろかされた。
ライ・クーダーは「究極の最高であり、すべてがそこから流れ出す源水」と彼を称えているのだが、自分はキューバ音楽をまったく知らないので、よくわからなかった。ひかれたのは、彼のルックス、年齢からだ。ぜんたい老人はいい。好みの問題だが、僕は若くして逝った人ではなく、しぶとく生き残っている人に魅かれる(ブライアンよりキースに魅力をかんじる)。また人生のピークが死ぬ間際にきてるというところもいい。スロースターターは人をリラックスさせる。なによりコンパイ・セグンドは、安岡、安藤同様、生命力にあふれているんだな。
「もし私から音楽を取り上げたら、すぐに死んでしまうよ」
安藤もエッセイで「もしこの世に女がいなくなったら、死んでもいい」と書いていたが、コンバイも安藤も天寿まで死なないとおもう。しかし実感をかんじさせる言葉だ。
安藤のコメントは大半の男から圧倒的な共感を呼ぶのだろうけれど、うれしくない。でもコンバイのは、うれしい。(なにかひとつ、なんでもいいんだけど、そういうものがみつけられたらうれしいよね)
2000.12.3 COMPAY SEGUND@NHKホール
2時間近く、ちゃんと立って、歌ったよ(中央の白)。
安藤は若い頃2リットル入りのヤカンを持ち上げることができたんだって。コンバイは現在、今の奥さんと6人目の子作りをしているんだって。
そんなことをかんがえていると、ステージの上のコンバイが、炎天下の砂漠に生息するサソリのごとき人物にみえてきた。

「葉巻にラム酒、おいしいキューバのコーヒー、それに何といっても美しい女性たち。ただし、何ごとも程々にな」
━━インタビュアに長寿の秘訣を聞かれて。
コンバイは禁煙の場所でも平気で葉巻を吸うのだという。ニューヨークの有名ホテルでコンバイのマネージャーとホテルの支配人がモメにモメたそうだ。コンバイは、
「葉巻を吸うと大らかに気持ちになれるんだよ」平然と吹かしつづけ、ついにホテル側に灰皿を持ってこさせたのだという。普通は非喫煙者がこうむる迷惑をかんがえるはずなんだろうけれど、コンバイは、非喫煙者の存在をすっかり忘れてしまうほど、それほど大らかな人なんだな。
※5歳のときから吸い始めて、以来88年間欠かしていないそうです。
「何に対しても悪口を言ったりののしったりしないってことさ。何に対しても、ね。恋愛に対してもさ」
━━インタビュアにどうしたらあなたのようにになれるのかと聞かれて
以下は来日したパンフレットの中から引用
ネクタイの結び方までが心憎い。かつてナポリで「スカルピーノ風」と呼ばれた美しいノットを、コンバイはいともあっさりと無造作に結んでみせる。
そしてトレードマークともなっている葉巻と、パナマ帽だ。若い頃は娘を口説くとき、彼女の足元に投げたという。帽子のつばを、彼女の爪先が踏めば、誘いに応じましょうというサインだった。娘がきびすを返せば、帽子は冷たい地面にそのまま、つまりコンバイは帽子をひとつ失うことになるわけた。これまでの人生で、彼はいったいいくつの帽子を失ったのだろうか。そしていくつの歌を得たのだろうか。
(文 中島 渉) |
「何に対しても悪口を言ったりののしったりしないってことさ。何に対しても、ね。恋愛に対してもさ」
コンバイは山田詠美と同じかんがえかたをしてるんだな。
最高の笑顔だねー。
|