★2003.4.20
*上映作品***
『あこがれ』 『大人は判ってくれない』『逃げ去る恋』『夜霧の恋人たち』『家庭』『二十歳の恋』『終電車』『恋のエチュード』『隣の女』『突然炎のごとく』『柔らかい肌』『ピアニストを撃て』『私のように美しい娘』『日曜日が待ち遠しい!』
仏映画監督トリュフォーの代表作が、スクリーン上映されるよ。
先月のユーロスペースでは、『エリック・ロメール特集』をやってた。そのうえ、今月からは、これだ。
こんな大々的な「トリュフォー映画祭」が日本で開催されるのは、トリュフォーがお亡くなりになった84年に行われて以来、19年ぶりのはず。トリュフォーの作品って、僕のみてる限り、ほとんどリバイバル公開されていない。だからこれは、ちょっと貴重な企画だよ。
(トリュフォー全作品の半分もみていないので、たのしみ……)
■『フランソワ・トリュフォー映画祭』オフィシャルサイト
http://www.herald.co.jp/movies/truffaut/
■ユーロスペース
http://www.eurospace.co.jp/detail.cgi?idreq=dtl1047540822
(以下は余談だよ━━)
"ヌーベルヴァーグ・トリオ"といえば、ふつうゴダール、トリュフォー、ロメールの順に名が挙がるのだけど、筆頭者はまちがいなくトリュフォーだよ。57年発表の短編『あこがれ』でデビュー、59年の長編第一作『大人は判ってくれない』が出世作となって彼ら三人の前衛芸術運動の道をトリュフォーが世にひらいたわけだし、同じく59年に発表されたゴダールの処女作『勝手にしやがれ』の脚本もトリュフォーが書いているし。去年の秋、ゴダールが来日したときのコメントに、
「映画志望の若者に私は『本当のあなたの一日』を撮りなさいと勧めます」
とあったけど、このゴダールの言葉は、実はトリュフォーの生前インタビュー
「俺はこれまで『本当の俺の一日』しか撮ったことがない━━」
に対するオマージュなんだな。
僕は映画志望ではないし、ゴダール作品もあまりみてないけど、何だかうれしい気持ちがしたよ。
トリュフォーが残したメッセージは、実生活において、いちいち良いよ。たとえば、
「失恋したとしても俺はまったく平気だ。よしと思って、すべてを映画にぶっつけるんだ!」
とかね。
まぁ平気なわけはないんだろうけど。「俺を鼓舞してトリュフォー」ってかんじだ。俺の鼓舞龍(コブリュウ)だ、トリュフォーは。励ましてってそう泣きついた直後にハッ倒されそうな、そんな硬骨の雰囲気があるひとに見えるよ。
トリュフォーは、
少年院→軍隊→刑務所→精神病院→映画評論家→映画監督(映画俳優)
と、特異な前半生を歩んだひとだから、『本当の俺の一日』には、絶対の自負をもっていたとおもうんだ。
別にヌーベルではなくてもよくって、後期のトリュフォー作品はむしろコンサバなものだし、大切なのは『本当の俺の一日』だけで、前衛かどうかはあまり問題にしてなかったのではないかしら。
ことさら「ジュマペール・アヴァンギャルド(俺の名は、前衛芸術家)」の旗印をかかげてデビューしたのは、映画評論家時代のツケが回って、そうせざるをえなかったのだと僕は信じている。というのもトリュフォーの映画批評は、本当に生意気で小憎たらしいフレーズのオンパレードで、ひとが精魂こめて作り上げた映画なら何でもかんでも痛烈に罵倒するのだ。フランス映画界の評論家は世界でいちばん自己中心的かつ容赦がないというのが定説だが、つまり作品を徹底的に叩けるかが評論家の力量ということになるのだろうが、その冷血集団にあって、若干ハタチそこそこで「仏映画界の墓堀人」の異名を取ったくらいだから、いざ自分が監督でやってみようとしたとき、自分の書いた悪口が100倍になって返ってくるのは目に見えていたわけでしょう(ロメールも秀逸な映画評論をいくつも書いているが、ほとんど悪口は書いていない。いやロメールだって本気でやれば相当イケたとおもうよ。トリュフォーより感性の質がぜんぜん粘っこいだろうし)。
もちろん、トリュフォー評論の
「俺が監督をやったほうがよっぽどましだ」
そんな自信もあるにはあったのかな?
本気でそうおもっていたのなら、すごいよね。
ロメールもトリュフォーも、ともに足フェチの映画作家なんだよ。
トリュフォーは熟女のふくらはぎをいい感じで映すし、ロメールは少女のスネをハッとするほど官能的に撮るよね。
仏ヌーベルヴァーグ作家たちが産みだした男性キャラクターのなかで、もっとも光っているのが『大人は判ってくれない』のアントワーヌだ。『勝手にしやがれ』のミシェルも不滅のヒーローにちがいないが、アントワーヌの方がよりトリュフォーの分身といえる。それにアントワーヌものは、同一の俳優を使って20年にもわたる連作になったから、映画史上ちょっと類をみないんじゃないか(ドラマだと『北の国から』や『大草原の小さな家』とか知ってるけど)。
アントワーヌ・ドワネルもの━━、というのは恋愛に悩みっぱなしの一人の男を少年期から青年期、中年に達するまでを描いたトリュフォーの自伝的作品群のことだよ。
(以下に概要も書きますが、すべてストーリーによらないディテール作品なので、まだみてないひとも読んでもらって大丈夫です)
『大人は判ってくれない』(1959)
授業中の悪戯、夫婦喧嘩、不登校、遊園地、映画館、母親の浮気、家出、窃盗、逮捕、少年院、脱走……。自分が母親の連れ子であったことを横軸に、アントワーヌ13歳(俳優のジャン・ピエール・レオーは当時12歳)は、疾走する。ラストは海に向かって、比喩でなく、猛烈に疾走する。
*
なにより光ったところは、授業中、先生に叱られて立たされたアントワーヌが壁に落書きをする場面だ。
「アントワーヌ・ドワネル、不当な罰を受ける」
と、壁にこう抗議の落書きをするんだな。
自分が悪いことをしたのは問題ではない。立たされていること自体が問題なんだ。どんなに正当な罰であっても、俺にとっては不当な罰なのだ……。
少年アントワーヌは、明るく、ずるっこく、たくましい。
このあと、20年にわたるアントワーヌの原点となる、象徴的なシーンだ。
悪友に誘われて学校をさぼり、翌日学校で「お母さんが死んだので」と嘘をつく。嘘がバレたアントワーヌは、不登校、および家出する。
これもアントワーヌの核心で、現実の話トリュフォーの両親は彼が0歳のときに離婚をしているんだな。映画とはちがって、叔母さんに育てられたトリュフォー一生のモチーフだ。トリュフォーはフランス恋愛映画の第一人者だが、実のところくりかえし幼少期のところだけを描いているのかもしれない。
一転、改心した母親と約束(作文のテストで5番以内に入れば1000フランもらえる)をする。アントワーヌはバルザック(フランスの文豪)にのめりこみ、モロに影響を受けてしまう。……得意の作文はバルザックの盗作かと先生から罵倒され、完全に怒ったアントワーヌは、学校と決別する。
父親の会社からタイプライターを盗んだアントワーヌは、とうとう少年院に送られてしまう。護送車の中から、夜のパリを見つめるアントワーヌの目には涙が……。街灯に映える町並みがうつくしく、心ふるわされる映像だ。
少年院で尋問を受けるアントワーヌは、俺は悪いことなどなにもしてやしないのだ! いきいきと語り出すが、これまでの女性関係を訊かれると一転してハニかむ。
今後のアントワーヌの女性遍歴を示唆させる名場面だ。
少年院脱走後、ひたはしる。アントワーヌの瞳は、海に向かってなにをみていたのだろう。『勝手にしやがれ』のミシェルの、あの息絶えるまでの"暴れよう"を夢見ていたのだと、そうかんがえると気分がスッキリする。
*
『大人は判ってくれない』の冒頭スクリーンに、
「亡きアンドレ・バザンの思い出に捧ぐ」
の感謝文が出てくる。
アンドレ・バザンとトリュフォーの関係は、ちょうどマンガ「あしたのジョー」の丹下段平と矢吹丈のそれに酷似している。あるいは梶原一騎が流用したのではないか、とおもえるほどだ。戦後のフランスを代表する映画評論家だったバザンは不良少年だったトリュフォーの才能をいちはやく見抜き、刑務所の外から文章の指導をする。
バザンは、面倒見がいいんだな。
軍隊を脱走し軍刑務所に入れられた末に精神病院送り(これは評論家としては終わりなんだ)になったトリュフォーを退院させたり、また初代編集長を務めた「カイエ・デュ・シネマ」(仏ヌーヴェルバーグ作家ってのは、ほとんどバザンをボスとするカイエ出身の評論家あがりだ)のライターに推薦したり、とトリュフォーにとって、バザンは絶対の親父格だったのだろう。
「もしバザンがいなければ、(ゴダールにプレゼントした)『勝手にしやがれ』のミシェルと同様、俺は路上で撃ち殺される運命をたどったかもしれない」
と、トリュフォーは70年代にコメントしているが、僕はおもわず「本当かよ?」とおもったぞ(でも本当かもしれないね)。
トリュフォー映画は、無理解のまま否定されつづけてきた自分の少年時代から青年時代を、バザンにだけ語るように撮っている。これも天才トリュフォー作品の特徴だ(と多くの評論家がいう。同時代に受けいられて、天才はないような気もするけど。もっと身近で親しみやすいかんじがするよ。なんて)。
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新人の処女作だけは、先輩作家の何倍もすごくってあたりまえだから(そうじゃなきゃ世に出せない)、20代のトリュフォーはメチャクチャ気合いが入っていたとおもうんだ。作家を志すひとは処女作の出来だけをかんがえてるって、よく聞くけど。『大人は判ってくれない』は、そんな凝縮ぶりと緊張感がたしかにあるよ。
*
これだけやりたい放題やって、アントワーヌが『大人は判ってくれない』というのは説得力に欠ける。甘えるな、という反感も出てきそうだ。
が、原題は『Les Quatre Cents Coups 』。
直訳すると、「400発の拳」だ。
これは「faire quatre cents coups(奔放に生きる)」という慣用句からとられており、ダブル・ミーニングになっている(と、フランス語のできるひとから教えてもらった)。
これが正しいとすると、邦題が意訳しすぎなのだ。
アントワーヌはむしろ『判ってくれなくて結構です!』万事、この姿勢であり、原題そのままの方が僕にはうなずけるな(ちなみに『勝手にしやがれ』の原題は、『息ぎれ』だそうです)。
もし僕が翻訳者なら、
『400発、殴られる』。
トリュフォーの、おそらく400枚の長編小説
この邦題にしたい(スッキリして、いいタイトルだ)。っていうか、これ以外にありえない。
*
トリュフォーの『400発、殴られる』は、本当にせつないよ。みていて、ひりひりするような痛みがつたわってくる。叙情作品でしょう。
━━以上、長くなったけどアントワーヌもの第一作『大人は判ってくれない』━━
『アントワーヌとコレット』(1962)
各映画作家たちによる短編オムニバス形式で構成された『二十歳の恋』中の作品。「パリ編」代表として、トリュフォーが製作。
不良学生時代も終わり、社会に出てレコード会社で働き始めたアントワーヌは、街で見かけたギンギンにうつくしい女性コレットに一目惚れする。誘ってはイケるかなとおもわされ、やらせてくれそうでいてちっともやらせてくれない。アントワーヌは彼女の両親に取り入っての接近を試み、ついに彼女の向かいの部屋に引越しをする……。アントワーヌはせいいっぱい背伸びをしてがんばるが、大人の彼女にはいいように翻弄されつづける。
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アントワーヌとコレットが、あまりにもつりあわない。かなりせつなかったのだけれど、不意にたまらなくせつなくなって、みてて途中から、僕は涙がとまらなくなったよ。
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現実のトリュフォーは━━、このときの失恋後、自殺未遂をした。そのあと一転、軍隊に入ったものの、規則の厳しい軍隊生活に音をあげる。軍隊から脱走し、刑務所送り、それから精神病院行きとなった。
『夜霧の恋人たち』(1968)
ふざけた勤務態度からアントワープは、軍隊を除隊となり、職を転々とする。アントワープは、勤務先で人妻に惚れられる。彼は逃げ回るが、けっきょく彼女とやってしまう……。
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『大人は判ってくれない』、『アントワーヌとコレット』ときて、ちょっと緊張感に欠けたかもしれない。
『家庭』(1970)
アントワーヌは、資産家の娘、バイオリニストであるクリスティーヌと結婚をした。ヒモ同然ながら妻の両親も交えてしあわせな日々を過ごすアントワーヌに子供ができる。新しい就職先も決まった。ところが、職場で見かけた日本人女性キョーコと恋に落ちる。浮気がばれ、アントワーヌは家を出る。が、キョーコとの関係も長くは続かない……。
*
ビリーワイルダーばりのラブ・コメディ。が、ワイルダーとは道徳観がまったく異なるようだ。
『逃げ去る恋』(1979)
母との確執からグレた少年時代を経て、恋愛だけに生命を燃やしつづけてきたアントワーヌだったが、またしてもアントワーヌの前に「運命の女」(アントワーヌはこんな女があらわれることを信じて生きてきたのだ!)が登場する。ところが同時期に、過去の女とも再会してしまう。例によって例のごとく、アントワープの悩みは、ふくらむいっぽうなのだ━━。
別れの朝、妻は夫の顔にしあわせな思い出を重ねる。が、アントワープは、妻に対して悲惨な思い出しかよみがえってこない……。
*
ユーモアの極致だな。こういう上品で静かな、むしろ笑えないモノが、真のユーモアというものなのだろうな。
ユーモアというのは、人生経験をそれなりに積んだ大人に丸投げをして初めて、出てくるものかもしれないね。
★2002.8.15
TVで、NHK総合番組『フランシス・F・コッポラ自らを語る』を観た。
こんな愉快なひとだとは、おもわなかった。出世作「ゴッドファーザー」の撮影中は、いつクビを切られるんじゃないかって毎日眠れなかった、「ゴッドファーザー」の憂鬱な音楽を聴くだけで吐き気がした、と言ってたよ。<ゴッドファーザー秘話>と銘打ってたけど、マフィアの話はなかった。ただ、すごくオシャベリなひとだった。
僕はコッポラ監督って、世間ずれしてないひと、金もうけの下手なひと、ハッキリ言えばちょっと頭の弱いひとじゃないかしらん、なんて早合点してたんだけど、ぜんぜんそんなことないね。
当時大物俳優だったマーロン・ブランドを口説いて、さらに「ブランドがわがまま言ってまた映画がブチこわしになったらどうするんだ?」会社の重役相手に面接で問いつめられたとき、「もう、この配役しかありません!」床に転がって、マラリア熱患者のように体をブルブルふるわせた、と『フランシス・F・コッポラ自らを語る』の中では大笑いしてた。簡単にキレたりしない。ブランドのモノマネも、プロはだしのうまさだった。無名の新人監督時代から、そんなペテンもきくひとだったんだ……。そうじゃない。ペテンじゃなくって情熱だったのだ、とおもいたい。
転校24回、10代前半は入院してて映画だけが友だちだった、クラスメートからのアダ名は”タクシー(すぐ学校を辞めてしまうの意)”だった、とコメントしていた。それを聞いたとき、僕はほとんど怒りがこみあげたのだ。これは、怒る歓びだな。
デビュー当時、ポルノ映画専門の監督だったとは、知らなかった。
「あえて時流に流されて、力を持ってから、やりたいことをやればいいだろう。今、私は世界的な監督になったから、映画会社のケチな重役連中に、もう四の五の言わせない」と脚本家志望の青年にアドバイスしてた。「わたしも映画監督ではなく、一流の脚本家になるのが夢だったし、今だって目標に向かってるのだ」と。
(コッポラの蔭に、いったい幾千人もの脚本家が、死屍ルイルイと横たわってしまったことだろうか)
なんて、僕は想ったよ。ワインごく飲みの酩酊状態で、ほくそ笑みながら、観ていた。
(次回のシャーリー・マクレーンも、たのしみだ)
★2002.7.3
フランスの作家「ジョゼ・ジョヴァンニ」の名は、今やほとんど、伝説化したブランドになってるよ。
まだ生きていらっしゃって、今年「79歳」とあります。なんだ、それなら安岡章太郎の2コ下、安藤昇の4コ上でしょ。つまり、自己形成期が第二次世界大戦と重なった世代の人ですね。
<10代でフランス国家の義勇兵。戦後の混乱期はヤクザ組織に入り、22歳で死刑判決。11年間の長きにわたって刑務所生活を送り、獄中で書いた脱獄小説「穴」が一躍ベストセラーになり、文壇、映画界進出……>
と、ジョヴァンニの激動の前半生は、安藤昇のそれにビックリするほど、よく似ている。
余談ですが、ある映画雑誌で
「フランスの安部譲二ことジョゼ・ジョヴァンニ(笑)」
と、ジョバンニのプロフィール紹介があった。ジョバンニ・フリークなら、(笑うなッ!)と思うかもしれない。「日本のジョゼ・ジョヴァンニこと安部譲二(汗)」ならまだしも、残した仕事の成果が雲泥の差でしょう。かくいう僕もジョバンニ・ファンなのですが、「フランスの安藤昇」とね、ほとんど同じようにとらえていたわけだ(敬意を払ってですけど)。安藤昇をもって「ああ、ジョバンニね。ジョゼのことでしょ」くらいな! こういう安直なククリであっても、ククレば消化した気になって気分が落ち着くので……。すごく失礼な話ですよ。自戒したいです。
ジョヴァンニの、前にも後にもジョヴァンニなく……、
<フィルム・ノワール(ヤクザ映画)の帝王>
は、適切な愛称だ。
「観ずに死ねるか!」
(内藤チンがジョバンニに捧げた有名なコピーです)
の通り、ぐっと熱くさせてくれるのが、多い。ベルモンドのかっこよさを初めて知ったのは、映画『ラ・スクムーン』だったよ。
以下は、ツタヤに置いていそうな「ジョバンニの海外配給映画」。
『穴 (1960)』
……囚人マヌたちは、コンクリートの床に小さなノミで穴を掘りつづける。迫力満点の映像で、気が遠くなりそう。脱獄映画の名作。ジョバンニは、怒り狂ってる! おもしろい。
『墓場なき野郎ども (1960)』
……自分をハメたパリの暗黒街への復讐にくたびれた一匹ヤクザにリノ・ヴァンチュラ。若きジャン=ポール・ベルモンドが友人のチンピラ役を好演。まあまあ。
『勝負(かた)をつけろ (1961)』
……ベルモンドのかっこよさ! 刑務所に捕らわれた男(ジャン=ポール・ベルモンド)は刑期を短くするために地雷撤去作業を志願するが━━。『ラ・スクムーン』の習作的作品。かっこいい。
『ギャング (1966)』
……脱獄したギャング(リノ・バンチュラ)は、パリ警察に追われつつ、マルセイユの組織主催のプラチナ輸送車襲撃計画に参加するが━━。これぞフィルム・ノワール。素敵だ!
『ベラクルスの男 (1967)』
……リノ・バンチュラの代表作。走って、逃げて、撃ちまくる。
『冒険者たち (1967) 』
……アラン・ドロン / リノ・バンチュラ / ジョアンナ・シムカスの3大スターが競演。ドロン、シムカスもうつくしい。ラストシーンの銃撃戦は、ロマンあふれる。原作ジョバンニで、もっとも評価が高い。まあまあ。
『オー! (1968) 』
……ネクタイ好きのひと、必見。レース中の事故で親友とライセンスを失った元レーサーのオー(ジャン=ポール・ベルモンド)は、単独で、銀行強盗、そして脱獄するが━━。すごくロマンチック!
『シシリアン (1969)』
……ジャン・ギャバン / アラン・ドロン / リノ・バンチュラの3大スターが競演。3人とも輝いてる! ズサンな現金強奪計画に、本気で腹が立った。おもしろい。
『ラ・スクムーン (1972) 』
……ベルモンド、かっこいい!! ベルモンドが着てたダブルのスーツをそっくりそのまま、仕立ててやろうと思ったくらいだ。刑期所を出たラ・スクムーン(死に神)は、単身、マルセイユのギャング団に殴り込みをかける━━。11年前の作品『勝負(かた)をつけろ』が、ここになって活きた。最高におもしろい!! ジャン=ポール・ベルモンドの代表作。オススメです。
『暗黒街のふたり (1973)』
……父親役にジャン・ギャバン、息子役にアラン・ドロン。出所した息子は、愛人と慎ましい生活を送ろうと決心するが━━。最悪に暗い。とことん、ブルーな気分にさせてくれる……。
『ル・ジタン (1975) 』
……まだみてません。アラン・ドロン主演。
『ブーメランのように (1976)』
……父親役にアラン・ドロン、息子役にシャルル・バネル。ギャング団のボスが、獄中の一人息子を脱走させる為に全てを捨てようと決心するが━━。
『ブーメランのように』は、全編、父親からの視点で描かれている。親父を権力のある男に設定したのが、そもそもの大ミスだったかもしれない。「我が人生に悔いあり」。だったら「我」であって、「親父」を書くんじゃまずいでしょ。何のための失敗作だったか? 今回の作品『父よ』の習作と踏んでる。
『掘った奪った逃げた (1979)』
……まだみてない。たぶん、こんなアラスジではないのかな。トンネルを掘って脱獄、もういっぺん銀行強盗にチャレンジする。現金を持って逃走するものの、最後は射殺される━━? ストーリーは、生涯ひとつっきりでいい。それにしても、このタイトルは何事だ。
『海へ (198?)』
……まだみてない。主演は高倉健。ヒロインに桜田淳子。
長くなってしまいましたが……、
本作『父よ (2001)』は、ジョヴァンニが、13年ぶりに書き上げた純文学。かつて「暗黒街のひとり」であった父を軸に、出獄後『穴』でデビューするまでの青春の日を描いた、自伝的物語とのことです。ジョヴァンニのコメントには、
「40年間、あたためてきた。これが、本物のラブ・ストーリー」
とあるよ。
デビュー作にしてエンターテイメント小説の傑作━━『穴』(ハヤカワ文庫から出てます)を読んでから、観に行きたい。
ジョヴァンニは、「自由と現実」について、50年間にわたって表現しつづけた。安岡先生と同様、本当に死んだ気で書いてたんじゃないかな(安藤先生はちがう)。死人の眼です。フランスの産んだ、世界的な作家です。
映画を観てから、小説『父よ (2001)』を読みたい。
ところで小林秀雄は、遠藤周作にこう説教したらしいよ。「君、君、死に仕度はできましたか?」とね。もちろん死に仕度とはライフワーク作品のこと。老年期に入ると、本気でこんな心境になるのか? ハードボイルドですね。
安岡章太郎も50代で、父親と父方の家系を描いた長編小説『流離譚』(後期の代表作になった)を書き上げた。安岡先生いわく「2作目以降は、すべて処女作に向かっていくものだ」と。「40を過ぎ、ある日、鏡に映った自分の姿はあれほどイヤだった親父そっくりで、ギョッとさせられた……」とも。それから小説『僕の昭和史U』では、「父の死」をこう表現していた。
「(父の葬式を葉山で終えて、中略)暗い道を歩いているうち、何か頭の上につかえたものが取れたようなホッとした気分になった。と、そのとき夜の浜風が吹きつけてきて、僕は一瞬、ふわりと体ごと持ち上げられそうな、ひどくタヨリないものを覚えさせられた。そうだ、これからは自分の脚で歩くんだぞ、しっかり歩けよ。そんなことを僕は、口の中でぶつぶつ言いながら、一歩一歩、崩れやすい砂地を踏みつけながら歩いて行った。」━━『僕の昭和史U』安岡章太郎より抜粋━━
安岡の叔父さんは、小林秀雄がリスペクトした日本屈指の哲学者━━寺田寅彦。安岡の、まったく、すごい文章ですね!
安藤昇は、処女小説『激動』を出版した際「全国指名手配を食らったのが、最高の宣伝になってしまったみたい。人生、わからないものだな」そんな意味の感慨を述べた。そして御尊父(一流企業の重役まで務めたひとで、息子とは正反対ですね)がお亡くなりなったとき、安藤先生は「ちょうどマージャンをやっていて役マンをツモってしまったのだ」とエッセイで書いていた。「あ、これは親父が死んだな、と直感した」そうだ(そして実際、その通りだったという)。
でも、照れがあるよ。生前、実の父に面と向かって自分の気持ちを言える息子は、なかなかいないでしょう。
「いがみあい、無視しあったまま、そのままで、ついに一言も会話を交わすことなく死んでしまった親父に捧げたい━━」
(ジョゼ・ジョヴァンニ)
父よ。つぶやくだけで、ぐっとくる。ジョヴァンニの年齢が、胸を打つ。
観る前から胃のフチが熱くなってます。
ジョバンニの新作が、公開された。下記のサイトは、メモリアルになるとおもうから、載せとこう。
■『父よ』オフィシャルサイト
http://www.cetera.co.jp/library/chichiyo.html
■『父よ』主演俳優インタビュー
http://www.cinemacafe.net/celeb/monpere/index.phtml
★2002.6.30
ワールドカップ決勝をみた。
敗戦後のカーンは、ゴールポストに背をもたれ、ガムをくちゃくちゃかんでいた……。
映画の中の、1シーンみたいだった。
ワールドカップ2002の総括。
ロナウドはかわいらしく、カーンにはゾクゾクさせられた。
★2002.5.5
渋谷は、特別だ。おれも参戦、って気分になる。同時に、心に潤いがなくなっているのをはっきり感じる。バイクにまたがったまま、駅前の交差点だ。じりじり、信号待ちをしているときなんだ。
渋谷スクランブル前では、おれ、さかんに空ぶかししてる。
(他ではめったにしないんですよ)
赤信号を見上げ、ちょっとイライラした感じの表情を作ったくらいだな、思いっきりスロットルをひねってやるわけだ。するとだ、「ブウン! ブウーン!」たちまちエンジンの爆音が、あたり一面に炸裂するんだよ。本当に、やってる本人が思わず背筋を伸ばしてしまうほどの大音響でね、通行人にとってはたいへんな迷惑じゃないかと思うんだ。
しかしだ、本当に愉快なのは、スロットルをひねったときではなくって、実は、スロットルを戻した後からなんだ。
上の「ブウン! ブウーン!」の説明では言い足らないところがあったので補足するが、信号待ち時におけるバイク音は、「ブウン! ブウーン!」という猛々しいフルスロットル音、そして「タンタンタンタン……」アドけないアイドリング音に大別される。つまり、まとめれば、「ブウン! ブウーン! タンタンタンタン……」という流れなんだ。「ブウーン!」の爆音絶頂時、おれは得意なだけではなくって、実を言えば、胸のうちに(みなさん、申し訳ない……)と後悔に似た気持ちを抱えている。生理的に言うならだ、あまりのケタタマしさに、全身が謝罪の念も忘れるほど、ひたすらオビえているのだ。端的に言えばだ、泣く子も黙る"渋谷少年グループ"が「うるせえ、ぶっ殺すぞ」怒号とともに人混みの中から出てきてガッチリ取り囲まれないとも限らないし、そうなった場合、「ちょっと待ってください。僕は新型の暴走族なんです」で、通り抜けられるとはとても思えない。つまりだ、おれにとって「空ぶかし」とは、自己顕示欲が満たせ、かつストレスも解消できる「愉快な健康法」であると同時に、かなり「チャレンジングな行為」であるとも言えるわけだ。
さて━━。ところがだ、あれほど通行人を不快にさせ、そしておれをも緊張させたエンジンだったというのに、スロットルを戻したとたん「タンタンタンタン……」それはもう、とってもかわいらしい音に変わってるんだ。その変わり身の早さときたら実に頼もしく、そのとき、おれのバイクときたら、「タンタンタンタン……」って一転、軽やかな音をたててるんだな。本当にかわいらしいエンジン音でね、アドけないんだ。ここにいたって知らんぷりを決め込んでいるバイクはアドけないどころか、「あれっ、さっき何か大きな音でもしました?」と言わんばかりの白々しさでね、バイクのあまりの厚顔ぶりに、(主人たる)おれもつい、右手を口元に当てては、笑ってしまうんだ。うつむいたり、信号を見上げたりして、そうやって必死でクスクス笑いしてるんだけど、(笑っちゃいけない!)そう言い聞かせるほど、ますます激烈な笑いがこみあげてきてね、おれの中の、内なるおれはワッハッハハハって腰を折り涙を流して笑ってる。もうそれは、ケイレンに近いおかしさなんだな。バイクとおれが、一心同体になった瞬間なんだ。本当に、うつくしいよ。
実際、おれのバイクときたら、最高にかっこいい。どんなバイクかと言うとだ、イタリア製は舶来スクーター「ベスパ」なんだな。いやベスパはベスパでも、ただのベスパではなくって、今から40年前のヴィンテージ・ベスパなんだ。ベスパの中でももっとも巨大なベスパでね、尻のラインが強烈に丸っこい。だから、このバイクのテール部は、30分くらい眺めつづけていてもぜんぜん飽きない、恍惚の人だな。
簡単に言おう。最高のバイクなんだ。以上の通り、最高だ。ところがだ、ただでさえ最高だというのに(何かこみあげてきた……)、何とヴィンテージ・ベスパでは御法度の「ウインカー」まで点滅していて、といっても普通のウインカーなんかじゃない! おれのウインカーは、普通のバイクで言うところの「フロントライト」が使用されている。フロント級のどでかいランプが車体の前後左右に、計4つ配備されている。どう見ても「ライト」にしか見えないと言うのに、そのまさかの「ライト」たちが、たしかに「ウインカー」のごとく、純白の輝きで、明滅を繰り返す。しかもだ、左右同時に点滅してるんだ。どっちに曲がるのか、絶対悟らせないようなカラクリを、半年かけて施してもらったんだ。
以上を、スクランブルを横断している通行人たちに、知らせてやりたいんだ。
たとえば、明治通りのガソリンスタンドだ。ガスを入れてもらってるとき、おれの両手はちょっとワナワナしてる。得意と期待で、胸がパンパンに張り裂けそうになってるんだ。概して、スタンドの兄ちゃんたちは、バイク好きで、素直で、好奇心旺盛な人が多い。おれ、今か今かと待ってるんだ。ひとことでも質問されようものなら、「え?」逆に尋ねかえしちゃう。一呼吸おかないと、興奮しててうまくしゃべれないんだ。スタンド店員のようなセミプロ(と、おれには映るんだ。おれは機械が大の苦手でタイヤ交換すら一人でできない)相手に、ベスパ講義10分。
だいたい最後の質問は、
「これ、いくらくらいするんですか?」
またもやおれは、「え?」右手を口元に当てている。しかも、ちょっと上目づかいな感じで(なんてイヤな野郎だ)、
「うーん、500万くらいですね」
「たけーッ、それは高いッすね!」おれも含めて、大喜びだ。
本当にね、それは高すぎるんだ。500万あったら、おれのバイクは5台も買えてしまう。スタンドから出るとき、彼らの無垢な仰天顔を思って、索漠とした気分になる。
渋谷スクランブルの赤信号は、長い。
どうして渋谷は人から潤いを奪ってしまうのか?
と考えるに、
渋谷だから(ひさびさに人混みの中に来たから、ちょっと目が回ってる)。
ファッショナブルな若者たちが多いから(おれは決して負けたくない)。
となるが、
やっぱり本当の理由は、コギャル(今はもうそんな風に言わないのだろうが)なんだろう。
「ナンパのダサいところは数打ちゃ当たるっていう安直さだな」
と、いつか友人から、そんな感想とも忠告ともつかぬものを聞かせてもらったことがあった。ところがおれは「数打ちゃ当たる」なんていう健全な哲学はさらさら無くって、「数打っても当たんねぇだろう」という信念しか無かったような気がする(絶対、言わなかったけど)。
「数をつついて逃げる」というのが、語呂はともかく、当たっていると思うんだ。まず、自分の女性恐怖症を少しでも改善したい、と考えていた。「1.道を行く、どんないい女でも、怖がらずに話しかけられるにようになる」というのが、おれの立てたプランの、ショッパナの大項目だった。つまり、初対面の女のひととの会話だな。顔をひきつらせずに笑顔で話しつづけられるようにする、ということだった。
コギャルがもっとも容赦ない対応をしてくるだろう。だから最初は、最大の恐怖対象であるコギャルに行くのが最適なのだ。コギャルを克服すれば、一つ目の大項目は卒業だ。そしたら、それこそ「数打ちゃ当たる」で行けばよい。
結局「数打ちゃ当たる」の境地まではたどりつけなかったけれど、深夜の渋谷、公園通り中ほど、対象"コギャル"で、いい思い出がある。
バイクに乗って(だいたい勇気が5割り増しになるよな)、
「ねぇ!」で呼び止めた。第二声「このへんでいちばん近いクラブはどこですか?」と話しかけた。
そうしたらどうだったと思う?
「はい、なんでしょう?」
ときたよ。これは会話が続けられる。焦り気味で、すかさず第三声「えーっと、このへんでいちばん近いクラブはどこですか?」かなり、あどけなかった。
そしたらだ、彼女、こちらが逆にギョッとするような、実に優しい笑顔を向けてくれたんだ。
「クラブって、飲むクラブですか(ここで彼女はグラスで飲むマネをした)。それともクラブ?(ここで彼女はダンスをするマネをした) どっち?」
おれの「クラブ」のイントネーションは、完全にまちがっていたわけだ。
ダンスをする方の「クラブ」は、「ク」にアクセントを置くのではなく、「ブ」を上げなければいけなかったのだ。「ありがとうございました!」一気に動転してしまい、彼女から逃げるようにスロットルを回したという次第だ。
あれほど親切に優しく扱われたことはない。"コギャル"ナンパで、最初で最後の、いい思い出だ。渋谷に来ると(女に声をかけねば、かけねば、かけねば)と、まず強迫観念に駆られる。知らず、神経がササクレ立っているのかもしれない。
渋谷スクランブル。
おれのバイクが吹き上げる白煙は、索漠としてるんだ。ただ一点、「クラブ」「クラブ?」が思い返された。
モダンスーツ・テーラー「Caid」に行った。
オサム君の顔を見て、ほっとした。
持ちつ持たれつ、やってきた。海千山千、超えてきた。10年来の、モッズ仲間だ。
まちがっても、空ぶかしなどしない人だ。たいへんソフトな人あたりの人なのだけれど、またあまり自分の自慢もしないのだけれど、客観的な視点で行動できて、かつ自分の中に明確なモノサシを持っている。僕は彼のこと、ずっと「小さな小紳士」だと思ってる。
彼のダンディズム━━すなわち女とスーツとマナーを、これまで教えてもらってきたわけだ。
たまたま、懐かしい友人2人が、店に遊びに来ていた。4人で飲みに行った。
「おめでとう! 悩み事があったらさ、酒飲むといいよ」
またしても青年実業家か、10年前からテーラー経営のプランを練っていたわけだ……。それを思うたび、おれは(ほうー)と思った。
*今月号の「メンズクラブ・ドルソ」他、数点の男性ファッション誌にテーラー「Caid」が出ています。おもしろいので、オススメです。
★2002.3.27
ビリー・ワイルダー監督がお亡くなりになった。
近藤先生、古山先生で消耗しきって、あと一人。ビリー・ワイルダーだ。一転、パーっと明るくなった感じだ。3人ともユーモア作家だが、これは、ワイルダーの楽しい作風が心の中に知らず、広がったためだろう。端的に、日本文学とアメリカ映画の差かもしれない。
あらためてキャリアを見ると、28歳でナチスによるユダヤ人排斥を逃れてポーランドからアメリカに渡ったとき「100語の英単語しか知らなかった」とある。54歳、代表作「アパートの鍵貸します」で、アカデミー賞史上初の、脚本、監督、作品の3賞をとったわけだ。ポーランド語(というものがあるとして)は、案外、英語に近い言語ではないか、という疑念が何だかわいてくる。
「七年目の浮気」。マリリン・モンローは、こんなうれしそうな表情をしてたんだ。

★2002.3.14
古山高麗雄(フルヤマコマオ)先生が、お亡くなりになった。
どうして安岡のコメントが載らないのかと思う。安岡作品の中で、いちばん多く、旧友・古山先生のことが書かれてるはずなのに。それはたぶん安岡が、学生時代、古山に自分の帽子と時計を取られて隅田川に投げ捨てられたからだ(古山は安岡の所属したチームの横暴なボスだった)。あるいは、若くして世界屈指の文豪にのしあがった自分に恥ずかしさを覚えたためか(10代の頃の古山は文学は人に見せるものではないという信念から暗号を使って小説を書いていた。おかげで古山、50歳デビューだ)。
髪型をチョンマゲにして頭髪違反で高校を退学になったのを皮切りに、戦時中ペン先のように鋭いパンツを仕立てて遊郭に入り浸り、第2次大戦で東南アジアを転戦しつつ古参兵よりリンチを食らい、戦後、日本兵の戦犯として逮捕され数年間ベトナム収容所で捕虜生活を送り、ホームタウンである浅草の劇場に帰ってきたとき、ストリップ嬢をみつめながら、「古山二等兵、ただ今帰ってまいりました」涙が意に反してこぼれ落ちたという。
純文学がマイナスのカードをプラスにひっくり返していく作業だとすると、古山先生の前半生は一作書き上げるのに30年を要するほど混沌としたもので、その歳月を想うと僕は唖然半分、暗然とさせられる。
今まで読んだ作品すべて「硬骨」の一語だった。代表作「セミの追憶」では、二等兵である主人公の「私」が「セミの格好で暖炉に抱きつかされ女の声音でヨガリ声を何時間もあげさせられる」という陰湿なリンチに会い、音をあげる。それでも感傷、怨念なく、淡々と「戦時中の私は幸せであった」と回顧する。これほど度量の広さが底に流れている作品を僕は知らない。
彼の愛妻がお亡くなりになった後、古山先生は「僕はきっと孤独死するだろう。しあわせである」とマス・コミに言い続けてきた(遺作も短編小説「孤独死」だ)。この日、メディアの報道によれば「古山高麗雄氏(ふるやま・こまお)が自宅で死亡しているのを、訪ねて来た長女(51)が見つけ110番した。81歳だった。相模原南署は、病死とみて調べている」となっている。
その後、ニュースが無いからこれは病死である。
「有名人の死亡日記」の様相をていしてきたが、どだい、そのつもりだった。僕は積極的にクラクラしたい。こういうのは、大事なことだ。やはり人が死んだ時に、その人の生がくっきり出るのだと思う。
★2002.2.1
近藤啓太郎(コンドウケイタロウ)先生が、お亡くなりになった。
先生と言っても僕が勝手に「先生」と呼んでいただけで(このへんが自分の実に図々しいところで)本当は弟子もなにも、一面識もない。だから、口に出して言うときは、必ず、「コンタ」と呼び捨てにしてた。だからニュースで知ったとき「あ、コンタ死んじゃった」そう、つぶやいたわけだ。
中学のとき、偶然にも三つのルートから、近藤先生のことを知った。
ひとつ目は、こうだ。
少し長くなるが━━、作家に山口洋子という人がいる。彼女は80年代に直木賞をとって一世を風靡した。中学校の家庭科の先生から、こんなことを教えてもらった。「山口洋子の生家が、中学校の近所にある。彼女が、恋愛のプロだ。女心に興味があるなら、山口作品を読んで勉強するといい、きっと君の将来のためになる」と。中学校の先生から貸してもらった山口のエッセイを読んで、彼女には小説だけではなく、いくつもの顔があることがわかった。映画女優(山城シンゴと同期らしい)、作詞家(五木ヒロシをプロデュース)、クラブのママ(銀座に「姫」というたいへん有名なクラブがあったらしい。三島由起夫や野坂昭如が通っていたという)。僕をおどろかせたのが、山口洋子氏が安藤組の一員であり、若き日の安藤昇の愛人であった、というところだ。映画「安藤昇のわが逃亡とSEXの記録」の中で、警察に追われた安藤をかくまう女のモデルが山口洋子であったことを先生から教えてもらった(これを書いても失礼にあたらないはずだ。彼女自身が実名で安藤昇のことを堂々書いているのだから)。安藤のような骨のある男が最後に頼りにする山口とはどんな女なのだろう? 山口作品はどれも刺激的で、夢中にさせられた。いったい山口のような、いい女が師と仰ぐのはどんな人物なのだろう? その人こそ、近藤啓太郎だった。山口にこう言ったという。「書くなら本心だけを書きなさい。そうしないとまわりが迷惑するからな」と。山口洋子氏はエッセイ「百人の男」の中で近藤啓太郎についてこんな意味のことを書いている。「師匠の近藤は、豪放磊落な男だった。関係のできたクラブ姫のホステス複数人を連れ歩き、いざ帰る段になると、ふつうの男であればアタフタしてしまい当然反感も買うのだが、『おれはこの娘と帰るからみんなは好きに帰っておくれ』近藤の迫力に一同唖然とする間もなく納得して帰路についた」。アウトラインに「思えば酒場も一人、作詞も一人、孤立無援で寄るべき大樹の陰ももたない私が、はじめて心から人に甘えさせてもらったのは、近藤先生ただお一人である」とある。
ふたつ目は、こうだ。
安岡章太郎んちの愛犬が「コンタ」であったことだ。近藤啓太郎は小説だけでなく、紀州犬のプロでもあって、さまざまな犬を友人たちにプレゼントしている。安岡は迷わず、プレゼントされた犬に近藤の愛称をつけた。エッセイ「犬と歩けば(一番ソウルフルで好きなエッセイだ)」では、子犬時代のコンタから死ぬ瞬間のコンタまでが克明に描かれる。安岡は「コンタ」と名付け、近藤もまた自分の犬に「ゴリ(安岡のアダ名)」と名付ける。今日びの女子高生に言わせれば「キショイ」二人の友情は、そう一言で切り捨てられても決しておかしくはない。コンタが死んだ時の安岡の様子をこんな風に描く。「安岡はコンタが死んで半年間家にひきこもり、以降も、文学賞の選考委員等もすべて辞退することになった」。
新聞に安岡のコメントが載っていてうれしかった。
「小・中学校以来の一番の友人でしたから残念です。……彼の小説も落語のように楽しくて、全体に江戸っ子風でいい小説でした」
(毎日新聞)
「これで、電話で無駄話ができる作家の相手もいなくなった。近藤が秋から具合が悪いことは知っていたが、訃報(ふほう)に接してみると、近藤はもういないというむなしさをあらためて思う。ずいぶん長い付き合いでいろいろ世話になった。どうもありがとう」
(共同通信)
みっつ目はこうだ。
マンガ家に鴨川つばめという人がいる。「マカロニほうれん荘」や「野良猫ロック」等の作品で、70後期から80前半まで、マンガ界を席巻した。たいへんオシャレな作風だ。かつ尖鋭的なセンスがあった(安岡作品と共通するものがある)。当時にしてはあまりにもアナーキーだったので「マンガ界のパンク」と呼ばれ、マンガ界に今でも名を残している。ギャグマンガ家の、特に天才肌は、才能の摩滅が激しいらしく、鴨川つばめは80中期からまったく作品を出さなくなった。僕が中学か(高校か忘れてしまったが)、週刊誌で、鴨川つばめがスクープされていた。歌舞伎町のソープで働いていた。たしかこんな風にインタビューに答えていた。
「もうマンガは書かない。近藤啓太郎先生のような作品を作りたかった。数年間、”鴨川(近藤先生は鴨川市に在住)つばめ”でいられて楽しかった」
総論としてこんな印象がある。文人にはめずらしい親分肌の男ではなかったか。最愛の妻をがんで失った体験を基にした小説「微笑」が、よかった。図書館で借りて、エッセイ「愛しき犬たち」を読んだ。くりかえし「犬を飼ったら散歩に連れて行け。犬の歓ぶ顔を見よ」とあった。
2月から近藤啓太郎先生のことを書いておかねばと思い、書くなら時間をとってと考えては面倒くさく、書かねば書かねばと負担に思い、いざこうやって書いてみると、何だこれだけの内容しか書けなかったか、と思う。
★2002.2.1
毎週、金曜日の22:00からテレビ東京で「芸術に恋して!」という番組がオンエアされてます(教えていただいて、どうもありがとう!)。
2001年末に放映された「芸術に恋して!━━夏目漱石━━」は、正直、ピンとこなかったんだけど、この日の「芸術に恋して!━━岡本太郎━━」は、ギンギンによかったですね!
「芸術というのは、けっしてうまくあってはならない。」
「みたひとをしんそこ不快な気持ちにさせるのが本物の芸術である。」
岡本太郎のエッセイを読むと、くりかえし、この2条だけが書かれていて、僕はなんとも不可解な気持ちになったし、なる。年末の夏目漱石は、まったく正反対で、
「芸術というのは、技術でもって、わかりやすくしなければいけない。」
「読んだひとを何が何でも勇気づけさせるのが本物の芸術である。」
こっちのがスッキリしますね。
岡本太郎が20年代フランスにわたって、ピカソやバタイユら、当時の一流どころに出会って、すっかり自信がなくなって、まだだれも手をつけていない日本の「縄文土器」に拠り所を求めたというエピソードは、あらためて、ひびくものがあった。
美術作品を目にして、いまだかつて涙がこぼれるほどふるえたことがない、というのは僕の長年のコンプレックスになっているのだけれど(岡本先生はその場でマジで泣きだすんだって!)、そして、こうした自分が「太郎よかった」などと口に出すのは岡本ファンに対して失礼な気もするのだけど、やっぱり、よかったな。
岡本氏が両手を開き目を見開いて、ギョッとした表情で静止する瞬間がたまらなく、好きなんだな(司会者も動きが止まるし、スタジオ中の空気が凍りつくのだ)。そのたびに、ワクワクさせられた。岡本太郎という人間は、なんだかよくわからないけど、いいね。
いっぺん「太陽の塔」をみにいってみようとおもう。
★2002.1.30
2週間くらいまえ、ブッシュ大統領が、スポーツ観戦中に、ムシャムシャ食べていたプレッツェルをのどにつまらせて、いや、プレッツェルをつまらせただけならいいんだけど、気を失って、失神したあげく、額から地面に激突していって、マンマと血だらけになりましたね! 日本でも、トップニュースになりました。ウサマ氏以下は「ファッキン・ブッシュ」のアレだから、TVをまえに、ウキャキャキャ、小猿のように手をたたいてみんなで仲良くハシャいだんじゃないか、とおもうんだ(ありうるだろう。でもウサマだけはそんな男じゃないと信じてる)。まぁブッシュ大統領も、顔を何針かぬう羽目におちいって、まさかのスカーフェイス(ヤクザ顔)になったわけだ。ところでそんなことより━━。僕の疑問は、こうだった。
1.プレッツェルってのは、いったいどんな食べ物なのだ?
2.どうやったら食べ物をのどにつまらせて、失神することができるんだ?
この日、プレスに、スカーフェイスとなって登場したブッシュ大統領は、TV記者の質問に、
「こんな傷はぜんぜん大したことありません!」
つづけて、
「わたしはなにがあってもプレッツェルを食べつづけます!」
ボギーばりに、ハードボイルドなコメントを、吠えた。ウサマ氏以下は、しんそこ、ガッカリしたんじゃないかとおもう。あるいはウサマ氏以下は、
(同志ブッシュ!)
うまれてはじめて、好感をもったのかもしれない(本当にどっちもがんばりすぎでしょ。マネできません)━━。ところでこの日、僕の本心からの疑問というのは、こうだったのだ。
3.プレッツェルってのは、そんなにまで魅力的な食べ物なのか?
4.ブッシュは、死ぬ思いをしてまで、プレッツェルを食べつづけたいのか?
プレッツェルというのは━━、友人によると「ナビスコ社のリッツみたいな、塩味のきいてカリカリしたクラッカーみたいな食べ物」らしい。要するに、彼も生まれてこのかた一度もプレッツェルを食べたことがないので本当のところはよくわからない、ということがわかった。
ところで僕はブッシュ一家をなんとなく応援してるところがある。それはブッシュ(現大統領)の親父のブッシュ氏が、何十年かまえ、デュカキス氏なる人物と大統領戦で、おたがい罵倒100%の、ものすごい対立をしていて、僕はどっちもどっちだとおもっていたが、「ブッシュ」は「デュカキス」より発音しやすい、ということを発見した。僕が言うと「ブッシュとデュカキス」は「ブッシュとデュカキシュ」になってしまいがちなのだ。この理由で、「デュカキシュ」になりがちな「デュカキス」にはなんとなくイライラさせられ、結果、ブッシュ陣営に好感をもつことになった。
まぁ脱線してしまったが、結局、プレッツェルも、ブッシュが食べ物をつまらせて失神するにいたったメカニズムも、さっぱりわからない。がしかし
”ブッシュ氏はプレッツェルが大好き”、
ということは、よくわかった。
★2002.1.28
NHK番組『夢伝説・世界の主役たち』をみた。
━━男も濡れる男━━ハンフリー・ボガードが、出ていました!
ボギーもケンカで唇のうえをハスられていて、いわゆる”スカーフェイス”なんだけど、お坊ちゃん育ちだったってのは、知らなかった(やっぱりモゴモゴしたしゃべり方は神経を斬られた後遺症だそうです)。
演技にフトコロの深さがあるから、スティーブ・マックイーンや渥美清みたいな、本物の不良少年あがりかと勝手に信じこんでいた。
━━ミスタースカーフェイス━━安藤昇も、エリートサラリーマン一家のボンボン育ちだから、なんだそれならボギーと同じじゃないか、とおもった。
やっぱ男の顔は、履歴書かも。
ボギーの4番目の妻「ローレン・バコール(ボギーと何作か共演してます)」ってのは、ゾクゾクするほど、かっこいい女ですね!
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