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1.『シルバーバーチの霊訓』の画期的な「神観」

宗教・信仰にとって一番重要な「神観」

古来、人間のいる所には必ず宗教が存在し、太古から現代に至るまで、地上には数えきれないほどの宗教が興されてきました。21世紀の現代においても、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教といった一神教を信じる多くの人々がいます。また、複数の神々を信仰の対象としている人々もいます。一神教であれ多神教であれ、「神」を信仰の対象とするという点では共通しています。

一方、シャカ仏教(原始仏教)のように神の存在を不問に付す(意識的に遠ざけて考えないようにする)といった宗教もあります。さらには、徹底して神の存在を否定する人々(無神論者)もいます。しかし、無神論的宗教や無神論者はいつの時代においても少数派であり、地球人類の大半は常に神を信仰の対象としてきました。

神に対する考え方――それが「神観」です。「神観」とは、神をどのような存在と見なすか、神をどのようにイメージするか、ということです。同じ「神」という言葉を用いていても、神に対する考え方や概念は、人によって、また宗教によって異なります。例えば今述べたように、神を一つとする考え方もあれば、複数とする考え方もあります。また、神を無形の存在とする立場がある一方で、神を人間や動物のような姿をした有形の存在とする立場もあります。さらには、神は人間を超越した存在であり、人間は神と接することができないと考える人もいれば、神は人間性を備えた存在であり、人間は親近感を持って神と接することができると考える人もいます。このように人々は、神に対してさまざまなイメージを抱いてきました。これまで人類は思い思いに神の姿を想像し、その神を自分の信仰の対象としてきたのです。

「神観」は、宗教(信仰)を形成するうえで最も重要な要素です。神観と宗教(信仰)はきわめて密接な関係にあり、神をどのような存在としてイメージするかによって、信仰の形態や祈りの内容が変わってきます。このように神に対する考え方は宗教の土台となる重要なものですが、現在に至るまで地上には明確な神観(神に対する考え方)は存在しませんでした。その結果、さまざまな宗教が乱立し、それぞれの考え方のもとで神への崇拝・信仰が行われてきました。

シルバーバーチは――「霊界から見ると、地上の宗教はことごとく失格である」と述べています。宗教は本来、地上人の魂を高みへと引き上げ、真の幸福をもたらす使命を持っています。しかし、これまで地上の宗教はそれとは正反対の方向に人々を導いてきました。口では“救い”を唱えながら、実際には人々の魂の成長を妨げる有害な存在となってきました。

その大きな原因の一つは、「神」に対する無知にあります。いずれの宗教も、神を正しく理解することができませんでした。そして神に対する間違った認識を地上人に植えつけ、間違った信仰を強要してきたのです。さらには宗教間でいがみ合い、殺し合うといった悲劇まで発生させてきました。敵対する双方がともに神の名を口にし、神が自分たちの味方であるかのように主張してきました。こうした有様は、まさに滑稽としか言いようがありません。

イエスの「神観」の登場――人類史上最大の革命的な出来事

これまで地上には数多くの宗教が存在し、それぞれが異なる「神観」を説いてきました。そうした数ある神観の中で、最も霊的事実と一致していたのが、イエスが説いた「愛の神」という概念でした。イエスの「愛の神」の教えは、人類史上初めて、神の実体を正しく解き明かしたものだったのです。ユダヤ教における“恐れの神・人間を罰する神”とは異なり、「人類の親」として人間を愛する神の姿を説いたイエスの「神観」の出現は、まさに革命的な出来事でした。

イエスが登場する以前、人間にとって神は、常に絶対的な存在であると同時に恐れの対象とされてきました。そして“神にすがる”というのが、信仰のあり方でした。それに対してイエスは、神を絶対的な存在としながらも、その一方で「愛なる親」であると説いたのです。イエスの「愛の神」の教えは、キリスト教の教義(ドグマ)の中核部分を形成しました。キリスト教の教義の多くは人工的につくられた偽りの内容ですが、それにもかかわらずキリスト教が地上人の心をつかみ世界中に勢力を拡大することになったのは、「愛の神」という最も崇高で高次元の真理が含まれていたからです。

イエスは地球人類に画期的な神観を示しましたが、それから2千年後の現代に至って地上に登場したスピリチュアリズムによって、イエスの「神観」をさらに深めた、より画期的な「神観」が提示されることになりました。

スピリチュアリズムによる“神の定義”――『シルバーバーチの霊訓』によって完成したスピリチュアリズムの「神観」

スピリチュアリズムは、イエスを中心とする無数の高級霊たちの主導によって進められている「地球人類救済計画」です。スピリチュアリズムでは、霊界通信を通じて霊界から地上にさまざまな「霊的真理・霊的知識・霊的情報」がもたらされました。その中には「神」に関する霊的知識も含まれています。霊界人は皆、熱心に神を信仰していますが、そうした霊界人の神に対する考え方(霊界人の神観)が、霊界通信によって地上人に示されました。それがスピリチュアリズムの「神観」です。

霊界通信によって地上にもたらされたスピリチュアリズムの「神観」は、まさに画期的なものでした。霊的知識を土台とした神観の形成に最も重要な役割を果たしたのが『シルバーバーチの霊訓』です。シルバーバーチは神を「大霊」と呼んでいます。「大霊」とは、神の超越性を強調した呼称です。スピリチュアリズムによって新たな神観がもたらされるまでの永い間、地上人は物質次元から「神」について解釈してきました。それは常に、人間の立場から神の姿を思い描いたものであったため、神観の中に物質的な要素が濃厚に含まれることになってしまいました。そうした物質次元の要素を取り除いて霊的観点から神の姿を示すために、シルバーバーチは神を「大霊」と呼んだのです。「大霊」という呼称には、それまでの神のイメージをはるかに超えた多くの霊的な意味が含まれています。

『シルバーバーチの霊訓』は、「大霊(神)」に関する数々の霊的知識をもたらしました。シルバーバーチは、地上人の「大霊(神)」についての正しい理解を促すために、繰り返し語っています。ここで、その中の一つを紹介します。この一節には、シルバーバーチが神を「大霊」と呼んでいる深い理由と、神の超越性を強調するシルバーバーチの「神観」がよく示されています。

「神とは非人間的存在でありながら、同時に人間性のすべてを表現する存在です。これはあなた方には理解できないでしょう。神はすべての生命の中に宿っています。その生命が人間という形で個別性を持つことによって、神は森羅万象を支配する法則としてだけでなく、個性を持つ存在として顕現したことになります。

ですから神を一個の存在としてではなく、無限の知性と叡智と真理を備えた実在そのもの、人間に想像し得るかぎりの神性の総合的統一体と考えてください。それは男性でもなく女性でもなく、しかも男性でもあり女性でもあり、個性というものを超越しながら同時にあらゆる個性の中に内在しているものです。

神は万物の内側にも外側にも存在しています。神から離れては誰ひとり存在できません。神から切り離されるということがあり得ないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在を有するかぎりはすべてのものに宿っているのです。

私が大霊と呼んでいるこの神の概念を伝えるのは至難のわざです。あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在するものすべてに内在している崇高な力です。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.108〜109

『シルバーバーチの霊訓』によって示された神の概念は、それまで霊界通信で少しずつ明らかにされてきたスピリチュアリズムの「神観」を一気にレベルアップさせることになりました。『シルバーバーチの霊訓』の登場によって、スピリチュアリズムの「神観」は完成をみることになったのです。

シルバーバーチの「神観」の内容は、次の5つの定義に整理することができます。

  • ①創造主として神
  • ②大霊としての神
  • ③愛の始原としての神
  • ④究極の理想としての神
  • ⑤摂理(法則)としての神

①〜③の定義は、キリスト教の神観と共通していますが、それぞれの内容の深さはキリスト教とは次元が異なります。一つ一つの定義についてシルバーバーチが示す見解は、これまでのキリスト教の神観とは比べものにならないほど深遠なものになっています。『シルバーバーチの霊訓』が明らかにした神観は、どの点をとっても画期的で、地球人類がこれまで信じてきた神観に大きな修正を迫るものです。

その中でも特に重要なものが⑤の定義――「摂理(法則)としての神」です。これは地上のあらゆる宗教の神観を根本から打ち崩し、これまでの信仰を否定する内容になっています。まさに革命的な「神観」と言えるものなのです。

以下では「 摂理(法則)としての神」について説明していきます①〜④に関しては、ニューズレターや「スピリチュアリズムの思想[Ⅱ]」で詳しく説明していますので、ここでは省略します)

「摂理(法則)の神」という画期的な「神観」――地球人類の信仰に根本変革をもたらす「神観」

『シルバーバーチの霊訓』が明らかにした「摂理(法則)の神」は、これまでの地上人の信仰を根底から覆す画期的な「神観」です。それは、地上のすべての宗教を破壊してしまうほどの威力を持った革命的な「神観」です。

神は、霊界・宇宙・全存在物を創造するに際して、それらを支配し維持するための「摂理(法則)」を設けました。霊界や宇宙やそこに存在する万物を造っただけでなく、それらが存続するための仕組みも同時に準備したのです。神は、摂理を通じて全存在物を間接的に支配し維持するシステムを定めました。これまで地球人類は、神が直接、宇宙や人間をはじめとする万物を支配していると考えてきましたが、その常識と大前提は根本から間違っていたのです。

宇宙や人間を直接支配しているのは、神ではなく神が造った「摂理」です。摂理は、すべての存在物に一つの例外もなく厳格に適用されます。摂理は、機械的な正確さをもって働き、人間の感情や願望の入る余地はありません。また、神の特別な配慮や介入も一切ありません。摂理は、絶対的な力を持って被造世界と被造物を機械的に支配しており、そこには“神の直接関与”というものはないのです。神はどこまでも、自らが造った摂理を通じて間接的に人間と関わりを持つようにしたのです。

この「摂理による神の間接支配」というシステムを人間サイドから見ると、神は常に“冷たい法則”として現れることになります。しかし一見、冷たく映る摂理も、実はすべての人間が「霊的成長」をなすための仕組みとして用意されたものです。人間が幸福に至る道筋として、神が設けたものなのです。厳格な摂理の背後には、人類の幸福を願う「神の愛」が存在しています。神の摂理がすべての人間に分け隔てなく働くことによって、「完全平等な世界」「完全公平な愛」が展開するようになっているのです。このようにシルバーバーチが説いた「摂理(法則)の神」は、それまでの「愛の神」という概念をより完璧なものにし、イエスが説いた神観を完成させることになりました。

シルバーバーチは、次のように述べています。

「私たちの使命は神とは何かを明らかにすることですが、それは、神すなわち大霊の摂理を明らかにする以外に方法はありません。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.93〜94

「大霊とは宇宙の自然法則です。全生命―物質界のものと霊界のものすべて―の背後の創造的エネルギーです。完全なる愛であり、完全なる叡智です。それが全宇宙の隅々まで行きわたっているのです。(中略)

人間が“神”と呼んでいるのは、実は宇宙の自然法則のことです。私の言う“大霊”です。大霊は万物の生命の中に内在しております。生命のすべてが大霊であると言ってもよろしい。(中略)

地上界のすべて、霊界のすべて、宇宙間のものすべて、そしてまだあなた方に知らされていない世界を通じて、大霊の法則が絶対的に支配しております。その法則から離れて何ひとつ生じません。すべてが法則の範囲内で生じていますから、大霊はすべてを知っていることになるわけです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.120〜121

「大霊は全能です。なぜなら、その力は宇宙およびそこに存在するあらゆる形体の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。(中略)宇宙は、誤ることのない叡智と慈悲深い目的を持った法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは、間違いない事実です。

このことは、慈悲の要素が摂理の中に配剤されていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力をもってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。

いかに霊格の高い霊といえども、一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいく過程を阻止することはできません。そこに摂理の機械性があります。(中略)

私がお伝えしようとしている概念は、全能にして慈悲にあふれ、完全にして無限なる存在でありながら、地上の人間がとかく想像しがちな“人間神”的な要素のない神です。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)  p.164〜165

「宇宙の大霊は、いかなることにも特別の干渉はいたしません。法則、大自然の摂理として働き、これからも永遠に存在し続けます。摂理の働きを中止したり干渉したりする必要性が生じるような事態は一度たりとも生じておりませんし、これからも絶対に起きません。世の中の出来事は自然の摂理によって支配されており、大霊による特別の干渉は必要ありません。」

『シルバーバーチの霊訓 地上人類への最高の福音』(スピリチュアリズム普及会)  p.52〜53

「大霊による直接の関与などというものは絶対にありません。あなた方が想像なさるような意味での人間的存在ではないのです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.46

「大霊とは法則です。それを悟ることが人生最大の秘密を解くカギです。なぜなら、世の中が不変不滅、無限絶対の法則によって支配されていることを知れば、すべてが公正に裁かれ、誰ひとりとしてこの宇宙から忘れ去られることがあり得ないことを悟るからです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.77

機械的な摂理の働きによる「神の間接支配」というシステムは、神に対して摂理(法則)から外れた奇跡や特別な恩寵を願っても、一切聞き届けられないということを意味しています。不幸や苦しみを取り除いてほしいと祈っても、ムダなのです。人間は、自分から摂理に合わせようとしないかぎり幸せにはなれません。「自らを摂理に一致させる努力、人間サイドから摂理にそっていく努力」――これこそが人間にとって「真実の信仰」であり、神が与えようとしている幸福を手にするための道なのです。

このように人間が幸せになるためには「神の摂理」に合わせていかなければなりませんが、その「摂理」にそうための努力とは、具体的にどのような内容を指しているのでしょうか。結論を言えば――「霊主肉従の努力」「利他愛の実践」「霊的視野に立った苦難の甘受」です。この3つの実践内容が摂理にそうための努力であり、地上人のなすべき正しい信仰実践ということになりますこれらについての詳しい説明は、ニューズレターや「スピリチュアリズムの思想[Ⅲ]」で取り上げています)

シルバーバーチが説いた「摂理(法則)の神」を図示すると次のようになります。

シルバーバーチとこれまでの宗教の神観

シルバーバーチの「神観」が誤解されやすい点――シルバーバーチの神観は「神=摂理」ではない

シルバーバーチは「摂理の神」を説明する際に、しばしば「神とは摂理である」と述べています。シルバーバーチのこの言葉を文字通りに受け取ると「神」と「摂理」は同じものになり、神を創造主とする神観と食い違うことになってしまいます。創造主としての神は存在しないことになり、シャカが神の存在を不問に付し、法(真理)のみを真実在として自説を組み立てたのと同じ立場に立つことになります。もし神と摂理が同じであるなら、わざわざ「神(大霊)」という言葉を用いる必要はなく、シャカ仏教(原始仏教)のように「神(大霊)」を抜きにして「法(摂理)」から論を展開してもよいことになってしまいます。

シルバーバーチの「神とは摂理である」という言葉は、これまで地球人類が「神の直接関与」を大前提としてきた神観の間違いを正すために、あえて強調したものです。言うまでもなくシルバーバーチは、「神(大霊)=創造神」としての立場に立っています。したがって、シルバーバーチの「神とは摂理である」との言葉を「神=摂理」と解釈することは間違いです。シルバーバーチは別のところで、大霊が摂理を創造したことを明言し、「神」と「摂理」は同じではないことを明らかにしています。

「神(大霊)」が、宇宙や人間をはじめとする万物を支配し維持するために「摂理」を設けた点を踏まえて全体の関係を図示すると、次のようになります。

シルバーバーチが説く神と摂理と人間の関係

この図を人間サイドから見ると、「神」と「摂理」は一つのものとして映ることになります。神は摂理の背後に隠れていて姿を現さないため、人間が直接、その存在を感じることができるのは、機械的な厳格さで人間を支配している摂理だけです。そのため人間には、常に神と摂理が一体となって映ることになります。こうした地上人の立場に立ってシルバーバーチは、「神とは摂理である」と説明したのです。それと同時に、神の直接的な関与はないことを強調するために、あえて神と摂理が同じものであるかのように述べたのです。大半の地上人は、神と人間が直接的な関係にあることを期待しますが、神は摂理の働きを通じてその存在を示すだけです。以上が、シルバーバーチの「神とは摂理である」という言葉の真意です。

シルバーバーチは、「摂理」は「神(大霊)」によって造られたことを繰り返し述べています。ある日の交霊会で一人の参加者が、「我々は摂理に向かって祈るべきでしょうか?」とシルバーバーチに質問をしています。それに対してシルバーバーチは、「それは違います。自分の内部と外部に存在する大霊に向かって祈るべきです」と答えています。シルバーバーチのこの答えは、「神(大霊)」と「摂理」が同じものではないことを明確に示しています。

地球人類の「祈り」の根本変革

キリスト教やイスラム教に代表される地上の宗教では、毎日のように「神」に祈りを捧げています。「祈り」は、宗教(信仰)にとってなくてはならない実践項目です。こうした宗教で行われている祈りの多くが、神に自分の願い事を訴え、神の導きと恩寵を求めるものとなっています。人々は自分の祈りの言葉が神に直接届き、聞き入れられると考えてきました。運よく自分の願望が実現すると、神が祈りを聞き届けてくれたと思い、神に感謝してきました。

このように従来の地上人の祈りは、宗教の違いに関係なく、人間が願い求めれば神はそれを聞き届けてくれるということを前提としてきました。神が祈りを聞き届けてくれれば、通常ではあり得ない“奇跡”が起こると信じてきました。人間が必死に祈ることで、神がその熱意を汲んで願いを叶えてくれたり、同情して特別な配慮をしてくれると考えてきたのです。

これまで人々は、さまざまなことを神に祈ってきました。長寿や病気の回復、不幸の回避、金銭的な恵みやこの世的な成功などです。また、死後の救いや罪の許し、時には敵に対する懲罰を祈り求めることもありました。そして人々は、熱心に祈ることによって神が願いを聞き届けてくれると信じてきました。長時間、神に祈り続けることが“信仰心の証”であると思い込んできたのです。

『シルバーバーチの霊訓』が教える「摂理の神」によれば、これまでの地上人の信仰や祈りはすべて、無意味でムダな行為であることは明白です。シルバーバーチは、神と人間は摂理を介して間接的な結びつきを持つだけであって、神の直接的な関与はないことを明らかにしました。地上人がいくら必死に祈っても、神が直接応えるようなことはありません。神が直接人類を支配したり、導いたり、特別な恩寵を与えるようなことは一切ないことを、シルバーバーチは明確にしたのです。

「正しい信仰」とは、神が設けた「摂理」に人間の方から合わせていく努力に他なりません。神が人間の幸せのために造ってくれたシステム(摂理)を信じて、それに自分を一致させていくことこそが「正しい信仰」なのです。「祈り」は、そのための一つの手段にすぎません。「祈り」は、霊的エネルギーを取り入れて心境を高め、自分自身の行為を摂理にそわせていくための霊的手段なのです。シルバーバーチが説く「摂理の神」は、従来の信仰のあり方・祈りのあり方に大転換を迫るものです。

「摂理の神」という神観の登場は、まさに地球人類にとって革命的な出来事です。シルバーバーチによって、「神は摂理を無視した祈りには決して応えることはない」ということがはっきり示されました。神に特別な導きや配慮を期待したり、奇跡や個人的な恩恵を求めることは間違った信仰であり、的外れな祈りであることが明らかにされたのです。「摂理の神」は、地上人の神に対する姿勢(信仰)や祈りのあり方を根底から変えていきます。『シルバーバーチの霊訓』が説く「神観」は今後、間違いなく地球上のすべての宗教や思想に根本的な変革をもたらすことになるのです。

「摂理の神」と地球人類の救済について――“救い”は人間みずからが「神の摂理」に一致していくことによってのみ達成される

宗教の本来の使命は、地球人類を救済することです。人間は苦しみ・困難に遭遇すると神の名を唱え、神にすがって“救い”を求めてきました。地上人はこれまで、神の力によって苦難が取り除かれることが“救い”であると考えてきたのです。これが従来の宗教が説いてきた救いの内容であり「救済観」です。しかしシルバーバーチの「摂理の神」という神観は、そうした従来の救済観の常識を根底から覆すことになりました。

そもそも苦しみや困難は、人間が「神の摂理」から逸脱したために発生したものです。その苦難は、神が人間に幸福をもたらすために設けた摂理に合わせる生き方を通して消滅するようになっています。シルバーバーチの「摂理の神」が示す“救い”とは、人間自身の努力によってのみ得られるものなのです。神が手を差し伸べて苦しみを取り除き、“救い”を与えてくれるわけではありません。人間みずからが摂理に一致していくことによって、幸福を手にすることができるのです。

したがって、神に祈るかどうかは“救い”とは関係ありません。それどころか、神を信じるか信じないかということも“救い”とは直接関係してはいないのです。たとえ無神論者であっても利他愛を実践する人は「神の摂理(利他性の法則)」に一致し、霊的成長をして“救い”を得ることになります。それとは反対に、口では神を信じていると言いながら自己中心的な生き方をする人は「神の摂理(利他性の法則)」から逸脱し、カルマをつくって“救い”から遠ざかることになります。

シルバーバーチは、ある日の交霊会で参加者から「神の存在を信じない人は救いようがないのでしょうか?」との質問を受けています。それに対してシルバーバーチは――「大霊の存在を信じるか信じないかは問題ではありません。そのことで大霊がお困りになることはありません。救いにあずかる資格は、大霊の存在を信じるか信じないかで決まるのではなく、それまでに到達した霊的進化の程度によって決まることです」と明確に答えています。世の中には時おり、“自分の祈りを神が聞き届けてくれて救われた”と騒ぐ人がいますが、それは別の要因によって願いが叶っただけのことであって、神がその人の祈りを聞き届けたわけではありません。

地球上に“最大の宗教革命”を引き起こすシルバーバーチの「神観」

スピリチュアリズムによってもたらされた数々の霊界通信の中でも、『シルバーバーチの霊訓』ほど「摂理の神」を強調しているものはありません。「摂理の神」を前面に出し、繰り返し説いている霊界通信は他にはありません。シルバーバーチが「摂理の神」を強調するのは、これまでの宗教が陥ってきた根本的な間違いを正し、地上に「真実の神への信仰」を確立したいという願望があるからです。人類が霊的事実と一致した「真実の祈り」をするようになってほしいとの強い思いがあるからです。シルバーバーチが「摂理の神」について何度も述べているのは、すべての宗教を根本から立て直し、「本物の宗教」を地球上に築き上げたいという強固な使命感によるものです。地上に本物の宗教を確立することは、スピリチュアリズムが目指す地球人類の霊的救済に直結します。

神にすがって願い事を訴え、奇跡や特別な配慮を求めるといった従来の宗教(信仰)のあり方は間違っていました。地球人類はこれまで、的外れな信仰を延々と続けてきたのです。それは現代においても同様で、いまだに間違った宗教が地上人の常識となっています。

スピリチュアリズムの到来とともに登場した『シルバーバーチの霊訓』によって「摂理の神」が説かれ、地球上の宗教は革命的な変革の時期を迎えることになりました。『シルバーバーチの霊訓』は、他の宗教では説かれてこなかった「摂理の神」について明らかにし、地球人類の宗教と信仰のあり方を根本から正すことになりました。「真実の信仰」とは、神にすがって祈ったり神の直接関与を願うのではなく、自らの行為を摂理に一致させる努力であることを明らかにしました。そしてそこには、救世主も教祖も教団も必要ないことを明確にしたのです。

こうした意味でシルバーバーチが強調した「摂理の神」は、まさに人類史における画期的な「神観」と言えます。今後、『シルバーバーチの霊訓』が地球上に普及するにともなって、人類史上“最大の宗教革命”が起こされていくようになるのです。