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9.『シルバーバーチの霊訓』の画期的な「幸福観」

人間は誰もが幸福を求め、幸福になるために毎日を過ごしていると言っても過言ではありません。人間にとって“幸福・不幸”の問題は、人生における重要なテーマとなっています。この万人が求める幸福についての見解や考え方が「幸福観」です。これまで幸福については古今東西にわたって繰り返し議論がなされ、さまざまな見解が示されてきました。しかし現在に至っても、人類共通の幸福観は確立されておらず、いまだに「幸福とは何か?」が明確にされていません。

シルバーバーチはこの重大なテーマに対して、これまでにない卓越した解答を示しました。「霊的成長至上主義」という摂理の観点から、画期的な「幸福観」をもたらしました。

“幸福”を論じるうえでの多面性

幸福にはいろいろな要素が絡み合っているため、さまざまな側面を考慮する必要があります。まず、幸福の本質について明らかにしなければなりません。一般的には、喜びや満足感を味わうことが“幸福”とされています。長年抱いてきた夢や願望が実現すると、心は喜びや満足感とともに幸福感で満たされます。このように“幸福”は、喜びや満足感と密接な関係にあります。

しかし、喜びや幸福感に包まれるのは多くの場合、一瞬(短時間)のことであって、持続性がありません。そこで「幸福感の持続は果たして可能なのか?」ということが問題となります。実際に、持続的な喜びや幸福感をもたらすことになる夢や願望といったものはあるのでしょうか。それは肉体的な欲望でもいいのでしょうか。あるいは肉体的なものではなく、精神的な願望でなければならないのでしょうか。また、自分だけが幸福になればそれで満足するのか、自分だけでなく周りの人々や人類全体が幸福にならなければ喜びや満足感を得ることはできないのか、といった点も考慮しなければなりません。

幸福を論じるについてはさらに、地上だけでなく“死後の幸福”についても考える必要があります。多くの宗教では、死後の世界における幸福について説いてきました。死後の幸福のために、地上での喜びだけでなく生命までも犠牲にしてきたという現実の歴史があります。また、霊界人と地上人では幸福感に違いがあるのか、という点にも注目しなければなりません。

このように“幸福”に関する議論には、実に多くの問題と複雑な側面がともないます。

人類の「幸福論」の足跡を振り返って

宗教では、「自分たちの教えを信じ、それを実践すれば幸せになれる。たとえ現世では不幸であっても、死後には幸福がもたらされる」と教えてきました。従来の宗教の多くは、「この世での生き方が、死後の幸福を左右することになる」と説いてきました。この世(地上人生)で他人を苦しめたり悪行を重ねた者は死後、苦しむようになり、善行に励んだ者は死後、それが報われて幸福になるとしてきたのです。そこには多分に教訓的な意味合いも含まれていますが、あまりにも空想的な幸福観と言わざるをえません。そうした子供だましの教えでは、現代人を納得させることはできません。

人類は古来、“幸福”に関して思索をめぐらせてきました。人間は常に“幸福”について考え、その答えを探求してきました。ここで、人類の「幸福論(幸福観)」の足跡を簡単に振り返ってみます。

幸福について論じた思想家として最初に名前を挙げるべき人物は、古代ギリシアのエピクロス(BC341〜BC270)です。彼は幸福を、快楽(喜び)と同じものと見なしました。そのため彼の思想は“快楽主義”と呼ばれています。ただし、エピクロスの言う“快楽”とは、現代人が一般的に考えるような肉体的な喜びではなく、精神的な喜びを意味しています。エピクロスは、“幸福感”という喜び(快楽)は肉体的なものではなく、むしろ精神的なものであるとしています。彼は、肉体の抑制にともなう心の平安こそが本当の意味での“幸福(快楽)”であるとし、肉体的欲望を抑制する生き方の重要性――すなわち「ストイックな生き方(禁欲的な生き方)」の大切さを強調しました。

エピクロスの幸福論には、スピリチュアリズムの霊的真理との共通性が見られ、正当性が認められます。スピリチュアリズムでは、真の幸福とは“魂(霊の心)の喜び”であるとし、それは霊のもとに肉体を置いたとき――すなわち「霊優位(霊主肉従)の状態」になったときに初めて得られるものであると説いています。エピクロスが唱えた幸福論は、スピリチュアリズムの霊的真理と基本的な点で一致しています。

近代思想の中での幸福論は、“功利主義”としてよく知られています。功利主義の代表的な人物がジェレミ・ベンサム(1748〜1832)です。ベンサムは、それ以前の幸福論は個人的な幸福の追求にとどまっていると批判し、それを“利己的快楽主義”と呼びました。彼は、人間は個人(自分)だけの幸福(快楽)の追求を目的として生きるべきではなく、できるだけ多くの人間の幸福をも追求しなければならないとしました。これが有名な「最大多数の最大幸福」です。ベンサムが唱えた功利主義的主張は、ある意味で画期的なものでしたが、大きな問題も含んでいました。

ベンサムに次いで登場したJ・S・ミル(1806〜1873)は、ベンサムの「最大多数の最大幸福」は、幸福(快楽)の「質」を問題にしていないと批判しました。ミルは、快楽には質の差があるとし、高級な快楽(幸福)と低級な快楽(幸福)を区別すべきであると主張しました。精神的な快楽(幸福・喜び)をより高いものとし、精神的な快楽こそが人間に真の幸福をもたらすものであると主張しました。高尚な人間は高級な快楽を味わって初めて幸福を感じるのに対して、下品な人間は高級な快楽を味わう能力がないため低級な快楽で満足してしまうとしました。ミルは、もし両方の快楽を味わう能力があるなら、決して低級な快楽を選ぶようなことはしないと述べています。そして「満足している豚より、不満足な人間の方がよい。満足している愚者より、不満足なソクラテスの方がよい」という有名な言葉を残しました。このようにミルは、幸福(快楽)については「量」だけでなく「質」が問題となることを指摘し、高級な快楽と低級な快楽の区別を明らかにしました。

3人の「幸福論」のポイントを整理すると、次のようになります。

■エピクロス
幸福とは、肉体的な喜びではなく精神的な喜びであり、幸福を得るため には、肉体の欲望を抑制することが必要(禁欲的な生き方の重要性を説く)
■ベンサム
幸福とは、個人だけのものではなく、多くの人々が快楽(喜び)を得てこそ真の幸福と言える(「最大多数の最大幸福」を求める)
■ミル
幸福には質の差があり、高級なものと低級なものがある。多くの人々がただ喜ぶ(満足する)だけではダメで、幸福の質が問題となる(「満足している愚者より、不満足なソクラテスの方がよい」)

エピクロス、ベンサム、ミルという3人の思想家によって説かれた代表的な「幸福論」について簡単に見てきました。いずれの主張にもスピリチュアリズムの「幸福観」と共通する内容が含まれています。宗教が説いてきた幸福観と比べるなら、彼らの主張にははるかに合理性があり、論理的です。

とは言っても、これらの幸福論も実践がともなわなければ単なる理想を説くだけの思想にとどまってしまいます。「幸福論(幸福観)」は、地上人一人一人の「霊的新生(霊的覚醒)」という意識改革があって初めて、現実の理念となるのです。それぞれの人間の意識改革を前提としない幸福観は、いかに優れた内容であっても単なるきれい事にすぎず、人々を真の幸福に導く指針とはなり得ません。

『シルバーバーチの霊訓』は、こうした先人たちの幸福観の不備を補い、霊的観点からその内容を高め、現実的で画期的な「幸福観」を地球人類にもたらしました。

「物質的幸福観」に支配されている地上人

地上人は肉体(物質)に覆われているため、肉体における本能的な喜びは実感できますが、霊的な喜びはなかなか実感することができません。そのため大半の地上人は物質的・肉体的な喜びを安易に求めるようになり、モノやお金をたくさん手にすることが幸福への道だと考えています。これが地上人の心を支配している「物質的幸福観」です。物質的幸福観は、地上かぎりの喜びと満足を求めるという神の摂理に反した「物質的人生観」を生み出すことになります。

「物質的幸福観」に基づく生き方は霊的成長を促すどころか、反対に霊的成長を阻害するようになります。そして摂理に反するその生き方は、償いとしての苦しみを本人にもたらすことになります。物質的な欲望が満たされることで得られる喜びは一時的なものであって、その感動はすぐに消え失せてしまいます。そのため人々は次々と新たな刺激を求めるようになり、霊的成長の道から外れていくことになります。

物質的・肉体的な喜びだけを追い求めている人間は、寂しさや孤独感を味わうようになります。他者との間に、本当の愛の世界を築くことができないからです。そうした人は霊界に行ってから、強い後悔の念に苛まれるようになります。また、地上に再生したときには「前世のカルマ」ゆえに、さまざまな苦難を体験するようになります。人間関係のトラブルや経済問題や病気などの苦しみを通して、摂理に背いた罪を償うことになるのです。

多くの地上人が追い求めている物質的な幸福は、本当の幸福ではありません。それは錯覚であり、霊的観点から見れば“不幸”と言うべきものです。

スピリチュアリズムの「幸福観」の特色【1】――霊界は幸福だけが存在する所であり、真の幸福は霊界にある

スピリチュアリズムは地上世界に「霊的真理」をもたらし、地球人類を“真の幸福”に導くことを目的としています。スピリチュアリズムは、地上人を本当の幸福に至らせるために高級霊が総動員で展開している「地球人類救済計画」です。スピリチュアリズムの霊界通信は一様に――「地上人が考えているような幸福(物質的喜び・肉体的快楽)は真の幸福ではない」と述べています。

多くの地上人は、物質的な喜びや肉体的な快楽を得ることが幸福だと思い込んでいますが、それは錯覚にすぎません。霊界に行って霊的な感動・歓喜を体験すると、地上人が考える幸福は本当の幸福ではないことを実感するようになります。地上世界には“真の幸福”は存在しないことを、はっきりと理解するようになるのです。

これまで大半の宗教では、“死後の幸福”を説いてきました。死後の世界は“天国・楽園・極楽浄土”といった言葉で表現され、人間は死後、そこで幸福な生活を送ることができるようになると教えてきました。多くの信者が“死後の幸福”にあずかるために、地上での喜びを犠牲にしたり、時には殉教の道を選択してきました。しかし、宗教が教える死後の世界とそこでの幸福な生活についての内容は、あまりにも空想的・寓話的であり、現代人にはとうてい受け入れられるものではありません。

スピリチュアリズムは、従来の宗教で説かれてきた「死後に幸福が訪れる」という見解が、単なる空想ではなく「霊的事実」であることを明確にしました。スピリチュアリズムは人類史上初めて、死後の世界の存在とその実相を明らかにし、霊的事実に基づいて死後の世界における幸福の実態を解き明かしたのです。

スピリチュアリズムでは、地上人生においてどんなに苦しみが多くても、それは地上という一時的な世界だけのことであり、永遠の霊界にまで苦しみが続くことはないと教えています。今は苦難が絶えない人生を歩んでいる人であっても、死後には間違いなく喜びと希望が待っているのです。一方、この世でお金に恵まれ裕福な人生を送った人間の多くは、霊界に行ってから苦しみの時を過ごすことになります。「地上で幸福だった者(金持ち)はあの世では不幸になり、地上で不幸だった者はあの世では幸福になる」ということです。地上人が考える「物質的幸福観」は、きわめて狭い視野に基づくものであり、わずかな部分をもって全体を知ったと錯覚したところからの見解です。地上人が抱いている幸福観は、霊界では一切通用しません。

多くの高級霊が――「地上世界では真の幸福感を味わうことはできない。本当の喜び・霊的歓喜は、霊界に行って初めて実感することができるようになる」と述べています。それは、地上世界は苦難の体験を通して罪(カルマ・摂理違反)の償いをし、霊的成長をなす場所として造られているからです。

霊界には“不幸”という意識自体が存在しません。自分を不幸だと思っている霊界人は、一人もいません。霊界では全員が“魂の喜び・霊的喜び”を心ゆくまで堪能しています。なぜかと言えば、霊界人は皆「霊的真理」に基づく共通の人生観を持っており、霊界全体が前向きで明るい場所となっているからです。それに対して地上世界では、自分を不幸だと思っている人間が大勢います。不満を募らせ自暴自棄に陥っている人もいれば、悲しみに打ちひしがれ、絶望感にとらわれている人もいます。幸福になりたいと必死にもがきつつもそれを手に入れることができず、他人の幸福を妬んで苦しんでいる人もいます。

霊界でも、地上世界に近い幽界の下層には、地上臭を拭い去ることができない“未熟霊・低級霊”が存在します。その中には“地縛霊”となって地上人に悪事を働いたり、イタズラをして楽しむ悪質な霊もいます。そうした霊たちは、地上の人間と同じように“嫉妬心”を抱いています。他人の幸福を妬み、幸せな人間を憎んでいます。彼らは、自分が幸福になれないことを他人のせいにする“ひねくれた心”を持ち続けています。

「霊的覚醒」をすることができれば、こうした暗い心境から抜け出せるのですが、地上時代から引きずってきた自己中心性を拭い去ることはなかなかできません。彼らは死後もしばらくの間、「自分で自分の首を絞めて苦しむ」といった状況に置かれることになります。地上的意識に縛られ、霊的意識に目覚めることができない“地縛霊”は、霊界に居ながら依然として不幸な人間のままなのです。

スピリチュアリズムの「幸福観」の特色【2】――真の幸福は、物質的価値観ではなく霊的価値観に立った生き方から

エピクロスやミルは、真の幸福は物質的な喜びや肉体的な快楽ではなく精神的な喜びの中にあると主張しましたが、スピリチュアリズムでは、霊界の事実に基づいてその内容を深め、より徹底した形で説いています。スピリチュアリズムは霊的事実を根拠として、霊的価値観に立った「霊中心の幸福観(霊的幸福観)」を地上人に教えています。スピリチュアリズムの霊界通信では――「物質的価値観・物質的幸福観から解き放たれることが、地上人にとって真の幸福に至る道である」と述べています。

地上人生において、食料など生きていくための最低限のモノに不自由するのは不幸なことですが、必要以上にモノやお金を欲しがるのも、それと同じく不幸なことなのです。モノやお金に対する執着心は、霊的なものへの関心を消滅させることになります。真に幸福な人間とは、余分なモノを欲しがらず、肉体の快楽に翻弄されず、この世の名声や権力に執着しない人のことなのです。その意味でエピクロスが説いたストイックな生活は、真の幸福・霊的幸福をもたらす生き方と言えます。スピリチュアリズムは、人間が「物質的価値観」ではなく「霊的価値観」に立った生き方をするようになったとき、本当の幸福が訪れることを明らかにしました。

人間は、地上(物質世界)にあっても物質的価値観に染まらず、「霊」を中心とした生き方をしてこそ“真の幸福”を手にすることができるようになります。多くのモノやお金があるからといって、本当の幸福は得られません。物質的に恵まれることは、むしろ不幸になる可能性を大きくします。スピリチュアリズムは、2千年前にイエスが説いたのと同じ真理を主張します。最低限のモノやお金で満足し、他者への奉仕に意識を向けることが“真の幸福・魂の幸福”に至る道なのです。

「人間はとかく金持ちの贅沢を羨ましがりますが、その人たちの多くを待ち受けている運命をご存じありません。財産を自分のことだけに使う人は利己主義者であり、そういう人の将来には恐ろしい逆境が待ち受けております。羨ましがらずに哀れんであげるべきです。」

『霊の書―スピリチュアリズムの真髄「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.321

この言葉の中に、スピリチュアリズムの「幸福観」が端的に示されています。以上が、スピリチュアリズムの「幸福観」の内容です。

ポイントを整理すると次のようになります。

スピリチュアリズムの「幸福観」のポイント

  • 真の幸福は、霊界に行って初めてもたらされるものであり、地上世界では本当の喜び・霊的喜びを実感することはできない。肉体を持ち、物質世界で生きる地上人が“幸福”と捉えているものの多くは、錯覚である
  • 真の幸福は、「物質的価値観」ではなく「霊的価値観」に立った生き方によって得られるものである。地上にあっても“物欲・肉欲”に流されず、「霊」を中心とした生き方をすることが真の幸福に至る道である

スピリチュアリズムの「幸福観」は、多くの霊界通信によってもたらされた霊的知識・霊的情報に基づく見解です。シルバーバーチは、そうしたスピリチュアリズムの「幸福観」をレベルアップさせ、画期的な「幸福観」を地球人類に示しました。

次に、シルバーバーチの「幸福観」について見ていきます。

シルバーバーチの「幸福観」の特色【1】――幸福と霊的成長は一体不可分の関係にあり、霊的成長こそが幸福の本質

シルバーバーチは、人間の“幸福・不幸”を神の摂理である「霊的成長」の観点から定義しています。シルバーバーチは、多くの霊界通信によって示されたスピリチュアリズムの「幸福観」をさらに進め、人間の幸福・不幸は霊的成長によって決定されると主張します。そして霊的成長が幸福の本質であることを明らかにし、幸福に関するより深くて包括的な見解を示しています。

人間が神によって定められた霊的成長の道を歩んでいるとき、“魂”は摂理に一致した喜びに満たされるようになります。“真の幸福感(霊的喜び)”とは、霊的成長をなしているときに湧き上がってくる“魂の反応”のことに他なりません。シルバーバーチは、真の幸福は霊的成長にともなって得られるものであり、幸福と霊的成長は一体関係にあることを強調しています。自分が霊的成長の道を歩んでいると感じられるとき、人間の魂は「神の愛」に触れ、霊的喜びに満たされるようになります。この喜びがあまりにも大きいため、霊界人は「霊的成長」を何よりも重要なものと考えるのです。

霊界では、幸福と霊的成長が一体不可分の関係にあることを誰もが認めています。霊的成長の段階は、それぞれの人間(霊)で異なっています。高い次元にまで進化している霊もいれば、低い次元に留まっている霊もいます。しかし、どのような段階の霊であっても、摂理にそって霊的成長の道を歩んでいるときには“魂”からの喜びが湧き上がってくるようになります。霊界では、そうした霊的喜びは、高い界層に行けば行くほど大きくなることが共通の認識となっています。そのため誰もが霊的成長を希求し、「霊的成長のためなら、いかなる苦しみを体験してもかまわない」と思うようになるのです。そして霊たちの多くが、あえて辛い地上世界への「再生」を願い出ることになります。

霊界において最も重要視されるのは「霊的成長」です。霊的成長にともなって霊的喜びが増し、よりいっそう幸福感を味わうことができるようになります。そして神の愛を、さらに強く実感するようになります。“真の幸福感”とは――「神の愛に触れ、神の愛に包まれたときにこみ上げてくる霊的喜びのこと」です。幸福と霊的成長は、切り離すことができない一体関係にあるのです。

霊界では「神の愛」を実感することができるため、誰もが「真の幸福とは何か」を明確に認識しています。低い界層にいる霊たちも、高い界層にいる霊が自分よりもはるかに幸福であることを知っています。霊的進化を遂げた高級霊たちが、素晴らしい愛の喜びを体験していることを理解しているのです。とは言っても、地上人のように他人の幸福を妬むようなことはありません。高級霊たちの幸福が、自分自身のさらなる霊的成長への励みとなり、意欲となっているのです。

幸福感(霊的喜び)と霊的成長が一体となっているのは、神が人間を永遠に霊的成長の道をたどる存在として造られたからです。シルバーバーチは、神が定めた「霊的成長至上主義」に基づいて、シンプルでありながら本質的で包括的な「幸福観」を説いています。シルバーバーチによって示された“幸福の定義”は、地上人にとってはまさに革命的な内容ですが、それは霊界人には共通の認識となっています。こうしてシルバーバーチは、徹底して霊的視点に立った画期的な「幸福観」を地球人類にもたらすことになりました。

シルバーバーチの「幸福観」の特色【2】――地上人生における苦難は不幸ではない。むしろ、ありがたいもの

大半の人間は、苦しみや困難を何とかして避けようと必死になっています。地上人は苦しみや困難を不幸だと考え、それを取り除かなければ幸福になれないと思っています。苦しみや困難が続くと、「自分は何と運が悪い不幸な人間なのだろうか」と悲しみ絶望します。普段は神を信じていても、苦難に遭遇すると天(神)を呪うような人間もいます。地上人が苦難を嫌がり、それを不幸として捉えるのは、ある意味で仕方がありません。しかしシルバーバーチは、そうした地上人の常識を根底から覆し、“苦難=不幸”という地上人の考えを全面的に否定します。

シルバーバーチは――「地上人が苦難に遭遇することは不幸でも不運でもなく、霊的成長にとってむしろ良いことである」と述べています。「霊的成長至上主義」という神の摂理に照らしてみれば、「地上人が不幸と感じる苦難の体験は、実はありがたいものである」と言うのです。

地上人生で体験するさまざまな苦しみや困難は、偶然に生じるものではありません。苦難は、明確な理由があって引き起こされます。地上人が苦難に遭遇することになる理由は、(前世も含めた)これまでの人生においてつくってしまった「神の摂理への違反(カルマ)」です。「カルマ」とは、具体的には“物質第一主義”とそこから発生する“利己主義(エゴイズム)”を意味します。カルマがあると、それが原因となって霊的成長のプロセスが妨げられることになります。

人間は神によって、永遠に霊的成長の道をたどる存在として造られているため、「カルマ」を償い帳消しにするプロセスが必ず生じるようになります。それが、地上人生における苦難の体験です。摂理違反に相当する苦しみを体験することによってカルマが清算され、霊的成長の足かせが取り除かれることになるのです。こうした一連のプロセスは、「カルマの法則」と「償いの法則」のもとで展開していきます。「カルマの法則」も「償いの法則」も神が造られた摂理であり、それらは機械的に働きます。

「永遠の霊的成長の法則」と「カルマの法則」という神の摂理に照らしてみると、苦しみや困難は霊的成長にとって必要不可欠なものであることが分かります。地上的な視野から見れば、苦しみや困難はイヤなもの・避けたいもの・不幸ということになりますが、霊的視野(摂理の観点)から見ると、ありがたいもの・必要なものとなるのです。「霊的成長至上主義」の観点から言えば、苦難は不幸どころか、ありがたい出来事です。大半の地上人は苦難を避けようとしますが、本当は「霊的視野に立って甘受する」というのが正しいあり方なのです。

霊界人は地上人とは異なり、常に「霊的成長至上主義」に基づいて考えるため、自分に降りかかってくる苦しみや困難をありがたいものとして受け止めます。苦しみや困難を不幸と捉えるようなことは、決してありません。そして霊的成長のために、あえて苦難の体験を求めて地上への「再生」を願い出るようになります。

シルバーバーチは「霊的成長至上主義」の観点に立って、苦難の正しい受け止め方を地上人に示しています。「不幸を歓迎する」というシルバーバーチの教えは、従来の幸福観とは根本的に違っています。これまでの宗教や思想は苦しみを“悪”と見なし、それをどのように乗り越えるか、いかにして苦難から逃れるかを説いてきました。しかしシルバーバーチは、そうした宗教や思想とは180度異なる生き方を教えています。「苦難を良きものとして甘受する」という霊的な「幸福観」を説いているのです苦難については、次章の「運命観」で詳しく取り上げます)

シルバーバーチの「幸福観」の特色【3】――地上人にとって真の幸福に至る道とは「霊主肉従」の生き方

人間の霊的成長は、「霊優位(霊主肉従)」の状態においてなされます。物質的・肉体的な快楽を中心とした人生を送っているかぎり、霊的成長は望めません。神の摂理から逸脱した「肉主霊従」の生き方は「カルマ」をつくり出し、いずれそれを清算するための苦しみが生じるようになります。

これまでの宗教では“肉体の欲望”を敵視し、肉体それ自体を“悪”と見なしてきました。そして肉体の欲望を抑制するために、厳しい修道生活や隠遁生活を送る人間もいました。「霊主肉従」という真理に照らしてみると、こうした修道者や隠遁者の生き方には一理あります。

とは言え、肉体は神が「霊的成長」のために与えた道具であり、肉体それ自体は“悪”として否定すべきものではありません。「霊よりも肉の力が強くなること」――すなわち「肉主霊従」の状態が摂理違反なのです。「霊と肉のバランスが問題となる」ということです。地上人は肉体という物質の身体に覆われているため、容易に「肉主霊従」の状態に陥ってしまいます。霊を無視して、物質的・肉体的なことだけに意識が占められることは間違っています。多くの人々は肉体の健康に関心を持ち、何とか長生きをしたいと思っていますが、霊に対する関心や配慮がない中でいくら肉体の健康を保つ努力をしても、正しい生き方とは言えません。どんなに長生きをしたからといって、真の幸福とは言えません。反対に、病気になって若死にしたからといって、必ずしも不幸とは言えないのです。

地上人は肉体に覆われているため、霊的成長にともなう霊的喜びをストレートに実感することができません。しかし人間は本来、物質世界で生活しつつも霊的観点に立って物事を判断し、物質的な幸福観や価値観に翻弄されないような生き方をすべきです。「本当の幸福とは何か」がはっきりと分かるのは、霊界に行ってからです。『シルバーバーチの霊訓』をはじめとするスピリチュアリズムの霊界通信で述べられているように、地上生活において“真の幸福”とは何かを明確に知ることはできません。地上人は「霊主肉従」の努力を通して霊優位の状態を保ち、「物質的価値観」にとらわれることのない人生を歩んでいくことが大切です。霊的成長のための地上人生に、余分なモノやお金は必要ありません。質素な生活を心がけ、「利他愛の実践」に専念することが何よりも重要なことなのです。

地上の人間は、「霊」を中心とした人生こそが霊界に行ってから本当の幸福をもたらすものであることを知らなければなりません。地上人にとって“真の幸福”に至る道は、「霊主肉従」の生き方にあるのです。

シルバーバーチの「幸福観」の特色【4】――地上人にとって、肉体を維持するための最低限の条件を欠くことは不幸

エピクロスやミルは、人間の幸福を“肉体的幸福(喜び)”と“精神的幸福(喜び)”の2種類に分類し、本当の幸福は肉体的な喜びではなく、精神的な喜びであると説きました。人間は肉体的な幸福を求めるのではなく、精神的な高次の幸福を求めるべきであると主張しました。これは「霊的真理」を正しく言い当てています。では、地上人が肉体的な幸福を求めることは間違っているのでしょうか。シルバーバーチは、そうした問題についても「摂理」の観点から答えを示しています。

人間にとって真の幸福(霊的喜び)は、霊的成長の道を歩む中でもたらされるようになっています。神は人間に肉体という物質の身体を与え、一定期間、地上(物質世界)で過ごすように計画されました。肉体は、必要性があって神が地上人に与えたものです。本来は「霊的存在」である人間が、肉体という物質の身体を携えて地上で生活するのには大変な困難がともないますが、その困難こそが地上ならではの霊的成長を促すことになります。地上では、霊界とは違った形で霊的成長がなされるのです。

このように肉体は、霊的成長の一つの手段として与えられたものです。肉体は、地上世界特有の霊的成長のプロセスを歩むために神によって付与されました。その肉体には、物質(肉体)次元の喜びを感じる器官が備わっています。したがって、肉体的な喜びは神から与えられたものであり、それを味わうことは間違いではないということになります。肉体的な喜びを体験したからといって、摂理に反したことにはなりません。摂理に反するのは、霊的な喜びや霊を中心とした生き方を忘れて、肉体的な喜びだけに支配されてしまうことです。あるいは、肉体的な喜びを霊的な喜びよりも優先して求めることなのです。

霊的成長の道・霊的幸福に至る道を歩んでいるかぎり、肉体的な喜びを体験することは間違いではありません。肉体的な喜びは、肉体を維持するために与えられたものであり、食べ物がおいしく感じられるのはそのためです。おいしく食べることで、肉体の健康が維持されるようになっているのです。

現在の地球上では、多くの人々が“飢餓状態”に置かれています。最低限の食べ物にも不自由する中で肉体を弱化させ、死に直面しています。これは本当に悲惨な出来事であり、地球上の悲劇の最たるものの一つです。神から与えられた肉体生命が飢餓によって奪い去られるのは、実に不幸なことです。

しかし霊的観点から言えば、“肉体の死”それ自体が不幸ということではありません。肉体生命が奪われること以上に、地上で「霊的成長」の歩みができなくなってしまうことが不幸なのです。飢餓によって肉体生命を維持できず、せっかくの霊的成長の道が否応なく閉ざされてしまうことが真の意味での悲劇なのです。それは人間にとって最も価値ある霊的宝を失うことであり、まさに“最大の不幸”としか言いようがありません。飢餓によって死を迎えることは人間にとって実に悲惨なことですが、死に至らないまでも、飢えて肉体が極度に弱体化したような状態では、霊的成長に必要なエネルギーは得られません。飢餓状態に置かれた哀れな人々が霊的成長の道を歩むことは、とうてい不可能です。

霊的成長が犠牲になることを考えると、何としても地球上から飢餓を駆逐しなければなりません。肉体生命をおびやかす飢餓は、人間の霊的成長にとって“敵”と言うべきものです。飢餓という人類の敵は、地上人の「霊的無知」から発した“物質第一主義”と“利己主義”から生じています。スピリチュアリズムでは、地球人類が幸福になるためには“飢餓”という悲劇を解決することが不可欠であると考えています。地球上から飢餓をなくすことが、スピリチュアリズム運動の目的の一つとなっているのです。

シルバーバーチの「幸福観」の特色【5】――全人類の幸福は、一人一人の“霊的覚醒”と“魂の革命”が達成されたうえで初めて実現する

近世の“功利主義”は、多くの人間が幸福になるためにはどうすべきかをテーマとしてきました。スピリチュアリズムも人類全体が幸福になることを目指しており、「全人類の幸福を求める」という点では、功利主義とスピリチュアリズムには共通性があります。地球上の全人類を幸福にすることこそ、スピリチュアリズムの目的です。「地球上のすべての人間が幸福になってほしい」――これが霊界からスピリチュアリズムを推進しているイエスや高級霊たちの願いであり、スピリチュアリズム運動の原点なのです。

これまで宗教は、自分たちの教えが世界中に広まることによって地球人類は幸福になれると説いてきました。またある宗教では、救世主が登場して人類を真の幸福に導くことになると主張してきました。しかしそれが事実ではないことは、現実の歴史が証明しています。一方、人類に幸福をもたらす方法として政治や経済や社会制度の変革、あるいは科学技術の発達などが考えられてきました。多くの人々は自分たちの暮らしが苦しくなると、その原因を政治のせいにし、政治家が悪いから自分たちは幸福になれないのだと声高に叫んできました。しかし政治や社会制度を変革しても、人類が真の幸福を手にすることはできません。

人々が政治や社会制度に期待しているのは物質的満足であり、地上かぎりの幸福です。「物質的価値観」にとらわれている大半の人間は、物質面での環境がよくなれば幸福になれると単純に考えますが、そうではありません。どんなに物的環境が整い生活が豊かになっても、幸福は得られないのです。本当の幸福とは物質次元のものではなく、霊的・精神的次元のものだからです。人間はいくら物質的に満たされても、すぐに不満を抱くようになります。欲望はふくらみ続け、いつまでたっても完全に満足することはありません。それを考えると、政治改革などの物質次元の変革では、全人類を真の幸福に導くことはできないということが分かります。

政治や経済・科学・宗教・学問などのすべては、一人一人の人間を土台として成り立っているため、各自の内面(心)が変わらないかぎり、それらを通して真の幸福をもたらすことはできません。現在の人間の営みは、霊的無知から発した“物質第一主義”と“利己主義”のうえに成立しています。土台となる一人一人の人間が「物質的価値観」を否定して「霊的価値観」に立たないかぎり、どのような優れたシステムも人間を幸福に導くことはできず、単なる理想だけに終わってしまいます。

地球人類が“真の幸福”に至るためには、価値観の大転換が求められます。一人一人の人間が、根本から考え方を変える必要があります。地上世界に本当の幸福をもたらすためには、それぞれの人間が、モノやお金ではなく「霊的成長」に価値をおく生き方を実践しなければなりません。個人の利益を優先する利己主義ではなく、全体の利益を優先する「利他主義」を心がける以外に道はありません。すなわち「霊的真理」による一人一人の“魂の革命”こそが、全人類の幸福を実現することになるのです。

シルバーバーチの「幸福観」の特色【6】――地球人類全体の真の幸福は、霊界主導のスピリチュアリズム運動によって実現する

「人類の幸福は、一人一人の魂の革命から始まる」と言うと、多くの人々は観念的だとか理想論にすぎないと反論します。しかし、地球上に真の幸福をもたらすためには、それ以外に方法はありません。そして何よりも重要なことは、「地球人類全体の幸福は、霊界主導のスピリチュアリズム運動によって可能になる」ということです。地上に本当の幸福を招来するための“魂の革命”は、霊的真理が徐々に普及し、それを実践する人間が一人、また一人と増えていくプロセスを通してゆっくりと進展していくことになります。

スピリチュアリズムによる「地球人類救済計画」は、霊界の高級霊たちが総力を傾けて取り組んでいるプロジェクトです。これまでの人類の歴史には存在しなかった、初めての大計画です。どんなに時間はかかっても、スピリチュアリズム運動によって地上世界は確実に変化していきます。霊界主導の救済活動を通して、地球人類に本当の幸福がもたらされるようになるのです。

「全人類が幸福に暮らす地上世界の確立」と言うと、観念的な理想主義者が唱える荒唐無稽な話のように思われるかもしれませんが、霊界ではそうした世界が実現しています。霊界では「利他的精神」が行きわたっており、それが霊界人の常識となっています。お互いがお互いのために尽くし合う世界が、実際につくられているのです。全員が利他的な生き方をしている霊界には、自分のことを不幸だと考える者は一人もいません。幸福な世界が実現していないのは、私たちが住んでいる物質世界だけなのです。

地球人類全員が“真の幸福”を手にすることができる世界の確立は、決して夢物語ではありません。単なる理想論ではありません。「全人類が幸福を享受することができる世界」――すなわち“地上天国”は、スピリチュアリズムの発展とともに間違いなく実現していくことになります。

スピリチュアリズムによる「地球人類救済計画」こそが、人類全体に幸福をもたらすための唯一の道です。地上の宗教や思想・政治・経済・科学では、人類が幸福に至ることはできません。また、それは宇宙人の働きかけやキリストの再臨によってなされるものでもありません。“スピリチュアリズム”という霊界を挙げての働きかけだけが、地上に本当の幸福をもたらすことになるのです。スピリチュアリズムの最終目標である“地上天国”の実現は、霊的真理を手にした一人一人が「霊的新生」をなし、「霊的価値観」に立った人生を送ることから始まります。これが、シルバーバーチによって明らかにされた「幸福観」の内容です。地球人類全体の“真の幸福”は、スピリチュアリズムによって初めて達成されていくことになるのです。

シルバーバーチの「幸福観」のまとめ

  • 霊的成長こそが幸福の本質であり、霊的成長と幸福は一体不可分の関係にある
  • 大半の地上人は苦難を不幸と考えるが、地上人生で遭遇する苦難は霊的成長を促してくれるありがたいもの。苦しみや困難の多い人生だからといって、決して不幸ではない
  • 地上人が真の幸福を手にするための実践とは、「霊主肉従(霊中心)」の生き方である
  • 地上人にとって“飢餓”は、肉体を弱らせるだけでなく霊的成長を妨げることになるきわめて不幸な出来事である。地球上から“飢餓”をなくすことは、スピリチュアリズムの目的の一つである
  • 全人類の幸福は、一人一人の“霊的覚醒・魂の革命”が地球規模で引き起こされたときに実現する
  • 地球人類全体の“真の幸福”は、霊界主導のスピリチュアリズム運動によって達成される