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10.『シルバーバーチの霊訓』の画期的な「運命観」と「苦難の思想」

運命を恐れ、苦しみを避けようともがく地上人

地上人生を論じる際の重要なテーマの一つが、“運命”についてです。地上人生には、必ずと言っていいほど苦しみや困難がともないます。一般の人々にとって苦しみや困難は、不幸・不運以外の何ものでもありません。そのため誰もが日々、自分に降りかかってくるさまざまな苦難やトラブルを避けようともがいています。また、これから起きるかもしれない苦難やトラブルを前もって知ろうとして、占い師や霊能者の所に足を運ぶ人もいます。現代人の多くが占いに強い関心を持っているという事実は、科学技術が発達した現代にあっても、いまだに“運命”についての明確な見解(運命観)が確立されていないことを示しています。

人間は苦しみのどん底に立たされると、しばしば宗教に救いを求めるようになります。神仏にすがって不幸や不運から逃れようとします。また、除霊や先祖供養によって不幸を解消しようとしたり、墓相や家相を良くすることで災いを避けようとする人もいます。除霊や加持祈祷の類は、太古から行われてきたシャーマニズム信仰や呪術宗教と本質的に同じものであり、現代人の多くが古代人と変わらない世界に救いを求めているということを意味しています。

これまで宗教や思想によってさまざまな「運命観」が示されてきましたが、現代に至っても、全人類が受け入れることができる共通の運命観は確立されていません。シルバーバーチは霊的事実に基づいて、人類史上初めて完璧な「運命観」を地球人類にもたらしました。

「運命観」のさまざまな要素

地上人生では、思いがけない出来事が次々に発生します。神仏を信じず、唯物的世界観の中で生きている人間は、地上人生における苦しみや困難はすべて偶然に発生するもの、あるいは単に人間がつくり出したものであると思っています。そして苦難が我が身に降りかかると、“自分はただ運が悪かったにすぎない”と考えます。彼らは、居もしない神仏にすがるのは間違っていると思っているのです。しかし世の中の多くの人々は、自分の手に負えない苦難やトラブルに遭遇すると、何か特別な原因があると考え、神仏に救いを求めるようになります。

古来、地上人生における不幸や不運について、さまざまな原因が考えられてきました。不幸の原因を“悪霊の祟り・霊の障り”と捉える人もいれば、“サタンの仕業”と見なす人もいました。またある人は、“先祖が犯した罪”や“自分の前世のカルマ”が原因だとしてきました。家相や方角などが悪いと不幸が引き起こされるとする人もいました。

一方、運命について論じるときには、人間の“自由意志”の問題を無視することはできません。「運命は人間の努力によって変えられるものなのか?」それとも「運命は生まれつき決定していて変更することはできないものなのか?」といった疑問が湧いてきます。キリスト教などの一神教を熱心に信じる人々の中には、極端な宿命論者がいます。彼らは、「人間には自由があるように見えるが、実際はすべて神の予定の領域の中にある」「人間の運命は、神の意思によってすべて決められている以上、不幸を避けることはできない」と考えます。「運命観」を論じる際には、こうした“宿命”と“自由意志”の関係についても考慮しなければなりません。

世の中の多くの人々は、自分の将来の運命を知りたいと思っています。そして占いや運命鑑定や霊のお告げといったものに強い関心を持っています。「運命観」では、将来の運命を知ることができるかどうかという点についても考えなければなりません。また、すでに生じている不幸への対処法や、不幸が起きるのを防ぐための予防法があるかどうかといった点についても考慮する必要があります。

人間の“運命”について考えるときには、こうしたさまざまな問題に言及しなければなりません。本物の「運命観」とは、運命に関するあらゆる問題や疑問に明確な解答を示すことができるものなのです。

従来の宗教と「運命観」

「運命観」は、宗教にとって重要なテーマの一つです。なぜなら、苦しみの中にいる多くの人々が“救い”を求めて宗教に頼ってくるからです。そのため宗教は、否応なく人々の苦しみや不幸・不運の受け皿にならざるをえません。苦しみを不幸と捉えるのは、いずれの宗教においても同じです。大半の宗教は、人生において生じる苦しみや困難を解決することが宗教の役目であり、それこそが人々を救済することであると考えています。これまで宗教は、「何とか苦しみを解消したい、不幸から逃れたい」とすがってくる人々に “神仏への帰依”という形で救いの道を示してきました。

大半の人間は、苦難や不幸には何らかの原因があると考えています。「あらゆる出来事は偶然に発生したものである」「すべては単に人間の営みの結果にすぎない」と割り切って考えられる人間は、それほど多くいるわけではありません。人間は乗り越えがたいほどの苦難に遭遇すると、「何か特別な原因があるのではないか?」と考えるようになります。人間の“運命”は未知の原因や何らかの影響力によって決められており、苦難や不幸はそうした原因から引き起こされているのではないかと思いをめぐらせるようになります。

古来、人間に不幸をもたらす原因としてさまざまなことが考えられ、それによって数々の信仰が生まれました。まず、不幸の原因として「霊的なもの」が考えられました。“怨霊や物の怪の祟り”が病気や不幸を引き起こすとされ、人々は呪術によって対処しようとしてきました。また、神仏にすがり、神仏の力で不幸を取り除いてもらおうとする“ご利益信仰”も行われてきました。

一口に信仰と言っても、全く別の考え方をするものもあります。ユダヤ教やキリスト教やイスラム教などの一神教では、神の絶対的な支配を説いています。そこでは、苦難や障害は神に敵対する“サタン(悪魔)”を中心とした悪の勢力によって引き起こされると教えてきました。多くの信者は苦難に遭遇すると、それをサタンの妨害と見なし、信仰心が試される試練として受け止めてきました。サタンとの戦いを通して、神への信仰がよりいっそう深められると信じてきたのです。その一方で、自分に降りかかってくる苦難を神が与えてくれた訓練と捉え、それをあるがままに受け入れて神の意思にそっていこうとする考え方が生まれました。そうしたあり方が神に対する純粋な姿勢とされ、「すべては神の御心のままに」という信仰がつくり出されました。

神の意思に信頼を寄せる信仰のあり方は、スピリチュアリズムが説く「神の摂理」への絶対信仰に通じます。しかし、残念ながらキリスト教やイスラム教などの一神教は「神の摂理」に対する認識が間違っているため、人々の信仰心を的外れな方向に向けさせることになってしまいました。摂理による支配について正しく理解することができず、間違った信仰を生み出すことになってしまったのです。

また、地上には太古から「再生(人間の生まれ変わり)」を信仰の中心とする宗教が存在してきました。「再生」を説く宗教の多くが、現世での苦難や不幸は、前世での悪なる行為が原因となって引き起こされるものであるとしています。“因果応報”という言葉が、それを示しています。苦しみの原因は「前世の悪業(カルマ)」にある以上、カルマを解消すれば、今生の苦難や不幸は消滅することになります。しかし、何をもってカルマを解消することができるのか、という点でさまざまな見解が入り乱れ、決定的な解答は示されていません。再生を説く宗教では「カルマを切る」「カルマを解消する」と言うものの、その具体的な方法はそれぞれ違っています。

以上のように、宗教と運命観には深い関係がありますが、いずれの宗教も運命に関する正しい認識には至っていません。シルバーバーチは、これまで未解決のまま混乱状態にあった「運命の問題(運命観)」について、人類史上初めて霊的事実に基づいた画期的な見解をもたらすことになりました。

「運命観」をめぐる初期の英国系スピリチュアリズムの決定的な欠陥

スピリチュアリズムの思想は、さまざまな霊界通信を通じてもたらされた霊的知識によって形成されています。スピリチュアリズムは、従来の宗教では想像もつかないような数々の驚くべき霊的知識を地上にもたらしました。それは当然、宗教にとって重要なテーマである「運命の問題(運命観)」についても画期的な見解を示しています。ただし初期スピリチュアリズムでは、他のさまざまな思想テーマとは異なり、「運命観」に関してはそれほど関心が向けられませんでした。

初期スピリチュアリズムにおいて「運命観」があまり重要視されなかったことについては、理由があります。それは初期スピリチュアリズムを先導してきた“英国系スピリチュアリズム”が、長い間「再生はない」としてきたからです。英国系スピリチュアリズムでは当初「再生思想」を東洋の間違った思想であると決めつけ、無視してきました。

しかし重大な結論を言えば、地上人生における運命や苦難・不幸といった問題を明らかにするためには「再生」の事実を正しく理解することが不可欠です。英国系スピリチュアリズムが頭から「再生」を否定したことによって「運命観」に関する議論の扉が閉ざされ、その理解を決定的に遅らせることになってしまいました。英国系スピリチュアリズムの霊界通信の中には再生を肯定するものもありましたが、地上サイドで意図的に排除され、結果的に再生を否定する霊界通信だけが採用されることになってしまいました英国系スピリチュアリズムのバイブルと言われているモーゼスの『霊訓』は、再生を否定しているかのように思われてきましたが、実際はそうではありません。モーゼスの死後に出版された『続・霊訓』には、再生を認める内容が明確に示されています)

初期の英国系スピリチュアリズムは、死後の世界の様子(死後世界観)については詳細に解き明かしましたが、人間の運命(運命観)についてはほとんど取り上げることはありませんでした。「運命観」については、例外的に“悪霊の憑依”によって地上人にさまざまな障害や不幸が引き起こされることがあるといった程度の言及しかなかったのです。初期の英国系スピリチュアリズムの霊界通信の大きな目的は、霊界の実情を地上人に伝え、地上で正しく生きれば死後には幸福な生活が待っていることを「霊的事実」に即して教えることにあったと思われます。異論と偏見の多い「再生」についての真実を明らかにするのは時期尚早とされ、20世紀に入るまで持ち越されることになりました。

こうした理由から、初期の英国系スピリチュアリズムは「運命観」の解明においては目立った成果をあげることができませんでした。「再生」を否定したことが「運命観」の解明にとって致命傷となってしまったのです。しかしその英国系スピリチュアリズムでも、20世紀に入った頃から新たな再生観マイヤースの霊界通信など)が登場するようになりました。それまでの再生を否定する見解が改められて、再生に基づく「運命観」が説かれるようになったのです。

画期的な『霊の書』の運命観――スピリチュアリズムの「運命観」の骨格が完成

初期の英国系スピリチュアリズムが「再生」を否定したことによって「運命観」に明確な見解を示すことができなかったのとは対象的に、アラン・カルデックを中心とする“フランス系スピリチュアリズム(スピリティズム)”は、初めから「再生」を教えの中心としてきました。「再生」を軸としてスピリチュアリズムの思想を確立してきました。そして英国系スピリチュアリズムからごっそり抜け落ちてしまった重要な霊的真理を、フランス系スピリチュアリズムが補う形になりましたこの辺りに、霊界の高級霊による導きがあったことが推察されます)

以上のような背景のもとで、初期スピリチュアリズムにおける「運命観」は、フランス系スピリチュアリズムの中で展開することになりました。『シルバーバーチの霊訓』以前のスピリチュアリズムの霊界通信において明確な形で「運命観」を提示したのは、アラン・カルデック編の『霊の書』とマイヤース霊からの通信だけです。スピリチュアリズムが地上展開を始めてそれほど時間がたっていない時点で発行された『霊の書』には、ほぼ完璧な「運命観」が示されています。「再生」を思想の中心軸としたことで、人類史上初めての画期的な「運命観」をもたらすことになりました。

先に、運命観にはさまざまな要素があることを述べました。運命について論じるときには、「運命を決定する影響力とは何か?」「人間の自由意志が持つ意味とは何か?」「悪い運命を変えたり軽減することはできるのか?」「運命は生まれつき決定しているのか?」「これから生じる運命を前もって知ることはできるのか?」といった、さまざまな問題が関係してきます。優れた運命観とは、こうしたすべての問いに明確な解答を示すものです。

アラン・カルデック編の『霊の書』はまさに、そうした「運命観」に関するあらゆる問いに明快な答えを示しています。『霊の書』は、霊的進化を目的として再生が行われることを明確に述べ、そこから地上での運命が決められるとしています。これはシルバーバーチと同じ見解で、再生の目的を適切に捉えています。人間は霊界における生活の中で意識が変化し、自らの霊的進化(霊的成長)を目的として地上への再生を望むようになります。そして前世でつくった「カルマ」を清算するための苦しみの体験や試練を、自ら選択して地上へ誕生することになります。それが地上人生における“運命の大枠”を決定することになるのです。

以下の引用箇所には、『霊の書』の「運命観」のエッセンスが示されています。

「全部が全部、あなたが選んだものとは言えないからです。あなたが選ぶのはどういう種類の試練にするかということで、実際に誕生してからの細かい出来事は、置かれた境遇でそれに対処するあなたの態度が生み出します。(中略)霊は再生に際してはあらかじめ一つの人生行路を選び、その人生では大体かくかくしかじかの苦難を体験するであろうと予測します。つまり、人生の大まかなパターンを承知のうえで再生してきますが、それがどういう形の人間関係や事件・事故となって具体化するかは、置かれた境遇や時の流れの勢いによって決まる性質のものなのです。」

『霊の書―スピリチュアリズムの真髄「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.136

「再生する際に自ら選択した試練以外には必然的な宿命というものはありません。試練を選択することによって、そのようになる環境へ誕生しますから、自然にそうなるのです。もっとも私が言っているのは、物的な出来事(事故など)のことです。精神的な試練や道徳的誘惑に関しては、霊は常に善悪の選択を迫られており、それに抵抗するか負けるかのどちらかです。」

『霊の書―スピリチュアリズムの真髄「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.302

「(絶対に避けられないものが)あります。再生に際してあらかじめ予測して選択したものです。しかし、そうした出来事がすべて神の予定表の中に書き込まれているかに思うのは間違いです。自分の自由意志で行った行為の結果として生じるものであり、もしそういうことをしなかったら起きなかったものです。

例えば指に火傷(やけど)を負ったとします。その場合、指に火傷を負う定めになっていたわけではありません。単にその人の不注意が原因であり、あとは物理と化学と生理の法則のなせる業です。神の摂理で必ずそうなると決まっているのは深刻な重大性を持ち、当人の霊性に大きな影響を与えるものだけです。それが当人の霊性を浄化し、叡智を学ばせるとの計算があるのです。」

『霊の書―スピリチュアリズムの真髄「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.303〜304

「もし宿命性というものがあるとすれば、それは物的生活において、原因が本人の手の届かない、そして本人の意思と無関係の出来事に限られています。それとは対照的に、精神生活における行為は必ず本人から出ており、したがって本人の自由意志による選択の余地があります。その種の行為に宿命性は絶対にありません。」

『霊の書―スピリチュアリズムの真髄「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.304〜305

(質問)――では幸運の星のもとに生まれるとか、星回りの悪い時に生まれるという表現はどこから生まれたのでしょうか。

「星と人間とを結び付ける古い迷信から生まれたもので、愚かな人間が比喩的表現を文字どおりに受け取っただけです。」

『霊の書/スピリチュアリズムの真髄 「思想編」』(スピリチュアリズム普及会)  p.305

『霊の書』では、再生は「前世の罪の償い」と「霊的向上」を目的として行われると説いています。この2つの目的を達成するために、再生人生(地上人生)では、さまざまな試練(苦難)が生じるようになります。霊は地上への再生に際して、地上人生での試練の内容を自ら選択します。自分の“自由意志”に基づいて選んだ試練は、地上人生のしかるべき時期に必ず生じるようになります。地上人生では、自ら選んだ試練を中心として大きなパターンが形成されることになるのです。すなわち人間は、「生まれる前から人生の大枠が決定しており、誕生前に予定した試練(苦難)はいつか必ず起きるようになる」ということです。そうした点から考えるなら、「宿命論」にはある意味で正当性があると言えます。

しかし『霊の書』では――「再生に際して選択した試練は必ず生じてくるが、実際の地上人生のすべてが決まっているわけではない。人生の細かな部分までは決まっていない」と述べています。人間には神によって“自由意志”が与えられており、人間はそれを用いて自分の人生を築き上げていく権利を持っています。そのため実際の地上人生は、さまざまなバリエーションで展開するようになります。生まれつき人生のすべてが決まっているというわけではありません。その意味からすれば、機械的な「宿命論」は間違っているということになります。

人間にとって問題となるのは――「自ら選んだ試練(苦難の体験)に対して、どのような態度をとるか」ということです。地上人は霊界人と違って苦しみや困難を嫌がり、何とかしてそれから逃れたいと考えます。しかし、試練にしり込みして避けようとするなら、せっかくの霊的成長のチャンスを失ったり、罪の償いを先延ばしにすることになります。これは霊的に見ると“最大の損失”です。

地上人は、霊界において自ら選んだ試練(苦難)について全く自覚することができません。そのため身に降りかかってくる苦難を恐れ、占いなどによって自分の運命を知ろうとします。しかし、これまで地上で延々と行われてきた占星術などの占いの類は、すべて人間の無知から出た迷信であり、運命を正しく見通すことができるようなものではありません。

以上が『霊の書』の運命観のポイントです。『霊の書』の運命観は、宿命(生まれながらに決められている運命)と、実際の地上人生(現実の運命)の関係を初めて明瞭に解き明かしました。また“宿命”と“自由意志”の関係についても、画期的な見解を示しました。『霊の書』は、スピリチュアリズムが地上に展開を始めてそれほど時間がたっていない時点で、すでにこうした卓越した「運命観」を説いています。『霊の書』が“世界三大霊訓”と呼ばれるゆえんが、こうしたところにも示されています。

『霊の書』による「再生観」の中には、「運命観」としての骨格がほぼ完成した形で示されていますが、再生現象の仕組み(メカニズム)についての説明はほとんどなされていません。「再生現象」は、そのメカニズムが明らかにされないかぎり新しい思想として認知されることはなく、再生思想を説く従来の宗教と同じ立場にしか位置づけされません。こうした点で『霊の書』の再生観は、それまでの宗教の範囲を超えることができませんでした。『霊の書』は運命観としては完璧でしたが、それを支える「再生観」としては十分と言えるものではなかったのです。

そうした欠陥は、20世紀に入って登場した英国系スピリチュアリズムの霊界通信マイヤースやシルバーバーチの霊界通信)によって補われることになりました。そして、従来の宗教とは一線を画した「新しい再生観」が完成することになったのです。

さらに画期的な『シルバーバーチの霊訓』の運命観

運命についてのスピリチュアリズムの見解(運命観)は、『霊の書』によってその骨格がほぼ完成しています。シルバーバーチは『霊の書』に示されている運命観と全く同じ内容を、さらに詳しく述べています。

「地上に生をうける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するには、こういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識にあがってこないだけの話です。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.38

「人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。(中略)ある限度内の自由意志が与えられているのです。自由意志と言っても、大自然の法則の働きを阻止することができるという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠組みはできております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.38〜39

シルバーバーチも、再生には「前世のカルマ清算」と「霊的成長」という2つの目的があることを明確にしています。そして霊自らが、再生人生(地上人生)の試練(苦難)を選択する事実も明らかにしています。地上人生の大枠(大きなパターン)は誕生前に決められており、そのパターンの中で人間は“自由意志”に基づいて実際の人生を紡いでいくことになります。「誕生前に定められた“宿命”の中で、自由意志によって自分の人生を決定していく」ということです。こうして“宿命”と“自由意志”という矛盾した2つの要素が見事に一つにまとめられ、画期的な「運命観」が確立されることになりました。

また、シルバーバーチは『霊の書』と同じく、世間の人々が関心を寄せる占星術などの占いや運命鑑定の類について否定し、次のように述べています。「人生は森羅万象のあらゆる相の影響を受けており、それが地上人に何らかの影響を及ぼしていることは事実ですが、どれ一つとして人間が抵抗できないほど強力なパワーを持っているものはありません。生まれた日に、ある星が東の地平線上にあったからといって、その星によって人生が運命づけられるというのは事実ではありません。あらゆる天体、あらゆる自然物、宇宙のあらゆる存在物、あらゆる生命体が、何らかの影響を及ぼしてはいますが、あくまでも主人は人間自身です。最終的には自分で自分自身の運命を決定することになるのです」。このようにシルバーバーチは、天体や星などの物質的影響を全面的には否定していないものの、それらの影響力は人間の意志の力と比べると微々たるもの・取るに足りないものであると断言しています。

以上が、シルバーバーチが明らかにした「運命観」のポイントです。これは『霊の書』で述べられている「運命観」と全く同じものであることが分かります。シルバーバーチは、『霊の書』によって示された運命観を補足してさらに詳しく説明し、より完璧なものにしています。そして地球人類にとって最高の運命観を提示しています。『霊の書』で取り上げられている運命観の内容をより深めたものが、シルバーバーチの「運命観」ということになります。

シルバーバーチは“運命”に関して、それまで人類に知らされてこなかった数々の霊的知識をもたらしました。従来の宗教では明らかにされなかった“運命”についての真相を解き明かしました。それまでの迷信がらみの運命観は、シルバーバーチによって一掃されることになったのです。

さらにシルバーバーチは、『霊の書』で示された運命についての真相を詳細に説明するだけでなく、運命にどのように対処すべきかという点についても明瞭に述べています。「運命への正しい対処」について、詳しく解き明かしています。シルバーバーチによって地上での正しい生き方や運命に対する心がまえが説かれたことで、人類史上、最も画期的な「運命観」が確立されることになりました。

シルバーバーチは、人生における苦難の解決を宗教に求め、神仏にすがろうとする地上人に向けて次のように述べています。

「もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださることが私どもの真の目的なのです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.52

シルバーバーチは、地上人が遭遇する苦難を霊的観点に立って克服し、「霊的成長」という地上人生の目的を達成するように導きます。シルバーバーチは繰り返し――「人間は地上人生において耐えきれないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にない」と述べています。地上人は苦難を不幸・不運と考えますが、シルバーバーチはむしろよいものとして捉え、苦難に力強く立ち向かっていくように教えています。“苦難の意義”を明らかにすることによって苦難に対する地上人の考え方を180度変え、運命への正しい対処法を説いています。ここに『シルバーバーチの霊訓』の「運命観」の卓越性・画期性が示されているのです。

次に、シルバーバーチの運命観の大きな特色である「苦難の思想」について見ていきます。

地上人生における“苦難の意義”――「苦難の思想」はシルバーバーチの運命観の真骨頂

“苦難は不幸であり、不運なことである”という考え方は、地上人にとっての常識です。しかし霊的観点から見ると、それは事実ではありません。地上世界は神によって「霊的成長」のための訓練場として造られています。そのため地上人生では、さまざまな苦難やトラブルが生じるようになっています。

苦難の体験は、地上人の「霊的成長」にとって欠かすことができない“魂”の肥やしであり、必須の霊的栄養素です。大半の地上人は霊界についての知識が乏しく、「神の摂理」への理解もないため、苦難やトラブルを単に不幸な出来事として捉えます。そして苦難やトラブルから逃れようとして必死に神仏にすがり、助けを求めて祈ります。苦難の多くが霊的成長のために引き起こされていることが、全く理解できないのです。

霊的成長に対する願望が希薄な地上人は、苦難を不幸の元凶と考え敵視します。しかし霊界人は、苦難を霊的成長のチャンスとして歓迎します。霊的観点から見ると、苦難は霊的成長を促してくれるありがたいものなのですが、地上的観点から見ると、イヤなもの・避けたいものになるのです。霊的成長の重要性が分からなければ、苦難は人生の敵であり、苦難に遭遇することは不運そのものということになってしまいます。シルバーバーチが説く「苦難の思想」は、運命観や幸福観や救済観と表裏一体の関係にあります。

次に引用するシルバーバーチの言葉は、それをよく示しています。

「苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い煩うことのない人生を送っていては、魂の力は発揮されません。(中略)困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂の肥やしです。むろん困難の最中にある時はそれをありがたいと思うわけにはいかないでしょう。辛いのですから。しかしあとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこのうえない肥やしであったことを知って神に感謝するに相違ありません。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.57

「霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとって一番嫌なことが、実はあなたの祈りに対する最高の回答であることもあり得るのです。(中略)あなた方にとって悲劇と思えることが、私どもから見れば幸運と思えることがあり、あなた方にとって幸運と思えることが、私どもから見れば不幸だと思えることもあるのです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.58

シルバーバーチは「霊的成長至上主義」の観点に立って、地上世界における“苦難の意義”を繰り返し強調しています。シルバーバーチの主張は――「苦難は霊的成長を促してくれるありがたいものなのだから、霊的観点に立って苦難を甘受しなさい」という一言に言い尽くされます。シルバーバーチは、地上人生において生じる苦しみや困難は考え方を変えることによって“ありがたいもの”になることを説き、地上人に霊的視点を持って苦難に立ち向かうように教えています。他の霊界通信の中にも地上人生における苦難について言及しているものもありますが、『シルバーバーチの霊訓』ほど苦難の意義を強調し、その重要性を明確に述べているものはありません。シルバーバーチが明らかにした苦難の思想には、『シルバーバーチの霊訓』の「運命観」の独自性と画期性が端的に示されています。

シルバーバーチが説いている地上人生での“苦難の意義”をまとめると、次のようになります。

苦難の意義〈1〉――苦難は前世でつくったカルマを償い清算する

地上人生で遭遇する大きな苦難は、前世でつくった「カルマ(摂理違反)」が原因となっています。カルマは“魂”を縛る足かせとなって霊的成長を妨げます。さらなる霊的成長をなすためには、カルマを償って清算しなければなりません。人間にとって霊的成長は宿命であり、「摂理」の働きによってカルマ清算の道が自動的に展開していくようになります。それが地上人生で味わうことになる、さまざまな苦しみや困難です。苦難の体験を通してカルマが償われると、霊的成長の道がリセットされることになります。

霊的成長は、霊主肉従の努力や利他愛の実践によって促されます。これは自ら霊的高みを目指す努力であり、「積極的な霊的成長のプロセス」ということになります。それに対して、カルマを償って霊的成長の足かせを取り除くことは「間接的な霊的成長のプロセス」と言えます。苦難を甘受することによって「カルマ」の清算がすむと霊的成長の道がリセットされ、再び高い世界へ向かって歩み出すことができるようになります。その意味で苦難の体験は霊的成長を促してくれる重要なプロセスであり、霊的成長のための不可欠な要素ということになります。

苦難の意義〈2〉――苦難は地上人の霊的覚醒を促す

地上人は、苦しみのどん底に立たされると、物質世界にはもはや拠りどころがないことを実感するようになります。そして、おのずと霊的世界に意識が向くようになります。これが、窮地に立たされることによって得られる「霊的覚醒」です。死を前にして、それまで一度も神の名など口にしたことがなかった唯物論者が、神にすがるようになるのはそのためです。苦難の中で孤独な状態に置かれると、大半の人間はそれまで体験したことのない心境(意識状態)に至るようになります。人によっては、それを機に霊的世界に関心を抱き、再生前に決意した方向に自然と向かっていくようになります。

地上人生が自分の思いどおりに順調に進んでいるうちは、誰も自らの生き方を深く反省することはありません。人生を根本からやり直したいと考えるようなことはありません。ところがそうした人間も、苦難の体験によって“魂”が追い詰められ、逃げ場のない状況に陥ると、「霊的覚醒の時」を迎えることになります。そしてそれまでの物質的価値観から離れ、物質中心の生き方を反省するようになります。人間にとっての正しい生き方とは“物欲・肉欲”の満足を求めることではなく、「霊」を中心とした生き方であることを悟るようになるのです。地上人生において苦難に遭遇し、窮地に立たされる体験は、人間の意識を霊的世界・霊中心の生き方へと向かわせることになります。

苦難の意義〈3〉――苦難は魂(心)を鍛える

世間でもしばしば言われることですが、苦しみや困難は人間の心を鍛え強くします。地上時代に強化された“魂”は、霊界に行ってからもそのまま維持されることになります。このように人間が物質世界に誕生する目的の一つは、「魂(心)を強化すること」にあります。

重い肉体を持ち、物質的な環境の中で「霊中心」の生活を送るためには自己コントロールの努力が不可欠ですが、それには大きな困難がともないます。しかし、そうした厳しい環境の中でこそ“魂”は鍛えられ、潜在能力が引き出されることになるのです。また、苦しみの体験を通して「霊的視野」が広がり、霊的観点から物事を考えることができるようになっていきます。こうした点からも、苦難は霊的成長にとって“ありがたいもの”と言えるのです。

苦難の意義〈4〉――苦難は愛の心を深くする

地上世界で体験することになる苦しみの多くは、人間関係の中で生じます。地上は、人間関係のトラブルが次々と起きる所なのです。霊界では「霊的成長レベル」の等しい者同士が集まって霊的家族を形成し、共同生活を送っています。そこでは理想的な人間関係・愛の関係ができ上がっており、地上のようなトラブルは一切ありません。霊界では、霊的成長レベルに応じて生活場所が住み分けられているため、人間関係のトラブルは発生しないのです。

それに対して地上世界では、さまざまな「霊的成長レベル」の人間が同一平面上で生活しており、霊性の程度が異なる人間と常に顔を合わせなければなりません。そのため霊界と違って地上では、人間関係のトラブルや衝突が生じるようになるのです。

一般的に地上世界では、霊的に成長している人間は、霊的に未熟な人間によって悩まされることになります。霊的未熟者(霊的子供)はエゴ性が強く、自己主張をするからです。未熟な人間は自分中心の発言をし、自分勝手な行動をします。相手に対する気遣いや思いやりがありません。そのため霊性の高い者は、常に忍耐力と寛容性を要求されることになります。

地上世界では“霊的大人”から“霊的子供”まで同居しているため、絶えず愛の問題が発生します。そうした場所で利他愛を実践するには、たいへんな苦労と忍耐が必要となります。人間は、地上世界という厳しい環境の中で利他愛を実践することによって、基本的な霊的成長を達成していくようになっているのです。

愛の世界を築くことに困難がともなう地上世界において利他愛を実践する努力を通して、“愛の心”が深くなっていきます。愛の問題で苦悩し、それを乗り越えることによって同情心が養われ、霊的観点から相手に臨むことができる広い心が培われるようになります。魂に“真実の愛”が宿るようになるのです。

苦難の意義〈5〉――苦難は霊界人との霊的絆を強くする

スピリチュアリズムは、霊界のイエスを中心とする高級霊たちによって進められている「地球人類救済計画」です。スピリチュアリズムを推進する高級霊たちは、ひたすら地上人の救いを願う純粋な利他愛から、すべてを犠牲にして献身的に働いてくれています。また、私たち地上人それぞれの背後には、生まれてからずっと守り導いてくれている守護霊がいます。守護霊にも私利私欲は一切なく、私たちの霊的成長を願って最大限の努力を続けてくれています。

私たち地上人が、スピリチュアリズムのために働く高級霊や守護霊と思いを共有して人類への奉仕に励むとき、そこで体験する苦難は私たちと霊界の人々の心を強く結びつけることになります。私たちは地球の同胞の幸せのために働くことによって、これまで自分を導いてきてくれた霊界人と同じ苦労を体験し、高級霊や守護霊の愛と心情を実感できるようになります。高級霊や守護霊は、今、私たちが味わっている何倍、何十倍もの苦しみに耐え、一人一人のために常に愛を注いできてくれました。それを考えると、心の底から感謝の思いが湧き上がってきます。こうして霊界人と地上人との“霊的絆”が深められていくことになるのです。

霊界人との絆が強固なものになればなるほど、霊界から地上に向けて、よりいっそう強力に働きかけることができるようになります。霊界の人々の影響力が増大するにともない「霊界の道具」である私たちも、スピリチュアリズムのためにさらに大きな奉仕ができるようになるのです。