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12.『シルバーバーチの霊訓』の画期的な「信仰観」

シルバーバーチは霊的観点から、本物の宗教とはどのようなものかを示しました。本来の宗教は、教祖や宗教組織・熱狂的な布教活動・儀式などとは無関係であることを明らかにしました。従来の宗教は霊的無知と人間のエゴによって支配されてきたため、宗教とは関係のないものを不可欠な要素と考えてきたのです。シルバーバーチは、これまでの「宗教観」を根底から覆し、正しい宗教のあり方を明確にしました。

シルバーバーチが明らかにした“正しい宗教”とは、霊界人によって実際に行われている信仰生活に他なりません。それは、これまでの宗教の概念とは全く異なる宗教形式であり、地上のすべての宗教を超越しているという意味で「超宗教」と呼ぶことができます。スピリチュアリズムが説く正しい宗教とは、「超宗教」としてのあり方のことなのです。

シルバーバーチは、これまでにない形で宗教について解き明かしました。それは必然的に、宗教と表裏一体の関係にある信仰についても、かつてない画期的な内容を示すことになりました。「超宗教」としての信仰が、「スピリチュアリズムの信仰」ということになります。では、その信仰とは、いったいどのようなものなのでしょうか。スピリチュアリズムを「超宗教」と定義するなら、その信仰は「超信仰」ということになります。それは、従来の地上の宗教には全く存在しない信仰形式であることは言うまでもありません。

シルバーバーチは、地球人類が今後なすべき“新しい信仰”の形を明確に描き出しました。それがここで見ていくシルバーバーチの「信仰観」です。信仰についての見解や考え方が「信仰観」ですが、シルバーバーチはまさに、これまで地上に存在しなかった画期的な「信仰観」を地球人類にもたらしたのです。

シルバーバーチの「信仰観」の特色【1】――従来の組織宗教が説いてきた信仰は、ことごとく間違い

シルバーバーチは――「これまで地球上に存在した宗教は、ことごとく失格である」という厳しい見解を述べています。その理由として、宗教の土台となり信仰の方向性を決定する知識(教義)が「霊的事実」からかけ離れている点を挙げています。組織宗教では、霊的事実に基づかない間違った知識や人工的な知識を、さも真理であるかのように説いてきました。偽りの教えを、まるで“神の声”のごとく装って人々に強要してきました。真実ではないデタラメな教義を正しい教えのように思わせて、人々を狂信・盲信へと駆り立ててきたのです。これまでの組織宗教における信仰は、偽りの教えの上に展開されたものでした。

こうした意味でシルバーバーチは――「従来の宗教が行ってきた信仰は、すべて間違っている」と断じるのです。

シルバーバーチの「信仰観」の特色【2】――組織と儀式を中心とする信仰は間違い

これまでの宗教が人々に正しい信仰を指導することができなかった1つ目の理由は、今述べたように「真理を土台としていなかった」ということです。さらに地球上の宗教が本来の立場から逸脱してしまった2つ目の理由は、「宗教が組織を形成し、その中で人々に間違った教えを強いてきた」という点にあります。真実からかけ離れた教義による洗脳は、人々をよりいっそう間違った方向へ導くことになってしまいました。

間違った教えも、一人で実践している分にはそれほど大きな弊害をもたらすことはありませんが、宗教組織の圧力を受け続ける中で霊的弊害は増幅され、徐々に修正できないところにまで至ってしまいます。人々の魂は“霊的牢獄”に閉じ込められ、霊的成長をなすことができなくなってしまいます。霊的な窒息状態に追い込まれてしまうのです。間違った教えを繰り返し吹き込まれることで、それが「潜在意識」にまで定着し、死後においてもその間違いを修正することができなくなります。そして結果的に、霊界人にたいへんな犠牲と苦労を負わせることになってしまいます。

スピリチュアリズムが明らかにした正しい信仰とは、「神」と「神の摂理」を信仰対象とし、これを絶対崇拝する生き方のことです。すべての地上人にとって、信仰対象は「神」と「神の摂理」以外にはありません。ところが組織宗教では、信仰対象を「神」から教祖や幹部・組織へとすり替えてしまいます。口では神の名を唱え、神への礼拝を勧めるものの、実質的には“教祖”を崇拝することが信仰とされ、“組織”に忠実であることが神の意向にそうことであるとされてしまうのです。信者にとっては、組織の指導を鵜呑みにし、言われたとおりにしているだけで神の御心に適っているとされるのですから、とても気楽です。しかし、そうしたあり方は信仰の本質から大きく外れており、必然的に人間にとって一番大切な「霊的成長」を阻害してしまうことになります。

宗教とは本来、「神」と「神の摂理」を信仰対象として一人一人が自己責任のもとで真理を実践し、霊的成長を達成していくことを促すものです。信仰に組織は不要であり、これまでの宗教が重要視してきたさまざまな儀式も必要ありません。大切なことは儀式ではなく真理の実践であり、摂理にそった日常生活です。摂理に一致した正しい生き方が、そのまま信仰となるのです。シルバーバーチは――「儀式という儀式をすべて取り払っても、何の問題もありません」と断言しています。組織宗教では、独自の儀式を行うことによって特別な救いや恩恵がもたらされるようになると主張しますが、それを立証する霊的事実はどこにも存在しません。すべて人工的な間違った教えなのです。正しい信仰には、組織も儀式も一切必要ありません。それらは人々の霊的成長を阻害する、一刻も早く撤廃すべきものです。

以上が、シルバーバーチの「信仰観」の2つ目の内容です。

シルバーバーチの「信仰観」の特色【3】――「真理」が本物の信仰の土台

「宗教も信仰も、すべて真理(神の摂理・正しい霊的知識)を土台とすべきである」というのが、シルバーバーチの「信仰観」の最も重要なポイントです。しかし、これまでの地上の宗教はその大原則から外れていたため、人々を霊的成長の方向へと導くことができませんでした。それどころか霊的成長とは無関係な方向・間違った方向に人々を追いやり、せっかくの地上人生を無駄にさせてきました。それが、さまざまな悲劇を発生させる原因ともなってきました。

シルバーバーチが宗教・信仰の土台でなければならないとしている「真理」とは、「正しい霊的知識」と「正確な霊界の情報」、そして神が被造世界と被造物を造った際にそれらを支配し運行させるために設けた「摂理(法則)」のことを意味しています。シルバーバーチは、こうした「真理」を宗教の土台とし、信仰の出発点としなければならないと主張しているのです。

スピリチュアリズムは、さまざまな霊界通信を通して地上世界に膨大な「霊的真理・霊的知識」をもたらしました。それらはすべて地球上に正しい宗教と信仰を確立するためだったのです。霊界の高級霊たちは、地球人類に正しい信仰生活を始めさせるために、総力を傾けて霊界通信を演出してきたのです。

宗教は本来、人間の「霊的成長」を促す手段であり、それ以上の意味はありません。したがって宗教は、何よりも「霊的成長」を促す方向へと人々を導いていかなければなりません。さらには、そのための具体的な実践内容も明らかにしなければなりません。スピリチュアリズムの霊界通信の中でも特に『シルバーバーチの霊訓』は、こうした問題に明確な解答をもたらしました。

シルバーバーチの「信仰観」の特色【4】――信仰の土台となる真理の受容は、「霊性」と「理性」に基づいて自発的になされるべき

「真理(神の摂理・正しい霊的知識)」は、本物の信仰の出発点となります。スピリチュアリズムの霊界通信の最高峰である『シルバーバーチの霊訓』は、地球人類の霊的救済と霊的成長にとって不可欠なさまざまな真理をもたらしました。私たちが限られた地上人生の中で『シルバーバーチの霊訓』と出会ったということは、実に幸運なことなのです。

大半のスピリチュアリストは、偶然『シルバーバーチの霊訓』と出会い、「これこそ本物だ!」と直感して人生の拠りどころにしようと思い立ちました実際には偶然ではなく、霊界の導きによって出会ったのですが……。スピリチュアリズムの霊界通信によって示された内容(霊的真理・霊的知識)を真実であると直感し、それを人生の指針にしようと考えた人間は、その時点ですでに他の宗教の信仰者とは違う立場にいます。「スピリチュアリズムに最高の価値と真実性を認めた」という点で、他の信仰者とは霊的立場が異なっているのです。そしてそうした人間を“スピリチュアリスト”と呼びます。『シルバーバーチの霊訓』と出会い、そこに最高の価値を認め、人生の拠りどころにしようと決心した時点で、私たちはスピリチュアリストになったのです。

しかし、誰もが簡単にスピリチュアリストになれるわけではありません。『シルバーバーチの霊訓』を手にしても、そこに最高の価値と真実性を認めることができなければスピリチュアリストにはなれません。実はこうした判断は、すべて「霊性」に基づく“直感”によってなされるものなのです。一定の霊性レベル(霊的成長レベル)に至ると、霊的直感力が働いて真実かどうか判断することができるようになります。私たちが『シルバーバーチの霊訓』に触れたとき、「これこそ本物だ!」と認めることができたのは、それ相応の霊性が備わっていたからなのです。大半のスピリチュアリストは、こうして『シルバーバーチの霊訓』を受け入れることになりました。

このように霊的真理の受容には「霊性」が重要な役割を果たします。しかしシルバーバーチは、霊性による直感だけでは十分ではないと言っています。「直感的に正しいと思った内容を、もう一度、自分の理性に照らして吟味しなさい」そして「理性的に受け入れがたい内容であるなら、それを否定しなさい」と教えています。理性が納得できないものについては決して受け入れる必要はない、と言っているのです。さらに、シルバーバーチ自身が語った内容であっても、もし理性が納得できないのなら否定しても構わない、と述べています。シルバーバーチは、他の霊界通信についても理性に照らして判断するという姿勢を徹底すべきだと強調しています。どこまでも「霊性」と「理性」に基づいて、真実であると判断したものだけを信仰の土台にすべきである、と説いているのです。

「スピリチュアリズムは受け入れられない、シルバーバーチは信じられない」と言う人には、まだ真理を受け入れる時期がきていません。そうした人に、無理をしてスピリチュアリズムを勧める必要はありません。今は時期がきていない人も、その後の人生のさまざまな体験を通して霊性が高められ、いずれ自ら真理を求めるようになるのです。

シルバーバーチが明らかにした「霊的真理の受容」に関する見解には、深い意味があります。地上の宗教は、自分たちの組織を拡大するために熱狂的な布教活動を展開します。そして自分たちの教えを無理強いしてでも相手に受け入れさせようとします。信者たちに、それが信仰であり、相手に対する愛であるかのように教えます。相手の宗教を強引に否定して自分たちの宗教に改宗させることが、相手に“救い”をもたらすことであると信じ込ませるのです。

「霊的真理の受容」は、スピリチュアリズムの布教活動(伝道)にも直接関係します。しかし、シルバーバーチが説く「霊的真理の受容」のプロセスには、これまでの組織宗教の布教のような強制や強引さはなく、脅しや洗脳といった不自然さもありません。シルバーバーチは、従来の組織宗教の布教方法を間違ったものとして否定しています。スピリチュアリズムの布教(霊的真理の伝道)は、本人の「霊性」と「理性」に基づいて自発的になされるものであり、そうした自発的なプロセスから本当の信仰が始まるのです。

シルバーバーチの「信仰観」の特色【5】――霊的真理の正しい理解が「本物の信仰」の出発点

『シルバーバーチの霊訓』に出会ったからといって、それで正しい信仰が始まるわけではありません。真理はどこまでも、正しい信仰のための指針であり、正しい方向性を示す羅針盤です。手にした真理を信仰の指針とするためには、まず真理を正しく理解することが不可欠です。霊的真理の正しい理解が、本物の信仰の出発点なのです。真理を手にしても、それを正しく理解することができないなら、いつまでも信仰を始めることはできません。

とは言っても、膨大な霊的知識を正しく理解するのは並大抵のことではありません。自分が気に入った一部分だけを暗記しても全体を理解することはできず、偏った理解に終わってしまいます。せっかく『シルバーバーチの霊訓』に出会っても、残念なことにそれを正しく理解している人はあまりにも少ないのです。その結果、多くのスピリチュアリストが、真理を知らない世の中の人々と同じような生活を送ることになっています。最高の真理を手にしたという恩恵を活かせないまま、世俗の中に埋没しています。『シルバーバーチの霊訓』などの真理を読んだときには感動しても、それが日常の考え方や生き方に反映されなければ“宝の持ち腐れ”になってしまいます。最高に価値ある真理が、意味のない文芸作品や単なる文字の羅列と同じ扱いを受けることになってしまうのです。

正しい考え方・生き方を真剣に求める人や、他の宗教に幻滅して本物の人生の指針を求める人は、まず真理の内容を正しく理解しようとします。そしてそこから考え方・生き方の拠りどころを見いだそうとします。「真理を正しく理解したい!」との思いは、「実践のための霊的知識を明確化したい!」という意欲を喚起します。

スピリチュアリズムが地上で展開を始めてから、わずか160年ほどしか経っていません。人類の長い歴史の中でスピリチュアリズムが始まったのは、つい最近のことなのです。こうした歴史の浅さゆえに、現在のスピリチュアリズムは「真理の理解」という点で不十分な段階にあります。スピリチュアリズムは今、霊界通信によってもたらされた「霊的知識を正しく理解する」という段階に、やっと差しかかったところです。スピリチュアリズム運動を主導している霊界の高級霊たちが認めるスピリチュアリズムの展開は、始まったばかりなのです。霊界からもたらされた霊的知識の正しい理解・全体的な理解は「正しい信仰」のために欠かせないものですが、それはスピリチュアリストたちの今後の努力にかかっているのです。

シルバーバーチの「信仰観」の特色【6】――正しい信仰とは「霊的真理」を実践すること

『シルバーバーチの霊訓』に出会ったというだけでは、信仰を始めたことにはなりません。信仰をスタートさせるためには、霊的真理を正しく理解することが不可欠です。しかし真理を正しく理解したからといって、まだ本物の信仰とは言えません。真理は、実践の指針として示されたものです。「正しい信仰」とは、霊界からもたらされた霊的真理を実践することに他なりません。したがって真理を実践しようとしないなら、永遠に正しい信仰にたどり着くことはできず、“絵に描いた餅”に終わってしまいます。

霊界通信によってもたらされた霊的知識は、膨大な量にのぼります。一通り読むだけでも、たいへんな時間と労力が要求されます。しかしその膨大な霊的知識も“実践”に焦点を絞ってポイントを探っていくと、実に簡単な内容にまとめられます。実践のための霊的知識は、実にシンプルです。

シルバーバーチによってもたらされた膨大な霊的知識を日常生活における実践項目としてまとめると――「霊主肉従(霊優位)の生き方」「利他的な行為(利他愛の実践)」「苦難の甘受」という3つになります。シルバーバーチが真理の実践として掲げ、繰り返し説いている内容はこの3点に集約されます。この3つの項目こそ、正しい信仰の具体的な内容です。別の角度から言えば、この3つの項目を実践しようとする段階に至って初めて、シルバーバーチが説く真理を本当に理解したことになるのです。

日常生活における霊的コントロールによって「霊主肉従の状態」を保つ努力をし、「利他的な行為」に励むことが真理の実践であり、それこそが正しい信仰です。この2つの実践の中には“神への愛”と“人類愛”が同時に含まれています。この2つの実践を通して人間は「神の摂理」に一致し、霊的成長が促されるようになっています。あえて神に祈らなくても、神を愛することになるのです。

シルバーバーチは、たとえ神に祈らない人でも、また神の存在を否定する人であっても「霊主肉従の努力」と「利他愛の実践」という神の摂理に一致した生き方を心がけているなら、その人は真の意味で宗教的である、と述べています。宗教組織に属さず、神への祈りをしなくても、日々の生活において真理にそった実践をする人は信仰的な人間である、ということです。神の存在を認めていなくても、その人の生き方は神の御心に適っており、正しい信仰をしていることになるのです。それとは反対に、毎週欠かさず教会に足を運び、熱心に神に祈りを捧げていても「霊主肉従の努力」と「利他愛の実践」をしていないなら、見かけは信仰者のようであっても本当は宗教的な人間ではない、信仰者ではないということなのです。

このように言うと、シルバーバーチは「祈り」を軽視しているように感じるかもしれませんが、実際にはシルバーバーチは「祈り」をきわめて大切なものとしています。そして一日のうち、わずかな時間であっても祈りの時を持つように勧めています。シルバーバーチは「祈り」を、どこまでも真理を実践するための“手段”と位置づけています。「霊的エネルギーを取り入れて霊的意識を引き上げる」という、実践のための準備としての霊的活動の一つと見なしています。シルバーバーチは、こうした意味で「祈り」に重要性を認めているのです。

従来の宗教が「祈り」を信仰の目的そのものとし、救いを得るための不可欠な要素としているのとは根本的に異なっています。

シルバーバーチは――「人間の価値は何を信じるかではなく、何を実践しているかで決まる」と述べ、従来の宗教の常識を覆しました。神の存在が信じられないという人であっても、摂理に一致した生活を送っているなら、その人は正しい信仰者と言えるのです。

シルバーバーチはしばしば――「真理の上に信仰心を積み上げたものが正しい信仰です」と述べています。霊的真理という土台の上に「神」と「神の摂理」への絶対信頼という信仰心を積み上げ一つにしたものが、シルバーバーチの言う正しい信仰です。ここでシルバーバーチが言っている「真理」という言葉には、「真理の受け入れ」「真理の正しい理解」「真理の忠実な実践」の3つが含まれています。この3つの内容のトータルを「真理」と表現しているのです。これが正しい信仰の土台となる「真理」の意味です。

シルバーバーチは、こうした正しい信仰をしている人間を“真のスピリチュアリスト”と呼んでいます。自分でスピリチュアリストと称しても、真理を正しく理解せず、実践もしない人間は、本物のスピリチュアリストとは認められません。“スピリチュアリスト”という呼称はどこまでも便宜的なものであって、真理を正しく実践している人間はスピリチュアリズムを知らなくても、真の意味で“スピリチュアリスト”ということになるのです。

霊界では「霊的真理」がすべての霊たちの人生の指針となり、日々の生活の拠りどころとなっています。そして皆が、実際に利他的な生き方をしています。地上のように利己的な生き方をしている者はいません。その意味で霊界人は全員、“本物のスピリチュアリスト”と言えます。幽界の下層を除いた霊界は、真のスピリチュアリストだけで成り立っている世界なのです。

シルバーバーチの「信仰観」の特色【7】――知識の及ばないところは「神の摂理」への絶対信頼を持ち、摂理に委ねる

これまで述べてきたように、シルバーバーチは徹底して「真理(神の摂理・霊的知識)」を信仰の土台とします。そして正しい信仰とは、真理の忠実な実践であると断言します。「真理の実践」こそが信仰の本質であって宗教組織は一切必要はない、祈りも必ずしも信仰にとって不可欠な要素ではないと言っています。その人の実際の行為と生き方が本物の信仰者・真のスピリチュアリストであるかどうかを決定することになる、と説いているのです。

さらにシルバーバーチは、信仰に関するもう一つの重要な内容を述べています。正しい信仰とは真理を土台とし、真理を実践することに他なりませんが、もし真理(霊的知識)で理解できない場面に遭遇したときには、「神」と「神の摂理」の絶対性を無条件に信頼し、すべてに良き計らいがなされていることを思い出すようにと教えています。シルバーバーチは――「神の摂理(利他愛の法則)に忠実に生きようとする姿勢があるなら、結果的にはすべてが良い方向に展開していくことを信じなさい」と言っているのです。自分なりにあれこれと考えをめぐらせるのではなく、「神」と「神の摂理」を絶対的に信じることが大切であるとし、それが本当の意味での“信仰心”であると教えているのです。「神」と「神の摂理」の絶対性を無条件に信じることが、神と摂理への信仰心です。「神」と「神の摂理」に全幅の信頼を置き、これに全面的に委ねること――すなわち「神」と「神の摂理」への絶対信頼こそがシルバーバーチの言う“信仰心”なのです。 これまでに身につけた知識では理解が及ばないときには「神」と「摂理」への信仰心を持ち、それに委ねなさいということです。これまでの知識では解答が得られないときには、「神がすべて良きように導いてくださっていることを信じなさい」と教えているのです。これが「神」と「神の摂理」への絶対信頼であり、本当の信仰心なのです。シルバーバーチは繰り返し「真理の上に信仰心を積み上げなさい」と言っていますが、その信仰心とは今述べたことを意味しています。

ここで勘違いしてはならないのは、「真理を無視して神への絶対信頼を持ち出しても正しい信仰にはならない」ということです。どこまでも「真理」が信仰の土台であり、実践の指針です。真理に立ったうえでの絶対信頼、真理を土台とした信仰心でなければなりません。従来の宗教は、真理という土台がないところで好き勝手な歩みをしておきながら、その一方で神への絶対信頼・絶対服従を説いてきました。しかしそれは砂上の楼閣に等しいもので、とうてい正しい信仰とは言えません。

「神の摂理」は、真理と同一です。したがって「神の摂理」に対して絶対信頼を寄せることは、それ自体が真理の実践になっています。やみくもに神への絶対服従を主張するのがこれまでの宗教のあり方でしたが、シルバーバーチは「神の摂理」の完璧性を証として、「神」と「摂理」への絶対信頼を説いています。神に対する盲目的な信頼を主張しているわけではありません。神が造った摂理の完璧性という証拠に基づいて、「神」と「神の摂理」に対する“絶対信頼・真の信仰心”を持ちなさいと教えているのです。

シルバーバーチの「信仰観」の全体を図示すると、次のようになります。これはシルバーバーチが説く“正しい信仰”を示したものです。

シルバーバーチの「信仰観」の全体