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『シルバーバーチの霊訓』関連の年表

1902年

霊媒「モーリス・バーバネル」誕生
無神論者の父親と敬虔なクリスチャンの母親の間に生まれる。二人が宗教の是非について議論するのを聞いて育ち宗教や信仰を嫌悪するようになるが、特別な霊的な経験もないごく普通の人間であった。

1914年〜1919年

第1次世界大戦

1920年

「シルバーバーチ」の出現
バーバネル(当時18歳)が女性霊媒ブロースタインの交霊会に2度目に出席したときに入神し、「シルバーバーチ」が初めて言葉を発する。このことをきっかけにその後、バーバネルの自宅で10年余りにわたって不定期に交霊会(ホームサークル)が催されるようになる。霊言は記録されていない。

1924年

ハンネン・スワッハーがスピリチュアリズムの真実性を確信
スワッハーが出席したデニス・ブラッドレーが司会を務める交霊会に、ジャーナリスト界の大先輩であるノースクリッフ卿が出現し、語りかけられる。その内容が二人しか知らないことだったため、死後存続を確信する。

モーリス・バーバネル(左)とハンネン・スワッハー(右)

モーリス・バーバネルとハンネン・スワッハー

※1929年9月に、ノーザンプトン(Northampton/イギリス中東部)の スピリチュアリスト・チャーチを訪れた際の写真(Northampton National Spiritualist Church より)

1932年

バーバネルが「サイキック・ニューズ」紙を創刊
同紙は「シルバーバーチの霊訓」を世に送り出すために霊界によって準備されたものと言われている。バーバネルは当時商売をしていたが、編集長として心霊紙「サイキック・ニューズ」(週刊紙)の発行をするようになり、事実上廃業した。

1930年代前半

「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」発足
シルバーバーチの霊言に感銘を受けたスワッハーは、交霊会の会場を自宅に移す。毎週1回・金曜の夜(約1時間半)定期的に交霊会を催し、速記によって霊言を記録するようになる。(後にテープにも録音されるが、市販を目的としたカセットテープは一つしか残っていない)

1935年頃(推定)

「サイキック・ニューズ」紙上に「シルバーバーチ霊言」の連載を開始(毎週定期的)
度重なるスワッハーの心霊紙への霊言掲載の進言に対して、バーバネルは「自分が霊媒であることを内密にする」という条件で連載を承諾した。また、バーバネルが同じく編集長を務める心霊紙「ツー・ワールズ」にも掲載される。(「ツー・ワールズ」は100年以上の歴史を誇る世界で最も権威ある心霊紙。当初は週刊紙、後に月刊誌となる)

1938年

『Teachings of Silver Birch(シルバーバーチは語る)』刊行
シルバーバーチの霊言が初めて霊言集としてまとめられ、サイキック・ニューズ社から刊行される。その後、現在(2006年)まで16冊の霊言集が刊行されている。

1939年〜1945年

第二次世界大戦
大戦勃発後、交霊会の開催は2週間に1回となるが、大戦中も中断することなく継続された。

1957年

「ツー・ワールズ」紙上でバーバネル自らが霊媒であることを公表

1962年

ハンネン・スワッハー他界(83歳)
その後、交霊会の開催はバーバネルの自宅へ移り、月1回となる。

バーバネルが住んでいたアパート(ロンドン)

バーバネルが住んでいたアパート

1971年

トニー・オーツセンがサイキック・ニューズ社に入社(20歳)
バーバネルが最も信頼していた部下。20歳の誕生日プレゼントに初めてシルバーバーチの交霊会に招待される。(バーバネル亡き後、「サイキック・ニューズ」紙の編集長となる。いったん退社したが、2003年に再び編集長に就任する。「ツー・ワールズ」誌の編集長も務める)

バーバネル夫妻と、若き日のトニー・オーツセン

バーバネル夫妻と、若き日のトニー・オーツセン

交霊会の開催が不定期となる

1980年

近藤千雄氏の翻訳によるシルバーバーチ霊言集の出版

1981年7月17日

モーリス・バーバネル、自宅にて心臓発作で他界(79歳)
シルバーバーチの使命も終了する。