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6.スピリチュアリズム史上の優れた霊界通信

ここではスピリチュアリズムの歴史上、高級霊訓と認められたもの、そして信憑性と歴史的意義が認められたいくつかの通信を紹介します。実際にはここで取り上げるもの以外にも優れた霊界通信が存在しますが、省略します。

スウェーデンボルグの『霊界探訪記』

霊界通信とは、霊界から送られてくるメッセージを地上の霊媒者が受け取って伝えるものです。したがって地上人が“幽体離脱”した状態で霊界を訪問し、その様子を伝えた霊界探訪記は、正式な霊界通信とは言えません。しかし霊界研究とその歴史を語るとき、どうしても名前を挙げなくてはならないのが、スウェーデンボルグによる『霊界探訪記』です。

彼の生きた時代は、近代スピリチュアリズムを1世紀さかのぼる18世紀です。スウェーデンボルグは霊的な能力を発揮し始める以前に、人望厚い科学者として、押しも押されもしない専門的地位と社会的名声を築いていました。その彼が56歳のときに幽体離脱体験をするようになりました。そして幽体離脱の状態で、100回以上にわたって霊界を見てくることになったのです。

彼は晩年、こうした自分の体験を16冊の大著に書き記しました。科学者としての丹念な分析と論理性を持った死後の世界観は、それまでのキリスト教の考えを根本から覆すような画期的なものでした。それは死後の世界を初めて科学者の目を通して研究したもので、人類思想史上、大きな足跡を残しました。その内容は、今日のスピリチュアリズムと比較しても大枠で一致します。ただ時代的影響は免れえず、その貴重な体験と見事な分析にもかかわらず、キリスト教思想の影響がかなり残っており、今一つ正確さに欠けるきらいがあります。

スウェーデンボルグのような体験幽体離脱しての霊界訪問)は、現在では“臨死体験”として世間一般にも知られるようになりました。臨死体験は、特殊な人間に生じる特殊な現象、きわめて稀な現象として考えられています。しかし実は大半の人間が、睡眠中に毎晩のように臨死体験をしているのです。ただ起きてから、その体験中の記憶を思い出せないだけのことなのです。そうした人間に催眠術をかけてみると、睡眠中の体験を思い出すようなことがあります。

スウェーデンボルグの場合は、彼自身に優れた霊能力があったということ以外に、背後霊によって記憶が失われないように配慮されていたため、覚醒後、睡眠中に訪れた霊界の様子を詳しく記述することが可能になったものと思われます。

リンカーンと交霊会

アメリカ大統領リンカーンが、霊界通信に大きな関心を持っていたことは、つとに有名です。それにまつわるエピソードを1つ紹介します。

南北戦争が始まった1861年フォックス家事件の十数年後)から3年間、リンカーンは、ネッティ・コルバーンという若い女性霊媒による交霊会を催しています。交霊会には常に大勢の同席者がいました。初めての交霊会で、霊側は1時間以上にわたって国事についてのアドバイスをしました。霊媒ネッティに意識が戻ってからリンカーンは、彼女に次のように言っています――「あなたは、たいへん非凡な才能をお持ちのようだが、それが神から与えられたものであることに、私は一点の疑いも抱いていません。私はおそらく、ここにいる誰よりも、今伝えられたことの重要性を理解しているつもりです……

霊側がリンカーンに勧めたアドバイスの1つは、奴隷解放の実施を遅らせないことでした。彼は結果的に、そのアドバイスに従って600万人の奴隷を解放することになりました。また霊側は、南北戦争で士気の低下した北軍兵士を元気づける一番の方法は、大統領自らフレデリックスバーグの前線に赴くことであると説得しました。リンカーンがそれを実行すると、兵士たちの戦意が驚くほど向上しました。

アラン・カルデックと『霊の書』

フォックス家事件から5年後、早くもフランス人アラン・カルデックが、自動書記を用いて霊界通信を始めています。通信霊は、聖ヨハネ・パウロ・ソクラテス・プラトン・スウェーデンボルグなどと言われています。カルデックは霊界からの通信を編集して、スピリチュアリズム思想を体系化しました。これが『霊の書』で、“スピリチュアリズム時代”到来後、初めての組織的・計画的な全人類向けの霊界通信の第1号です。

カルデックが、きわめて率直な質問を投げかけ、それに対して霊側が答えるという問答形式で内容が進んでいきます。カルデックが科学者であったために質問内容が整然としており、通信全体に論理性が貫かれていて分かりやすくなっています。しかもそれと同時に、霊的事実の細部に至るまで理解が及ぶようになっています。『霊の書』という題名は、霊側からの指示によるものです。

『霊の書』はフランス語で発表されたために、仏・伊・スペインなどラテン諸国やブラジルなど南米に広がることになりました。特にブラジルでは、その信奉者が2千万人とも言われ、空前の影響力を持っていました。『霊の書』は、スピリチュアリズム史上、第一級の霊界通信で“世界三大霊訓”の1つに数えられます。

この霊界通信の特徴は「再生論」を中心としていることです。当時の英国のスピリチュアリズムが再生論否定であったために、英国では受け入れられませんでした。

ステイントン・モーゼスと『霊訓』

19世紀後半、英国に登場したステイントン・モーゼスは、この世紀最大の大霊媒でした。通信霊はインペレーターと名乗る古代霊で、地上時代の名前をモーゼスが無理やり聞き出したところによると、旧約聖書時代の預言者マラキでした。

霊界側は総勢49人からなる霊団を組織して、厳格な役割分担の体制の下で通信に臨んでいました。その司令官がインペレーターでした“インペレーター”とは司令官を意味する英語名で、むろん仮の名前です)。それ以外の霊も時々通信してくることがありましたが、署名するときは皆、仮の名前を使い、地上時代の名前は使っていません。

霊媒者モーゼスは、オックスフォード大学神学部に学んだ英国国教会の牧師でしたが、29歳のときに重病を患いスピーアという医師に世話になったのがきっかけで、霊的能力を発揮するようになりました。通常の意識のままで(トランス状態にならずに)腕がひとりでに動いて文章が綴られる自動書記が始まりました。

ところが霊界側から送られてくる通信が、キリスト教の教義と真っ向から対立する内容で、従来のキリスト教を根本から覆すようなもの原罪の否定・イエスの贖罪の否定・三位一体の否定)であったために、モーゼスは猛烈に反発することになります。霊界側と地上の牧師モーゼスとの間に激しい論争が長期にわたって続くことになります。その間、モーゼスのあまりの頑(かたくな)な態度と既成のキリスト教への固執に、霊界側は一時総引き上げの直前にまで至っています。しかし最後には、さすがのモーゼスも霊界側の見解を認め受け入れるようになります。

こうしたやりとりの中から、モーゼスが教訓的な内容を選びまとめたものが、1883年に出版された『霊訓』です。この『霊訓』はスピリチュアリズム史上、第一級の霊界通信で“霊訓(霊の教え)中の霊訓”――“スピリチュアリズムのバイブル”と言われています。

オリバー・ロッジと『レイモンド』

オリバー・ロッジ卿は、英国の著名な科学者であり同時に哲学者でした。後述するマイヤースとも親交があり、SPR(英国心霊研究協会)の会長も務め、早くから死後の世界や霊魂の存在を信じていました。

彼の息子レイモンドは、1915年に第一次大戦に参戦して戦死します。やがてその息子との間に霊界通信が行われるようになります。ロッジは当時の有名な霊媒を数人用いて、別々に入手した情報を細かくチェックするという方法をとりました。そして、その通信内容を『レイモンド』の書名で出版しました。

霊界にいる聡明な息子と、必死に真理を求める地上の父親との間にやり取りされた真剣で愛情あふれる内容は、大勢の人々――とりわけロッジと同じように戦争で愛する人を失った人々に、多くの感動と励ましを与えました。

この霊界通信は非常に信頼度の高いものとして評価されています。また、この霊界通信で霊媒を務めたレナード夫人は、20世紀を代表する霊媒の1人と言われるようになりました。

マイヤース霊と『永遠の大道』『個人的存在の彼方』

英国の古典学者で詩人だった「マイヤース」は、スピリチュアリズム発生時とほぼ時を同じくして生まれ、1901年に亡くなりますが、生前はきわめて優れた霊界通信の研究者でもありました。彼はまた『霊訓』のモーゼスとともにSPR(英国心霊研究協会)を設立するなど、スピリチュアリズム普及のために大きな貢献をしています。

マイヤースは1900年にSPRの会長に就任し、翌年ローマで客死しますが、その6年後、当時最も有名だった大霊媒パイパー夫人の交霊会に出現して、「近いうちに十字通信を行う」と予告してきました。果たしてその直後、ロンドンにいるパイパー夫人に出現して“西方の光”と書かせました。その3時間後、ケンブリッジにいる別の霊媒ウェラー夫人に出現して“東方はバラ色”と書かせました。当然2人の霊媒は何の意味なのか分かりませんでしたが、その後、英国から遠く離れたインドのカルカッタにいる霊媒ホランド夫人に出現して「夕焼けが、東方を、西方のように美しく」と書かせ、3つの通信文を照らし合わせてみると、先の2つは後の中に含まれていました。これは「近いうちに十字通信を行う」と予告したマイヤース本人が送ったものとしか考えられません。これが有名なマイヤースの十字通信です。

彼はこのようにして手の込んだ方法で自分自身の身元を証明した後に、霊界から通信を送り始めました。この一件からしても、マイヤースの通信は、非常に信頼度の高いものであることが分かります。やがてマイヤース霊は、地上の霊媒カミンズを通して、死後の世界を探求した研究成果を送ってきます。それを記したのが『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』です。

生前にスピリチュアリストであり学者であった人間が、他界してあの世から送ってきた通信内容は、きわめて学究的で高次の問題に言及しています。その中でも特に、彼によって初めて明らかにされた“類魂(グループソウル)”の事実は、スピリチュアリズムの研究に大きな発展を促すことになりました。

ウィリアム・ステッドからの霊界通信

英国の著名なジャーナリストで心霊研究家であった「ウィリアム・ステッド」は、すでに他界していたジュリア・エイムズという友人からの通信を自動書記によって受け取り、それを『死後−ジュリアからの音信』のタイトルで出版し、大反響を呼びました。

そのステッドは、世界最大の海難事故として有名なタイタニック号事件(1912年)で他界し、霊界から通信を送ってくるようになります。彼の通信は、生前のジャーナリストとしての特徴がよく出ており、きわめて客観性に富んだ見事な死後の世界の現地報告となっています。

通信内容は、死の直後にすべての人が赴く世界幽界と呼ばれる世界)について中心的に述べられています。幽界は全体的にブルーがかって映るため、彼はこの世界を“ブルーアイランド”と呼びました。その霊界通信は『ブルーアイランド』のタイトルで出版され、センセーションを巻き起こしました。

霊媒モーリス・バーバネルと『シルバーバーチの霊訓』

1920年頃、ロンドンの青年実業家、モーリス・バーバネルに、トランス状態でインディアンなまりの英語で喋るという霊媒現象が起きるようになりました。

最初の頃は、たまたまバーバネルの家に集まっていた数人の知人が聞くだけでしたが、やがて当時の英国ジャーナリズム界の法王的存在であったハンネン・スワッファーの前でその現象が起きました。スワッファーは、友人であるバーバネルを通して語られる通信内容の次元の高さを直感し、毎週1回、自宅で定期的に交霊会を行うことにしました。こうして世紀的な交霊会“ハンネン・スワッファー・ホームサークル”が始まりました。

その通信霊は「シルバーバーチ(白樺の意味)」と名乗りましたが、それはむろん仮の名前です。3千年前に地上生活を送った古代霊であることだけははっきりしていますが、正式な名前については、メンバーが何度尋ねても、とうとう明かすことはありませんでした。「そんなことを知って何の意味があるというのですか。人間は肩書にこだわるからいけないのです」と答えるだけでした。

シルバーバーチは――「霊界において、この度の地上人類に対する“霊的啓蒙・霊的浄化”の大事業への参加を要請され、真理を説く仕事に携わるようになった」と述べています。ただ、あまりにも地上の波動から懸け離れた高い世界にいるために、直接地上の霊媒にコンタクトすることができません。そこで霊界側の霊媒としてインディアンを立て、この霊体を使用して、地上の霊媒バーバネルを支配して通信を送ることになったのです。以来、バーバネルが他界する1981年までの60年間にわたり、霊界通信が続けられました。

その間に語られた霊的教訓は、『シルバーバーチの霊訓』として出版されています。それは霊界通信として最高級レベルの内容で、モーゼスの『霊訓』・カルデックの『霊の書』と並んで、今世紀最大の“人類の文化的遺産”と言っても過言ではありません。