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(2)人間の心と霊

これまで人間の身体構造について見てきました。しかし人間の身体要素として重要なものは何といっても「心」です。心は、誰もがその存在を自覚できますが、ではそれはどこにあるのか、どのように存在しているのかということになると、これまで誰も明確な説明をすることができませんでした。

日本語の「心(kokoro)」は、英語では「mind・heart・soul・spirit」で表されます。一方、英語では「mind」と「soul・spirit」の間には、はっきりとした線引きがなされています。これを見ると日本語は英語と比べ、心と霊の境界が明確でないことが分かります。とは言っても英語でも「soul」と「spirit」の区別は明瞭ではなく、正式な定義が確立しているとは言えません。心・精神・霊・魂については、曖昧なままであると言えます。こうした状況は日本語や英語だけでなく、他の言語にも共通して見られます。

唯物思想では、心は脳という物質の副産物であると考え、心にそれほどの重要性を認めようとしません。一方、現在は意識の時代と言われるように、人間の心や意識に多大な関心が向けられるようになっています。しかし現在に至るまで、心と意識の問題は未解決のままに置かれてきました。「心」のことが分からない以上、心よりさらに高次の存在である「霊」について知ることなどできるはずがありません。地上人は「霊」については、手がかりさえも得ることができませんでした。

スピリチュアリズムは、これまで人類に明らかにされることのなかった「心」と「霊」について明瞭な回答を示しています。スピリチュアリズムは、地球人類が今日まで解決しえないできた問題に対して、明確な答えをもたらしました。ここでは、そのスピリチュアリズムの「心(意識)」と「霊」についての見解を見ることにします。

1)人間の心

「霊の心」と「肉の心」

人間の身体は、霊体と肉体という形態(外形)をともなった構成要素を中心として成り立っています。しかし人間を構成する要素には、無形のもの(形態を持たないもの)もあります。それが「心」であり「霊」なのです。

スピリチュアリズムでは、霊体と肉体にそれぞれ「心」があるとします。人間は死後、肉体を脱いで霊体としての存在で、新たな生活を始めるようになります。そこでは地上時代と変わらない高度な意識や知性が保たれています。ということは、霊体の中に心が存在しているということになります。スピリチュアリズムでは、これを「霊の心」と呼びます。それに対し、肉体にも心のような部分が存在します。脳から発生する低次元の意識である「本能」です。「肉の心」すなわち「本能」は動物にも等しく見られるものであり、食欲・生存欲・性欲といった肉体本能を発現させ、肉体の維持と種の繁殖を目的とした行為を促します。

このように地上人は、「霊の心」と「肉の心」という2つの心を同時に持って意識活動をしています。以上の内容を整理すると、次のようになります。

地上の人間
有形の構成要素――霊体・肉体
無形の構成要素――霊・霊の心・肉の心

地上人の自覚する「心」とは?

さてここで重要な点は、地上人が「心」と自覚するのは、「霊の心」の内容(霊的意識)と「肉の心」の内容(本能的意識)の2つを一緒にしたものであるということです。私たちの心は、「霊の心」と「肉の心」という両方の心(意識)を合わせたものなのです。

2つの異なる心から発せられた別々の意識が、私たちには1つの意識として自覚されることになります。地上人には、2つの心から発せられた意識は、混然一体となって感じられるようになっています。そのため大半の地上人は、今自分が抱いている意識がどちらのソース(心)からのものなのかを区別することができません。

地上人の自覚する「心」

2)潜在意識と顕在意識

脳は「霊の心」の受信器

スピリチュアリズムでは、さらに次のような重大な事実を明らかにしています。それは「霊の心」の内容(霊的意識)が、地上人にすべて自覚されるようにはなっていないということです。霊的意識のほんの一部分だけが顕在意識化し、地上人に自覚されるようになっているのです。脳は「霊の心」からの情報(霊的意識)の“受信器”としての役割を持つということです。脳を通じて自覚できる意識(顕在意識)は、霊的意識の一部分にすぎません。脳は霊からの情報の受信器として、高次意識(「霊の心」の意識)の一部分を伝達するという役割を果たしています。

「潜在意識」と「顕在意識」という2つの意識

近年盛んになった深層心理学では、人間の意識は、通常では自覚できない「潜在意識」と、日常的に自覚できる「顕在意識」の2つの部分に分けられることを明らかにしています。スピリチュアリズムもそれと同じく、人間の意識は「潜在意識」と「顕在意識」から成り立っているとします。

スピリチュアリズムの「潜在意識」についての見解は、フロイトやC・G・ユングとは異なります。ユング心理学は、現代思想やニューエイジに大きな影響を与えましたが、スピリチュアリズムではユングの見解をそのままは認めません。ユングは霊体の存在を否定したところで潜在意識を論じていますが、スピリチュアリズムは「霊体」と「霊の心」の存在を前提としたうえで(霊魂観に立ったうえで)潜在意識の実在を主張しています。

ここではユングの見解についての批判は省略し、別の機会に譲ることにします。

「潜在意識」と「顕在意識」

この図は、潜在意識と顕在意識の関係を示したものです。脳から発せられた低次元意識である「本能」は、顕在意識となります。その意識は日常においてそのまま“欲求”として自覚されるようになっています。一方、顕在意識の中には、脳を通過して自覚されるようになった「霊的意識の一部」も含まれます。このように顕在意識は、脳に由来する「本能的意識」と、霊の心からもたらされた「霊的意識の一部」から成り立っています。この顕在意識が、一般的に言われている「心」のことなのです。精神医学で取り扱う心とは、この顕在意識のことを意味しています。

以上の内容を整理すると、次のようになります。

  • 潜在意識――大部分の霊的意識(霊の心の内容)
  • 顕在意識――一般的に言う「心」のこと・霊的意識の一部と本能的意識から成立

霊的意識の顕在化と、霊性の発達

このように“脳”が高次の霊的意識の“受信器”としての役割を果たすことによって、人間は肉体を持ちつつも高次意識を認識し、それによって自らの人生を導くことができるようになります。「霊の心」に由来する高次意識(霊的意識)が、どの程度まで顕在意識になるのかということは一人一人で異なります。

霊的意識をより多く顕在意識化するためには、「霊の心」から脳に向けて多くの霊的エネルギー(マインド・エネルギー)を送ることが必要になります。催眠術やドラッグによって、このエネルギーの通路を一時的に広げることができますが、それはきわめて不自然な方法で、その後さまざまな支障精神異常など)が生じることになります。最近では音響効果を利用した“ヘミシンク”と呼ばれる方法が注目されていますが、これも同様です。

「霊」に十分なエネルギーが蓄えられ、それがステップダウンして「霊の心」を満たすというプロセスを踏むことこそが、徐々にではあっても自然にエネルギーの通路を開かせることになるのです。言い換えれば――「霊的成長とともに、より多く潜在意識が顕在意識化するようになる」ということなのです。

潜在意識を多く顕在意識化できる人間とは、「霊性」の発達した人間のことです。そのような人は、必然的に精神的で崇高な人生を送るようになります。反対に霊的意識を全く顕在意識化できない者は、肉の心(動物本能)だけに支配された人生を歩むようになります。

霊体エネルギー(サイキック・エネルギー)が大量に肉体に流されることによって、霊体の能力(サイキック能力)が肉体次元に顕在化するようになり、超能力を発揮できるようになります。

それと同じことが、「霊の心」と“脳”の間にも言えるのです。「霊の心」から多くのエネルギー(マインド・エネルギー)が脳に流されると、それに比例して「霊の心」の内容(潜在意識)が脳を通じて顕在化するようになります。

地上人にとって「霊の心」の意識(霊的意識)の大半は、潜在意識となっています。霊的意識は地上人においては、そのほんの一部が顕在意識として自覚されているにすぎません。しかし死んで肉体・脳を捨て去ると、地上時代には自覚できなかった霊的意識を、すべて自覚できるようになります。今まで知らなかった自分自身の本当の心を発見することになります。そして自分の心の変化と広がりに、一様に驚くようになります。

スピリチュアリズムでは、潜在意識と顕在意識をトータルした意識の全体(総体)を「インディビジュアリティー意識」と呼び、脳を介して自覚する意識を「パーソナリティー意識」と呼んでいます。パーソナリティー意識は、インディビジュアリティー意識(総体意識)の一部ということです。

修行にともなう「意識の変容」とは?

こうしたスピリチュアリズムの「意識論」によるならば、宗教の修行にともなう意識の変化・拡大という問題や、最近ニューエイジの中で脚光を浴びるようになった「トランスパーソナル心理学」での主要テーマも、いとも簡単に解決されることになります。

“脳”という物質器官の制限下で、ほとんど自覚できなかった「霊的意識」を引き出すことが、修行にともなう「意識の変容」ということになります。潜在意識として閉じ込められている霊的意識を顕在意識化することが、意識の拡大・意識の変容に他なりません。言うまでもなく、潜在意識をより多く顕在化できればできるほど、大きな意識変革がもたらされ、より高次な心境・意識を自覚できるようになります。

「霊の心」と「霊」の関係

ここで、さらに問題を掘り下げることにします。それはこれまで述べた「霊の心」が、「霊」そのものと言えるかどうかということです。従来のスピリチュアリズムでは、この問題についてさまざまな意見が存在し、見解の一致には至っていませんでした。しかし最近になって“シルバーバーチ”などの優れた霊界通信の登場によって、「霊の心」と「霊」を別々の存在とする考え方が一般的になってきました。

霊的世界には、高次の霊的意識を持っている人間(個性霊)がいる一方で、低次の霊的意識しか持っていない人間(個性霊)もいます。これは個性霊それぞれの「霊」の成長度(霊性レベル)が異なるからです。「霊」の成長度によって、「霊の心」の内容が決まるということです。「霊の心(霊的意識)」は「霊」の道具であり、霊の表現器官・霊の外皮のようなものと言えます。

もっとも見方によっては、「霊」は「霊の心」のコア部分、あるいは最高次元の部分と言えなくもありません。その場合は、「霊」を「霊の心」の中に位置づけして考えることができます。

3)潜在意識のさまざまな働き

潜在意識には、想像を絶するようなさまざまな働きがあります。それを見ていきます。

潜在意識の働き〈1〉――日常の身体行動のコントロール・日常の意識のコントロール

私たち地上人の日常生活の行為のかなりの部分が、潜在意識によってコントロールされています。話すことや歩くことをはじめ、食べたり飲んだりといった多くの地上人生における身体活動は、初めは脳からの神経的刺激を通して一つ一つを意識的に行いながら記憶していくことになります。やがて連携的に働くことを覚えると、その後の繰り返し作業は潜在意識に託されることになります。そして潜在意識によって、すべてが自動的にコントロールされるようになります。

このようにして日常生活の身体活動の多くが、潜在意識のコントロールのもとで、無意識的かつ機械的に行なわれるようになります。潜在意識の中には、こうした地上人生における人間の行動パターンを記憶する部分が存在します。そしてその地上生活における身体行動のコントロール記憶は、死後、霊界にまで持ち越されることになります。

霊界に行けば、もはや地上生活を送る必要がないため実際にはそれを使用することはなくなりますが、肉体を通して積み上げられた身体的な行動記憶は依然、潜在意識の中に保存されています。この意味で潜在意識の中には、その人間の地上人生の身体行動が含まれ、仕舞い込まれているということになります。こうしたことがあるため、肉体を失った霊が霊媒を通して出現する場合(霊媒の潜在意識を支配して出現する場合)、かつての地上時代の自分の身体機能を再現させることになります。霊の潜在意識の中に記憶されていた地上時代の脈拍が再現され、霊媒の脈拍が変化するようになります。また呼吸や体温・心拍が変化することもあります。それらは霊媒のものではなく、一時的に霊媒の身体を支配している霊の地上時代のものなのです。

実は潜在意識は身体の行動をコントロールするばかりでなく、顕在意識をもかなりの部分までコントロールしています。潜在意識は、普段の顕在意識の思考パターンを記憶しています。顕在意識の次元で「これはどうなのだろうか?」と疑問を持つと、潜在意識が記憶していた普段の思考パターンにそって自動的・機械的に答えを示すことになります。このため突然の質問に対しても、反射的に答えを出すことができるようになっています。

潜在意識の働き〈2〉――地上人生で入力したあらゆる知識・情報を記憶する

また、個人に関するありとあらゆる知識や情報前世に関する個人情報・この世で学んだ知識・睡眠中に入手した情報など)が潜在意識に蓄えられています。潜在意識は、まさにこれまで入力した知識・情報の倉庫と言えます。その能力は現在の最新のコンピューターの記憶能力にも匹敵します。記憶は脳によってなされるというのが現代科学の見解ですが、実際には潜在意識の中に記憶倉庫があるのです。

潜在意識の中に記憶された知識は自動的に整理され、今すぐに必要のないものは記憶庫の片隅に置かれ、やがて忘れ去られたようになり、記憶として蘇ってくることはなくなります。しかし必要性が生じたり、催眠術や特殊な瞑想法などの手段を講じると、それを引き出し思い出すことができるようになります。

地上におけるすべての行為は、潜在意識の中にしまい込まれています。人目を避けてこっそりとなした隠れた行為も、潜在意識の中にしっかりと記憶されています。死んで霊界に入ると、地上人生を回顧・査定するような状況が発生します幽界の審判)。その際には、すっかり忘れていた記憶のすべてが呼び覚まされて、目の前に再現されることになります。

肉体を捨て去った霊の潜在意識の中には、地上時代に学んだ知識や思想が入力され保存されています。そのため霊を地上近くにまで呼び寄せて話をさせようとすると、霊によっては潜在意識の中にあった地上時代の間違った信仰が目覚めるようになることもあります。霊界では狂信的な地縛霊になっているわけではないのですが、地上の物質的雰囲気に触れる中で、かつて信じていた間違った観念や知識が、自動的に引き出されてしまうようになるのです。

霊媒現象にはこうした側面がともなうため、よほど潜在意識に対する知識を持った人間でないかぎり、混乱させられることになります。

潜在意識の働き〈3〉――霊媒現象を引き起こす

憑依や霊界通信といった霊媒現象は、霊が地上の霊媒体質者の潜在意識をコントロールすることによって引き起こされます。そのプロセスを詳しく言うならば、「霊のオーラと霊媒体質者のオーラの融合」→「霊媒体質者の潜在意識の支配」→「霊媒体質者の思考や身体機能のコントロール」ということになります。霊は、地上の霊媒体質者の潜在意識を支配することによって、その心身機能をコントロールするようになります。これが「憑依現象」と「霊界通信」の基本的なメカニズムです。

スピリチュアリストも含めて大抵の人は、憑依現象とは、他人が部屋の中に入るように霊が霊媒体質者の身体に入り込むものと思いがちです。霊媒体質者の霊体を押しのけ、そこに霊が割り込むようなイメージを抱いていますが、事実はそうではありません。すべてオーラの融合(同調)と潜在意識の支配を通してなされることなのです。霊界通信の出来・不出来は、支配霊(通信霊)がどれだけ霊媒の潜在意識を支配しコントロールできるかどうかにかかっています。

外部の霊が霊媒の潜在意識を支配すると、潜在意識の中にある記憶の層から知識が引き出されます。同時に、話したり書いたりする潜在意識のコントロール能力を利用することによって、地上に通信を送ることが可能となります。通信霊が地上の霊媒の潜在意識を支配すると、霊媒の潜在意識は、通信霊から送られてくる思想内容に当てはまる言葉を記憶の倉庫から見つけ出し言語化します。そして潜在意識は次に、身体のコントロール能力を用いてそれを発声化させることになるのです。霊媒が自ら納得して霊のコントロールに身を委ねるならば、通信霊は霊媒の潜在意識を容易に支配し、一時的に霊媒になりきって語ったり(霊言霊媒)、筆記をする(自動書記)ことができるようになります。

以上が、霊界通信という霊媒現象(霊言)のメカニズムです。簡単なように感じられるかもしれませんが、このプロセスをより完璧なものにするために、霊界サイドではたいへんな苦労をしているのです。また時には霊界通信の準備のために、長年にわたる期間が費やされることになります。

通信霊と霊媒のオーラが融合することによって、オーラと表裏一体の関係にある潜在意識を支配することができるようになります。この「オーラの融合の度合」を高めることが、霊界通信を優れたものにするのです。

4)生まれつきの心の形成と、後天的な心の成長

生まれつきの基本的な心の形成

一般的に「心」と言われているものは、先に述べた「顕在意識」のことです。この顕在意識は、脳を通じてもたらされる「霊的意識の一部」と、脳から発生する「本能的意識」の総体です。顕在意識に占める霊的意識と本能的意識の比率は、一人一人異なっています。ある人は霊的意識の占める部分が大きく、別の人は本能的意識の占める部分が多くなっています。霊的意識と本能的意識の比率、すなわち「顕在意識の大枠」は、生まれつきある程度まで決定しています。前世までの霊的成長レベルによって決定されているのです。

とは言っても顕在意識中の「霊的意識」は、状況によって大きくふくらんだり、反対にしぼんだりというように流動的な性格を持っています。大枠は決まっているものの、機械的に固定したものではありません。一方、顕在意識中の「本能的意識」は、肉体という固定性のともなった要因によって規定されているため、霊的意識ほど流動性はありません。

最近では“ゲノム科学”によって人間の遺伝子の解明が進み、それにともない人間の心も遺伝子学的に明らかにされるかもしれないと言われ始めるようになっています。

しかし遺伝子によって規定される心とは、脳から発生する「本能的意識」にすぎません。遺伝的な影響を受けるのは本能的意識であって、霊的意識ではありません。遺伝子の違いは本能的意識のバリエーションをもたらしますが、霊的意識の内容を決定するようなことはありません。

生まれつきの基本的な心の形成

心の成長とは?

「心(顕在意識)」は、生まれつきほぼ大枠が決定していますが、それは地上人生を通じてどのように変化していくのでしょうか。よく言われる心の成長とは、どのようなことを意味しているのでしょうか。結論を言えば「心の成長」とは――顕在意識(心)の中の「霊的意識の拡大」のことなのです。それは顕在意識につながる「霊の心」そのものを、より神に近づけることになります。こうした形での霊的成長が、心の成長ということなのです。

生まれつきの「心(顕在意識)」の大枠は決定していると言っても、それは物質のように固定したものではなく、液体や気体のように柔軟性を持っています。特にその中の「霊的意識」は、絶えず自在にふくらんだりしぼんだりします。その変化にともなって、心全体の中に占める「本能的意識」との比率が変化することになります。本能的意識は“脳”という物質的存在に規定されているため、霊的意識のような柔軟性・流動性はありません。

もし人間が「霊的意識」を意図的に維持しようとしないならば、たちまち霊的意識は心(顕在意識)から締め出されたり、心の片隅に追いやられてしまいます。そして「本能的意識」が、心(顕在意識)全体を支配するようになってしまいます。これを肉主霊従の状態と言います。必要な霊的エネルギーが上位の「霊」からもたらされないと、心の中に占める霊的意識は小さくしぼんでしまうのです。「心(顕在意識)」は、常にこうした流動的な状態に置かれています。

生まれつき決まっている「心の大枠」とは言ってみれば、「霊的意識」が心全体をどの程度まで占めることができるかという可能性のことなのです。しかし、それはどこまでも生まれつき与えられている可能性であって、常にその通りになるというわけではありません。どれほど高い可能性を持っていても、意図的な努力をしなければ十分に霊的意識を発揮することはできません。

「心(顕在意識)」の中の霊的意識を広げ、さらに引き上げていくことが「心の成長」ということなのです。霊的意識は“利他性”を指向し、本能的意識は“利己性(自己性)”を指向します。そのため心の中では、絶えず利他性と利己性の葛藤が生じることになります。霊的意識の拡大(霊的成長)を別の言葉で表現するならば――「利他的な意識の拡大」ということになります。

この「利他性の拡大」は、霊的意識に支配性・優位性をもたせるための努力(霊主肉従の努力)と、利他性そのものを引き出すような正しい育児・教育や社会環境・自己努力など、さまざまな体験を通じて達成されていくことになります。こうした後天的な努力によって生まれつきの心の大枠は変化し、成長していくことになります。

このすぐ後で述べますが、「心の成長」と「霊の成長(霊的成長)」は異なります。「霊の成長」にともない、結果的に「心の成長」が促されることになります。その反対に、「心の成長」がなされることで「霊の成長」が促されます。こうした意味で心の成長と霊的成長は、表裏一体の関係にあると言えます。

5)霊とは

“霊の定義”の難しさ

宗教では昔から、よく「霊(スピリット)」という言葉が用いられてきました。現代においても、しばしば霊という言葉が用いられます。霊とは、人間の最も高次元の部分であることは分かるのですが、それを明確に定義しようとすると、とても難しいことに気がつきます。言語の領域を超えた「霊」という存在を、言語を用いて定義することには非常な困難がともないます。ましてそれを説明することは至難の技です。

必然的に従来の宗教がしてきたように、比喩的・象徴的な用語を用いて表現せざるをえなくなります。

人間の「霊」とは何?――「霊」の3つの定義

霊とは、私たち人間の「真実在」です。私たちの「本体・真実の自我」です。永遠に存在し、永遠に個性を決定する要素です。人間の構成要素である霊の心も霊体も肉体も、この霊の表現器官にすぎません。霊体は、霊界において長い霊的成長の期間を経ると消滅するようになります。しかし霊は、人間存在の本体として永遠に存在し続けます。これが人間の「霊」の第1番目の定義です。

人間の「霊」の第2番目の定義は、「大霊(神)の分霊」であるということです。真実の私とは、神の分霊としての私のことであり、内在する分霊のことなのです。人間が神の分霊であるということは、人間は「神の子供」であるということを意味します。人間がまだ個として存在する前は、霊の大海の中に溶け込んでいました。そこに神の意思が働いてその中から一滴が取り出され、分霊となりました。それが私たち人間の最も高次な部分である「霊」となったのです。

大霊(神)の分霊

人間の「霊」の第3番目の定義は、「人間に内在するミニチュアの神」「神と同質の霊的要素を持つモナド」です。人間の霊が神(大霊)の分霊であるということは、私たちの心の内には“ミニチュアの神”が存在するということを意味します。このことをシルバーバーチは、しばしば「あなたは神です」と表現しています。

以上「霊」についての定義をもう一度整理すると、人間の霊とは――「人間の真実在・人間の本体」「大霊の分霊」「人間に内在するミニチュアの神」ということになります。

霊とは
人間の真実在・人間の本体
大霊の分霊
内在するミニチュアの神

「霊」は、言うまでもなく3次元空間に存在するものではありません。一定の空間を占めることはありません。ここでは「霊の心」の中に「霊」を図示していますが、これはあくまで理解しやすいように便宜的に表現したものです。「霊」も「霊の心」も空間を占めていない以上、それを図示すること自体に無理があります。

実際には、「霊」は「霊の心」の全体を包むような存在であると考えるべきです。霊的な上下関係において「霊」は「霊の心」の上位に位置することを表すために、敢えて「霊の心」の中に「霊」を図示しています。この点を間違わないようにしてください。

「霊」と「霊の心」は別物――霊の心は、霊の表現器官

霊と霊の心(霊的意識)はよく似ているようですが、厳密には別物です。霊の心は、霊の道具・表現器官・外皮のような存在です。しかし人間サイドからすると、見方によっては「霊」は「霊の心」の一番高い部分のように映ります。その意味からするなら「霊」とは、意識(心)の最も高次元の部分と言うこともできます。

「霊・スピリット・spirit」と「魂・ソウル・soul」の区別について

「霊(spirit)」と「魂(soul)」という用語も、ダブル同様、しばしば人々に混乱を与えてきました。霊と魂の違いは何か、霊と魂はどのように区別すべきか、と人々は悩んできました。この問題は、現在のスピリチュアリズムにおいても正式な定義づけがなされてはいません。人それぞれの判断で、曖昧なまま使用しているのが実情です。では霊界通信の高級霊たちはどうであるかというと、これもまた通信霊によってまちまちなのです。高級霊たちの間においても、共通した見解がないのです。霊と魂を同義で用いたり、一応は区別しているものの、その一方で同じ意味で用いたりといったような混同が見られます。

例えばマイヤースは、「魂」を地上人の意識自我とし、「霊」を上層界からのインスピレーション・光と述べています。ちょうど本サイトでこれまで述べてきた「霊(分霊)−霊」の区分を、「霊−魂」と置き換えたようになっています。カルデック編纂の『霊の書』では、「魂(soul)」とは物的身体に宿っている「霊(spirit)」のことであるとし、霊界人の有する神の分霊を「霊」と呼んでいます。霊界人の分霊を「霊」、地上人の分霊を「魂」と区別しているだけで、本質的には同じものを指しています。

ではシルバーバーチはどうかということですが、交霊会の参加者から再生についての質問を受けた際、魂を上位に置き、霊をその乗り物・道具として説明しています。すなわち「魂」を本サイトの説明の「分霊」としているということです。そして霊を、霊の心と霊体といった霊的要素の意味で説明しています。そこでは一応、魂と霊を区別しています。しかし『シルバーバーチの霊訓』全体を通して言えることは、ほとんどの場合、霊と魂を置き換えても本質的なところは何も違わないということです。シルバーバーチ自身が、霊と魂を区別せずに用いていることが多いのです。したがってシルバーバーチの霊訓を読む場合は、霊と魂を同義と考えても差し支えないということになります。

日本語ではよく「霊魂」という用語を用います。こうした曖昧な使い方は、複雑なテーマを議論する際にはむしろプラスに働くことがあります。しかし霊魂という言葉からは、これまで説明してきた「分霊」がイメージされる一方で、霊と霊の心を一体としたようなものとして、あるいは霊・霊の心・霊体を備えた霊界人そのものを意味するようにも受けとれます。このように「霊魂」という用語では、あまりにもはっきりしない点が多いために、むしろその使用を避ける方が無難と言えます。

本サイトでは混乱を避けるために「魂」という用語をできるだけ使用しないようにし、「霊」という用語で統一するようにしています。そして人間の身体構成を、「霊−霊の心−霊体−肉体」という用語で説明するようにしています。それによっておそらく、すっきりと理解していただけるものと思います。

6)霊の成長(霊的成長)とは

すべては霊的成長に集約される

神は、どうして人間を「分霊」として創造されたのでしょうか。自分と同じ霊的要素を持った“ミニチュアの神”を創造されたのでしょうか。神は明確な目的を持って、人間をはじめとするすべての存在物を創造されました。神にこうした人間を造られた目的があるということは、造られた人間にとっては、とりもなおさず生まれる前から自分自身の生きる目的が決められていた、ということを意味します。「なぜ人間は存在しているのか?」「人間は何のために生まれて永遠の存在となっているのか?」「人間はどのような生き方をしたらよいのか?」――その答えは神によってすでに与えられているのです。それと同時に霊的存在である人間にとって、何が一番重要なことなのかという価値観に対する答えも与えられているということなのです。

神が人間を造られた目的と、人間の存在の目的と、人間の人生の目的とは、具体的にどのようなことなのでしょうか。その答えは――「霊的成長」という簡単な一言に言い尽くされます。神は人間を霊的存在として造られましたが、それは人間を永遠に霊的成長の道を歩む存在として創造されたということです。人間が地上に生まれて死に、再び地上に誕生する(再生する)という生命の壮大なサイクルは、「霊的成長」というたった1つの目的のために存在します。今、地球上には何十億という人間が生きていますが、それはすべて霊的成長するためにあることなのです。私たち人間の日常生活は、みな霊的成長のために存在します。このように「霊的成長」は、人間にとってのすべてと言っても過言でないほどの意味を持っています。

このことを人間サイドから見るならば、地上人の一人一人の日常生活も、地球上の宗教も、政治活動も経済活動も文化活動も、すべては「人間の霊的成長を目的として営まれるべきである」ということになります。言うまでもなくスピリチュアリズムは、人間の霊的成長を最優先しています。“スピリチュアリズム”は、地球人類の霊的成長を促すために高級霊によって展開されている大プロジェクトなのです。

霊的成長とは――定義〈1〉

その霊的成長とは、具体的には人間の「霊」がどのような状態になることなのでしょうか。霊的成長を定義すると、どのようになるのでしょうか。

霊的成長とは、人間の「霊」が宇宙と霊界に遍在する霊的エネルギーをより多く取り入れられるようになることです。この霊的エネルギーの取り入れ口を「魂の窓」と言いますが、魂の窓をより広く開放し、多くの霊的エネルギーを取り入れられるようにしていくことが霊的成長ということになります。これが霊的成長の第1番目の定義です。

霊的エネルギーをたくさん取り入れられるようになると、「霊の心」が活性化し霊的レベルが高まります。それにともない霊的視野が広がり、神の存在や愛を実感できるようになります。霊的世界に対する実感度が高まるようになります。これが先に述べた「心の成長」です。霊界では界層を上がるにつれて霊的成長度の高い高級霊が住むようになります。高級霊になればなるほど、多くの霊的エネルギーと神の愛を受け入れられるようになっていきます。

霊的成長とは――定義〈2〉

人間の分霊はミニチュアの神であることはすでに述べましたが「分霊」とは、神と同じ霊的可能性を内在した“霊的種子”ということです。人間は無限に進化する霊的種子として誕生(分霊化)したのです。「霊的成長」とは、この無限の可能性を秘めた種子の潜在的資質を引き出し現実のものにしていくプロセスのことです。

人間は霊界であれ地上世界であれ、霊的進化とともに可能性として潜在していた能力を発揮していくようになります。そして新しい霊的生き方・霊的表現を実現していくことになります。内部に潜在していた霊的可能性を発揮していくプロセス――これが霊的成長の第2番目の定義です。

霊的成長とは――定義〈3〉

人間の霊は完全性を秘めた種子として、内在する可能性を少しずつ実現していきます。このプロセスを別の言い方で表現するなら、神の完全性を目指して一歩一歩、神に近づいていく歩みとなります。「霊的成長」とは、神の完全性を目指していくプロセスのことなのです。これが霊的成長の第3番目の定義です。

では神の完全性を目指す霊的成長の歩みは、いつその目的地である神の完全性に到達することができるのでしょうか。古代インド哲学に代表される宗教思想では“進化の果てに神と合一して個としての存在が消滅する”と説いていますが、実際にはそうした霊的事実はありません。永遠に神と合一する時(ニルバーナ)はやってきません。この答えは私たちには矛盾したように聞こえるかもしれませんが、それが霊界における事実なのです。成長につぐ成長、進化につぐ進化の歩みには到達点はないのです。

人間は神によって、永遠に霊的成長の道を歩み続ける存在として造られています。どれほど霊的成長しても神と同じ完全性を持つことはできません。そのように努力し続けることが人間に求められているのです。永遠に霊的成長する存在として人間は造られました。そのために人間は、神から永遠に存在し続ける分霊を付与されたのです。

以上をまとめると「霊的成長」とは、次のようになります。

  • ①魂の窓を開いて、より多くの霊的エネルギーを取り入れられるようになること
  • ②無限の可能性を秘めた分霊(ミニチュアの神)から、可能性を引き出していくプロセス
  • ③神の完全性に近づいていく歩み