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(8)幽界の生活への飽き

幽界の生活への飽き・嫌悪

幽界に入った当初、大部分の人間は「ここは何と素晴らしい所か、いつまでもここにいたい」と思います。しかしそうした者たちも、少しずつ幽界での生活に“飽き”を覚えるようになります。思うことが何でも自由に実現する世界には、奮闘努力した後に得られる心の充実感がないからです。

しかもよく考えてみると、実現するのはすべて自分の好みであり、その大半が肉体的な欲求に関連したものばかりです。要するに自分の中にもともと内在していた欲望を、何度も繰り返し満たしていたにすぎなかったのです。ただ「自分の欲望を満足させる」というワンパターンの繰り返しだったのです。地上では、それを達成するためには多くのエネルギーと時間をかけなければなりませんでしたが、幽界ではあまりにも簡単に実現するために、飽きてしまうのです。

次のようなことを考えてみればよく分かります。皆さんが旅行に行って、高級ホテルに泊まったとします。そこでは美味しいごちそうを、好きなだけ自由に食べることができます。おそらく最初の日は、ふだん食べたこともないような豪華な料理にきっと大満足するはずです。そして2日目も、その満足感は続くことでしょう。しかし3日目ともなると、少し飽きてきて「何か他の物を食べたい」と思うようになるのではないでしょうか。次の日また同じ料理を出されると、今度はウンザリし始めるようになります。そしてさらに次の日になると、もうその食事がどうにも耐えられなくなり、ホテルを出て町角の大衆レストランやラーメン屋を探し求めるようになることでしょう。

実は幽界の生活もこれと同様で、自分がつくり出した“欲望”という料理が、毎日毎日出されるようなものなのです。初めは誰でも満足しますが、徐々にその生活が嫌になっていきます。そして自然と、別のものを求めるようになるのです。地上時代に持っていた自分の欲望・欲求を心ゆくまで満たすことができる幽界は、まるで地上の楽園のようでしたが、やがてその世界にも飽きてウンザリし、別のものが欲しくなるのです。

地上臭を取り除き、純粋な霊的存在になる

地上的な欲望や喜びだけを追い求める生活に嫌気がさすにともない、新たに精神的なものを求めるようになります。つまりごく自然な形で「霊的意識」が目覚め始めるようになるのです。特別、他人から教えられるわけでもないのに、おのずと本人の心が精神的な方向を目指すようになるのです。

実は「幽界」とは、こうしたプロセスを踏ませることによって、地上的なもの・物質的なものを心の中から拭い去り、霊界へ行くための準備をする所だったのです。そのようにして次の世界、純粋な霊的世界に行くための準備をする境域なのです。

幽界から霊界へ

幽界では、地上的なものに魅力を感じるうちは、どれだけでもそれを楽しむことができます。いまだ地上の喜びに心が惹かれているということですが、無理にそれを捨てさせようとする人はいません。本人自ら幽界での生活に飽き、魅力を感じなくなるまで、そこに留まり続けるのです。そして地上的なものに嫌気がさし、それと無理なく決別できるようになると、いよいよ霊本来の世界、霊界に入って行くことになります。気がつくと、いつの間にか、次の世界に入っています。

霊は、霊的成長に対する本能的欲求を持っています。そのためいつまでも幽界の生活に満足していることはできなくなるのです。そしてある時がくると、霊性が今までいた幽界の生活とは合わなくなります。それにともない次に向かうべき世界霊性に合った界層)の様子がありありと感じられるようになります。その時期がいつくるのかは、一人一人によって異なります。ある者は数日、ある者は数年、ある者は数十年といったように違っています。しかし幽界での生活を経る中で、必ずそうした時期を迎えるようになるのです。

するとそれまで獲得したあらゆる体験と知識が凝結し始め、それとともに一種名状しがたい心地よさ、麻酔にかけられたような心地よい眠気を催すようになります。そして気がつくと、幽界を卒業して次の霊的世界に入っているのです。

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