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1)地上の家族愛のゆくえ

霊界では、愛する人と再会できるのか?

地上で一緒だった人も霊界では別々の界層に入り、しかも異なる界層間では交流やコミュニケーションがないということになると、自分の愛する人とは二度と会えなくなってしまうのでしょうか。地上世界における愛の関係は、霊界ではもろくも消え去ってしまうのでしょうか。もし霊界に入ると同時に、地上での愛情関係がなくなってしまうとするなら、霊界とは何と寂しい所なのでしょうか。

私たちが霊界の界層の実態を知ったとき自然と湧き上がる疑問は――「今の愛情関係は死後どうなるのか?」「愛する人と再会できるのか?」ということです。

霊性が違うと、霊界では別々の界層に

一人一人の霊的成長レベルに応じて死後の行くべき界層が自動的に決まるということは厳粛な霊的事実であり、誰もこれを曲げることはできません。地上において愛し合った家族が「死後も一緒に住みたい、同じ界層に行きたい」と願っても、霊的成長レベルが違っていれば、それは不可能なのです。

地上に近い幽界では本人たちが希望すれば、しばらくの間は地上時代の延長として家族関係を維持したり夫婦関係を持つことができます。しかし幽界での生活を通して地上臭が取り除かれ、霊的自覚が芽生えるようになると、それぞれが自分に見合った霊界の界層へと巣立つことになります。そして自動的に地上の血縁関係は消滅します。とてもショックなことかもしれませんが、家族や愛する配偶者・兄弟姉妹とは、霊界ではバラバラになってしまうケースがほとんどなのです。大半の家族が死後、別々の歩みをするようになります。

別々の世界に行っても、別離の悲しみはない

死後、家族は異なる界層に入り、そこでそれぞれの生活をするようになるということを聞くと、多くの人々が大きなショックを受けるようになります。しかし愛する人と別々の界層に入ったとしても、私たち地上人が予想するような別離の悲しみを味わうことにはなりません。霊界での別離には、私たちが今考えるような苦しみは一切ともないません。それどころか逆に、そのプロセスを自分たちの霊的成長の道として、お互いが喜びを持って受け入れるようになるのです。

こうしたことは今すぐには実感できないでしょうが、霊界に入ったときの私たちは、現在の自分とは全く違う人間になっているのです。霊界では地上時代の愛の関係を大切にしつつも、それ以上に「霊的成長」への願望と関心が強く心を占めるようになります。そのため霊界では、地上世界にありがちな愛にまつわる利己的感情(嫉妬)も存在しなくなるのです。

地上で相思相愛の“おしどり夫婦”と言われた片方(妻)が先に他界したようなとき、霊界から地上に残された夫に通信を送り、再婚を勧めるようなことがあります。霊界に入って視野が広がると、地上時代の考え方は大きく変化するようになりますが、この場合などはそのよい例と言えます。

界層は別々でも、愛情関係はなくならない

本当の愛情関係がある場合には、死後その関係はなくなるどころか、さらに何倍もの強烈で密接な絆で結ばれるようになります。地上で真実の愛で結ばれた者同士においては、霊界で異なる界層に行くことになっても悲しみは生じないのです。たとえ住む界層は別々であっても、お互いの親しさはますます強くなり、喜びはさらに大きくなります。そのため霊界では、別離を悲しむというようなことは現実には全く存在しません。

真実の愛でないときは、会うことはない

一方、地上時代の人間関係が単なる肉体的つながりや血縁的つながり、または社会的な習慣だけのつながりであった場合には、霊界ではその関係はすぐさま消滅してしまいます。本当は嫌いだったのに世間体を気にして夫婦関係を維持していたような場合には、霊界に入ると同時にその2人のつながりは完全になくなってしまい、二度と会うことはありません。

つまり「利他愛」という本当の愛だけが、霊界において人間同士を結びつける絆になるのです。地上ではとかく血縁関係や家族関係が重要視されますが、霊界では、そうした単なる肉体的つながりは何の意味も持ちません。

誰でも自分の家族を大切にし、家族に対する愛情を持っているのが普通ですが、その愛情も霊的な段階にまで高められていなければ永続性を持つことはできないのです。家族(血縁)の愛以上に、もっと崇高で次元の高い愛(霊的愛)を身につけていなければ、家族のつながりを保つことはできません。血縁や家族の関係の中に“霊的絆”が芽生えるようになったときに、初めて夫婦・家族の関係は霊界でも持続されるようになるのです。

2)霊界での新たな霊的家族の形成

霊界では一定の霊的進化をなすと、霊性の等しい霊たちが集まってグループを形成し、共同生活を送るようになります。同一界層の中には、こうした霊的グループが数多く存在しています。そこでは互いの心が1つとなって、まさに文字どおり一心同体となった「霊的家族」を形成します。この霊界においてつくられる霊的家族の親密さと一体感は、地上のどのような人間社会やグループ・家族も及びません。

こうした霊界での霊的家族の中では、思考と感情と喜び・幸福感が全員で共有されるようになります。霊的レベル・精神的レベルにおいて、完璧とも言えるような一体性が形成されるようになります。そしてグループのメンバー全員が、各自の霊的成長を求めると同時に、グループ全体の霊的成長のために貢献することになります。

この霊的グループ(霊的家族)がつくり上げる共有魂が、次の7章(類魂と再生について)で取り上げる「類魂」なのです。「類魂」の存在は、スピリチュアリズムによって初めて明らかにされた霊界最大の奥義の1つです。

3)地上の男女愛のゆくえ

地上の男女愛の実態――利己愛・肉体本能愛の支配

人間同士の真の愛情とは、「魂と魂の結びつき」のことです。すなわち“霊的愛”という「霊と霊の絆」のことなのです。そしてこの霊的な結びつきがあるときのみ、地上の男女・夫婦は、霊界でもその関係を維持することができるようになります。

愛し合う地上の男女は、自分たちの愛の純粋さに疑いを持ちません。心から相手を愛している、自分たちの愛に不純さはないと確信し、運命をともにしたいと思っています。ところがその地上の男女愛の大半が、霊界から見ると本当の愛とは言えないのです。特に“恋愛”の場合、その本質は肉体本能に基づくものであって真実の愛から最も懸け離れています。そこにあるのは肉体と肉体の結びつきであり、“性欲”という肉体本能に由来するものとなっています。

残念ながらほとんどの地上の男女愛は、霊的なもの・利他的なものではありません。その愛の本質は“利己性”です。激しい男女愛――恋愛の本質は“独占欲”であるために激しく燃え上がり、同時に“嫉妬”という醜い感情を生み出すことになります。地上の男女愛に嫉妬という苦しみがともなうのは、それが霊的愛ではなく摂理に反した利己的なものだからです。

地上の男女・夫婦のゆくえ

もし地上の男女・夫婦の間に霊的な結びつきが全くなく、単なる肉体レベル・本能レベルだけの関係でしかないとき、あるいは世間的な体裁から嫌々一緒になっていたような場合は、死とともに完全に別々の世界に住むことになり、二度と会うことはありません。イエスが“あの世では嫁にやったり娶ったりすることはない”と述べたのは、地上のような肉体的な結婚は霊界にはない、ということだったのです。

また愛し合いながらも一緒になれない男女が心中したような場合も、死後は別々の暗闇の中に置かれ、お互いに顔を見ることもできなくなります。神から与えられた生命を自ら捨て去り、霊的成長のチャンスを逃すということは、最も大きな罪を犯すことになるからです。あまりにも霊的に無知な物質的判断からの行動であるため、暗闇の中に自分を閉じ込めてしまうようになるのです。

利己愛・本能愛による地上の男女の結びつきは、霊界では持続することはありません。長年連れ添った夫婦が、恋愛感情やこの世的な利己愛を乗り越えて、わずかであっても“霊的愛”を芽生えさせたときには死後、幽界で夫婦としての再会を果たし、しばらくの間ともに生活するようになります。

幽界では地上の愛が拭い去られ、純粋な霊的愛のみが残されるようになります。そのため、いったん幽界で再会し生活をともにした夫婦も、やがてお互いの霊性に応じた界層へと旅立つことになります。

それぞれが別々の界層へ旅立つ

2人が自分にふさわしい界層へ旅立つときには、もはや地上のような男女愛・夫婦愛は一切存在しなくなります。しいて言うならば、友だち関係といったものになります。相手を眺める眼差しは、親友に対するような感覚に変わるのです。こうして幽界から霊界の界層に旅立つ時点をもって、それまで続いてきた夫婦関係は終了します。

とは言っても生活の場所が別々になるだけであって、お互いの間に霊的絆・霊的愛があるかぎり、その結びつきは維持されることになります。それは仲のよい友人同士が、それぞれ海外で生活するようになっても愛情関係がなくならないのと同じです。必要なときには会うことができますし、連絡を取り合うこともできます。霊界での別々の生活と愛情関係もこれと同じです。

それぞれの行き先となる界層には、これまでには出会うことがなかったような最高の友人・仲間がいて、深い愛情関係を結ぶようになることが分かります。新しい霊的家族の仲間入りをすることが分かるのです。そのため霊界での夫婦の別離には、悲しみが一切ともなわないどころか、反対に喜びと期待で心が占められるようになるのです。

霊界で、地上の夫婦が一緒になることができるのは、お互いの間に霊的絆があるときに限られます。しかもその関係が、それぞれの霊的進化を援助し合い、霊的成長を促すようになる場合に限られます。“霊的愛”とは、お互いの霊的成長を最優先し、それを願うことに他なりません。こうした関係が「霊的親友」ということであり、そこには地上的な男女・夫婦の要素は全く存在しません。霊界での人間関係は、男と女、夫と妻の関係ではなく「霊的兄弟同士」の関係になります。このような霊的愛・霊的絆が2人の間にあるときのみ、霊界でも交流が維持されることになります。しかし現実には、そうした夫婦はめったにいるものではありません。きわめて稀なことであると言っても過言ではありません。

仮に霊界の界層でともに生活することが許された夫婦であっても、霊界での生活を通してそれぞれが霊的成長し、もはや互いに資するものがなくなる段階を迎えるようになります。すると両者は分かれて別々の界層に入り、異なる霊的家族の一員となります。こうした霊界での別離には、すでに述べたように何の悲しみもともないません。なぜならそれぞれが相手の霊的成長を何よりも願い、同時にそうした本当の愛情が、お互いの心をより深く通い合わせるようになることを知っているからです。

4)霊界の男女愛と結婚

霊界で、男女・夫婦がともに生活するための条件とは?

今述べてきたように地上の男女関係は、霊界ではほとんどが消滅し、それぞれが別々の道を歩むようになります。こうしたことは男女・夫婦の関係に限らず、家族・友人関係においても同じです。霊界では霊的利益を分かち合い、霊的成長を支え促し合う限りにおいて、ともに歩むことができるのです。この事実は、霊界ではいかに「霊的成長」が重要なことであるかということを示しています。

霊界では、魂の共通性を持ち、霊性が一致する者の間においてのみ交流が成立します。すなわち同じ界層内の者との間においてのみ交わりが成立するのです。そこではすべての霊が、お互いの霊的進化に利益をもたらし合います。このような結びつきによってグループ(霊的家族)ができ上がっているのです。

こうした霊的事実から推測されるように、地上の男女・夫婦が死後、霊界で一緒に生活し共に歩むためには、霊性が同じで同一界層に入ることが大前提となります。

霊界での性別について

さらに驚くべきことですが、地上における男性と女性という区別・性差は死後、霊界に入って進化するにともない徐々に減少し、最後には消滅するようになるのです。これはスピリチュアリズムによって明らかにされた霊界の奥義の1つです。地上人の常識を根底から覆すような驚くべき霊的事実です。

地上という物質世界では、万物が陰陽という2つの区分から成り立っています。その陰陽が互いに引き合って新しい生命をつくり出し、種を維持することになります。地上世界における陰陽の合体は、物質レベルでの“神の再現”を意味します。地上世界にはそうした陰陽の大原則が貫かれているため、地上人は霊界でもこの原理がそのまま続くように考えがちです。ところが霊界では、その地上の大原則が存在しなくなるのです。

霊界の界層を上がるにつれて、男性・女性という地上の人間的要素はなくなっていき、霊と精神という純粋な霊的・精神的要素が、人間を規定するようになります。地上では人間をまず男と女に分類しますが、霊界ではそうした分類の仕方がなくなっていくのです。もっとも地上世界の男性であれ女性であれ、それはどこまでも男性に対する女性、女性に対する男性であって、相対的な差異にすぎません。そして、そうした男女の二分は地上世界においてのみ存在することなのです。女性と男性、陰と陽の区別は物質世界ならではの特徴なのです。物質世界に住む間は、すべての人間は陰陽の二元の原理にそって、男性か女性のいずれかに所属することになりますが、霊界では界層を上がるにつれて男女の差がなくなっていきます。地上的な表現をするならば、霊界では徐々に中性的存在になっていく、ということになります。

男女の性差が人間にとっての本質ではないために、前世で男性だった者が次の再生時には女性になったり、反対に前世で女性だった者が、次の地上人生を男性として過ごすようなことが起こります。こうした再生における性の交差は、地上での性別が、霊的存在である人間にとって一番の本質ではないということをよく示しています。物質世界にいるために、肉体を中心とした考え方・判断しかできない地上人は、死後も男性は男性として存在し、女性は女性として生き続けると思いがちですが、実際はそうではありません。

こうした霊的事実を知ると、これまでの常識が根本から崩され、頭がくらくらするかもしれません。しかし、これがスピリチュアリズムによって明らかにされた霊的事実であり、それに基づく男女観であり霊界の奥義なのです。

同性愛の問題

世の中には男性として生まれながら、強い女性願望を持っている者がいます。反対に女性として生まれながら男性願望の強い者もいます。そして異性よりも同性に惹かれ、同性を求めます。こうした“同性愛者”の多くが、自己の内面の分裂と矛盾に大きな悩みを抱え苦しんでいます。周りからは異常者として見られ、社会からもしばしば疎外されます。

このような同性愛者の問題は、霊的真理によって初めて正しく理解されるようになります。すなわち「人間の本性は霊であって男女という性別ではない」「人間を霊的存在として見るならば、男性も女性も本質的な差異はない」「陰陽の原理が物質世界を支配しているために地上では、人間は男性か女性に属さなければならない」「地上世界では陰陽の原理が貫かれ、これによって生殖と種の維持がなされるようになっているが、霊界では陰陽の原理の支配はない」そのため「霊界には地上のような性別・性差は本質的に存在しないし、性を介した生殖もない」「地上人は、生まれつき与えられた性に所属する中で霊的成長するようになっている」「同性愛という内部矛盾で苦しむことについては、前世でのカルマが絡んでいる」――こうした霊的事実を知ることによって、同性愛者に対する正しい理解が可能となります。

同性愛者の人権が、現在では昔と比べて守られるようになってきました。そのことは、人類の1つの進歩と言えます。霊的に見れば同性愛者であっても普通の男性・女性と同じですから、同等に扱われるのは当然のことです。しかし残念なことに同性愛者に対する正しい霊的理解は、現在の地球上ではほとんどなされていません。スピリチュアリズムが今後、地球上に普及するにともない、同性愛者に対する正しい理解がなされるようになっていきます。

ある人間が“同性愛者”として生まれるについては、それによる苦しみを通じて「カルマを清算する」という深い理由があるからです。大半の場合、地上への再生に先立って同性愛者としての地上人生を自ら選んでいます。前世でつくってしまったカルマを切るためには、地上人生でそれに相当する苦しみを体験する必要があります。そのため、自ら同性愛者の道を選んできているのです。

同性愛者として生まれた人間は、普通の人間よりも多くの性的誘惑にさらされるようになります。そして、それにじっと耐えて正しい道を踏み外さないようにすることにより、カルマは清算されていきます。同性愛者は「霊主肉従」の道を死守し、間違った性への嗜好に溺れないように用心しなければなりません。普通の人間以上に自己克己の努力・霊主肉従の努力が要求されます。また同性愛者には、しばしば大きな孤独の試練が襲ってきますし、多くの内面的な苦しみ・葛藤を体験しなければなりません。

しかし地上の苦しみは、しょせん一時的なものです。地上人生における苦しみや悩み・葛藤は死後、霊界に行けばすべてなくなり、地上では味わうことのできなかった清らかで、すがすがしい心境を体験することができるようになります。まさに死後の霊界は、同性愛者にとっても“真の救い”の世界となるのです。

霊界の結婚について――霊的結婚とは?

「霊界にも結婚がある」と言うと大半の人々は驚きますが、実際、霊界にも結婚があるのです。もちろん霊界の結婚は、地上のものとは本質的に、また根本的に違っています。霊性の同じ2人の霊が結ばれて一体化することが「霊界の結婚」です。2つの霊の霊的一体化――これが「霊界の結婚」です。そして魂と魂が結ばれて、より大きな「合体魂」をつくることになります。霊界における結婚とは純粋な霊と霊の結びつきですから、そこには肉体を基準とした男性と女性の結びつきや、地上的要素は一切存在しません。先に述べたように霊界では一定の進化を遂げると、地上のような男性的要素・女性的要素は消滅するようになります。地上的な男女関係や夫婦関係は霊界には存在しなくなるのです。

霊界での結婚は、同一界層に所属する霊同士以外には成立しません。同一界層の中でも特別に近い関係にある2人次に述べるように、これを「ツインソウル」とか「アフィニティー」と言います)が霊的に一体化することが霊的結婚なのです。そのとき両者は完全に調和合体して霊的に1つとなり、より大きな魂(合体霊)を形成します。そしてその後も2人は「一対(いっつい)一単位」の霊として、永遠に一緒に進化の道を歩むことになります。

以上、霊と霊の特殊な融合・一体化が霊界における結婚であることを述べましたが、そうした関係にある片方が地上に降りる(再生する)ような場合があります。その間、一方の霊は、霊界の霊的家族の中で相手を待ち続けることになります。地上に行った相手は地上人生を終え、しばらくして霊界の本来の界層に戻り再会することになります。そして再び霊的な一体関係に入りますが、その時に霊界における結婚式が行われることになります。そうしためったにない時を、霊的家族全員が心から祝福し、神の栄光を称え合います。

(「ソウルメイト」と「ツインソウル」の思想)

古来より「ソウルメイト(魂の友)」や「ツインソウル(男女一対魂)」の思想が存在してきましたその中で、古代ギリシアの哲学者プラトンの唱えた説が有名です)。実はこうした考え方の中には、深い霊的思想・霊的事実が含まれています。最近では“前世療法”などニューエイジの影響で、現代人の多くがこうした思想に惹かれ、ロマンティックな感情を喚起され、現実離れした空想に酔いしれるようになっています。しかし、そこで語られるソウルメイトの話のほとんどすべてが、霊的事実とは懸け離れた錯覚にすぎません。スピリチュアリズムの真理に照らしてみれば、その間違いは明らかです。

次の7章(類魂と再生について)でも詳しく述べますが、霊界の界層では、霊性の等しい者たちが集合し霊的家族として共同生活を営んでいます。そこでは思考も知性も感情も体験も等しく共有されるようになり、まさに全員が地上では考えられないような心の一体性、心と心の融合性を持つようになります。そうした霊的家族のメンバーが、魂の友・ソウルメイトなのです。ソウルメイトは、「霊性」という人間にとって最も本質的な要素が完全に等しい関係にある霊的仲間で、地上にはこれほど親しい友人関係や親子関係・夫婦関係はめったに存在しません。まさにソウルメイトは、心と心・魂と魂が一体となった友であり霊的兄弟なのです。スピリチュアリズムでは、こうした霊的家族のメンバーを「アフィニティー」と呼んでいます。ソウルメイトとアフィニティーは同じものを指しています。

さて、こうした霊界における霊的家族の中に、さらに特別に親和性を持った2人のメンバーがいることがあります。あまりにも親和性が強いために、2人であっても1人のようになり、まさに地上の双子に似ているという意味で、これをツインソウルと呼びます。実はこの「ツインソウル」の関係にある2人は、霊的に常に一体関係にあります。2人であっても霊的には完全な一体関係にあり、霊的レベルで融合して1つの霊(魂)を形成しています。

その状況を外部から角度を変えて見るならば、初めに1つの魂があって、それを2人が別々に分け持っているということになります。霊界では霊こそが実体であり、外形(身体)は重要視されません。したがって「ツインソウル」を形成する2人(2つの霊)は、常に1つの単位として数えられることになります。

霊界の霊的家族(霊的グループ)の中から、しばしばメンバーが地上に派遣されます。これが地上への「再生」です。この再生についての詳しい内容も次の章で述べることにしますが、ここで重要な点は、霊的家族の中から一度に複数のメンバーが地上へ再生するようなことはない、ということです。1つの霊的家族からは、必ず1人のメンバーが地上へ再生するようになっています。「霊的家族の中から地上へ降臨(再生)するのは1人の霊に限られる」――これが再生の大原則です。

ところが身体的には2人でありながら霊としては1つ(1単位)であるツインソウルの場合は、2人がそのまま地上に降臨(再生)することがあります。そして地上で男性と女性として誕生するのです。その場合、地上に生まれる時期や、誕生する地域・国が別々となることがあります。同じ母親から双子として生まれることもありますが、そうしたケースはさほど多くはありません。そもそもこうした形で2つの霊が再生するというケース自体が、めったに存在しないことなのです。別々に地上に生まれても、2人の間には「ツインソウル(アフィニティー)」としての強烈な親和性があるため、地上人生のある時にお互いが惹き合って出会いを果たすようになります。そして多くの場合、2人は結婚することになります。これがツインソウルの結婚、アフィニティー関係にある男女の結婚です。

言うまでもありませんが、こうしたアフィニティー同士による地上での結婚は、ごく稀にしか見られないことなのです。アフィニティー同士の結婚は、地上にいながら霊界で結婚するのと同じ意味を持っています。このようなケースは、人類の進化を促すといった大きな使命や責任を持っている場合、また人類の歴史を左右するような役割を持っている場合にのみ、霊界の高級霊の指示のもとでなされることになります。

現在、地球は人類史上、最も重大な進化の局面を迎えています。この地球人類の重要な時期に、霊界からツインソウルが遣わされ、実際に大きな計画が遂行されてきました。『シルバーバーチの霊訓』を地上に送り出したバーバネルとシルビアも、こうしたアフィニティーの関係にありました。死後、2人は再び霊的家族の中でアフィニティー(霊的夫婦)として過ごしています。