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(7)スピリチュアリズムが明らかにした複雑な再生のメカニズム

再生を論じるときに問題となるのが――「いったい何が再生するのか?」ということです。再生とは、かつて地上に生きていた人間が死後、霊界で一定の期間を経て再び地上に生まれることです。したがって大半の人は「何が再生するのか?」と聞かれれば、「そんなことは当たり前ではないか。昔の自分がそのまま次の地上人生で現れる。同じ人間が再生するに決まっている」と言うことでしょう。これまで再生については、例外なくそのように考えられてきました。

しかしそうした常識とも思われる答えが、実は事実とは言えないということを“スピリチュアリズム”は明らかにしたのです。これは従来の再生論にとって、天地がひっくり返るほどの、常識を根底から覆すような驚くべきことです。「何が再生するのか」については、想像を絶するような複雑な問題が絡んでいるのです。

ここではそうした問題の背景を踏まえて、スピリチュアリズムが明らかにした再生のメカニズムを見ていくことにします。

1)一般的に信じられている再生論は間違い

本当の再生の状況について説明する前に、まず一般の人々が考えている再生についてもう少し見ることにします。一般の人々が考えている「再生観」とは、次のようなものです。今ここに私という一人の人間がいます。この私が死んで霊界に行きます。そして一定の時を経て、地上に再生します。ここで前提となっているのは、前世の私と現世の私は、“私”という全く同じ自意識を持っているということです。前世と現世と次世の自分をつなぐのは、「私という自意識」なのです。もしこのつながりが失われてしまったなら、同じ人間の再生ではなくなってしまいます。一般の再生論では、このように「同一自我意識」を再生の大前提としています。

「今の“私”という意識体が次の再生時にもそのまま存在する」「今地上で“私”だと自覚している自分が再生時にも存在する」という説明は、誰もが常識的に納得できます。おそらく大半の人々は、全くその通りだと思われるに違いありません。ところがこうした考え方は事実ではなく、間違いなのです。現実には、今の私がそのまま次の地上人生で再生するということはありません。

スピリチュアリズムは「霊的事実」として、一般的に考えられている「同一自我意識・同一自意識体による再生は存在しない」ことを明らかにしています。したがってスピリチュアリズムからすれば、世の中の大半の人々が信じているような再生はない、ということになります。古代インド思想や仏教、神智学やニューエイジ、新興宗教などで言われているような再生は存在しないし、前世もありません。その意味においては、「再生はない」と言っても正しいことになります。

2)インディビジュアリティーとパーソナリティーの違い

スピリチュアリズムでは再生の事実を認めていますが、これまで一般的に考えられてきたような再生は否定します。では本当の再生とは、いったいどのようなものなのでしょうか。スピリチュアリズムによって人類史上初めて明らかにされた再生の事実とは、いかなるものなのでしょうか。

再生という難解な問題を理解するには、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別をはっきりと知らなければなりません。今、私たちが“自分である”と自覚している自意識と、自覚していない意識の違いを区別しなければなりません。この点を明確にしないところで再生を論じるならば、「再生はある」とも言えるし、「再生はない」とも言えるという矛盾に陥ってしまうのです。

「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」

スピリチュアリズムが明らかにした「再生の事実」を理解するために、第一に知っておかなければならないことは、私たち地上人が今自覚している「自意識」についてです。普通、私たちは、今意識している自分が自分のすべてであると考えていますが、本当は「自分では意識していない別の自分」というものが存在しているのです。それどころか、むしろ自覚していない自分の方がずっと大きいのです。今自覚している自分は、自分の全体のほんの一部にすぎません。

スピリチュアリズムでは、今自覚している自分を「パーソナリティー意識」と言い、意識の全体・意識の総体を「インディビジュアリティー」と言っています。

「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」

左の図の大きな円が私の「意識の総体・すべての意識」です。すなわち「インディビジュアリティー」です。肉体を持たない霊界では、このインディビジュアリティーだけの意識になっています。霊界人の持つ意識・霊的意識は、インディビジュアリティーと一致しています。

右の図は、地上人の様子を表したものです。右に飛び出した箇所が、今自分だと自覚している意識、いわゆる「顕在意識」です。顕在意識は2つの部分から成り立っています。「パーソナリティー意識(霊的意識の一部分)」と「本能意識」です。

この図から分かるように、地上においては、インディビジュアリティー(意識の総体)の大部分は「潜在意識」として自覚できなくなっています。そしてインディビジュアリティーの一部が、脳を介してパーソナリティー意識となって「顕在意識(自覚意識)」を形成しています。大半の地上人は、顕在意識を自分のすべてだと思っています。しかし今自分だと思っている「自意識」は、インデビィジュアリティーという大きな意識(霊的意識)の一部と、本能意識の合体したものなのです。

私たちは地上にいる間は、自分のすべて・本当の自分を知ることはできません。“脳”という物質器官を通してしか自分を知り得ない地上人は、大きな自分・本当の自分を知ることは、ほとんど不可能なのです。しかし死んで肉体(脳)を脱ぐと、「脳を介さない意識・霊的意識(インディビジュアリティー)」が、そのまま自覚できるようになります。そして、これまで知らなかった本当の自分を発見するようになります。

人はそのとき初めて、地上時代には隠されていた「大きな自分」を自覚するようになりますが、それは大半の人間にとって、たいへんなショックと驚きをもたらすことになるのです。

これまでの再生論の間違い――“パーソナリティーが再生する”という錯覚

地上人は、脳というフィルターを経て出てきた霊的意識の一部(パーソナリティー意識)と、脳から発せられた本能意識を、自分自身の“心”と考えています。こうした心(顕在意識)のうえに、性格・育ち・体質など、さまざまな要素が加わって1つの「人物像(パーソナリティー)」ができ上がります。そして、その人物像がその人自身と見なされるようになるのです。

しかし今述べたように、パーソナリティーはその人の本当の姿ではなく、ほんの一部分にすぎません。「パーソナリティー(地上の人物像)」とは、たとえて言うならば、一人の人間の手の一部分・足の一部分のようなものなのです。

生まれ変わりを信じる大半の人々は、今の人物像・今の自意識が、そのまま次の地上人生にも出現すると考えています。ところが実際に再生するのは、「大きな私(インディビジュアリティー)」の別の部分なのです。つまり再生において地上に現れるのは「別の人物像」なのです。こうしたことを地上の側から見ると、「全くの別人が出現する」ということになります。それを一般的な再生の概念でとらえるならば、「再生はない」ということになってしまいます。

これまで地上人類は、再生について間違って考えてきました。地上の人物像やパーソナリティー意識を、その人間自身と錯覚し、再生時にも同一の人物像・そっくり同じ意識体が出現すると考えてきました。しかし、それは事実ではありません。再生の事実を正しく理解することは、「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別をしたうえで初めて可能になるのです。

3)再生者の実体とは――何が再生するのか?

ここでは、今述べた「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別を踏まえたうえで、スピリチュアリズムが明らかにした再生の事実を見ていくことにします。再生を論じる際に問題となるのは――「いったい何が再生するのか?」ということです。すなわち再生者の実体です。

再生者の実体

左側が今の自分です。実線で示した円の全体が「インディビジュアリティー」です。黒色で示している部分が「自意識」です。死んで霊界に行くと、地上時代の自意識(黒色の部分)はインディビジュアリティーの中に溶け込み、存在しなくなります。やがて地上に再生しますが、そのときには新たにインディビジュアリティーの別の部分が「自意識」として自覚されるようになります。

便宜上、今の自意識をAとすると、再生時にはAはインディビジュアリティーの中に溶け込みなくなってしまいます。そして別の自意識Bが“私”ということになります。今は「自意識A」を“私”と思っていますから、次の再生時には“私”はなくなり、今とは別の“私”が現れることになります。

分かりやすい譬えをあげます。今、バケツの中に水を入れます。バケツの中に入っている水が「インディビジュアリティー」で、そこから取り出された一杯のコップの水(A)が「パーソナリティー」ということになります。次にコップの水をバケツに戻し、もう一度コップで水を取り出します。新しく取り出されたコップの水(B)が再生時における「パーソナリティー」ということになります。このとき先に取り出した「水(A)」と、次に取り出した「水(B)」は全く別ものになっています。

前世のパーソナリティーは、インディビジュアリティーの中に溶け込み、もはやどこにも存在していませんが、それはこのコップの水(A)と同じことなのです。

「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」

前世の私(の意識)と再生時の私(の意識)は別ものです。再生時には、今の私は存在しません。それを地上の側から見れば、再生時には「全くの別人が現れる」ということになります。今の意識を基準にするならば、「再生はない」と言ってもよいことになります。

しかし、それを「インディビジュアリティー」の観点から見ると、違う部分であっても同一の霊の一部が再現することに変わりはないため、「再生がある」と言うことができるのです。これがスピリチュアリズムによって明らかにされた再生の事実です。

4)今のあなたは、前世には存在しなかった

肉体を持ち、脳を介した意識によってしか自分自身を自覚できない地上人にとって、再生の事実を理解することはきわめて困難です。過去、多くの宗教によって「輪廻再生」が説かれてきましたが、スピリチュアリズムが地球上に現れるまでは、再生について正しく理解することはできませんでした。スピリチュアリズムの登場によって、地球人類は初めて再生についての事実を知ることができるようになったのです。

地上人がこれまで再生を正しく理解できなかった最大の理由は――「インディビジュアリティー」と「パーソナリティー」の区別がつかず、それらを混同していたためです。この重大な問題についての事実がスピリチュアリズムによって、特に“シルバーバーチ”によって初めて明らかにされることになりました。

今の自分は、前世にも再生時にも存在しない

再生の内容を実感をともなって理解することは、とても困難です。それは私たち地上人が、パーソナリティー意識を中心としてしか自分を自覚できないようになっているからです。ほとんどの地上人は、インディビジュアリティー(本当の自分)を実感することはできません。それが再生を正しく理解するための最大の障害となっているのです。

パーソナリティーの観点から再生を眺めると、前世と現世(今生)、そして次の再生時には「3人の別人がいる」ということになります。もし仮に、今の自分が前世の自分と出会うとするなら、それが自分であるとは認識できません。つまりパーソナリティーを基準にすれば――「再生はないし、前世もなかった」ということになります。

このように考えてみると“前世探し”ということ自体、全く意味をなさないことが分かります。高級霊が軽々しく前世を教えないのは、こうした事実に配慮しているためなのです。

地上人が前世を自覚することは不可能

再生の問題を理解するためには、今述べたような複雑な背景を正しく認識していなければなりません。結局、霊界人と違って地上人が再生の事実を実感をもって理解するのは、とうてい不可能なことなのです。

したがって私たちは――「インディビジュアリティー(霊的意識の総体)としての再生はあるが、パーソナリティー(今の自我意識)としての再生はない」ということを知識として理解しておくしかありません。こうした再生に関わる複雑な背景は、シルバーバーチによって初めて明らかにされました。

多くの人々は、「自分の前世は〜で、次は〜に生まれ変わる」というようなことを言いますが、そうした形での再生はあり得ないのです。今の自分、今の私は、再生時には存在しないからです。今自覚している“自分”という人間は、この地上人生、一度かぎりのものなのです。

もし、インディビジュアリティー(潜在意識)の深部にまで探りを入れ、それを脳の意識として自覚できるような人間が存在するなら、その人は地上世界にいながら、自分の前世を正確に知ることができるようになります。しかし、それは現在の地上人には不可能なことなのです。毎晩の睡眠下での霊界旅行の記憶は、すべて潜在意識の中にしまい込まれています。すなわちインディビジュアリティー(霊的意識)の中に記憶されています。一定の霊的レベルにまで成長すれば、こうした睡眠中の記憶を正確に思い出すことができるようになります。

実は前世を思い出すには、この睡眠中の記憶より、さらに深い記憶の層にまで入っていくことができなければ無理なのです。したがって毎晩の霊界旅行の記憶を正確に思い出せるような人でないかぎり、「前世を思い出すことはできない」ということになります。

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