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1)地上ならではの霊的成長のための訓練

神は、地上でなければできない霊的進化のプロセスを用意されました。そのプロセスとは、霊的成長のための厳しい訓練です。人間は、地上世界における厳しい訓練を通して、霊界への準備をするようになります。

物質という波動の粗い世界では、1つの行動をなすにも多くのエネルギーを振り絞らなければなりません。霊界では心で思うことが直ちに現実化しますが、物質世界では自分の願いを実現するためには、その何倍、何十倍ものエネルギーが必要とされます。このように地上は霊界に比べて実にたいへんな所なのですが、それによって「意志の力」が鍛えられ、霊的世界における実行力が強化されることになります。またその厳しさを通して、霊的成長に対する意欲と向上心が高められることになるのです。

私たちが、自己コントロールの困難な肉体を持っているということには、こうした深い意味があるのです。それはまさしく親なる神が、愛する人間をより幸福へと導くために用意した配慮と言えます。

2)地上における2つの訓練内容

霊的成長のための2つの実践項目

さて地上世界という厳しい訓練場には、大きく2つの訓練内容(実践項目)があります。その1つが「霊を優位にする闘い」、もう1つが「利他愛の実践」です。地上人はこの2つの訓練内容を乗り越えることによって霊的成長をなし、霊界行きの準備を整えることができるようになります。

霊的成長のための訓練内容
①霊優位の闘い
②利他愛の実践

地上人生の訓練〈1〉――「霊優位の闘い」

霊界人と違って、地上人は肉体という物質に包まれているため、すべての点で霊を中心とすることが困難になります。意識的に努力しないかぎり、たちまち物質(肉体本能)に巻き込まれてしまいます。そして霊は肉体の片隅に追いやられ、心は本能的な思いに支配されてしまいます。霊を優位にしようとするためには相当な努力が必要とされますが、それが結果的に「霊的な意志の力・霊的な意念の力」を鍛えることになるのです。

この霊優位の闘いは、「霊的自己コントロールの努力」と言い換えることができます。心の中では、常に霊的意識と本能的意識が葛藤しています。いわゆる“霊と肉の闘い”ですが、霊を肉よりも優位にして肉を支配することが、霊的自己コントロールです。このように霊を心の中心(主)にして、肉を霊の従者とすることを「霊主肉従」と言います。霊主肉従の反対が「肉主霊従」です。肉主霊従の状態では、霊は肉に閉じ込められ成長ができなくなります。

  • 霊優位の闘い = 霊的自己コントロール = 霊主肉従の努力

地上人生の訓練〈2〉――「利他愛の実践」

地上では、さまざまな霊的レベル(霊性)の人間が同一平面上に同居しているために、対人関係において絶えず軋轢(あつれき)やトラブルが発生するようになります。一方、霊界では地上と異なり、同じ霊的成長レベルの者だけが集まって共同生活をしているために、利他愛の実践はそれほど困難ではありません。しかし地上では「利他愛の実践」には、とてつもない忍耐と寛容性が要求されるようになります。

この試練を乗り越えるためには、自分の利益を後回しにして徹底して相手のため、全体のために先に与えることに専念しなければなりません。そうした利他愛の実践を通して、人間は霊的に成長するように創造されています。地上で利他愛の実践に励むことによって、それに見合った成長が得られるようになっているのです。

このように地上世界は厳しい「霊的訓練場」であり、そこでの歩みを通して霊界の生活への準備をすることができるようになっています。霊的親である神は、子供である人間が霊的成長をなして本当の幸福に至ることができるようにと物質世界を造られ、そこを霊的訓練場とされたのです。

3)スピリチュアリズム人生とは、霊的真理を実践する信仰的歩み

霊的真理は、実践のための指針

霊的真理は、単なる知識や情報として人間に与えられたものではありません。真理に示された内容を実践して、「霊的成長」という実りを得るために霊界からもたらされたものなのです。したがって霊的真理を手にしただけで、満足してはならないということになります。霊的真理は実践に移されてこそ、正しく活用されたことになるのです。

これまで多くのスピリチュアリストが、スピリチュアリズムを思想や哲学の1つのように考えてきました。しかし、それはスピリチュアリズムのほんの一部分の要素にすぎません。スピリチュアリズムの本質は、どこまでも「信仰性」にあるのです。すなわち“スピリチュアリズム”は――「霊的真理の実践」という生き方そのものであるということです。日々の生活における真理の実践的生き方こそが、スピリチュアリズムなのです。

霊的真理は実践にまで至らなければ価値を持ちませんし、そうでないかぎり本当のスピリチュアリズムとは言えません。霊的真理は実践のための指針であり、それは実践に移してこそ初めて価値を持つようになります。真理を手にしただけで満足するような人は“利己主義”にとどまり、霊的成長を促すことはできません。せっかくの霊的成長のチャンスを自ら捨て去ることになり、死後、たいへんな後悔をするようになります。

本当のスピリチュアリズムとは?

霊的真理を忠実に実行し、初めて霊的成長がもたらされます。これが本当のスピリチュアリズムです。霊的真理の実践によって、地上にいながら「霊的人生」を歩むことができるようになります。

スピリチュアリズム的生き方(霊的人生)とは、神の摂理の支配を受け入れ、霊界からの導きを信じ、それと同時に自らの内面の弱さや醜さを克服しようとする歩みのことです。常に神と霊界を意識して、自分自身をより高めようとする日常の信仰実践に他なりません。「霊的真理の実践」――すなわち霊的人生とは、こうした「霊的真理を指針とする信仰生活」のことなのです。

スピリチュアリスト人生とは、2つの実践の歩みのこと

私たちは地上人生を霊界へ行くための準備の時として、最大限に有効に活用しなければなりません。地上人生を有意義に過ごし、一定の霊的成長をなし、霊界での生活への準備をしなければなりません。

地上において「霊的成長」をなすためには、今述べてきたような2つの内容を実践することが必要です。その実践項目の1つは――「霊を優位にする努力」ということでした。物質欲や本能に対する「霊的自己コントロール」です。日々の歩みと人生全般を、霊中心にするということです。もう1つの実践項目は――「真実の愛による奉仕・利他愛の実践」です。地上における霊的成長のための努力は、この2つに集約されます。

霊的真理を手にしたスピリチュアリストが、それを実践に移すのは当然です。真理は霊的成長を促すために与えられたものだからです。霊的真理を忠実に実践すること――それは“スピリチュアリスト”としての責任であり、義務なのです。

スピリチュアリズムの霊的真理の実践についての詳しい内容は、スピリチュアリズムの思想[Ⅲ]において取り上げています。