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(7)スピリチュアリズムが明らかにした神観のポイント

――スピリチュアリズムの神観の基本的概念

ここでは、いよいよ霊界の高級霊によって示された神観について見ていきます。スピリチュアリズムの神観のポイントは、現時点の地上人にとって必須の霊的知識・霊的真理です。その中には、従来の一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など)において説かれてきた神観と共通する点も含まれています。

しかしここで挙げる10項目の基本的な内容から描かれる神観は、これまでの地上の宗教には全く存在しなかったものです。高級霊によって伝えられた神についての知識はとてもシンプルですが、真実の神の姿のアウトラインを初めて地上人類に示すことになりました。

スピリチュアリズムの神観のポイントは次のようになっています。

1)と2)は、創造性を持った神、すなわち「創造主としての神」についてです。3)は永遠性・遍在性を持った神、すなわち「大霊としての神」についてです。4)と5)は利他性を持った神、すなわち「愛なる神・究極の愛としての神」についてです。6)と7)と8)は、法則性を持って支配する神、すなわち「摂理(法則)としての神」についてです。9)と10)は人間にとっての永遠の目標である神、すなわち「究極の理想としての神」についてです。

以下では、これら一つ一つについて説明していきます。

1)神は「創造主」として、霊界と宇宙を造られた。私たち人間をはじめとする万物は神によって造られた――「創造主としての神」①

神と私たち人間には、「造ったもの」と「造られたもの」という決定的な違いがあります。神と人間との間には、創造主と被造物という明確な一線が引かれています。先に述べたように、人間・万物を神の一部と見なす“汎神論”は間違いです。

宇宙の創造は、まず物質界に共通の「物質素材界」が造られ、そこに神の意志・イメージが働きかけて個別の物質体が発生するようになります。宇宙の物質界はこのようにしてでき上がっているのです。

動物・植物といった生命体は、こうして造られた個別の物質体に、神によって造られた共通の「生命素材界」から取り出された“生命”が、神の意志・イメージのもとで与えられて個別の生命体となります。これが集まって生命界が形成されています。

そうした個別の生命体に、神によって造られた「霊素材界(霊の大海)」から取り出された「神の分霊」が、神の意志・イメージのもとで付与されて個別の人間が誕生することになります。その個別の人間が集まって人間界が形成されているのです。

神による万物の創造

※すべての矢印は、神による働きかけを表しています。

前頁の図は、神の創造の業を示したものです。図中の矢印は、神の意志とイメージ化を意味し、神の働きかけを示しています。これが、神が造られた「万物創造の摂理(法則)」です。

人間の本質は、心の最深部に存在する「神の分霊」です。これは霊の大海から取り出された一滴が独立したもので、“ミニチュアの神”と呼ばれます。霊の大海からの分霊化が、人間の霊魂の創造ということになります。

神と人間の関係は、人間の母親と赤ちゃんに譬えることができます。お母さんの子宮内にいてへその緒で結ばれている胎児は、お母さんの肉体と一体になっています。胎児は、お母さんの肉体の一部と言えます。お母さんが死ぬようなことになれば、胎児も同時に死ぬことになるからです。誕生によってお母さんの体外に出た赤ちゃんは、母親とは完全に別の存在となります。赤ちゃんの肉体はお母さんから与えられたものですが、いったん生まれた後は、母親から独立した一人の人間となるのです。

これと同じで、私たち人間は神によって造られましたが、地上に誕生した後は神とは別個の存在、神から独立した「神の子供」となったのです。その独立性は人間に“自由意志”が与えられたことでさらに徹底され、人間は自由意志を用いて神の意志に反した行為をすることもできるようになったのです。

2)神は人間をはじめとする被造物を、自らに似せて創造された。そのため被造物は、神と同じ要素を有している――「創造主としての神」②

赤ちゃんは、あらゆる肉体の要素をお母さんから受け継いでいます。赤ちゃんの肉体は、お母さんの肉体と同一の要素からでき上がっています。

神と人間との間にも、これと同じことが言えます。神の被造物である人間や万物は、神の中にもともと存在していた要素から造られています。私たち人間が持っている肉体能力や心の要素(知・情・意)のすべては、神の内に存在していたものなのです。この事実は、神は私たち人間が持っているあらゆる人間的要素を内蔵している、ということを意味します。このように親子の関係にある神と人間との間には、多くの点で共通性があるのです。

「神は人間を霊的にご自分に似せて創造されたのです。生命は霊であり、霊は生命です。霊的に似せて創造された以上、あなたは永遠に神とつながっており、神性を共有しているのです。(中略)ですから人間は神に似ているのであり、姿が似ているというのではありません。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.109〜110

「あなた(神)は人間に、あなたの聖なる属性を数多くお授けになりました。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.222

「人間が神に似せて造られていること、言い換えれば、神と本質的に同じものが内在していること……

『シルバーバーチの霊訓(8)』(潮文社)  p.60

肉体をまとい霊性が鈍くなった地上人は、神の存在を実感することができなくなっています。しかしそうした地上人であっても、神が造られた宇宙や自然界・生命界の中に、神の属性神そのものではなく神の有する性質)を見い出すことができます。これによって地上人は、神の一部に触れ、神の一側面を知ることができるようになっているのです。子供を見れば親が分かるのと同じように、自然界を観察することによって、神の内容の一部分を理解することができるのです。

「万物の究極の総合体・霊の究極の総合体」である神には、被造物に見られるすべての要素が含まれています。霊界・宇宙・地上世界・自然界・人間の持つあらゆる要素は、もともと神の内にあったために被造世界に現れたものなのです。人間が持つ喜びや悲しみ・優しさや厳しさ・知性・感情・意志……これらもすべて神に内在していたものであり、創造のプロセスを経て人間に付与されました。シルバーバーチは――「愛と憎しみ・喜びと悲しみ・善と悪は同じものの両極であり、すべて神に由来している」と言っていますが、それはこうしたことを意味しているのです。

3)神は無形の存在であり、あらゆる区別・形式・概念を超越し、被造界・被造物に遍在している――「大霊としての神」

太古において、人間の霊性がきわめて未熟なレベルにあった頃、人々は神を人間の姿をした存在と考えていました。髭を生やした老人のような神を想像したり、キリスト教の聖絵画に見られるような屈強な人間をイメージしてきました。しかし実際の神は、そうした外形を持っているわけではありません。神は無形で無限の存在なのです。

人間は形のないものは実在しないと考えがちですが、自分の内に心があることは誰も疑いません。神もその心と同じで、無形であっても確かに存在しているのです。神と私たちの心は、無形であっても確実に存在しているという点で同じです。つまり神は、私たちの心を無限大に拡大したような存在と言えます。

神とは、「霊界・宇宙すべてを包むような広がりを持った大きな心」「霊界・宇宙すべてに遍在している大きな霊・大きな意識体・あらゆる意識の総合体」、すなわち「大霊」と言うことができます。スピリチュアリズムでは、神を「大霊」として説いています。この「大霊」という言葉は、人間が考える区別・形式・概念をすべて超越している、ということを意味しています。そしてあらゆる存在界・存在物に神が遍在している、ということも意味しています。

シルバーバーチは「大霊としての神」を次のように説明しています。

「大霊は人間が考えるような意味での人物的存在ではありません。人間を大きく拡大したような存在ではありません。男性でもなく女性でもありません。大霊は宇宙最高の力、無限の知性、愛、慈悲、要するにありとあらゆる霊的資質の原理の総合的化身です。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.88〜89

「神とは非人間的存在でありながら同時に人間性のすべてを表現する存在です。これは、あなた方には理解できないでしょう。神はすべての生命の中に宿っています。その生命が人間という形で個別性を持つことによって、神は森羅万象を支配する法則としてでなく、個性を持つ存在として顕現したことになります。

ですから神を一個の存在としてではなく、無限の知性と叡智と真理を備えた実在そのもの、人間に想像し得るかぎりの神性の総合的統一体と考えてください。それは男性でもなく女性でもなく、しかも男性であり女性でもあり、個性というものを超越しながら同時にあらゆる個性の中に内在しているものです。神は万物の内側にも外側にも存在しています。神から離れては誰一人存在できません。神から切り離されるということはありえないのです。あなたの中にも存在しますし、雨にも太陽にも花にも野菜にも動物にも、その他いかに小さいものでも、存在するかぎりはすべてのものに宿っているのです。

私が大霊と呼んでいるこの神の概念を伝えるのは至難の業です。あらゆるものを支配し、あらゆるものから離れず、存在するものすべてに内在している崇高な力です。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.108

「神はあるゆる場所に存在します。神のいない場所というものは存在しません。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.91

「あらゆる生命体に大霊が充満しています。あらゆる存在に大霊が内在しています。あらゆる法則の中にも大霊が内在しています。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.120

「ああ、大霊よ。あなたはあらゆる定義と説明を超越した存在にあらせられます。なぜなら、あなたの本性は窮まるところを知らないからでございます。いかなる書物も、いかなる教会も、いかなる建造物も、いかなる言語も、あなたのすべてを包摂することはできませんし、あなたのすべてを解き明かすこともできません。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.178

4)神は人間にとって「霊的な親」である――「愛なる神・究極の愛としての神」①

私たち人間の一番の本質は「霊的存在」であるということです。私たちの心の内奥・深部に存在する「霊」は、神という無限の大霊から分かれて独立したものです。つまり「神の分霊」が私たちの霊であり、人間の本体なのです。私たちは神の分霊という“ミニチュアの神”を内在させています。神と人間は、同質の「霊」という共通の要素を持っているために永遠につながり「神性」を共有しているのです。

これは、私たち人間は神によって生み出された「神の霊的子供」であるということを意味しています。そして神(大霊)は、私たち人間の「霊的な親」であり、全人類は神を共通の親とする「霊的大家族の一員」ということになります。神の愛が、この霊的大家族を結びつけているのです。人間は神の子供として、霊の親である神から絶対的な愛を受けているのです。

インペレーターは、そうした「神の愛」について次のように述べています。

「我々は、その威力を愛と叡智に満ちた普遍的知性として理解し、感受しております。我々とのつながりの中に、優しさと愛とを感受するのです。過去を振り返っても、慈悲と思いやりに満ち溢れていることを知ります。今この時も愛と優しさに満ちた配慮が払われております。」

『霊訓(完訳・下)』(スピリチュアリズム普及会)第19節  p.31

シルバーバーチは――「私たちは大霊を共通の父とする地上の全民族の霊的同胞性を説きます」『シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.197)と述べ、また「神に似せて創造された以上、あなたは永遠に神とつながっており、神性を共有しているのです。ということは人間は霊的大家族の一員であることになります」『シルバーバーチの霊訓(11)』(スピリチュアリズム普及会)  p.110)と言っています。そして祈りの中で――「あなたとの霊的絆を理解すれば、子等も内なる霊力を発揮できることになります」というように、常に神を人類の親として語りかけています。インペレーターも――「人間の義務として父なる神を崇め敬う」と述べています。

シルバーバーチもインペレーターも神に対して、私たち人間を創造し、愛の絆で結ばれている「霊の親」として祈りを捧げているのです。

その一方でシルバーバーチは、「愛の神」の概念に反するような見解を述べています。「私は自然法則について語っているだけです。私は父なる神などという言い方も致しません。私は宇宙の大霊という呼び方をしています。私は法則に目を向けます。私は宇宙の目的に目を向けます」『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.123)と、まるで正反対の内容を述べています。

この言葉は、従来の宗教(特にキリスト教)が、父なる神・愛の親神という概念のもとで、あまりにも神の摂理から懸け離れた自己中心的・人間中心的なご利益信仰に陥っている実情を批判するために語ったものです。間違った愛の神観を是正するために、「神の法則性・法則の神」を強調して厳しい言い方をしたのであり、決して「親なる神・愛の神」を否定したものではありません。

5)神は私たち人間を愛してくれている。私たち人間と万物は、神によって愛されている――「愛なる神・究極の愛としての神」②

霊界・宇宙を創造した神の愛――神の愛に包まれている霊界・宇宙

シルバーバーチやインペレーターなどの高級霊は、神が愛の存在であることを強調し、常にその愛を讃美しています。また霊界・宇宙には、神の愛が充満していることを繰り返し述べています。神は人間の霊の親として、絶対的な愛で私たち人間を愛してくださっているのです。

しかし神の愛は、子供である人間だけに向けられているのではありません。神は万物に対して、それが最下等の創造物であっても分け隔てなく優しさを持って臨んでいます。神の愛は霊界と宇宙を造り出し、あらゆる存在物・生命体に注がれています。神はご自分の造られた世界を、神の愛が支配し、神の愛が行きわたる場所とされたのです。まさに神は、「究極の愛の存在」なのです。

「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し、全存在を支配しているのも神の愛です。(中略)全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて人間の一人一人を通して地上に流れ込みます。そしていつの日か、全宇宙が神の愛によって温かく包まれることになるでしょう。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.142

摂理に先立つ神の愛

シルバーバーチは「摂理(法則)」をたびたび強調しています。しかしその法則も、神の愛がなければ存在することはできない、と言うのです。法則よりも“愛”こそがより根源的なものであり、愛があればこそ神の法則が機能するようになっているということです。

シルバーバーチは、愛が法則に先立つことを次のように述べています。

「愛は宇宙における最大の力です。大自然の法則を機能させる原動力です。愛あればこそ全大宇宙が存在するのです。」

『シルバーバーチの霊訓(1)』(潮文社)  p.140

守護霊の愛と神の愛

「自分は今、霊の親である神から宇宙より大きな愛で愛されている」――そう考えると、私たちの心は喜びで満たされます。自分は何と幸せなのだろうかと、無条件に感動の思いが湧いてきます。ところが残念なことに、私たちの心は神の素晴らしい愛を常に実感することはできません。それは私たちが肉体という物質をまとっているからです。神の愛を実感するためには研ぎ澄まされた「霊性」が必要ですが、肉体に縛られた地上人は、そうした霊的感性をほとんど持つことができなくなっているのです。

しかし地上では神の愛を実感できなかった人間も、死んで霊界に行くと、その素晴らしさを思う存分体感することができるようになります。私たち人間が本当の神の愛を知ることができるのは、不自由な肉体を脱ぎ捨て、純粋な霊の世界へ入ってからなのです。今は神の愛が実感できなくても、将来、霊界においてそれが叶うことを希望として、楽しみに待つことにしましょう。

では私たちは、地上では全く神の愛を体験できないのでしょうか? 地上人を背後から導いている“守護霊”は、私利私欲のない純粋な利他愛で常に私たちを愛してくれています。実はこの守護霊の愛こそが、まさに神の愛と同質の愛なのです。つまり私たちは、守護霊によって間接的に「神の愛」を受けているということなのです。

守護霊の愛は、日常生活の中でたびたび感じ取ることができるようになっています。祈りの最中に、あるいは困難な事態に直面したときに、フッと心が安らぎや温かさに包まれることがあります。これが守護霊によってもたらされる愛の作用なのです。守護霊は、神の代わりに私たちを愛してくれています。私たちは間接的ではあっても守護霊を通じて「神の愛」に触れているのです。

6)神は摂理(法則)を通して世界を支配している――「摂理(法則)としての神」①

スピリチュアリズムの神観の最大の特徴は、「摂理(法則)の神」を強調するところにあります。「愛の神」と同時に「摂理の神」、すなわち神の摂理性を徹底して訴えます。時には「愛の神」以上に「摂理の神」を重要視します。それは地球上における従来のすべての宗教の欠点が、そこにあったからなのです。

地球人類は「摂理(法則)の神」について理解していなかったために、間違った神信仰を延々と続けてきました。長い間、ずっと的外れな神信仰・無意味な信仰をしてきたのです。地球上における宗教の間違いは、この「摂理の神」に対する無知に起因します。そのため高級霊は神について論じるとき、必ず「神の摂理(法則)」について言及するのです。

ここではスピリチュアリズムの神観の最重要ポイントである「摂理(法則)の神」について見ていきます。

摂理による宇宙の支配

宇宙と自然界の一つ一つの存在物は、神の創造された摂理(法則)によって規制され、支配されています。宇宙のすべての現象が、神の造られた法則によって支配されているのです。この「摂理(法則)による神の支配」に対する理解は、現在の地球人類に最も必要とされているものです。

シルバーバーチは神の摂理による宇宙の支配について、次のように述べています。

「宇宙のどこでもよろしい、よく観察すれば、雄大なものから極小のものまで、ありとあらゆる相が自然の法則によって生かされ、動かされ、規律正しくコントロールされていることがお分かりになります。途方もなく巨大な星雲を見ても、極微の生命を調べても、あるいは変転きわまりない大自然のパノラマに目を向けても、さらには小鳥・樹木・花・海・山川・湖のどれ一つとってみても、ちょうど地球が地軸を中心に回転することによって季節のめぐりが生じているように、すべての相とのつながりを考慮した法則によって統制されていることが分かります。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.199

摂理として現れる神

神の摂理(法則)の適用を免れることのできる被造物は存在しません。神の摂理の外にはみ出た被造物はありません。人間も、もちろん神の摂理の支配のもとにあります。それゆえ人間は、常に摂理を通じて神と接点を持つことになります。摂理を飛び越えて直接神と触れ合うようなことは絶対にありません。人間は摂理を通じて、間接的に神と関係を持つようになっているのです。神も、摂理を無視して直接人間に働きかけるようなことはありません。必ず摂理を介して人間に働きかけるのです。シルバーバーチは――「大霊による直接の関与などというものは絶対にありません」『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.46)と述べています。

こうした状況を人間サイドから見るなら、「神は常に摂理として現れる」ということになります。神と摂理は常に一体となったものとして人間の前に登場するようになっているのです。私たち地上人から見れば、冷たくて厳格な摂理の後ろに神が控えているということになります。機械的な摂理の背後に「慈悲の神」が存在し、私たちのすべてをご覧になっているということなのです。

神と摂理と人間・万物の関係を図示すると次のようになります。

「スピリチュアリズムの神観」と「この世の宗教の神観」

7)神は人間・万物のすべてを完全に把握し、完全平等・完全公平に扱っている――「摂理(法則)としての神」②

“神はすべてを知り給う”――神による完全把握

神によって創造された霊界・宇宙・人間・万物は「摂理」によって支配されています。それは被造界・被造物のすべては神によって知られるようになっている、ということを意味しています。神は、人間・万物の細部に至るまで完全に把握しておられるのです。

シルバーバーチは次のように述べています。

「人間が神と呼んでいるのは実は宇宙の自然法則のことです。私の言う大霊です。大霊は万物の生命の中に内在しております。生命のすべてが大霊であると言ってもよろしい。生命そのものはそのことを自覚していますから、大霊は全生命のことを知っていることになります。スズメの生命も大霊ですから、大霊はスズメが落ちるのを知っていることになります。大霊は風にそよぐ木の葉でもありますから、木の葉も大霊であることになります。地上界のすべて、霊界のすべて、宇宙間のものすべて、そしてあなた方に知らされていない世界を通じて、大霊の法則が絶対的に支配しております。その法則から離れて何一つ生じません。すべてが法則の範囲で生じていますから、大霊はすべてを知っていることになるわけです。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.121

「大霊がすべてを知り尽しているのも、法則だからです。法則だからこそ何一つ見落とすことがないのです。法則だからこそ人生のあらゆる側面がこの大宇宙にあってもその存在場所を得ているのです。人生の全側面が、いかに些細なことでも、いかに大きな問題でも決して見逃されることがありません。すべてが法則によって経綸されているからです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.77

摂理の支配による完全平等・完全公平

神の造られた「摂理(法則)」は、一点の妥協もなく機械的な厳格さをもって世界を支配しています。そのため神の造られた世界には、完璧な公平が行きわたるようになっているのです。人間サイドの個人的事情が神の摂理(法則)に関与することは一切ありません。常に人間の側が摂理に合わせていくことだけが要求されています。

摂理を通して支配しているために、神は人間に対して完全平等・完全公平に臨むことができるようになっているのです。

「大霊とは法則です。それを悟ることが人生最大の秘密を解くカギです。なぜなら世の中が不変不滅・無限絶対の法則によって支配されていることを知れば、すべてが公正に裁かれ、誰一人としてこの宇宙から忘れ去られることがありえないことを悟るからです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.77

とかく神を信じる者は、自分の願いが聞き届けられ、自分に特別な導きと配慮がもたらされることを期待します。神によって奇跡が起こされ、個人的な恩恵が与えられることを願います。神が自分の敵を懲らしめ、罰してくれることを祈り求めます。地上の熱心な信仰者の心の内には、常にこうした神への期待が存在しています。

しかし、神が摂理から外れた地上人の願いに応じるようなことはありません。また特別な計らいによって奇跡を起こすようなことも絶対にありません。地上人の身勝手な願い事に、神が手を貸すようなことは決してありえないのです。

これまで地球人類は、摂理に反する間違った信仰を熱心に続けてきました。そして自分たちの国家・民族・部族にのみ特別の恩恵と守護がもたらされることを求め、祈り続けてきたのです。しかしそれはすべて無意味なことであり、全く的外れな行為でした。

インペレーターは次のように述べています。

「(地球人類は)永遠にして不易の法則の支配下にある点において共通です。誰一人として特別の恩寵にあずかることはできません。また誰一人として不可抗力の過ちのために無慈悲な懲罰を受けることもありません。」

『霊訓(完訳・上)』(スピリチュアリズム普及会)第8節  p.99

本当の信仰とは、摂理に合わせる努力のこと

地球人類が神に近づくためには「神の摂理(法則)」を正しく理解し、摂理にそった生活を送るように努力していくことです。神に特別な配慮を願うのではなく、自分の方から神の造られた摂理に合わせていくべきなのです。そうした努力こそが、まさに「正しい信仰」なのです。スピリチュアリズムは、神に願い事をするのではなく、自分から神の摂理に一致していく、摂理に自らを従わせる努力をしていくことが正しい神信仰であることを明らかにしました。それこそが、人間が長い間求め続けてきた幸せに至る唯一の道なのです。

これまで地球人類は、神を絶対的な権威者として崇拝し、神に願い事をすることが信仰であると錯覚してきました。今、スピリチュアリズムによって地球人類は、初めて本当の神信仰を知りました。神に願い事をしたり、一方的に神にすがるのではなく、神の絶対性を信じて人間の方から神の摂理に合わせていくことが「正しい信仰」であることを理解するようになりました。こうして人類史上、初めて真実の神信仰が始まることになったのです。

シルバーバーチの「摂理の神」についての誤解

シルバーバーチが「摂理(法則)」をあまりにも強調したことで、神とは法則そのものであるかのような誤解を生むことになってしまいました。しかし文字どおり「神は摂理(法則)である」と受け止めるのは間違いです。シルバーバーチは、神と摂理を全く同じものと考えているわけではありません。これまでの人類の神観の根本的な間違いを正すために、あえて「神は法則です」と強調したのです。これまでの一方的なご利益信仰・神への願い事信仰を正すために、神と人間は直接的な関係を結ぶことはないこと、摂理を通してしか関係を持てないことを強調したのです。それが「神は法則です」という言葉となって示されたのです。

言うまでもなく、摂理は神そのものではなく、神が造られた属性です。摂理は、神が宇宙・万物を支配するために自らの叡智によって造られたものなのです。

シルバーバーチ自身が、摂理は神によって造られたものであることを次のように述べています。

「宇宙は法則によって支配されており、その法則は規模においても適応性においても無限なのです。それは無限の愛と叡智から生まれたものであり、したがって完璧であり、過ったり失敗したりすることが絶対にないのです。」

『シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社)  p.143

「その(摂理)作用は完璧であり、停止することも、無効になることもありません。無限の知性によって考案されたものだからです。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.89

8)神の完全性は、摂理(法則)の完璧性を通して知ることができる――「摂理(法則)としての神」③

神の偉大さを反映する摂理

先に述べたように、被造世界に存在するすべての要素は、神に由来しています。その意味で、神によって造られた万物は、神を映し出す分身と言えます。神が霊界と宇宙のすべてを支配し管理するために造られた摂理は、神の偉大さ・完全性をそのまま反映しています。摂理が示す完璧性は、それと同じ内容がもともと神の内に存在していたということを物語っています。私たち地上人は神の造られた摂理を通して、全知全能の神の偉大さを垣間見ることができるのです。

「驚異に満ちたこの宇宙が、かつて一度たりともしくじりを犯したことのない摂理によって支配され、規制され、維持されているのです。その摂理の働きは、一度たりとも間違いを犯したことがないのです。変更になったこともありません。廃止されて別のものと置き換えられたこともありません。今存在する自然法則はかつても存在し、これからも未来永劫に存在し続けます。

なぜなら、完璧な構想のもとに、全能の力によって生み出されたものだからです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.199

「私にとって神は、永遠不変にして全知全能の摂理としての宇宙の大霊です。私はその摂理にいかなる不完全さも欠陥も不備も見つけたことがありません。(中略)この複雑をきわめた宇宙の生命活動のあらゆる側面において、完璧な配慮が行きわたっております。

例えば極大から極微までの無数の形と色と組織を持つ生物が存在し、その一つ一つが完全なメカニズムで生命を維持している事実に目を向けていただければ、神の法則の全構図と全組織がいかに包括的かつ完全であるかを認識されるはずです。」

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.191

自然界の営みの中に見られる神の摂理

高級霊は、自然界の営みの中に神の摂理の完璧性・完全性の反映を見て、幾度となく感嘆の思いを述べています。私たちも霊界の高級霊に倣って、自然界の営みを通して「神の完璧性・完全性」を実感し、神を讃美したいと思います。

「あなた(神)の聖なる御業であるところの大自然のパノラマの中に、私どもはあなたの神性の顕現を拝しております。(中略)移り変わる大自然のあらゆる営みの中に、あなたを見い出すことができます。」

『シルバーバーチの霊訓(4)』(潮文社)  p.222

ある時、ホームサークルの参加者がシルバーバーチに――「神のことを、子供にはどう説いたらよいでしょうか?」と質問をしています。それに対してシルバーバーチは、「神とは何か」について次のように端的に述べています。

「私だったら大自然の仕組みの見事な芸術性について目を向けさせます。(中略)そうした大自然の一つ一つの営みが確固とした目的を持ち、法則によって支配されていることを指摘いたします。

そしてさらに、人間がこれまでに自然界で発見したものはすべて法則の枠内に収まること、自然界の生成発展も法則によって支配され規制されていること、その全体に人間の想像を絶した、広大にして複雑な、それでいて調和した一つのパターンがあること、宇宙の隅々に至るまで秩序が行きわたっており、(中略)その秩序によって経綸されている事実を説いて聞かせます。

そう説いてから私は、その背後の力、すべてを支えているエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配している霊妙な力、それを神と呼ぶのだと結びます。」

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.196〜197

9)人間は永遠の霊性進化の道をたどるが、それは終わりのない神への接近のプロセスである――「究極の理想としての神」①

永遠の霊性進化の道

神の分霊を付与された人間は、永遠に霊性進化の道をたどる宿命を与えられました。地上への誕生をもって分霊となり神から独立した人間は、数十年の地上人生の後に、霊界において何千年・何万年・何百万年……何億年という無限の時間を過ごすことになります。いったん誕生した人間の霊は、絶対に消滅することのない存在として造られています。したがって何百億年か後に地球や宇宙が消滅するようなことになったとしても、霊界にいる私たち(人間の霊)は生き続けることになるのです。

ここで大切な点は、人間は霊界でただ目的もなく怠惰に無限の時を過ごすのではない、ということです。人間はどこまでも続く限りない時を通して、少しずつ霊的成長の道を歩んでいくことになります。そして一歩進化するごとに、その分だけ神に近づいていくことになるのです。

では、こうした終わりのない霊性進化の歩みによって人間は、いつか神のレベルにまで到達するようになるのでしょうか? 古代インド哲学や神智学などでは、人間は進化の果てに神と一体となって融合し個性を失うようになると教えています。しかし、それは間違いです。人間の霊性進化の歩みには終着点はありません。どこまでいっても神に到達することはできないのです。言うまでもないことですが、人間が神と融合して個性を失うようなことは決して起こりません。

人間が神に接近していく無限のプロセスは、考えてみるととても不思議な感じがします。「どうして神は終着点をもうけなかったのか?」と疑問が湧いてきます。しかし有限の存在である私たち人間が、大霊である神の意志を推し量ることはできません。神が何らかの意図をもって、そのように定められたのだと理解するしかありません。

神への接近によって増大する喜びと幸福

この終わりのない霊性進化の歩みの中で、一歩ずつ究極の理想である神に近づくごとに、人間はそれまで味わったことのない喜びと幸福感を体験するようになります。神に一歩近づくことによって、その分だけより多くの神の愛を受けられるようになるからです。したがって人間にとって“永遠の霊性進化の道”とは――「少しずつ神に近づき、それにつれて喜びと幸福感を増大させていく歩みである」ということになります。

地上においても霊界においても、人間が存在している目的は、究極の理想である神に近づくことです。それは限りない霊的成長・霊性進化の道のりであり、神との愛の絆を深めていく歩みなのです。

10)人間は利他愛の実践を通して神を愛することになり、神により接近することになる――「究極の理想としての神」②

神に接近するための条件

神による分霊化によって人間が独立した霊(ミニチュアの神)になったことも、人間が霊界で永遠に生き続けることも、すべて「霊的成長」のためなのです。その霊的成長を成就する最大の条件が「利他愛の実践」です。人間は、地上においても霊界においても利他愛の実践を通して霊的成長をなすように造られています。すなわち利他愛の実践を通して、究極の理想である神に近づいていくことになるのです。

利他愛の実践によって、より多くの愛を他人に与えることで「魂の窓」が開かれます。その窓を通して神の愛とエネルギーが流れ込んでくるようになります。そうしたプロセスを経る中で内部の「神性(霊性)」が拡大し、大霊である神の完全性に似ることになり、神に近づいていくことができるのです。

私たち人間の「霊的成長」は、内部の霊性を発揮させることによってなされます。それは内在する「ミニチュアの神(私たちの霊)」をより完全な形で表現し、神に近づいていくということなのです。霊界では、霊性レベルの違いは神との密接度・親近度の違いとなって現れます。シルバーバーチは――「霊界の界層を一段また一段と上がっていくごとに不完全さが減少していき、それだけ内部の神性が表に出るようになります」『シルバーバーチの霊訓(7)』(潮文社)  p.187)と述べています。

「大霊そのものは完全です。つまりあなたの内部に種として存在する神性は、完全性を備えているということです。ですが、これは必ずしも物質的形態を通して完全な形で表現されていません。だからこそ無限の時間をかけて、絶え間ない進化の過程を経なければならないのです。進化とは、内部に存在する完全性という黄金の輝きを発揮させるために不純物という不完全性を除去し磨きをかけていくことです。」

『シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来』(スピリチュアリズム普及会)  p.108

神を愛するとは?

神は、私たち人間を絶対的な愛で愛してくれています。では私たち人間は、どのようにしたら神を愛することができるのでしょうか。そもそも人間が「神を愛する」などということができるのでしょうか。

シルバーバーチは、それに対する明快な答えを示しています。

「大霊に奉仕するといっても、それは大霊の子である地上の同胞に奉仕することになります。同胞のために役立つことをしているとき、神の無限の腕に抱かれ、その愛に包まれ、それが完全なる安らぎをもたらしてくれることになります。」

『シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.83〜84

「神に仕えることは、神の子のために働くことにほかならず……

『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)  p.83

シルバーバーチは――「他人を利他愛で愛すること、自己を犠牲にして他人に尽くすことがそのまま神を愛することになる」と言っています。神は、私たち人間の「霊的な親」「魂の親」です。神が親である以上、言うまでもなくその願いは、子供たち同士が仲良くし、尽くし合い、喜びに満ちた生活を送ることです。それと同時に、すべての子供たちが霊的成長をなし、さらなる幸福への道を歩むことなのです。子供である人間が互いに愛し合い、それによって摂理を成就することが、親としての神の願いであり、人間を誕生させた目的なのです。

それゆえ「利他愛の実践」は、神の願いに応えることであり、何よりも神を喜ばせることになります。他人を利他愛で愛することによって、自動的に神を愛することになるのです。わざわざ「神を愛そう!」と思わなくても、他人の幸せを願って利他愛の実践に励むことで、おのずと神を愛することになるのです。自分より恵まれない人々のために自分を犠牲にするとき、神の心を我が心とすることができます。多くの人々を「利他愛・真実の愛」で愛する人であればあるほど、より深く神を愛することになり、神との絆を強めていくことができるのです。

シルバーバーチは次のように述べています。

「あなたが、愛・寛容心・慈悲・哀れみ・仁といった神性を発揮すれば、その時あなたは大霊と通じ合っていることになります。なぜなら、あなたを通じて大霊が表現されているからです。」

『シルバーバーチの霊訓(11)』(潮文社)  p.95